美濃屋再生

 飲屋稼業をながくやっていると色々な商売の人々と連なって仲良くなる。 問屋の人、魚屋の人、八百屋の人、乾物屋の人、そして豆腐屋の人。 どの人も大切で重要で はかり知れぬ力添えをいただいている。 
 どの店もながい付き合いだ。 仕入れ値が少し安いからと言って店を変えたりはしない。 どのみち少しの安値より、良質の食材を提供していただける事の方が店にとっては圧倒的に有り難い。 そこには軽佻浮薄な絆ではなく、強い信頼関係が生まれ育つ。

 再び豆腐屋さんの美濃屋に登場いただく。 いまに始まったことではないが、街から銭湯と豆腐屋が次から次へと消えていく。 商売として成り立たないと嘆く。 嘆くから後継者がいなくなる。 このことは、日本中の家内制工業的な職業全般にいえる事である。

 美濃屋さんは夫婦二人で手取り、足取り、手を合わせ50年もの長きにわたって豆腐屋を営んできた。 5年程前に奥さんを病気で失った。 悲しみから立ち上って3ヶ月後再び豆腐作りを再開した。 それは息子さんの手助けがあったからだ。

 だが、その息子さんは そもそもの仕事がちがっていた。 一級建築士の資格を持ち、独立して建築の仕事をこなしていた。 門前の小僧だから、子供のころから当たり前に両親の豆腐作りの様子を見て育った。 老いたオヤジさんの指示をなんなくこなし、うまい豆腐は復活した。

 二代目の後継者が出現して美濃屋は盤石だ。 ところがそんなうまい話はなかった。 豆腐作りと家造りを天秤にかけたら家造りに軍配があがるのは明白だ。 豆腐作りと家造りの二足のわらじをはくというのは、不可能というより両方とも中途半端なのである。

 家造りをやめて豆腐屋に専念しろというのは俺の願望だ。 美濃屋再生プロジェクトなるものを立ち上げて力を貸したい。 が、当の本人が“命をかけて豆腐を作るぞ!”と覚悟しないかぎり空しい。 

 新年から美濃屋には、いたずらに時が過ぎていくばかりだ。

 “ああ、美濃屋 おまえもか!”
 “俺は さびしい!”

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