夏の終わりの恋文

 夏の終わりのたった1日だけが わたくしに許された束の間です。
 今年も又研修の時期がやって来ました。 研修と言いましても学芸大学の教室の一室に近隣各都県から招集された教職員の意見交換会のようなものです。
 それでも わたくしのようなベテランにはとても刺激的で,、頼もしいお話が拝聴でき有意義でした。 だからと言って有意義がすぐに現場に生かせるかというのは別の事なのです。

 人間と人間がぶつかり合うというのが教育の現場なのです。
 分かり合える者、好きになれる者、どうにか付き合える者、決してなじむことが無理な者、でもゆらぐ心とたたかいながら、いとおしき子供達に向かうのです。

 学芸大学での研修は、私の心にあらたな力と誓いをはぐくんでくれるのです。
 そして、小金井から三鷹へと歩みを急ぐのが研修終了の私へのプレゼントです。

 私の住まう北鎌倉には高級な飲食の店はあるのですが、心が満たされることがありません。 わたくしが優雅すぎるでしょうか、わたくしの美貌が景色に馴染まないためでしょうか。
 その点、あなた様のいらっしゃる三鷹のバサラというお店は気のおける貧乏くささがあります。 エレガントの真髄に決して接近できない無知がただよっています。 わたくしのような者にとって そのことがとてもめずらしくワクワクしてしまうのです。
 今年も、まだたっぷりの夏の暑さが残るたそがれ時に伺いました。 よく冷やされた純米酒は何んとコップ酒風にだされ、どうしたものかこぼしそうになりました。 わたくし、いつも愛着しているバカラのグラスように握りました。 安いコップだなあと少し軽すぎるように思えましたけど純米酒、おいしくいただきました。

 あなた様は他のお客さまを気付かっていましたけれど わたくしには時折ではありましたけれど格別輝きある眼先を感じておりました。

 恋とは心の内と眼先をちぐはぐにしてしまうものです。 語る言葉と語る声に不具合が生じて幼な子のように混乱してしまうものです。 そんな、あなた様がうらやましい。 なぜって年を取ってもいつまでもお軽いご様子だからです。

 年に一度の夏の逢瀬ではありましたけれど 夏の虫歯が痛くなったの帰ります。

                                  かしこ。

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