コロナ 対決

 雨がしとしと降りやまない長い梅雨、日照不足、作物へのダメージ。 長雨と大雨によって大洪水に見舞われ、美しい農業地帯が破壊される。 泥水は人々の暮しを、永い年月によって育まれた文化、その風土が濁流にのみ込まれ巨大なゴミの世界へと変えてしまう。
洪水、山くずれ、泥のかき出し。 梅雨の長雨のこの時期、美しい山河にめぐまれた地帯にくりひろげられる残酷な光景。 加えてコロナ感染の恐怖はまったく終る気配がない。 金も生きる気力もうせてしうまうのが被災した方々の心中だろう。

 もしも、こんな弱体化した老境の身におそいかかってきたら、「そう死をかんたんに決意してしまう」 だろう。 ああ、何んという不憫、ああ、何んという理不尽。 嘆き、沈黙するばかり。 泥水で満々とした河の濁流にあそばれてるようにのみ込まれ流されていく立派に造られた家屋、生活の品々。 山くずれによる土砂が一瞬でその山村の家々をのみ込む。 大災害!何にが気にいらない、そんなに人間社会をぶちこわし、人々をいじめて、そんなに楽しいか。 そんなにうれしいか。 吠えて吠えて泣きまくっても詮無いことかも知れないが、弱き者の本心だ。

 だが、地球上にいたるところで大災害が、大洪水が、干魃が、山火事が、やまないパンデミックが。 安心・安息は束の間の夢のようにはかないのか。 けれど、我等は細々と商いを始め、密をさけながらもそれなりのにぎわいを取りもどしている。 気分のよい心持ちのやさしい方々の来店がまことにうれしい。 そうさ、この地球上は心持ちのよい人、気分のやさしい人々の方が多いに決っている。 大騒ぎす者、バカ騒ぎして悪るノリする人もいるけれど悪意ある賑やかさではない。 大概の人は人生を肯定して暮しているのだ。 肯定できない事柄を内にいだいているにせよ、それこそが強さなのだ。

 人々の中には自分の力を過信、実行の人々が沢山いる。 そうさ「戦いが大好きさ。生きがいさ。そこどけ!」 と前に立っている者をことごとく蹴散らさなければ気がすまない者。 コロナ感染を自慢する者、己れの肉体を誇示して
 「コロナは俺が征服してみせる」 と豪語する、立派そうな大統領。 でも強気自慢の指導者となれば色々登場して来て、にぎやかでうるさくて、嘘だか、まことだか、冗談だかが検討不明だ。

 “そこドケ” の大統領はキリスト教的精神を身にまとって、ドケドケの心をもって反乱デモを制圧していく。 大きな手ぶり身ぶりでもって実行力、決断力は「建国以来、最高の大統領だ」 と自画自讃してはばかることをしない。 そして、一方の雄は大ゲサなアクションはひかえる。 「勇にして礼なき者を憎む」 という崇高な言葉を 「勇にして礼なき者」 と曲解実践して次から次へとコロナ感染らしき人々を牢屋らしきところにかくしていく不気味者だ。

 国家対決を、指導者たちの強がり合戦にしないで、反抗者への弾圧も中止して、コロナ弾圧へと一直線に突きすすめ。 我等、弱き小市民は大洪水をのりこえて、と同じようパンデミックものりこえて、おいしいビールがいつも待っていてくれる暮しがいい。
人間的というのがいい。
災いは嫌やだ。

                      2020.7.19
                       大澤 伸雄

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