酒屋さんの攻防

 元気のいい若者が「吉祥寺の扇屋酒店です」と言って、飛び込んできた。 その名は知っていた。 大きな酒の問屋さんで、大きな倉庫を持ち、常時、5、6台のトラックが街中を走っている。 色々な飲食店に酒類を配達しているから、大量販売の安売りでも知っている。
「婆娑羅さんで使っているビールや酒や焼酎の銘柄だけでも教えていただけないでしょうか。」 「早速に見積をもって又来ます。」と言って、元気よく帰って言った。

翌日、詳細な見積を持ってきた。 確かに安いのである。 例えばビール1本につき10円から20円、芋焼酎にいたっては100円という差のある価格が記されていた。

さて、どうしたものか。 開店以来27年荻窪の三晴屋という酒屋さんとお付き合いをしている。 夫婦二人で小さな酒屋をコツコツと営んでいる。 配達も主人一人で、朝早くから飛び回っているような店だから、大きな問屋のように薄利多売とはいかない。 さりとて、永いつきあいを解消して、酒屋を乗り換えてしまうような合理性が俺にはない。 けれど、数日思案して、三晴屋さんにその見積りを開示した。 深く溜息をついて「あの問屋と価格で競争は出来ないよ。」とうなだれた。 まるで弱いものいじめをしているような気分になり、「乗り移る気はないから。俺もがまんするから、三晴屋さんも少し値段を考えてよ。」と言って、手を打った。

 再び扇屋酒店の営業マンが来た。 「どうでしょう。ビールだけでもお付き合い願えませんでしょうか。」と言われ、俺は殆ど受諾しそうになったが「義理」と「人情」を選んだ。
「いくらまで下げれば納得していただけますか。」と、なおも食い下がる。

「渡る世間、金だけで動くとはかぎらねぇぜ。」と寅さんは言ったかどうかは知らぬが、愚かなるかな俺はそのような意味を込めてお断りした。

ビジネスの世界では、いくつも見積りを取り、価格を競合させるのが当然のことだ。 天秤にかけ、値段を下げさせる。 普通のことではないか。 そう呻きながらも、自分が次第に情けない、卑しい気分になったのも確かである。

今朝の魚市場



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