杖突き男 東京漫遊

 黄門さまは ずい分 足達者な方だったんだと思うこの頃なのは、ケガから10カ月経ったからだ。
 11月になって歩く気力満々、もはや障害者ではない。 付き添いもいらない。 ケガの巧妙か、おとなしくつつしましやかな生活で 近隣をうろつくばかりで、電車に乗って“東京に行く”というのがいつしか、あこがれの心持ちになっている。

 そこで、C・イーストウッドが作品「ハドソン川の奇跡」を観るのを口実に、いよいよ俺はひとり 旅立ちを決行した。 ケガした足は右であるが、杖は左手に持ち、右足と同時に左手の杖を突くのが体全体のバランスを考えると具合がいい。

 そしてリズムをきざむようにコツコツコツと行進のようにして歩く。 視線は常に、物が何か落ちていないか 物拾い人間のように下を見る。 それだけ下に不安があるのだ。 快速だとか特別快速だなどまったくいらない。 ゆっくりコツコツコツが何やら圧倒的信念として我人生を支えてくれているようだ。 

 開演1時間前に到着。すぐに席を予約する。 まだ空席がたくさんだ。

 「出入り口の近くをお願いします。」

 「中央席あたり いっぱいありますけど。」

 美しく優しい甘い口調で親切いっぱいに案内嬢が答えてくれる。

 「いえ、入口近くの端っこでいいです。」

 だって、トイレがと言い出しそうになってとどまった。 自分にとってよい席とは すぐトイレに行けるが条件だ。 若かりし頃には思いもしなかった現実が手かせ足かせになる。 そして、好条件に恵まれ、途中席を立つともなく終了までゆっくりと映画を楽しみました。 善良な人々の善良な人による善良な映画でありましたから、作品のはなしは今日はしない。 外に出ると まだまだ 明るい昼下がり。

 さて、次なるは地下鉄に挑戦だ。 階段では常に手すりにそって歩く。 決して黄門さまのように王道を歩かないというのが 具合の悪い者の知恵だ。 そして地下鉄の車内に入って扉の付近に立った。 すると後ろから肩をたたかれた。 若い高校生くらいの男の子が照れくさそうに でも真剣な眼つきで
 「座って下さい。」ときた。

 ああ、そうなのか。 俺は街に出てきた年寄りで、足に不自由のある者であったのだ。 その親切に深い感動、あつく潤んだ眼先を若者に悟られないように席に腰をしずめ、その若者の優しき心をたっぷり受け取った。 何くわぬ顔で 眼を閉じて音楽を聴いている若者の横顔を俺はながめた。 力強さと理知がみなぎっているように思えた。
 「ありがとう」を無言で唱えた。 まるでその若者は高校生の代表のようだ。

 日本はいい国だなあと柄にもなく高尚なセリフを言ってみたくなった。 それでもってヨタヨタの杖突き男は地下鉄終点で降り、浅草の中心地点 雷門の前に立った。 いっぱいの人が そぞろ歩いたり、写真を撮ったりと、あわただしく活躍している。 仲見世は日本を特徴的にあらわしている 土産品のオンパレードだ。 外国からいらした人々には容易に日本風をもって帰れる品々にあふれている。「ニッポン ユニック!」「ニッポン ファンタスティン!」などと言ったりして、家族や友人に手ぬぐいみたいなものをプレゼントするんだろうな。 俺はコツコツ、ヨタヨタしながら人に転ばされないようにして、うまく浅草寺までたどり着いた。 100円ぐらい投げて「怪我が早く治りますように!」と祈ろうとしたら、人がいっぱいで、もうたじろいで引き下がるしかなかった。

 若い男女が手をあわせ、きっと「早く結婚できますように」とか祈っているのは理解できるが、若い娘の二人・三人連れは何を祈っているのか ずい分と謎だ。 そのていねい過ぎるくらい時間をかける祈りとは「良い御縁がありますように」という。 そうだったのか。 娘たちは結婚のはるか前段階に位置している祈る女だったのか。 いにしえから「願掛け」はある。 いま、尚変わらず盛んということだ。 俺は祈りをあきらめて浅草寺から離れた。 祈りは別なところでという訳で、ここは駒形だからどじょうをつまみで酒をぐいっと飲みながら。
 「どうか早く足がなおりますように」 と祈った。

 ああ、今日はいい日だなあ。 いい映画といい若者と、いい娘達と、いい酒だ。
そして、どじょうもだ と、鍋の中で煮上がったどじょうをつまもうとしたら あまりにもやわらかくてつまめない。 なんだこりゃー。

 「俺はまだ いれ歯じゃねぇぞ!」 ひとり愚痴った。

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