2004年春の変奏曲

角膜の損傷で右目がつぶった状態になって1ヶ月余りたつ。
食べたり、呑んだり、走ったり、セックスをしたりと、汗をかくような快楽は元気な身体の上に成り立っていると、つくづく思う。それらが成り立たなくなると、人間は心を取り戻そうとするのか、妙に辛気くさくなる。普段は耳を貸そうとしない音とか、日々の怠惰から見逃してしまう色々に。

その一つ、中村登紀夫さん(73才)が酒器を造ってプレゼントしてくれた。(上写真)
その酒器の両腹に言葉が彫り込んである。

 “花は半ば開くを見る。酒はほどほどに飲む”

まことに、そのように生きていない者を見かねての心づかいである。
今の私には染み込んで来る。元気になっても忘れないようにしよう。

その一つ、コロンバイン高校の惨劇を映画化した作品「エレファント」だ。
ごく普通の高校生の男の子二人が銃を乱射して15人もの命を奪った。なぜ、どうして、という視点に、この映画は何も答えない。普段の高校生活が流れている。そこに“エリーゼのために”が流れ、銃が乱射された。
分別だけの大人に観て欲しい。そして又、分別のない若者にも。

その一つ、若竹の煮付けとサヌカイト。
その日は今が盛りの竹の子を煮ていた。これはパソコンの手ほどきをして下さる師匠の田舎、大分からのものであった。太くても柔らかく煮あがる、味わいの濃い竹の子である。その煮あがる30分程の間にラジオから石をたたく鋭い透明な音が聞こえて来た。サヌカイトという石の楽器である。普段の生活では聞き流してしまう音が、竹の子の煮えたつ音よりも胸に突き刺さりふるえた。

この春、肉体の変調は怠惰な五感を甦生させてくれる。
病もまた一饗であるが、早く早く治りたい。

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