サクマ式ドロップス

 10年程前、東京に大雪が降りあたりいち面の雪景色となり、人々はいそいそと家路を急ぎ、元気な人はソワソワ心うかれて雪景色や雪見酒をたのしんだりと大騒ぎだった。 のんびり雪見酒もそこそこにして急ぎ家に帰ることにした。

 雪の降りしきる中、神妙に雪の夜道を十分に気をつけて自転車をツエ代わりにして、このちょうしなら無事家に着けるなと自信をいだいていた。 しかし、雪はしだいに激しくなり、雪の吹きだまりがそこかしこに出現していて歩行がむずかしくなって来た。 あと10分程の地点で前に進めなくなった。 路面は凍りついてすべる。 歩ける道は雪の吹きだまりだ。 ツエ代わりの自転車をなぜのりすてなかったのだろう。 自転車は凍っている路面にすべって流れていく、そのついでに俺の右足をさらって5mほど倒れた。 足に力が入らないから立ち止ることができない。 救急車が来てくれるまでの15分は1時間のように長く寒くなさけなくさびしかった。

 右ヒザからカカトに20pほど縦に割れるような骨折だった。
 手術は全身麻酔をされたので、なにやらわけのわからぬうちに終り、眠りから覚醒に還る一瞬の苦しみを除いて、殆んどが遊泳している状態であった。 なのに、痛みがひどく眠れない。 他の病室から患者のうめき声、動物のいななきのようなイビキ、まるで会話しているように寝言が伝わって来る。 ああ、これぞ入院生活というものである。 骨折の状態の悪い患者は安静だけ。 本を読む。 時折口に入れるアメ玉ひとつ。 あとは天井をながめて眠る。 修行のように退屈な時間を生きぬく。 規則正しい生活が始まって一週間ほどたった頃、病院の売店で美しい缶を見つけた。
 これぞ 「サクマ式ドロップス」 なのです。 赤や黄や緑のおいしそうな果物の絵がえがかれて缶自体が美術品のように美しい。 以来、サクマ式ドロップスは服用する薬とともに病院生活が終了するまでの2ヶ月、生ける糧であり大切な友でありました。

 そして、去年の暮れのことサクマ式ドロップスの会社、「佐久間製菓株式会社」がなくなってしまい、よってドロップスもなくなるという我等がアメ玉の草分けが終了してしまう知らせを聞きました。 数日後、実のところはと思いたってスーパーの菓子売場に探索に行ってみたのです。 あー、やっぱりドロップスの美しき缶の姿はありませんでした。 幼少の頃からの憧憬の缶はこれで終了ということになったのです。 「しにせ」 いつかは消えることのならわしなのでしょうか。

 工場の錆びた風景、活力のない村の風景、お年寄りだけが暮す村落、いたる所に新しい活力からはじかれてしまった静寂が広がっていく。 サクマのドロップスも静寂とともに沈んでいく宿命なのか。

 2月26日(誕生日)の前日、週末の店はいつになくにぎわい、「ずいぶん今夜は若い人がいっぱいだねー」 とつぶやいてゆったり気分で酒を少し、店の若いふたりのメンバーも快活に働いていた。 と、その瞬間、色々な人からの「おたんじょう日、おめでとう」 の声をいただいた。 頭を下げて礼をしたその目の前に、サクマのドロップスの缶の山が出現したのであります。 光輝くドロップスの山、若者達の心優しきサクマのドロップス。 意表をついたドロップスプレゼント。 錆びて老いている者もいるけれど、光輝ける若者がいっぱい活々している。
若者からの贈りもの 酒などよりも老いの身にはサクマのドロップス あたい千金!

                      2023.3.5
                       大澤 伸雄

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