宣言解除 その後

 令和三年になって1月から6月まで殆んど休業であった。
 6月21日から短縮営業という御触れがだされ、夜の8時まで商売が許された。 それ以降の酒の商いはならぬという。
 たったの3時間が我等、飲食商売の生ける、わずかばかりの時間だ。 夕方になると電話はなりっぱなし。 なじみの人、そうでない人、たくさんのお客さんがやって来るが客席を空けて入店の数を半数にしているから店側も客側もひたすらに無念、残念、気分が落ち込む。
 幸い入店出来たお客さんは幸運をかみしめながら酒に酔っているが、馬鹿騒ぎする者はひとりとしていない。 不必要の長居もいない。 こんな状態は平常営業にもどる10月25日まで続いていた。

 「もしもし、バサラですか? ひとり、いま入れますか? おそく行ってもお酒のましてくれますか?」

 別の日の夜、きちんとした身成の女二人連れ夜の9時頃
 「二人なんですが、お酒 だいじょうぶですか?」

 普段来るお客さんは、お酒 だいじょうぶですか。 とか、おそくてもお酒のましてくれますか。 なんていう口上は述べない。

 店さぐり電話は頻繁にあったが、8時の禁酒令、9時の終了を徹していたので問責されることはなかった。 そんなことで、夜遅くまで歓楽街を歩きまわり脱法のみ屋を探し出すなんて仕事、その絶望的たいへんをいたく感動した次第であります。

 10月25日、いよいよ通常営業のはこびとなります。 ジム通いで少しは体丈夫になっているといいなあーと思いながら、果して休場明けの力士のように、みなぎるやる気、と緊張で小きざみにふるえる少年のような老人の口元。 それら諸々の内面の変異こそがコロナの標的となるのだ。 店は再び多くのお客さんをむかえることになり、同時にコロナへの言い知れぬ不安がつのる。

 巷に流れる、飲食店での客足のにぶり、見通せない悲しみのつぶやき。 ああーやがて我身にもかなと存分の覚悟はいたしておりました。
 初日、祝賀パレードのようにうるさい。けたたましきファンファーレはないものの、沢山のお客さんとともに再開の歓びに湧き上がり、入店できない方々には申し訳ないのですが、冷蔵庫の食材がなくなってしまう状況でありました。

 一週間がたち、二週、三週と日々を刻みつつも活況少しは落着いたものの、もうすぐの年の瀬をこの頃にひかえて大丈夫だと考えています。 感染者はいまは微少であります。 クラスターの情報もないようです。 この無事をどのように考えればよいのかめぐらしていると、どうやら客層の変異があるということに気付きました。 長くいらしていたベテラン酒呑み人間がめっきり少なくなり、一方若手ひとり酒ロマン派青年、淑女の台頭が目立つのです。 老いて老境の肉体はそれだけで感染のリスクを負っていると思えば外で飲む酒はひかえて安全な家に落着く。

 コロナ禍の以前には幾多の世代の客層があり、我等70代もかなりいたように思う。 今日この頃、コロナ禍が下降しつつも後期高齢者は酒場には戻らないということか。 ならばより大切により親切にいつくしみをもって連帯しよう。 むさしのの田畑さん、みたかの大澤さんこがねいの渡辺さんこくぶんじの池上さんくにたちの浜岡さんなどなど、無言の連帯こそが強靭のあかしなのです。

 またぞろ、新たなるコロナウィルスだ。 しかもこのオミクロン型なるものの感染力はデルタの5倍という。
 「フタタビ カブトノオヲシメヨ!」

 戦う心、静かに耐える心の暮し、これ我らの生活と思えば
   2021年は12月29日まで
   2022年は1月5日から

 どうか御無事でありますように。


                      2021.12.12
                       大澤 伸雄

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