天城湯ヶ島町

あれは忘れもしない大学を卒業した年の3月28日。
内定していたが,勤務地は決まっていなかった。
その夜に突然電話があり,
「君には伊豆の天城湯ヶ島町に行ってもらう」
と,冷たい声で内示があった。
途端に血の気が引いた。

結局,4年間,天城湯ヶ島町に滞在した。
山村の3DK一軒家に1人で住んでいたが,
庭を野生の鹿が横切ったことがある。
野良犬と猪が喧嘩していたこともある。
いつだったか,屋内にマムシが進入した。
立て付けが古く,すきま風が絶え間なく入り込んだ。
夜飲んだ水割りの氷は朝まで残っていた。

半分に切った大根やレタスは16km先のスーパーにあった。
近所の八百屋では,野菜丸ごとでしか買えないのである。
(1本の大根を1人で食べるのは実に大変である)

レンタルビデオ屋も16km先である。
借りた翌日に返しに行くのはアホらしかった。
なによりも,怖いビデオは夜みれない。
こんな山奥での3DKは,トイレがやたら遠くに感じるのだ。


ワサビ田(沢)

天城湯ヶ島町での仕事は,当地の産物であるワサビの研究であった。
大学での専攻が植物病理学だったので,
ワサビの品質を劣化させるカビやバクテリアの研究に従事した。
そのせいか,地域のワサビ農家からは
「病気の先生」と呼ばれていた。
彼らの発音は「ビョウキ」ではなかった。「ビョーキ」であった。

いろいろあったけど,
この頃の出来事がその後の人間形成に大きな影響を与えた。
プラスの効果は,「人の善意を信じて間違いはない」
と思うようになったことである。
マイナスの効果は,毎年3月になると
天城湯ヶ島町へ転勤する内示が下った夢をみて魘されることである。
大根の3日連続はやだ。