ワッハッハッ大明神

 あなたのまわりにも 軽快に又は豪快に 「ワッハッハッそれは愉快だ」 と 大笑いし、「ワッハッハッ何て面白いことだ」 と たてつづけに大笑いしたりする人いませんか。
 とりたてて、大笑いに値するほどの おもしろ おかしさはないのに、相ヅチの調子だけがヤケに目立つ。 相手の話し手はごく普通の日常ばなしをしているのに、何やらとてつもない大失態や大事件をしでかしたような 大袈裟にふちどられ 大笑いをする。

 「その話、それ程まで おもしろ、おかしいですかネェー」 と、チャチャを入れたくなる。
 その昔、浪越先生という指圧の名手がいた。「指圧の心は母心、もめば命の泉わく」 などと言って 「ワッハッハッ」 と しめる。 先生は両手をおしひろげ、顔を上にあおぎ「ワッハッハッ」とやる。 いつでもどこでも 「ワッハッハッ」 なのである。

 かのマリリン・モンローとも指圧で一戦まじえたという羨ましい話もあった方だ。 きっとコウコツ状態のマリリンさんの裸身をワキにねかしつけながら、ひと呼吸して例によって例のごとく 「ワッハッハッ」 とやったはずだ。

 これは商業的には大成功の意味あるワッハッハッだから、俺もあやかって大笑いしたいものだが、もとより暗い性格ついでに仏頂面なもんで大笑いはダメだ。 自分にあった笑いはと問えば隠微にニヤリとがいいところだ。 大笑いであたりをにぎやかに おもしろ、おかしく盛り上げるタイコモチ的人間にはとうていなれない。 むしろ そんなタイコ的人物を眺めていると、あざとさが透けて見えるようで嫌だなあー。

 苦笑・微笑・爆笑・嘲笑などと変幻自在に笑い、顔面をこしらえて見る者を爆笑の渦の中に引っ張り込む。 ニセ物の笑顔が掛け値なしの本物の笑いを誘って爆笑の渦をつくる、そんな竹中直人になれとは言わぬが、メリハリをつけて笑うぐらいが男の人格をたもつということだ。

 しかし、例のワッハッハッ中年氏は始まりから高笑いし、中程でも休憩なし、終了局面に至っても尚をワッハッハッなのである。 それって病気?と思いたくなる程 続いている。

 相槌や愛想やお世辞は世の習わし、暗黙の了解事で大いなるギゼンではあるが、誰もが異をとなえないことになっている。 ワッハッハッもその大いなるものの内で考えるのならそれでよいのであるが、メリハリなく平坦なワッハッハッは ついには 何やら悲しみの風がそよいでいるように思える。 職場で笑い、接待で笑い、帰宅して笑い、不機嫌で多感な娘の前でも笑い、この中年ワッハッハッ氏の旺盛で徹底したサービス力はどこからかもし出されてくるのだろう。

どうか、その薄手の皮がはがれてしまわないうちに、ごく普通の笑いを得られんことを祈っております。

 ところで、この俺にもワッハッハッはあったのです。
 夢か幻か、若き頃 安アパートの一室でくらしていた頃、その部屋でボヤを起こしてしまった。 災いは俺の部屋だけにとどまり、ほかの部屋に迷惑が及ぶことはなかった。

 その夢は長い長い下り坂を自転車に乗っているところから始まる。
 どこまでも、どこまでもその坂道は続く。
 あたりは美しい緑の草原とまぶしい青い空、俺は自転車にまたがって坂道を疾走している。
 何故かワッハッハッ・ワッハッハッと笑い続けている。
 笑いが次々と笑いを引き出すように無限にワッハッハッなのだ。

 そしてついには笑いによって呼吸ができなくなり、果てしなく続く坂道の向側にたどりついて呼吸も止まり、まっしろな静けさだけのところについたように思った。

 つまり、煙にまかれ意識を失い、助け出され命をとりもどしたということだ。

 ワッハッハッの向側に深く、つらい、怖ろしい死の記憶がはりついている。
 そうだ、俺は死にそこないなのだ。 ワッハッハッ....。

2017.2.26  
大澤 伸雄  



トップページへもどる

直線上に配置