のーべる賞

 飲屋とノーベル賞 なにもつながるところはない。
 けれど酒をのみながら、化学賞と物理学賞の日本人受賞者のお二人の笑顔がニュースによって映し出されると、酒もうまく 何んとも幸せ気分になるのはなぜだろうか。 日本民族の努力と英知が世界中からたたえられたからか。 生存の困難な世界の淵にあえいでいる たくさんの貧しき人々を救ったからだろうか。

 世界中から拍手、喝采されて嫌がる日本人はいない。 いてもそんな日本の偏屈野郎は物の数ではないからほっておけ。

 お二人の会見している姿は酒をうまくする。
 喜びの言葉は 俺もこのようにお喋りができるような人間になりたいなあと 反省させられる。
 学問の世界、研究の世界、はたまた気の遠くなるような探求の奥深い闇。
 そこに生き、そこの苦しみもがく世界をつきぬけたればこその人だから、あのような優しい笑顔とお喋りがあらわれるのだな。 と、納得して 又、酒をのむ。

 「この賞は私だけの力ではなく沢山の方々の力添えがあったからです。 家内の支えがうれしかったです。 幸せです。」 てぇなことを俺がおのべになっても、なにぬけぬけとたわけたことを言ってやがる。と、あっちに行け!だ。

 世界中 いたるところで幾千万の研究者や技術者や学者が、それぞれの分野でコツコツ、コツコツと日夜研究をし、実験を行い、観察をして変化を見逃さず、いつになったらむくわれるのだろうか、このまま永遠に徒労に終わってしまうんだろうかという不安と戦いながら生きているのである。

 そのたくさんの真面目ながまんづよい研究者の代表がノーベル賞の人々ということだから、皆 地味で、汗かくこと、暗い孤独、嫌なことをいとわない。 そうかも知れないが人間そんな暗くじめじめしていては先に進めるものではない。 

 暗いところにいるからこそ 明暗おりなす世界の色々が見えるというものだ。
孤りいる仕事であるから、「自分はどこの世界からやって来て いづこのかなたでアクタとなって消滅するか」という夢を見ることができるのだ。

 ああ、少しのみ過ぎているな!
ノーベル賞を受賞した方々の笑顔とお喋りに酔ったのは あの方々が本当におだやかで優しいからだ。

 「日々の積み重ね、そして助言とひらめきです。」 ああ、何んと農耕的であることか。 俺なんぞ雨にもマケチャッテ、風にもマケチャッテ、夏の暑さにもマケチャッテ、のテイタラク。

 だからこそ ノーベル賞の方々には深くあこがれ、深く酔いしれてしまうのであります。

トップページへもどる

直線上に配置