マドンナと大先生

 大作先生は今日も自慢の白いパナマ帽をかぶり、立派なムスタッシュヒゲをなでながら入って来た。 もちろん、ひとりではない。 そのどっしりとした男臭さムンムンの中年男がいつも色白の可憐な娘をうしろにしたがえている。 さて、今宵のマドンナはいかがなるものゾ。 と思うのは俺ばかりではない。 酒酔いの談笑も一時うせる程に奇妙奇天烈なとり合わせだ。 シュバイツァー博士的スタイルの大先生と、そっと手をにぎったら、そっと手をにぎり返してくれる清純なおとめが席に座った。 大作先生の野太い声がマドンナにそそがれる。

 「君がきてくれただけでうれしいなぁ。 ゼミの教室ではプライベートの話は一切できないから、今夜はおいしいお酒、おいしいお料理、存分にどうぞ!」
 「先生いいんですか。 私ってこう見えても、けっこういけちゃうし、大胆なんです。 ゼミの男の子 何人もつぶしました。」

 「けっこう。 たのもしいなぁ」 シュバイツァー的ムスタッシュをなでなながらニンマリした。 T工業大学というところで経済学を講義している。 女子学生が少ないカンキョウであるはずなのにナゼか女子学生ばかりを伴って来るのである。 もはや、そのように画策しえらびとっているのだ。と考えていると、
 「でもねぇ、しっかり勉強して、ちゃんとした論文が書けてなかったら単位はあげませんよ。」 とはっきりクギをさす。

 そして、「僕には女の人のもつブキは通用しませんから。」 なんて硬派なことを平気で言っちゃったり。
 でも、今夜のマドンナはそんな道義を食いちぎって吐きすてちゃうような勢いの娘さんだ。
 「君のお父上は流体力学の専門家ってきいてたよ。」
 「そんなの知らない! いまNASAにいってるの。 人工衛星をのせるロケットの先っぽの部分の設計とか言ってた」
 「じゃ、お父上、英語もバリバリだねぇ。」
 「NASAでは数式と図面があれば話がすすむそうよ。 英語しゃべらなきゃならない時は通訳さんを呼ぶだけって言ってたわ」
 「アロンさん(女の子の名)はケープ・ケネディに住んでたの。 日本の女の子らしくないもんね! どこか、なげやりで、どこか高ぴしゃで、いつも空ばっかりながめている女の子っているでしょ。 ロケットの先っぽばっかりながめていて世の中に目をそむけている。」

 あれー! 教育の現場の人間が学生をやさしく包み、未来の光をおとどけしなければいけない役どころなのに大先生はこづいてつきはなしている。 どちらかというと俺もこづいてつきはなし派だから、いいゾいいゾとワクワクしながら聞いていた。 年配の男が若い娘に甘い声でおだてたり、歯のういちゃうようなほめ言葉で、「若いっていいね。 まぶしいよ!」なんていうのはギゼン、さもなきゃ嘘つき。 俺はシュバイツァー的ムスタッシュが好きになった。 青白い、神経がいつもピリピリしている知識人特有の性格をおもったが、それは違った。

 「お母さんと二人生活なんだ。」
 「私、おばあちゃんと二人生活なの。 小さい頃から、父はアメリカ、母はフランス、お母さんは育児放棄でパリの大学にいる。 もう少しもさびしいなんてとおりこした。 その分おばあちゃんがやさしいから。」
 「君のアロンって名前、本名じゃないと思うけど君にピッタリだねぇ。」
 「そう、いつからかわからないけど、ジャズの名曲でレフト・アロンって曲があるの。 気がついたらアロンになっていた。 生活もついでにアロンになっちゃった。」
 「お母さんパリでなんのお勉強!」
 「はっきり知らない。 ボードレールが好きだって聴いたことがある。 写真が好きだからセーヌ川の風景とかパリの空の下じゃなくて、どうも雲が好きみたいで、セーヌと雲とバトームーシュの写真ばっかり送ってくるの。」
 「ロケットの打ち上げに雲はよくないよねェ」
 「まるで父の仕事をじゃましてるみたいでしょ!」 と快活にしゃべりながらモツ焼を何本も何本もたいらげている。

 「先生、私ふつうのお肉よりこの内臓系の肉のほうが好き、魚だって肉のところよりハラワタのほうが好き、」 と言って平然としているマドンナ、アロンちゃんは母からの手紙のセーヌの写真を何枚か出した。

 「ああ、これがバトームッシュか!」
 「ちがう、ムッシュではなくムーシュ」
 それは男のことではなく、羽虫という意味らしかった。 アロンちゃんはつまらなそうに大作先生のムスタッシュを一瞥し暗いかげりで目を伏せた。

 「ところで、今日の目的は君をある会社に紹介したくてネェ。 アロンさんの気持ちがどうなのかなぁということ。」
 「私、ムシが好きなんです。 先生マイマイカブリって虫知ってますか。 オサムシ科の昆虫でゴキブリににている虫で地球上には1500万年前から生存している人類なんか全くおよばない生物なの。」

 大作先生、このアロンちゃんというマドンナの発言に絶句して、一口二口と酒をカブ飲みしてその盃を置いた。
 「1500万年前の地球の広大無辺の概念なんて想像できないけど、アロンさんにはみえるんだねぇ。」

 「時々だけど、すごく感じるの。 マイマイカブリをながめていると、長い長い地球のなりたちの時がみえて来ることがあるの。 それが私の生きる道のような気がするの。」

 大作先生の就職あっせん話しはここで終了ということになりました。 それからアロンちゃんはふつうに、何杯も何杯もお酒をのんでいました。


                      2019.9.23
                       大澤 伸雄

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