墓参り

 昼酒はのまないから、たとえ新年の祝い酒でもやらない。
 元旦は女房と二人、お雑煮を食べただけのつつましい朝であった。

 新年だから何か特別な事をしたい気分になった。 そうは言ったってすぐに思いつかない。 そうしたら後ろから「お墓の掃除にでも行ってらっしゃいよ。」と言う。 そうか、そいつは正月らしくて良い事だ。
 「寒くないように、支度しなよ。 待ってるから!」と言って立ち上った。
 「何いってるのよ。 あなた一人で行くのよ。 そこにこそ正月らしさがあるんじゃない!」と言い切られた。

 どうも腑に落ちない気持ちだが、外に押し出されたからには行くしかない。
 自転車にまたがり、多磨墓地めざして疾走だ。 ところが元旦は底冷えに加えて北風がひどく強い。 まったく新年からこの試練はどういう事だと嘆き嘆き西に走った。

 善良そうな家族、仲良しの夫婦、暖かそうな心を持った人達がそこにいた。 花をかかえて車に乗り込んでお墓に向かって行った。 俺も花を買って、鼻水をたらしながらお墓に向かった。 めったに墓参りなどしていないから、広い墓地の曲がり角を何度も間違えてしまう。

 ものぐさ家族・勤勉家族・優しき家族・忘却家族・失踪家族など、様々な墓のありようが墓地の中で展開されていた。 立派でさぞかし生前は善行を重ね、人望も家族愛なるものも浴していたであろう風の墓が無残に荒れ果てているのを見ると、この家族の内側でいかなる事件が起こってしまったのかと勘ぐりたくなる。

 では、大澤家の墓はというと、実に平凡で質素、荒れてはいないがさりとて、きれいにされているわけではない。 俺は枯れた花を抜き取り、持ってきた新しい花を飾った。 少しばかり墓に水をかけ流し、散らかっているゴミや木の葉をかたづけた。 墓を掃除すると言うのは御先祖を大事に思い、かつまた敬うということだそうだ。 が、どうにも俺にはしっくりこない。 血統に対する信心がない。 先祖から脈々とつながる時間へのおそれが弱い。 お前は不真面目だからだ、と言われるとうなづくしかない。

 きれいに片づけた墓を前にして合掌する代わりに、「グッド・ラック」とつぶやいて、すぐに自転車にまたがった。 お袋のニヤッと笑った幸せそうな顔が、寒空の中に浮かんですぐに消えた。

 誰も見てねぇから、ずいぶんはしょってしまいましたが、これが俺の平成27年の元旦でありました。 

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