スキャンダル

 大きな声では言えないが、我等 小市民の楽しみの一つに他人様のスキャンダルがある。 あちらでも こちらでも ボコボコ、ブクブク、アワのごとくに湧いては出で、出でては消える。 ことに うれしく人の心をくすぐるは身分高く、高級で高尚な名声を生きている(又は仕事をなさっている)方々の失敗や失言だ。 人間社会に生きていれば身分の低級・高級に関係なく失敗は平等だ。 平等であるけれど願わくば高級=目立っている方々のスキャンダルがうれしい。

 「私、国会議員でありますが、子育て真最中の母親でもあります!」 とか言って正義と庶民派なる切り口で自身を表現している。
「なんて立派な人なんだろう。 若き母親にして知的で聡明、非の打ち所のないあでやかな経歴のヒト」 こんなヒトとおつきあいできたら、もう いつ死んでも本望だ」 と入れ込んだ世の男は沢山いただろう。 俺もおおいに入れ込んだひとりだ。

 政治の世界に生きる方々はいつも首尾一貫、話る言葉に気をつけ、不変の姿勢を見せていなければならない。
 政治に全知全能をささげ、国のため国民のため微力ながらガンバリます。
 表向きの表現は多少のちがいはあっても、タイガイは同じふうだ。 だから政治家の内向きの言葉がひそやかでナゾに満々ていて臆病者の語り口調になるのは当たり前のこと。 内密なヒソヒソが表の世間に知れわたってしまうとキケンだ。

 ところが、もっともヒソヒソにふさわしい車の中での会話が、力任せの叫びになってしまって外にもれてしまった。

 「バカヤロー」、「テメー」、「ウスノロ」、「ハゲー」 などなど、町の片すみにかくれているチンピラ屋さんでも日頃使わない狂暴的言語をサクレツさせた。 なかなかできるワザではない。 たいがいの政治家は常に優等生的口調で謙虚に自分を語り、声高らかに政治主張をなさり、貫禄たっぷりに政界の王道をお喋りする。 それを金太郎飴さんばかりがカッポしている赤ジュウタンの世界ではきわめてユニークな女であると見た。 破滅的狂暴さを内にひめた女傑として後の世の語り草になるやも知れぬ

 それに比べれば酒を飲みながら煮込みやモツ焼きに舌つづみしている元総理さんは愛らしく、善良なる市民そのものだ。 本人はヒソヒソ声で政治談議しているつもりなのに、ゆるやかに、ひそやかに、酔っ払いの耳にとどいてしまい「あれ、あの人じゃねえか」 ということになってしまう。

  「テメー」
  「コノヤロー」
  「バカヤロー」
などという狂暴をなさらなかった政治家だから、凋落してしまったとはいえ、いまでも酔っ払いには人気、衰退せずだ。

 人間 誰だっていつも思い込みの中で生きている。 以前にやったこと、言ったこと、書き記したことがまちがっているからと言って糾弾を受ける。 糾弾する側も糾弾される側も人間の業なのだ。

 寛容、弱き者の生きる道ゾと言い聞かせ、小市民は「バカヤロー」 と言われないようにくらしている。

                      

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