中秋の鰻

 25年も経てば街は変貌する。 道路も新しく造られる。

 駒形橋の大きな交差点を渡るとすぐの所に、鰻やの「前川」はあったはずだが、行けどもビルばかりで、それらしき建物が見当たらない。 大通りの向側のどじょう屋はとっくに過ぎてしまっている。

 25年前どじょうを食って店を出た時に、「よし、来月あそこの鰻を食べに来よう」と決心して実行した。 だから、あの場所のあたりに間違いはないのだが店はない。
その辺をハアハア言いながらうろつき廻っていると、もとあった裏路地に燈がともっていた。 三階ほどのビルになり、知って想っていた堂々たる木造の日本家屋の店構えはなくなっていた。 だが、まぎれもなく鰻の「前川」である。

 引き戸を開けて中に入ると誰もいない。 声をかけると暖簾をさっと分けて店頭のような男の人がにこやかに受けてくれた。 この対応は昔と変わらない。
着物姿の仲居さんが二階へ案内してくれる。 幸運なことに窓際の席が空いていた。 隅田川の流れが眼前に広がっている。 屋形船がゆったりと行き交っている。

 鰻の白焼から入った。 酒は日本盛だが、うるせいことは言ってはならぬ。 よく冷えているからうまい。 わさび醤油をわずかにそえて、たっぷりの白焼を口にふくんだ。 うまくねぇ訳がないだろう。 俺はだまって、ただニンマリした。
秋の野菜の煮物、タレのよくしみこんだ肝も食った。 飲んで騒いでと不届き者などいない広間は、実になごやかだった。

 そして、いよいよたそがれ、東の川向こうに目をやると、そこにはうす暗がりの夜空に中秋の名月があった。

 嘘でも、作り話でもない。
俺は完全なる幸福の時を川べりで陶酔した。 隅田川に中秋の月がゆらゆらと映っていた。 俺は向いに座っている女房の手をそっと握ろうしたら、たちどころに引っ込められてしまった。 月は鮮やかに輝いていた。 そして鮮やかな鰻丼と鰻茶漬けを征服して「前川」を出た。

 "そぞろ歩きは軟派でも、胸には硬派の血が通う" 
 酔っ払ったついでに向かった先は神谷バーだった。 ホールは満員だったが、店内の中央あたりに、たっぷり80才を超えたおじいさんが二人、「ここが空いているよ」と手招いてくれた。 又々幸運であった。

「俺は休みをもらうと必ずここに来るから、もう50年も通ってらあ」と快活に語る。
「ところでダンナ(俺のこと)あんまり、酒は強くねぇなぁ!電気ブランを氷でうすめて、チビチビは粋じゃねえぞ。」 としかられてしまった。
「だけど、男は酒に弱くたっていいだ。肝心なのは、これに強いってことよ!」と言って、小指を立てて、ニヤリと笑った。
笑い顔に妙な色気があった。
幸福と悲劇は表裏一体である。 だから、この中秋の夜、俺はたっぷりの幸福に溺れた。

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