熱い酒をくれ!

 「久しぶりだな。 強田だよ。 覚えてるだろ。」 押しの強い乱暴な物言いは相変わらずだが、スマートに細く変身して目ばかりがやけにきつく輝いている。
俺が存じ上げている強田五郎さんとは少し体格が違う。

 「ガンにやられて腎臓を1個とっちゃったんだ。 でも酒は飲めるぞ。 少し飲ませろ。」 20年前の光景が甦った



 「熱い酒をくれ!」 酒場だから酔っ払いが入ってくるのは当たり前だ。
 「俺はすぐ近所に越して来たんだ。 よろしくな。 この女が引越し祝いに来てくれたんだが、飲み足りないもんで来てみたんだ。 いい店じゃねぇか なぁー」 と言って、連れの女の腰あたりをなでまわしている。 すげぇ奴がおみえになったぞと俺は内心ビビった!
 「どうだ、いい女だろ。 仲良くしてくれるなら抱かしてやってもいいぞ。」 と、とんでもない冗談が飛び出した。
 「大学の剣道部じゃ人間をなぐるなんぞ当たり前のことだ。 そこのバイトのにいちゃん、ケンカしたことあるか、ねぇだろうな、男は力だ。 それがすべてだ。」

 単純で力強い宣言を御自身のためのみ お述べになったところで、「オヤジ、酒をもう一杯くれ!」 ときた。 俺は蛮勇をふるって、小さな声で今日のところは そのくらいでやめておいた方がよろしいかと思いますが、とまるで弱気で返した。
 「そうか、飲み過ぎているか。 今日はこれで帰るよ。 又 来るよ。」 
こんな具合が強田五郎さんとの初対面でした。

 又 来るよ!と言い残しても、もう来ないと俺は確信していた。 いや希望していた。 強田さんみたいな人は嫌だなあ。 押しが強くて自分自慢ばかりの話に付き合うのはごめんだなあ。
 自分の力と自分の財力と自分の正義と、その他いろいろの自信が強田さんだった。 避けたいなあ、逃げたいなあ とおぼろげにいたところに、強田さんはやって来た。
 「俺の田舎、長崎のうどんだ。 うまいぞ。 バイトのにいちゃん達に食わしてやれ。」 といって、箱詰めのうどんセットを手土産に先日のごうまんぶりなど なにもなかったかのように 又ふんぞりかえりに来た。

 「俺は家の一軒も買えない貧乏人などクソくらえだ。 物価が高いの給料が安いのとメソメソしているような人間は俺の周りにはいない。 オヤジ 俺の事務所は五日市街道を吉祥寺方面に向かった所にあるオレンジ色のビルだ。 アソビに来てくれ。 いい物件をアッセンするぞ。」

 長崎うどんによって、さらなる発言権とさらなるごう慢を獲得した強田さんは、婆娑羅店内において自分の地位を造り上げたかに見えた。 それ程に、頻繁に来るのだった。 俺は強田さんと闘うというより、自分の消極性と自分の隠したい臆病とだった。

 「オヤジ、この店はいい店だが、来る人間がどうも中途半端だな。 人のよさそうな、やさしげなナンパ人間が多いな。 俺なら力づくできたえなおしてやる。」

 ああ、やっぱり長崎うどんによって力強く自己宣伝行進が活発化している。 この進軍ラッパを消せるのは、弱々しいけれど この俺しかいない。 勇々しくたけり狂う強田五郎氏、この無思想の男に他人の心を思いはかるを諭すのは至難のワザだ。 でも一つだけ方法があった。 強がらずにおれない さびしがり屋さんには 耳元でムート歌謡をささやくように 「あなたは強いお方なのです。 それでもって若者はあなた様をこわがっています。 他のお客さんもあなた様をおそれています。 一番こわいと思っているのは実は この俺なんです。 どうか考えてやって下さい。」

 強田五郎さんは まもなくいらっしゃらなくなりました。 それから間もなく、五日市街道のオレンジビルは解体され、なくなってしまいました。



 「家の一軒も買えない貧乏人」 などと吠えていた強田さん、病いに倒れ事業も志半ばで終わり、洗面器かかえてサンダルばきで自転車にのって銭湯に行く後姿、俺には優しい幸福がいっぱい注がれているように見た。

 「久しぶりだな、強田だよ。 覚えているだろ。」 もう俺は弱々しく臆病ではなかった。 生老病死、すべての人にもたらされる贈物。
 強田さん、ガンを克服され、又 婆娑羅に酒をのみに来て下さい。

                             2016.8.7
                                大澤伸雄

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