大学ノートの忘れ物

 嫌いではないけれど、玉砂利をふんで長い長い行列をならび、2時間も3時間も待ちわびるなんてえらい難行だ。 そのくらいのことをやってのけなければ日本人としては恥ずべき失格者だな。 令和の新たなる天皇夫妻を祝うパレードをながめようと、これも沢山の人々が沿道におしかけ、ほんの少しのお姿でもよいからと熱心にならんで待つ。 けなげなる庶民の真剣な天皇夫妻への一直線な愛着ぶりがすごい。 こんなにも多くの日本人は天皇家族が好きで好きでたまらないということなのか。

 嫌いではないけれど、2時間も3時間も外で待つなんて、トイレが我慢できない。 突っ立って居続ける脚力がない。 居並ぶ人様の頭、頭をこづいてでも天皇夫妻を一目見る熱情がない。 人混みのなかで自制して秩序を守る公共心がない。 ないないづくしの自分を思うと、そのような場所には出かけてはならぬということになる。 優良なる日本人を自覚し、かつふるまう方々はそのような場所にどしどし出かけるのだと思う。 疾風怒濤のごとくに、声高らかに民族の歴史、文化の優れた力を語る多くの文化的人々や多くの政治的人々が口にする天皇家の長い歩みとその制度だ。 そこにこそ日本人の力と文化のみなもとがあるがごとくに。

 皇室の家族風景がいっぱいニュースに流れる。 それをながめて「我家もいつもニコニコしておだやかですこやかで気高くありたい」 と願うものなのか。 年を取ったから二日や三日なら家の中だけでニコニコ静かに生きられるかも知れないが、外に出たとたんに「うるせぇなー」 とだみ声が出てしまう。

 先日、「家庭内おだやか運動月間」 というのを提言したら「おばか!」 と 皇室的口調でやんわり拒否されてしまった。 自分としてはあまりにもかけはなれてしまう皇室的高貴と皇室的笑顔を本気でまねてみるのも自分の暮らしぶりの幅を広げるという意味では役立つ習慣になるかも知れないな。 しかし、現実は妻の協力を得られず一人芝居では気分がのらないので実行されていない。

 ある日、カウンターの下の棚に古ぼけた大学ノートが置き忘れられていた。 氏、素性もなく個人を特定する手掛かりは皆無だった。 紙質もおとろえ、バラバラめくればたちどころにやぶけてしまう程に古びたそのノートの書き出しはこうだった。

 「昭和17年11月 帝国海軍進級 我が青春の軍歴 佐世保第二海兵団入隊」 から始まり、「昭和20年 別府海軍病院 全治退院スル」 までの3年余の海軍生活がかなりの精密さをもって、ていねいな文字で記されていた。

 その時代の模範的な若者のあり様が随所に現れ、身を正して直立せねばという気分になる。
 「ふりかえると母と姉が立っていたので “行ってきます” と敬礼、熱いものがこみ上げ・・・・」
 「陛下からいただいた銃の部分品をなくした この国を死にものぐるいで守らねば・・・・」
 「親兄弟、そしてこの土地、田舎の景色、みんなのためにこの体を・・・・」

 はたちにならぬかの若者の純真な国家への忠誠、ふるさとへの深い思いがどこの行間にもいっぱいのためいきと無言によって書き込まれていた。 ふつうの日本人にとって、また優良なる若者にとって陛下とは圧倒的に神格化されていた存在だ。 この模範たる若者は身も心もささげつつ、己の信ずる事を少しも疑念するとがなく生きて海軍兵士を全うしたのだ。
 「昭和20年10月13日 復員」 と記してこのノートは終っていた。

 俺は伊勢神宮の内宮にある五十鈴川のほとりの手あらい場の風景が好きだ。 皇居、丸の内あたりの石の建造物の数々。 津々浦々大小いたる所の鳥居、あの単純な幾何学的構造が好きだ。

 だからと言って、陛下のパレードには行かない。 晴れやかに上品に手をふって、ニコニコほほえむ天皇夫妻がどこかの神社に来るからといっても、そこに行かないだろう。 でも、その普段は静かでおもむきがあり、厳粛な神社にひとりそっと出かけるだろう。 そして鎮守の森の奥深いところで上品に手をふっているおふたりを感じ取ることができれば、パレードに行かなくても、充分に幸福である。

 海軍兵士の時代、若者はまっすぐな心で陛下に熱狂した。 今日、陛下は静かにながめるがよい。 手もひかえめにふる。 すべては感じ取る心だ。

  令和元年の終りの営業は12月28日です

                    2019年12月8日
                         大澤 伸雄
                      

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