73才の誕生日

 「三木君、バサラで仕事始めて何年になるかねぇ」
 「来年の春で六年です。」 身内だけのささやかな忘年会だから、小さな声で少量の酒を飲み、来年こそは普段暮しができればいいねぇと軽く語り合って年を越した。
 独身一人身の三木君に正月休みはどうするね?とたずねたら、「山梨方面へひとりキャンプで遊びます。」 ときた。 ひとりテントを張り、ひとりタキ火を燃やし、ひとり飯盒メシを喰らう。 まこと男らしい修行僧的バカンスの行いだ。 家族や恋人とワイワイ軽いフットワークでキャンプを楽しむのもいい。 息子が学校に行くまえから小さな一人用テントひとつもってほうぼうキャンプした。 たいした道具もなしで素朴なキャンプだ。 そこで、息子のさわがしい野生を存分にときはなしてやったりした。 三木君のキャンプはもう大人だから色々なキャンプ道具をとりそろえ、めんどうな作業に時間かけない合理と利便のスマートキャンプだ。 その分、ヤマハの黄色いR−1100にまたがって東西南北、津々浦々、山奥の村果てる地にまで分け入って、弾丸バイクの走行気分によいしれるのです。

 「六年なんてすぐたっちゃったね。 いっぱい料理おぼえて、色々な包丁使いも覚えて、お客さんと仲良く話がはずんで、あとは女を口説きおとしのワザを伝授するばかりだな。」
 「その必要はありません。 もう充分会得しています。 大澤さんの日頃を見ていますから、なるべくそのようにしないことに苦心しています。」 と まあ立派に成長の口ぶりを披露したのは昨年の忘年会でした。

 年があけて店はコロナの状況をかんがみ、これは積極的にすぐさま休業しよう!に決めました。 新年の一月、静かに静かに隠とんの生活に入りました。 休業のお知らせ、灯りのともらない店、そんな夜の風景ばかりが広がり、ここ三鷹界隈も暗い。 ならば時間短縮のやり方でも、出前商売というあきないもあるではないか。

 だが、自らの肉体を尋ねた。 年とともにねばり強い活力がうしなわれ、ふんばれる腹の力が弱くなってはコロナの感染に弱いとされる最もあぶなっかしい高齢者が己だったのです。 休業は感染しないぞという決意表明でありました。 1月が過ぎて2月の初日に次の1ヶ月をどのように過ごすかという話し合いの場をもちました。

 2月はわたくしの誕生月であります。 それはさておき、その集りに一人だけ欠けて来ませんでした。 いつも元気で頑丈な三木君が、消息を断った。 また山に行った。 電波がとどかない。 うん、じゅうぶんありえる。 一同うなずく。 それを疑う者は誰もなかった。
そして、2月も基本的には休業、齢(よわい)73才は常にレベル4の体制にあるようにして感染しないこと皆に厳命されて一同散会した。

 その二日後の朝、ケイタイに連絡が入った。
 「三木友人さん、救急搬送されまして、ドコソコ病院に入院されています。」 二日間の空白のワケがあまかった。 浅はかな自分をなじった。 三木君、どこの骨をやられた。 首か腕かろっ骨か、いやいや色々な部位か。 オートバイの事故は二度目だ。 詳しくは判明していないが、重傷というのだけだ。 入院した病院でもコロナによる規制で自由に面会は全くできなく看護の方の説明だけだ。 だいぶ時間がかかりますという。 抽象的憶測だけだ。

 2月24日、ささやかに、静かに営業を再開した。 主じゅくの三木君の穴をうめるべく、圧倒的能力不足を自覚しながら、不安と戦い、ともに働く若者の広く優しい思いやりに支えられ動き出した。
 もとより、口には出すまいとして実は仕事放棄をひそかに企んでいたはず。 誰にも教えない小屋をさがして、よく見晴らしのきく風通しのよい高台の丘で口笛を吹いて遊ぶ老人。 座るくちた椅子のワキにはいつも空になった酒ビンが置かれ、そろそろ眠るとするかと夢の中に入らんとしているのに。

 「煮こみ、シメサバ、ほっけ焼!」 などなどと非情なる注文が老いた者をよび起す。 どうしても、あんたをねかせるわけにはいかないのです。 注文を早くかたずけて下さい。 優しいがきっぱりした尚子ちゃんの口調がとんでくる。

 三木さんが戻って来るまではがんばって下さい。 それまでは容赦しません。 そのかわり、今日は2月26日 73才の誕生日です。 プレゼントを送ります。

 ナオコ、レイナ、フミヨのそれぞれ妙齢のマドモアゼルが唄いだした。

   センイルチュッカハムニダ
   センイルチュッカハムニダ
   サランハーヌン ウリ おおさわ さん
   センイルチュッカハムニダ

 ハングルのハッピーバースデェイ トゥー ユー の
 大合唱だった。 三木君がもどるまで
 果報者よ 働らけ 働らけ という大合唱だ

 バサラは当分のあいだ営業時間を五時から八時までとします。


                      2021.3.1
                       大澤 伸雄


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