オーガニック農業 志願兵

  ひと頃、定年退職したら手打ちそば屋を開店したい。 二・八の割合でこね、ていねいにそばを打ち、上等のカツオ節と、これまた高級の天然羅臼の走り昆布でダシを取り、極上のツユで皆んなをうならせたいな。 

 店の名前は増田屋とか砂場とか更科とか、有名でありふれたのじゃなく、退職庵とか団塊亭とか個性的でひねりをきかしたやつがいいな。

 そんな風で開店した店はソバとタレに勢力をそそぎ切ってしまうものだから、サイドメニューが弱くて1回か2回は来てくれるが3回目がなくなる。 せっかく自宅を改装してプロ仕様の厨房まで用意したのに一年で終る。 まだ客が来るかもしれないから「退職庵」のカンバンは家の表札の下につけたままだ。

 「味のわからないやつがわるい」 「ワビ・サビのわからない客は来なくていい」とグチル。 もくろんだ第二の人生は はかなく頓挫した。

 オーガニックという言い回しが世にはびこり、「うちは真面目で良心的な店でござる」とことさらのように標榜して、食ばかりか暮らし全体をデコレートする。 だが、なんてことはない。 オーガニックなるものの神髄は、めりはりなく自然で中庸でありたい人々の生きる姿で、俺など生まれてすぐからオーガニックってやつで育てられていたから「なに言ってんの今更」である。

 そしたら、めりはりなく のんべんだらり、何に考えているんだかのどっちつかずの俺の心のスキ間を突いて、その友人が言って来た。
「埼玉、八高線の明覚村(みょうかくむら)に土地を借りて無農薬の米作りと野菜作りをやってるんだ。 楽しいぜ、次の休みむかえに行くから。」
嫌だと言えなくて、またしても「アッ、ハイ ワカリマシタ」
と言って、深くため息が出てきた。

 車は2時間でその農園に着いた。
まず驚いたのは農園の入口に大きな立札が二本立っている。そこには
 「反 原パツ」 「反 地球温暖化」
ハデハデに、大学紛争のタテカンのように乱暴な字で書かれている。

 もう、この時点で「嫌やだ」と言えなかった自分を恥じた。 つねりたかった。 友人Xは俺の心中などまるで読んでいない。
 「友達を紹介するよ!」と言って男3人を呼んだ。 A・B・Cは快活にかけよって あいさつをしてくれた。 すでに泥よごれしていて汗にまみれている。
 ああ なんと汚れなき無農薬農業志願兵だこと。 やっぱり大都会の混濁した人間関係と忙しくおいたてられる平穏なき日常からの逃走ということか。

 友人XにくらべA・B・Cさん達は屈託のない、いい気分の50代だ。
 5月のゴールデンウィークに苗を植えた田んぼの稲たちは50p位に成長していた。 同様に雑草もたくましく、ところかまわずにはびこっていた。
 だが、あこがれの田舎、あこがれの田畑、あこがれの農業が眼の前に広がっている。 俺にはあこがれはない。 あるのは煮え切らない自分の意気地なしの同調だけだ。 X氏は声高らかに今日の作業手順を述べあげた。

 「本日は天気に恵まれ 最高の農作業日和です。 5人で頑張ってやっつければ昼過ぎには完了です。 では開始!」

 我等、にわか農夫は足腰ぐらぐらよたつきながら田んぼに入り、草刈り機をあやつり、大地の泥と水を存分にかみしめた。 気分は上々か、と問われれば、気分は嫌々だ。
 ヒルに咬まれたり、ミミズもいるだろうなぁ、ヘビがいないともかぎらないなぁ、ぬかるみに足をとられ思うように歩けない。 それでも、2、30分もやっていると草刈り機のあつかいもなれてきて、農業人らしい心が少しわかる気分だ。

 それなのに無農薬農業隊長X氏はいっこうに田んぼにおりてこない。 近隣の農家のオジさんらしき人とタバコをプカプカくゆらせながら ずっうと立ち話をしている。 するとA・B・Cさんのひとりが、「また、おしゃべりがはじまったぜ、これだから手伝いの人達がどんどん来なくなるんだよ」
「春の田おこしの時は20人位いたぜ。 田植えの時は12、3人いたのに、今回はたったの5人とはいかなることよ。」

 会社を定年退職して、第二の人生をオーガニックに生きたい。
 その象徴として無農薬農業を考え、米作りを見聞きし、これなら俺にもできるぞ、と心に決め 実践の道を歩み出したのだ。 だが、もとより良家のおそだちだから、野良仕事みたいな、地べたに はいつくばっての作業など出来るわけではない。

 そのかわり、口上手、弁達者はX氏の真骨頂だから人集めなど朝めし前だ。 加えておぼっちゃまだから人格的には わがままなところを見なければ、たいした嫌われ者ではない。 世の中のそこかしこに口達者、力仕事しないタイプの人はいっぱいいる。 俺だって首がいたいの腰がいたいのと言って、自分の家の草むしりをサボる。

 X隊長の田んぼの存続は困難であろう。
 志は理解されても兵士の心はおれる。 オーガニックなそばも、オーガニックな米も道はけわしい。 明覚村のあの草むしりした小さな田んぼ、激しい夏草の力にねじふせられてしまっただろうか。

 その後、俺は明覚村には近寄っていない。ただ、俺には農家の娘であった草むしり好きのお袋の血が堂々と受け継がれているのを確信したのでした。


                      2017.9.10
                       大 澤 伸 雄

トップページへもどる

直線上に配置