明日への記憶

齢い五十も半ばを過ぎると 物忘れ、名忘れがひどい。

日頃から よく会っているようなスズキさんの名前が出てこない。
ヤマダさんじゃなく、サトウさんでもない、どうしてこんな近い人の名前が出てこないのだろう? 10秒・・・20秒・・・30秒 ぐらいのところで ようやく。
“あっ!スズキさんだ” という具合に。。。

 仕事柄 人の顔と名前を覚えるのは得意である。
20年ぶりに来た人でも、名前とどんな仕事についていたかぐらいは、たちどころに答えていた。 ところが、特別な人ではなく常日頃から名前を呼び合っている人の名前が瞬時に出てこない。 刺すような不安に全身が凍った。

 酒を飲みながら 中年の男達が 映画談議に饗じている。

“ほら、アメリカのすごい役者で、雪に閉ざされた別荘で だんだん気が狂っていく主役の男”
“ああ、あいつね。 あいつはいい、俺も大好きだね”
“あの映画のカントクは天才だね。 沢山の作品をつくっているけど 名前が出てこないよ”
“『2001年宇宙への旅』のカントクだよ”
“あっ スタンリー・クレーマーだ”

そこで一同納得して話がまとまった様子なので、「クレーマー」じゃなくて「キューブリック」だよと言おうとして やめた。

 酒の酔いで記憶があいまいになるのは当然だ。
素面で仕事をしている俺は不安がつのるばかりだ。
次第に多くの人の名前を忘れてしまい、“ええと” とか “あのー” とか 固有名詞の代わりに ため息まじりばかりになる。

 距離のおける人間関係なら それでもよいが、妻の名前が出てこなくなったら 事 重大である。
そんな不安と妄想にあった矢先に 手にした本が 「明日への記憶」 であった。

五十代の主人公は広告業界でバリバリ仕事をこなす。
その人が若年性アルツハイマーを発症し、記憶が寸断され、社会生活が破壊されていく様子を ゆるやかに描いていく。
そのゆるやかな流れが 病気の進行を暗示する。 故に不気味だ。

やがて 崩れていく己の人格と生活を 正面から受け入れて、生きようとする男に 勇気と救いの予感を抱いた。

 近頃、俺はよくメモする。 覚えにくい人の名を書きとめることにした。
人の名前を誤ってしまうのは失礼なことだが 何よりも 脳の中にしっかり その名前を刻みこみたいからだ。

≪追記≫
 新潟の地震以来、婆娑羅では 純米酒は必ず新潟の酒を使うようにしています。
今年、一年間はそうするつもりです。

二月に入り、能登の牡蠣はいっそう うまみが深くなりました。 形も大きくなり これからが本格的にうまい。

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