浮き 沈ずみ

 世界は変動と変化にみちあふれている。 めまぐるしくて落着きがない。 おもしろおかしくて退屈するヒマがない。 新宿や渋谷あたりの街の風景は2・3ケ月行かないともう変っていて目がくらむ。
 確かこの横丁の角にうまいアンコたっぷりの鯛焼やがあったのに、胸が高鳴るソープランドになっていて、若い娘さんのニコニコ顔のうるわしい写真がいっぱい飾ってある。

 たまには名画座に行って「引き裂かれた白衣」なんて映画でも観たいと思って行ってみると巨大な高層ビルになっている。 映画館も変ってしまい、おびただしい数の映画からどれかを選び時間も席も指定され、気分でそぞろ歩きやのぞき見男のしゅみをみたしてはくれない。 合理性と経済性が街をおおい、のろまやムダを迫害している。 女遊びをするんだって画面の写真からえらび、コウニュウにタッチして、支払いはカードで済まし、自動ドアが開くということらしい。 無機質で味気ないかも知れないが、いまさら情緒など言えたガラではないからいつかは体験してみるつもりだ。 色々すごい事がいっぱいの時代、バブル的怪物経済のホウ壊、銀行と証券会社の消滅、平成は浮き沈ずみを大いに展開してくれた。 そして人間の力をもてあそぶようにあばれた。

 同じ世代の鈴木さんは山一の社員だった。 お客さんであろう年輩の裕福じいさんといつも一緒だった。 じいさんは雄弁に商売のこと、若き日の苦労話、女のあつかい方、10年後、日本経済はどの方向に進むか、中国はゆたかな国になるゾォ、などなど。 酒をくみかわしながらいっぱい語っていた。 鈴木さんは証券会社の営業マンらしく、仕立ての良いスーツ、地味でもしゅみの良いネクタイ、おしゃれな高級時計を身につけスマートに酒を飲み、裕福じいさんにそつなく対応していた。

 金持ちと人間のもっているアクは比例している。 だから鈴木さんのお客さんは汗や体臭が色濃くにじんでいる。 その対をみせるワケではないが、いかにも都会的で色白のハンサムなのである。 仕事以外でも来た。 若きカレンな乙女を連れて来る。 静かにニコニコ、スマートに談笑する。 証券バリバリマンは落ち着きと気品をわきまえている。 そんなをながめていると「ちくしょう気取りやがって」というねたみと、「氏と素性のちがい!」、やっかみと絶望のため息が交錯した。 俺もいつかは、あんな若き、やさしい乙女と知り合いになるゾォと心にちかったのだ。 だが、それから鈴木さんはまったく来なくなり、裕福じいさんも、乙女も、姿がなくなった。 それは山一証券の崩壊が報じられる少し前の事であった。

 30年ほどだった。 仕立てのよいスーツ、おしゃれなネクタイ、ローレックスの腕時計のスマートな証券屋さんが再びあらわれた。 色白のハンサムは少しだけおとろえ、やさしいニコニコと気品はあいも変らず健在だ。
 「鈴木さん、」と俺は名を言ったら相好をくずし、「やっぱり、来てよかった。山一がなくなってから色々あったよ。二度のガンの手術を受け、もどって来たよ」もう、満面の笑みだ。

 むらさきの袱紗の包みをひらくと一本の酒があらわれた。
 「京都の酒、佐々木蔵之介という俳優さんの家が造り酒屋でねぇ。そこで財務の仕事を手伝ってるんだ。みやげがわり、受け取ってよ!」
 キザなこと、あいかわらずしやがってと思ったが、そんなゆいしょある酒なら断っては申しわけないから即答していただいた。

 禍福はあざなへる縄のごとく、再び鈴木さんは「来月、手術を受けるんだ。じん臓のガンが見つかってねぇ、でも、じん臓のガン発見というのは奇跡なんだ。」と言って又、ニコニコしていた。 山一の崩壊、ガンとの闘い、そして再び。
 「バサラに来るとツキがむいて来る気がするんだよ。今夜は大沢さんをおがみに来たようなもんだな。」
 ああ、俺もとうとうおがまれるようなグウ像的存在なのかと、どうにもいごこちが悪い。 おがまれるより、生々しく生き恥をさらしているのだから、いつもおがむがわの人間だ。 すがれるものは何んでもすがる。 おがめるものあらば、なんでもおがむゾ。
 浮いては沈ずみ、沈ずんでは浮かびあがる鈴木さん、今回の手術がどうか成功いたしますよう、祈っております。 再びのバサラを念じています。 


                      平成31年3月31日
                         大澤 伸雄

トップページへもどる

直線上に配置