火事場を越えて

 いま、巷ではオミクロンの新たなる感染、大流行に怯々としている。 来月の始めに第三回目のワクチン接種の知らせがとどけられた。

 後期高齢者は多少の優先措置が取られているようだ。 だが、そんな呑気はどうにでもなれ! 大寒の日曜日は見事に寒かった。 西に向って自転車を走らせ、井藤大工の火事現場に行った。 おおよその見当をつけた通り現場はすぐに見つけることが出来た。 柱の何本かが立ち残り、あとは黒い炭と化した残骸が虚しく放置されていた。 無数の大工道具はもう用をたさない「燃えないゴミ」だ。 沢山の角材の燃えカスは「よく燃えたんだろうなぁと単純に思っただけで、思いは無念を貫通して唯々、沈黙するばかりだった。

 「もう、仕事をたのむことは出来ないな!」
 「店の外観の改装はあきらめよ!」
 「いっぱいのコレクション、皿やら壺やろ、書画、色々の古物、みんなこの炭とゴミと土の中にまぎれて果てしない無意味が目の前にくりひろげられている。 本当なら沢山の書画、骨董にかこまれ未来を夢見る、豊かな大工さん人生が残されるはずだったのに。

 生きているが行先がない井藤大工はどこにいるのやら・・・・。 ポツンとひとり立ちつくしていると。
 「大沢さん! やっちぇまったよ!」
 「何んにも残ってないよ!」
 50年、ひとり暮した住い、事務所、作業場、倉庫、あまりにも濃密で多彩な根城はたったの一晩で残骸と化した。 その風景は言葉を拒む、同情はそれ以上に虚しく、心を偽る。
 「この歳じゃ、やりなおしがきかねぇ」
 「井藤さん次第だよ・・・・」 そんなたよりないことしか言えない自分がもう情けなくて、あわれで、バカバカしくて、逃げたくなった。

 「何にかしてないと、気持ちが滅入るから少しでも片付けてるんだ。」 といって両手にはうもれた灰の中からさぐり出した器らしきものを手にしていた。 どこやらで買いもとめた大切なお気に入りの名皿やも知れぬ。 井藤大工は優しい手つきで皿の汚れたドロをふきながら
 「こいつが置けるような立派な棚をこさえたいなぁ」
 その小さな嘆きにつられるように俺も
 「こさえて下さいよぅー」 と呻く。

 酷い人の生きる様、次なるは我身なるかとこの世の修羅がいるのを見る。
 「こんなもの、何んのたしにもならないけど、大工道具のわずかにでも」 と 井藤さんの老いた強い手の中に、グイっとねじ込んだ。


                      2022.1.23
                       大澤 伸雄

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