八月十五日

 灼熱の太陽がギラギラ、気温35度、正午の井の頭通りを買い出しのために吉祥寺に向っていた。 花水木の街路樹が熱さでしなだれている。 いまにも枯れてはててしまいそうだ。 そのワキに、弱々しく足元がおぼつかない老人が立っていた。 老人はスラリとした立ち姿で花水木の同僚みたいによりそっていた。 それからゆっくりと老人だけがくずれるようにオシリから道路に沈んだ。 目の前で人間がたおれる、誰だって動転する。 自転車からおりるとすぐに老人の頭をかかえ打ちどころをさぐった。 頭部にはキズも血のりもなかった。
すぐに老人は起き上がろうとした。
 「大丈夫、大丈夫」 をくり返えしつぶやいていた。

 「いま、救急車を呼びましょう。」 と言うと 手を横にふってかたくなに拒否をするのであった。 「では、立ち上がれますか。」 と言うと大きくうなずいた。
 そこにうまいことに若者のカップルが近づいて来たので大きく手をふり 呼び寄せ力をたのんだ。 老人とはいえ体つきのしっかりしたヒトで ずっしりとしたその重みが我等のウデにのしかかって来た。 老人の顔を間近でながめながら、自分がかろうじて少し若く、たまたまもち上げる側になっているだけで、もし若者の手助けがなければ二人の老人が炎天下の歩道で熱中症にということだったかもしれない。

 救急車をこばんだ老人は立ち上がり杖をつきながらたよりない歩みでもってかなたに向って行ってしまった。 別れぎわ、共同作業した若者から 「あぶない熱さですから、互い気をつけましょう。」 と優しい言葉がかえって来た。
 「気分のいい若者に出会えたなぁー。」 と心の内でニンマリしていると、サイレンを鳴りひびかせて一台の救急車が井の頭通りからそれた小さな狭い路地へ入っていくのをながめた。 否、老人のことはもうやめ! 仕事の買い出しに行こう。

 けたたましいサイレンが連続して鳴っている井の頭通り、それはもしかしてキヲツケロ、キケンダゾというおしせまって来ていることへの警告だ。 普段の生活の中で何事もない、何事も起こらない無言の祈りをささえにして、なしうる防備をおこたりなく、マスクを忘れない、手の消毒を、などなど自分の体臭がアルコール消毒の甘い香りに侵蝕されて別種の生き物になったみたいだ。 世界は動いている。 人々も動いている。 活発に揺れ動けば動くほどに安心と安全がそっぽを向いて守ってくれなくなる。 コロナ後の世界と人間の暮しなどとしょうしていつの日かの夢を語る。 そんなものはいらないから、終りなき災厄の中で明日の手の洗い方を説法してくれ!


 余談 井の頭通りからもどり汗をふいていたら、シャツの両ウデにズッシリと重かった老人の血がこびりついていた。 ああ、ケガに気づいていなかったのだ。 やっぱり救急車を待つべきだった。 熱中症でともに倒れても。

    酷暑、コロナ禍、それでもせっせと鼻歌
    コツコツ 消毒であります。


                      2020.8.15
                       大澤 伸雄

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