クルーズ船から始まって七ヶ月

 ゴートゥ・トラベルとかゴートゥ トウキョウとか威勢のよいさそい文句が飛びかっている。 いいのかねぇ、そんな軽快な文言を聞かされれば余計に心配しておびえるのが年寄りで、さそい話に乗りこんでそこら中にお出かけする元気まっさかりの若き父、母はもうコロナ禍をお忘れしてしまっているみたいだ。

 日々のニュース、本日の感染者200名、死亡0、重症の患者さん何名と毎日告知してくれる。 夏休みなら山へ海へといっぱいの楽しみが待っているのにどこにも行けない。 バサラでも家族連れの客が全くいなくってしまった。 その分、家の中での生活、せまい空間でのきゅうくつな暮しをしいられ、がまんと夏の暑さにとじこめられる。 これは世界中いたるところ共通の生活だ。

 そこで、世界は 「with コロナ」 へと指針を変えた。 年寄りの俺は 「そんなことして、早とちりじゃねぇのか?」 だ。 ある新聞記事は 「地域でコロナを発生させない」 「地域で発生することはあるが広げない」 そしてゴートゥ・トラベルの営みは継続しようという。 「大切は、ケイカイを解除しない生活がふつう」 と言っているけれど、多くは早くもとの生活がもどってくれて、好きな人と好きな所へ好き勝手に行けて、生きてるって大好き」 なんてことが言いたいのだ。

 店は客席数を半分にして営業している。 五時開店にはその席数の半分はうまる。 ケイカイを解除しないけれど酒はうまそうに飲んでいる。
 我等もケイカイのシンボルみたいにして、マウスガードをつけている。 おのずから口元がひきつって喋りづらいから無口になる。 おとなの酒場という雰囲気がただよう。 以前のようにつめ込まないからゆったりとして気分が落ち着く。 それは、お客さんも店の者も同様の気持ちだろう。 時がゆるりと流れる。 窓はあけはなたれ、夏の夜の少しばかり涼しげな風がそよぐ。 と突然、コロナの患者さんかまだ残暑のある秋の暑さにやられたお年寄りか、急患をのせてサイレンがけたたましく疾走していく。
 もう少しもすれば、暑さもゆるみ、虫の鳴き声にまじって秋の夜のとばりが夢・まぼろをさそう。 何にをか、唯の飲み過ぎだ。ほら、そこにコロナがひそんでるゾ。

 先日、吉祥寺のとある裏道を歩いていた。 明るいうちからその一角がにぎやかだ。 4人の若者がビ-ル箱をイスがわりにして、その店の前で元気よく、楽しそうにお喋りして、しかも口角アワを飛ばして、もちろんマスクなんてはずして。 ああ、これぞ若き血潮の酒盛りだ。

 そうだよな! コロナ禍にあるなんてこと忘れてしまうよな! 規律あるコロナとの共生もある。 コロナであることを忘れて乱れる共生(これは共生と言わないの!)もある。 共生、けっこうです。 人類の賢さがいかなるものぞとためされている。 同じに、バサラもソーシャルディスタンスを励行しつつ、結果、当然のことながら重々しい経営の数字ともに生きていかねば心得ています。 いらして下さる方をおことわりするのは、まこと断腸のおもいであります。 共生するはこのことなのでしょう。 そうさ、マスクは人様のためにすることなのです。 共生。


                      2020.9.13
                       大澤 伸雄

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