震災

 神戸の震災の時  アメリカの同時多発テロの時  そして 今回の新潟中越地方の地震。  巨大な自然災害や 忌まわしい事件に 襲われると 人の心は当事者でなくても 暗く沈んでしまう。
 ここにいたか あそこにいたか、 あるいは あの時か この時かの 偶然で被災するのである。  どんなに想像力が欠落している者でも、 誰もが己の問題としてかんがえてしまう。  悲しく つらい生活が ずっと続くのを思ってもっと沈んでしまう。 その気分の暗いところから すこしでも のがれたい我等は 幾ばくかの義援金をして 気分の暗さをはらそうとする。  でも やりきれないことには いささかも変わらない。

 店は 客が少なく静だ。 酒に酔って「わっはは わっはは」 とやる気分になれなくなる。 誰もが 善良である。 そして この店の客は まこと心優しき ならず者である。  そうだ、神戸の震災の時は ほぼ1ヶ月 開店休業の状態が 続いた。 たくましい やがて被災した人々は 過酷な日常を引き受け 日々を営々といきる。 そして それが普段であるかのように 暮らしていくのである。
 テント 仮小屋 仮設  やがて そんな中でも ささやかな酒盛りを そっと楽しむ気持ちになれるかもしれぬ。  婆娑羅も また 「わっはは わっはは」 と快活な笑い声が 復活するだろう。

 悲劇と悲惨が 世界のいたるところで くりかえし くりかえし起こる。 我等の無事は たまたまのものなのか。 無事なることの 確約は何もない。

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