友、酒とともに去りぬ

 どうき、いきぎれ、めまい、生きていれば常に体の具合がどんなかをわかりやすく知らせてくれるシグナルだ。 あまり過剰に反応していると生きていることだけで息苦しくなったりするから程々がよい。 この男の口ぐせが
 「だいたいでいいんだょー。」 「なに深刻になってんだよ!」 などとジャブをとばして仲間の笑顔をさそう。 ハマオカ君の顔があるところおだやかなざわめきに気分がいやされる。 ところが8月22日夜、谷保の自分の店の中でやすらかに眠りに入ってしまった。 享年六十七才、まだ若い。

 その2週間程前にバサラでウナギを焼いて酷暑をけちらす酒の会をやった。 ハマオカ君も意気揚々、ひたいの汗をふきふきやって来た。
 「暑いねぇー」 のあいさつに
 「なに言ってるんだ! こんなのは土佐清水あたりじゃぬるいねぇーだな!」 と切り返していたのだ。 どうき、めまい、いきぎれの話の代りに腰痛の話題はしばしばあった。 体の不具合話しは老いた者どうしの確認挨拶だ。 「どうきが消えない経験はこの年になってはじめてのことだと俺が相槌を入れると
 「なまけ者の言いわけに聞こえるから、体調の話題はいいかげんにしといたほうがいいぞ!」 と逆しゅうされてしまった。

 そして、「俺の息切れは金の息切れだ。」 と言ったところで、全く本気の話ではなかったから、体調の管理をいいかげんにしたということなのか。 先日、朝の八時頃ひどい目まいイキギレにおそわれた。 目をとじテーブルにうつ伏せになり、しばらく目をとじて静かにしていたら、どうき、いきぎれ、めまいから解放されたので急ぎ、かかりつけの先生のところへ急行した。 結果、全くの異常なしということでホッとしていた。

 その数日後、八月二十三日の朝、八時五十分頃俺はハマオカ君に電話をした。
 「今日、立川保健所に、営業許可証の再交付に行く日だぞ!」 すると、いつものゆっくりした普段声で 「うん、じゃぁ、行ってくるよ!」 の短い返事だけで電話は切れた。 それだけの用件であったからことさら何んの思いもなかった。 朝ぼらけの気分で少しいねむりをしていた頃ハマオカ君の訃報がいろいろな方々から届いた。

 陽気で体の大きいが取り柄の気分のいい男、最愛の友いく。 人間の人生、重いからといっていいもんじゃない。 ハマオカ君の生きた程々の密度が好きだ。 大袈裟なふるまいをしない、「だいたいで、いいんだよ!」 と軽くいなす。 喋っても喋らなくても、どのみちハマオカ君のふるまいだ。 その乱雑にみえる野放図が俺はたまらなく好きだ。

 ところで、八月二十二日の夜いった、と人は言う。 八月二十三日の朝 電話口に出て
 「じゃあ、行って来るよ!」 と言ったのは、どこのどなた。 まだ、その辺りに漂っているのなら、飲み残っている純米酒をみんな担いでもってこいよ。 俺は待ってるぜ!

                      2022.9.19
                     婆娑羅 大澤 伸雄

トップページへもどる

直線上に配置