平穏死、その続き

 先日の五月十八日のたそがれ時、少しの苦しみも感じさせず、静かにひとり病院の一室で逝った。 享年 九十二歳であった。 

 約五年間の介護生活はようやく終了した。 というのが俺の正直な思いである。
悲しみはない。 あるのは ずいぶん色々な人達に助けれたなぁということ。 オムツの取り替えをしなくてもいいんだなぁという解放感。

 まだ 会話もしっかり出来ていた頃
 「五年ぐらい すぐ 経っちゃうよ!」 と言ったお袋は、その予言を実現した。
 すげえなぁ。 老いて 力も意識も消えそうになって、一緒に命までも消滅していくっていうのは、とてもとてもあっぱれだ。 ひかえめでいつも静かにそこにいる。 コツコツと地を這うことをいとわない農耕民族の女のモデル的人間であったなぁと思う。

 若い頃の俺はそんなお袋が物足りなくて、だめだと思ったりもしたけれど、今となれば日本人の女としての美徳という風に表現を変えなけれ罰が当たるというもんだ。

 ついでに、気が楽になったもんで調子のって言わせてもらうが、
 「すべての男よ、介護は男に生まれたる者の義務であり行いだ。 そして、男の真価が問われる。」 
と、こんな見栄を切ると、
 「お前は お気楽な場末の飲屋なんかでいるからやれたのさ!」

 そうかもしれない。 だが、介護とは言ってはならぬ言い回しかも知れぬが、肉を分けてくれた父なり、母なりを、いかに 「死なせてやる」 かということだ。

 「死なせる」というのは、不遜で傲慢で情け知らずだ。
 けれど日々刻々、肉体が老いさらばえて、食も消えようとしている時間。 叶うかぎり、そこに ともにあって 「死なせてやる」 なのである。

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