フェニックス族の酋長

 家長たる者 家族を守り、安心して暮らせるようにつとめるは当たり前のことだ。
もしもの事が起これば その存在感を示し、不安がる家族を 「ワシがついているぞ、オドオドするでない。」 などと言ってさとし、家・あるいは族の長として力強い、たよりになる男ぶりをみせなければいけない。

 フェニックス族は若くたくましい闘う男子の集団だ。 族長(家長)のもと たくさんの若者が寝起きをともにし一つ屋根の下で大家族生活をしている。 いさましい若者たちを統制するためには きびしい規律、重い罰則、暗黙の伝統的りょうかい、そして、タテの序列など ふだんにある社会の力がはたらいている。 これはどこにだってある。 だから そこが嫌だといっても 別のところに行けば 又 同じような族長にめぐり会うことになる。

 族長にも守り なさねばならぬ義務がある。 その大家族をささえる心の礎となる事、伝統文化を継承する、禁欲的生活を実践する、“ならぬものは ならぬ” のひと言ですます隠然たる力を示す。 こうした威厳は だれにでもできるものではない。 族長にふさわしい才覚、負におちいっても そんなものは すぐに乗り越えるさという器量。 大家族には立派な家長がなくてはならぬものなのです。 泣く子も黙る家長、だまって安定した人間 それが家長なのでした。

 ある日、家族のひとりが小さな小さな事件を起こしてしまいました。 たったひとりの家族のことが 大家族全体の問題としてとりあげられ、つづいて家長の責任という事態まで進展してしまいました。 家長はその頃、「俺の問題ではない。 若い子供達が自分で解決して、もし上層部に責任ということになっても子分がいる。 何とかなるさ!」 なのでした。

 家長は永遠なる権力者であると自負しているから、かりそめにも反省はならぬのです。 ゆるやかに時間の流れにまかせておけば再び家長としての泰然自若の偉大なる自分が復活することを確信していたのです。

 ところが、あろうことか、思いもしなかった若少の子供達が反旗をひるがえしたのです。 「俺のまえで 無口に頭を下げ、ただ だまり、ただ うなずく、無垢な少年たちが劇的な行動を取りやがった!」
「こんなに尊敬され、社会の信任もあつい この俺様が なんで こんな破局におとされるのか!」

 おごれる者 ひさしからずや。 強くたくましき者の象徴、その家長が よかれと考えて 積み上げた大家族の力学、ゆるぎない名声と権威。 それをほこりに生きてきたはずなのに。。

 わずかな ほつれ、見ることのない他人の心の力がいつのまにか増幅して 自覚も反省もない家長の人生におそいかかり、その永遠なる家長、永遠なる権威、、永遠だと思っていた幸福から 追われてしまいました。
 ああ、おそろしき人間社会だこと。


                      2018.6.10
                       大澤 伸雄

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