プラハからイナダヅツミへ

 「アマディウス」とは言わずもがな知れたヴォルフガング・アマディウス・モーツァルトだ。 その映画をおとりになったミロス・フォアマンという映画カントクはロケ地にチェコのプラハという街をえらんだ。

 モーツァルトとプラハはその昔から仲良しの関係であったらしいから、なるほど映画の場面を思い出すと ぴったりなシーンがいっぱい出てくる。 とくにモーツァルトの死体をのせた馬車が街の裏通り、ずぅーと続く暗い石畳をゆっくりと行く、そしてレクイエムが重く鳴りひびく最後のシーンが忘れられない。

 そしたら店によく飲みに来る ある方がおっしゃった。
 「モーツァルトの交響曲でプラハとタイトルがついた曲があるんですよ」
 「ベルトラムカにはモーツァルトの記念館があります。」

 何んとも物知りなその方はプラハに旅をされ、街を探索しつくし、沢山の写真をものにしている方でした。

 「街のどまん中を流れている隅田川みたいな川はなんというのですか。」
 「ヴルタヴァ川といいます。 その左側の古い建物がプラハ城です。 ついでに これは そのカレル橋の夜景をとったものです。」
と言って沢山の写真からとくに気合のみなぎっている一枚を見せてくれた。

 それは、デジタルカメラ片手に見た物、ふれた物、喰った物、あたりかまわず理性を失ったようにとった写真とは全くちがった。 明快な色のコントラストがあり、しっかりと対象をつかみとった構図があった。

 「写真屋さんですか。」
 「いえ、サラリーマンです。」
 「どうしたら、このような きちんとした写真がとれるのですか。」
 「永い間、カメラと付き合っているからです。 中学・高校・大学、ずっうと写真部です。」

 だから、その方の写真には 見せられても いやな気分にならない正しさがあるのです。 プライベート写真にうつっている無邪気な身勝手がないのです。 プラハの旧市庁舎の写真とゴシック様式の象徴的建物ティーン教会の数枚に及ぶものは その方の心の清らかさと建物の歴史的風格が協力し合ったかのように 見栄っ張りな、行って来たぞと、どうだという力みがなく、じっと見られるのがよかった。

 「バルタバァ川もいいですけれど、イナダヅツミのあたりの多摩川もいいですよ。
 そこに、たぬき屋という店があります。 大澤さん きっと気に入ります。」
と謎を残して その方は去っていった。

 たぬき屋は多摩川の河原にあった。
 カワラの石ころと カワラの草むらと 満々の水をたたえ ゆったりと流れる川。 時おり鉄橋を渡る電車のひびきがあるばかりで、やわらかい静けさに包まれていた。

 俺はビールとおでんをもらって、小屋の前に並べられた縁台に腰をおろした。
 川風がゆるやかに通りすぎて行く。 上空にひよどりの群れが規律正しく乱舞してあそんでいる。 対岸にサイクリング道路があるらしく数人の若者が疾走している。 それは点でしかないから、肉体の躍動・汗・荒い息づかいなど よけいなものはない。

 「あの方が この川原に 俺をいざなったのが はっきりわかった。」
 「あの方は 俺と同じに酒が好きなんだ。 静寂をひとり友とすることができると俺を見込んだのだ。」
 「あの方は無邪気に笑いながら、“バルタバァ川のほとりで缶ビール3本も飲んじゃった。 川の流れ見ているだけでいいんだ。 ピルスナーはやっぱりうまい” と言い切っていたなぁ」

 キリンの缶ビールをもう一つ買って、残っているおでんのはんぺんを食べながら、ここでなくても、プラハでなくても、あるいはどこででも、ひとりながめる風景の美しさ、いとおしさ、そして のこりのはんぺんのおいしさよ!
と、詩でもうなりたい気分なのに 腹がへっているばかりが心をおおうのです。


                      2017.11.4
                     ボンクラの大澤伸雄


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