山河に遊ぶ(その二)


陶 山汀

第一部・・・・山ぶどう
第二部・・・・茶殻
第三部・・・・白山のオコジョ

山ぶどう


 九月の渓谷は物寂しい。
渓流を挟んだ湖畔の森は、初夏には新緑でむせかえしていた木々は真夏の灼熱の日差しをくぐり抜けてきたために色褪せを見せている。木の葉たちにはたしかな足取りで黄葉への遷移の過程が窺がえる。
 風がない。病葉のすえたような匂いが漂っている。紫たつ渓は静かに沈んでいる。あちこちで小さく鳴く虫の音。今年も、九月の渓流釣りの渓谷は新緑期から真夏にかけての、あの、喧騒のあとにやって来た虚脱に満ちて、沈んでいた。
 そんな粛々としたもの寂しい渓のたたずまいが岩魚釣りの漁期の終わりが近いことを教えている。
「今年の岩魚釣りも、もう終わりや・・・」
毎年この時季、そんな渓谷のたたずまいと匂いを嗅ぎつけにくることで、竿を納めることになる日が近づいたことを、我が身に得心させている。そのあとに来る長い禁漁期間の無聊に苦しむことも知っている。その無聊を乗り切るための心の糧を何に求めたらいいのだろうか。なんとも未練たらしく、こういう終末を迎えることは毎年決まりきったことではあっても、この時季の渓谷に我が身をたっぷりと沈殿させる、この通過点を体験することでしか、我が身に言い聞かせての気持ちの整理をする、今日の釣りはそんな日の釣りなのです。

 一心に、流れの上を行く釣り仕掛けの目印を追い、魚信を見い出そうと見つめている。先程越してきた砂防堰堤の下までは岩魚が時々姿を見せていた。どうしたことか、ここに来てからは、一向に魚信がない。
 堰堤の上部は砂礫を一杯に蓄えて、ひときわ河原が広がっている。その中央で砂礫群の真ん中を割り入れるように掘り下げ、静かな一条の流れを通している。もう少し行けば、河原は狭まばり、その先の曲がり角あたりにいち早く色ずきかけたカツラの大木が大きな樹蔭を作っている。その樹蔭のしたで昼飯と決め込んで、変化の少ない真っ直ぐな流れのなかに仕掛けを入れる。油断はできない。先程も平凡な流れだが向かいの急峻な谷から出てくる小さな流れの合流点で尺ほどの岩魚を釣り上げて、一人で快哉を叫んだ。

 この渓谷を遡りつめての納竿、背後を振り返り見れば白山連峰の主峰である御前峰と、それを取り巻く峰々の雄大な景色を目の当たりにすることができる。この渓谷は手取川左岸の支流のひとつである。釣り登って渓谷の流れも細くなるまで詰めれば、竿を納めて帰路に着く。雑草の荒れ地を踏んで林道に出れば、所どころで崩壊したそれを辿って、白山連峰の主峰群を真正面に見据えながら一歩一歩下って行く。自分自身の歩みが白山連峰群の中に身を沈めて行くような錯覚に捉われてしまう。この渓河畔の林道からの展望は、なかでも初夏の頃の雪を抱く峰々は厳然と聳立して光輝き、神々しさで迫ってくる。帰路にはそんな楽しみも待っている。
 カツラの大木の樹蔭で、大きな岩石のころがる間に乾いた砂地を見つけて、腰を下ろして握り飯を食べていた。対岸の一面に蔓草が絡みついた河畔林のなかで、何者かの動く気配がする。見通しが効かないので耳を澄ますと、
「ガサッ・・・」「・・・」「ザッ・・」
何者かが動いている。こちらに向かっているようだ。
「・・・・・・・・」
動きがとまった。
「ガサッ・・」「ザサッ・・」
いや、確かに動いている。
「ガサッ・・」「・・・」
音では確実に近づいてくる。
(・・・まさか!・・・熊じゃないやろう?・・・) 
(何者や?・・・、はあ~ん!・・・・・また、あいつやな!・・・)
あいつなら、ときに立ち止まって・・・何を思案しているのか、しばらくこちらを見据えてうかがって、しびれを切らすほどじっとしているかと思えば、動き出す。そういう動きをすることは知っている。そんな習性から岩場の哲学者などと呼ばれたりもする。
 これが、十年ほども昔のことなら、すでにこの場から逃げ出すか、意識的にもの音を立てるなどして相手の機先を制する行動に移っていたことだろう。しかし、今は違う。今は動揺よりも昔の友にでも遭うような期待と好奇心のほうが勝っている。まだまだ気持ちには余裕がある。
 それにしても、もうそろそろ蔓草の樹林を抜け出て、姿を見せてもいいはずなのに、急に奴の動きが止まって、
「・・・・・・・」ことりっとも音はしなくなった。
(さては、こちらに気付いたな!・・)
野生の動物なら気付いて当然である。いや、むしろ気付くのが遅いと言ってもいい。
(やっぱり、ニホンカモシカだったのか・・・)
聴き耳を立てるために口に頬張ったままになっていた握り飯を噛み砕く。それにしても静かである。
(一体・・・どうしたんだろうか。今は、哲学者は何を思案中なのだろうか?)
握り飯を食い終えたところで突然に!
「びっくりしたよおっ!・・・ああっ・・・びっくりした!」
人間の声である。大きな声が意外なところから聞こえてきた。注目していたあたりよりもずっと下流側の蔓草の間から、男が現れた。
「てっきり・・・熊が座っていると思った!・・・」
といいながら、男は全身を蔓草間から抜け出て姿を現した。大きな籠を背負っている。足取り重く川を渡って、私に近づいてくる。
「てっきり、熊が座っていると思った・・・」もう一度、言った。
頭から首筋へはすっぽりと厚いタオル地の布で頬被りして、目鼻口をかろうじて出している。手っ甲に厚手の軍手、灰色の野良着、脚絆に地下足袋の出で立ち。山稼ぎ人の中年の男である。
「やっとのことで、川にたどり着いたと思ったら熊が居るんで・・・遠回りしてきた」
おかしなことを言う。叢林の草葉の蔭からこちらを見て、いったいどのように見誤ったか知らないが、よほど熊に怯えていたのだろうか?そうでなければ粗忽者だろう。それとも私の姿が熊に似ていたので見誤ったとでも言うのだろうか。強いて言えば、濃紺の帽子とシャツ、シャツの上に黒色の釣りチョッキ姿でごろた大石の間で腰を下ろして昼飯を食っていたことぐらいのことである。

 男は背負ってきた竹籠をひとかかえもある頭の平べったい石の上で、腰をゆっくりと沈めて片肩を抜きながらぐるりと体を回して置いてから、その石の脇をずり下げて地面に静かに置いた。頬被りしていた布を解いて、それで頭から肩、からだについた枯れ葉や木屑を打ち払ってから、ゴロタ石の間に白く乾いた砂地を見い出して、「ドサッ」と私の前方に座り込んだ。髭面の日焼けした顔面の真ん中には実直そうな眼光が輝いている。まだ、興奮冷めやらぬ体で、しばらくは肩で大きく息をしていたが、
「釣りですか?」
「釣れたか?」
「熊が怖くはないのか?」
矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。
それにしても、男はなぜ、こんな大きな籠を山から背負い出してきたのだろうか。籠は竹で編んだ粗い目の、男の頭から尻までもある大きな筒状の代物でよく使い込んである。山ぶどうの大きな葉っぱや蔓を籠の蓋かわりにして上面に敷き詰めている。竹籠の脇の粗い編み目から山ぶどうの実がこぼれ落ちないようにも、その葉っぱをあてがっている。籠の中にはびっしりと山ぶどうの実が収まっている。

 重い筈だ。よく熟れた霜降りの黒い房や濃紫、薄紫色のものから、まだ若くて黄緑色の房までが混じりあって詰め込まれて、甘酸っぱいぶどうの匂いを発散させている。
 男が抜け出てきた蔓や蔦の絡まる叢林の奥に目をやれば、小さな枝谷の流れを包み込んで、扇状地の緩斜面が奥深く続いている。その最奥では両側から迫る急峻な山塊が落ち込んできて交わっている。谷の頭を頂点にした三角形の緩斜面に叢林が繁茂している。葛の葉に混じって、蔓性の木や山ぶどうの蔓に引かれた葉並びなどが猫柳やドロノキ、ハンノキや、ナラなどの樹林に這い登って繁茂している。
 その中の奥深くに山ぶどうの群生地があってそこで採ってきたと言う。山ぶどうの熟れる時期は、その年の気候によって多少のずれがある。ずれても九月の二つの祝日の間だと言う。敬老の日から秋分の日の間だが、採るのが早ければ青くて酸っぱいし、遅ければ房からぶどうの実がぽろぽろと落ちてまったく手に負えなくなる。今年は今が丁度、採りごろだと言う。そう言う割りには籠の中にはかなり若い房も混じっている。手当たり次第に採って詰め込んできたとも言える。

 それにしても、こんな沢山の山ぶどうを持ち帰って、いったい何にするのかと聞いた。
「ぶどうジュースにして飲む・・・」
と、ぶっきらぼうな答えが返ってきた。
「ぶどうジュースにするのやったら・・・こんなに沢山のぶどうはいらないやろう?」
私の素朴な疑問である。男は進まぬような口調で、
「ぶどうジュースを作るのは毎年のことで・・・隣近所や親戚にも配ると喜ばれるでえ・・・」
と、説明してくれたが、話の切れ味がはなはだ悪い。その後の男の表情は固くなった。どうも、この話は避けたがっている・・・
(はっ、ははあ~ん・・・これは何かを隠しているな!・・・これは、私の直感や!・・・しかし、なんとしても・・・本当のところを聞き出してみたいもんや!・・・作戦変更や!・・・)

 急遽、熊の話に切り換えた。
「このあたりには、そんなに熊がでるのですか?・・・」
「熊がでるのなんの・・・熊の巣のようなところじゃ・・・」
男の表情は次第に和らいで、能弁に語りだした。やおら、野良着のポケットに手を突っ込んで、日本手拭いに包んでいた熊避けの大きな鈴を取り出して、しつこいほども私の方に鈴を振っては見せる。
「あんたも、これ持っているやろう?」
私は、顔を横に振った。
ひとしきり、熊の怖さと賢さを説いてくれた。熊避け用の鈴は、ここらの山では必需品だという。
「それやったら、何んで、さきほどの熊と見誤ったときに・・・その鈴を鳴らさなかったのや?・・・」、口を挟んだ。 そのわけは、熊を見つけてもいきなりに鈴を鳴らしてしまっては、自分の帰る方向に熊を追いやってしまうことはまずい。だから、自分の帰る方向を考えて、自分が回り込んでから鈴を鳴らせば、熊は山の奥のほうに逃げることができるように、熊に逃走路を与えてから鈴を鳴らせば安全だから・・・そういうつもりであった、と言う。山ぶどうや栗、ブナの自生地で、それらの実が熟れてくると、熊はそれらの食糧を喰い尽くすまでは、その付近に居ついてしまい決して離れようとはしない。このあたりはそれこそ、熊の巣のようなところだ。去年もこの時期に、この山の向こうの福井県の谷で、知人が熊に襲われて怪我をした、と言う。

 どうも、私のような他所者には、熊の脅威を利用して脅しておいて、暗に豊かなここらの山への立ち入りを拒んでいる、とでも受け取れないではない。
「熊避けの鈴も持たないで、このあたりでひとりで釣りをするなんて・・・とんでもないことだ。危険極まりないことだ!」と、言うので、
「毎年、何度も、この渓谷で岩魚釣りをしているけれども、一度も熊さんににはお目にかかったことがないんで・・・北海道のヒグマやったら怖いけれど・・・」さらに、冗談半分で、
「話の種に、一度ぐらいは熊さんに出遭ってみたいもんやと・・・常づね思っているんや・・・でも、なぜか熊さんのほうが遠慮していて、出て来てくれんのやあ・・・」
と、笑いながら言った。
男の反応をもうひと押し押し上げて、確認するつもりで、さらに、挑発気味に、
「そりゃあ・・・あんたみたいに熊の食糧の山ぶどうをごっそりと横取りしたら、熊も怒るでえ・・・熊の立場から見ればあんたは食糧を横取りする許しがたい敵や!・・・そんな憎き奴にスキあらばと常に付け狙うのは当然やないか?」
さらに、
「その点、僕は熊さんには何も迷惑を掛けていないから、その辺の道理は熊さんかって十分にわきまえてくれているんやあ・・・」
男は笑っている。余裕を見せて笑っている。
かなり打ち解けてきた。
(機は熟した!・・・作戦開始や!・・・釣り込み作戦の開始や!・・・)

「ところで、山ぶどうのジュースを作るときに、ぶどうの実をこなごなに潰しますやろう?・・・それをそのままで放って置いたら何日ぐらいで「グツッグツッ」と醗酵してくるのかなあ?・・・知ってたら教えてもらえないだろうか?」
尋ねてみたかったことの核心にいきなり男を釣り込む作戦である。打ち解けてきたこの場の雰囲気をさらに和らげるべく、気安い調子で尋ねた。
「・・・・・」
男はぐっと息を飲み込んで、目の玉を盛んに動かしている。さらに、追い打ちで、
「それを、一升瓶に入れてコルクの蓋をして放って置いたら、何日間かでぶどう酒ができるのと違うやろうか?・・・」
独り言のようにつぶやいた。切り札の誘い水である。
「・・・・・」
少し間を置いて、男は重そうに口を開いた。
「一升瓶にコルクの蓋などしたらいかん!・・・そんなことしたら大爆発や!・・・天井まで中身が飛び出すでえ・・・」



釣り込み作戦は成功した。
「へぇ!・・・そんなことになりますか?・・・えらいもんですなあ・・・ところでその大爆発は何日目ぐらいですか?」
「よう・・・知らん!」
(白々しいこと言うて・・・もう・・・あとひと押しや!・・・)
「一番知りたいのは、何日目に搾ったらいいのか?・・・と言うことやけど・・・教えてもらえんやろうか?」
「よう・・・知らん・・・」
なかなかの狸親父である。もう、このあたりが限界かと思った。その時
「それが一番難しいのやあ・・・」
口調を私に合わせてくれてはいるが、表情は次第に固くなっていく。目を合わそうとしない。また、口を開いた。
「まあ・・・その筋からのおしかりがあったらいかんでえ・・・なにも知らんということ!」
つぎの言葉を待ったが・・・沈黙が続いた。
「その筋からのおしかりがあったらいかんで何も知らんということ!!」
同じ言葉が繰り返された。二度目の口調は、強い意思を込めて言い放ったことが痛いほどに伝わってきた。男は私の方に顔を向けた。もうこれ以上は、この件については、何が何でもしゃべらんと、目が言っている。
(どうも、どうも。よくわかりました!私の厭味な習癖である、いたずら心と好奇心が出すぎてしまって、聞き出したいがために鎌を掛けてしまって・・・悪かったなあ・・・申し訳ないことをしてしまった。・・・堪忍してやあ・・・)
そんな素直な気持ちを込めて、独り言のように言った。
「ただ、こんなにたくさんの山ぶどうが毎年採れるんやったら、ぶどうジュースだけでは惜しいことだと思って、それで尋ねたけれど・・・おっしゃるとおりに「法」というものがある。「その筋からのおしかり!・・・」ううん・・・「それは困る!・・・」ううん・・・それはそうですねえ。・・・確かに「法」と言うものがある。・・・どうも、どうも・・・」
私なりの、この場の総括である。潮どきである。こんな時は引き際が大切だ。
「それでは・・・どうも!・・・もう少し釣りをしますので・・・これで、失礼します」
男は手を振って応えた。

山稼ぎの男が言った「その筋のおしかり」を恐れる「法」というものについては、私はつぎのように考えるのです。

 明治政府は、日本の古来より民衆の間で営々と続けられてきた、味噌や醤油などと同じように造られてきた酒類の自家消費するものをも含めて一切の酒類の生産を固く禁じて、生産者は許可制とし、酒類に対して課税をし、徴税対象としてきた。その理由は戦費で疲弊した国家財政を救うためと説明し、酒税法という名の強権を発動して、自家醸造酒に対して密造酒というレッテルを一方的に張り付け徹底的に弾圧と取り締まりを強化して、自家醸造酒の伝統的食文化を今日までも抹殺し続けてきた。
 農業生産活動の結果もたらされる米や麦、大豆などを使って、それらを消費する過程で必然的に生成されるもの、すなわち味噌・醤油・酢・もろみなどを造る工程の同一線上にある酒類の醸造は、農家を中心にどこの家庭でも、ごくあたりまえのこととして造られてきた、また自家で消費されてきたものです。増してやぶどう酒は自然に醸造するものです。これらは日本人の伝統的食文化の根幹をなす中心的なものです。自分が飲み食べ消費するものは自分で作るという生産者としての、消費者としての自由、即ち最も人間の生存にかかわる根源的な権利と自由を剥奪して、不当な税制を強制してきたことには、私は、そんな国家に左袒する気持ちには到底なれないのです。


それだけに、ここ白山連峰の広い山麓のどこかで、古来から伝承されてきた自家醸造酒の伝統的食文化は深く地下に潜行していて、ひょっとしたら細々と風雪に耐えていて、現在も生き続けているのではないだろうか。そんな、かすかな感触を得たのであった。
 山稼ぎの男が言う「おしかりのないよう・・・」に「法」の網の目を潜り抜けて、細々と潜行してでも、決して、その灯を絶やさないように守ってもらいたいものだ。今日までの風雪に耐え、耐えての幾星霜を今後も継続して、したたかに生き続けてほしいものだと、不当な権力に抗する意味で、私はそういう思いを強くするのであった。


 渓畔に熟れた山ぶどうの房を見つけて、口に含んだ。酸味の効いた赤ぶどう酒の味をひとしきり思い出すのであった。



第二部「茶殻」へ続く

「山河に遊ぶ(その二)」web版
著者:陶 山汀(上原 濶)
掲載:2019/5/3(令和元年)
community船場website


茶殻

 「二王子(にのうじ)さま」と地元では呼ばれ、崇められる、農耕の神様が坐(いま)す二王子岳(標高1421m)は、新潟市内から東の方向にさえぎるもののない広大な蒲原平野を突ききって新発田(しばた)市を経て、やっと大きな山塊に突き当たるところ、飯豊(いいで)連峰の前衛峰としての位置にある。一週間の休暇を得て、飯豊連峰の諸渓谷での渓流釣りを目的に福井県から富山県を経て車を走らせてきた。新潟市内から新発田市に向かって走っていたところ広大な蒲原平野が終焉するあたりから連綿と重畳する飯豊連峰の山々を眺めていると、二王子岳の山頂からの展望が日本海側もさることながら反対がわの蒜場山から大日岳、飯豊山から杁差(えぶりさし)岳にかけてみごとな山岳眺望が得られるという情報もあって、先ずは手始めに二王子岳に登って頂上から飯豊連峰の山容と諸渓谷の様子を俯瞰してみようという気持ちになった。

 地図を見ると、二王子岳の東方斜面に深く切り込んでいるのが胎内川で、南方斜面から流れ出るのが加治川支流の内の倉川、さらにはその南で加治川の本流が飯豊川と名をかえて深く切り込んでいて飯豊連峰の主峰群の西面から流れ出るとなっている。二王子岳の山頂の位置は、それらの諸渓谷を把握するのに恰好の場所にある。
 登山となっている二王子神社あたりに車を置いて登山を始めた。一時間半ほどで一王子神社に着き、さらに油こぼしと言われる急登を過ぎたあたりからはお花畑が現れて休憩をとった。中年の女性から花の名や説明を、丁寧に教えをうけた。三王子神社を経て奥の院と山小屋のある山頂に立った。およそ四時間の行程であった。頂上からの眺望は垂れる雲に覆われ遠くの展望は得られなかったが、流れる雲の隙間をついて二王子岳の裾まわりの様子は伺えた。冬季の多量の積雪が、降り積もった雪は雪崩となって谷筋を埋め、雪解けの豊かな水は谷々を浸食して流れ、里に出て田畑を潤し、広大な蒲原平野を経て日本海に注いでいく、豊かな大地で農耕に携わる人々にとって豊穣をもたらす源泉の山、二王子岳はまさに、敬虔に「二王子さま」と崇められる山々の神様が坐すところであった。

 新発田市から国道七号線を十数キロほど北上し、胎内川を渡った黒川村で右折し、胎内川沿いの道を遡行して胎内川治水ダムを経て発電所の先、車止めのゲートがある手前に胎内ヒュッテがあった。胎内川右岸の河岸段丘の森のなかに野営場が併設されていて、胎内ヒュッテに立ち寄り二泊の野営手続きを済ませた。夏休み前の七月中旬でもあり野営客は他になく、奥まった森のなかの、河岸段丘が裾を落として胎内川へと下っていく小道の手前で一人用の天幕を張った。

 あたりの散策に出た。胎内ヒュッテのすぐ上手には小さな祠があった。祠の中には陰陽石というのだろうか、男女の象徴物を形どった立派な石の彫り物が祭られていた。道祖神というのだろうか。はじめて見るもので度胆を抜かれた。信仰の対象として赤裸々に祭られていても、そのおおらかさや素朴さは、この環境にはなんの違和感もなく鎮座している様は、この地に一層の親近感を抱かせるものであった。寸法までは計りかねたがひとかかえもある立派なものばかりで貴重な文化遺産である。
 車止めからの林道を行くと、支流の頼母木川に下って吊り橋をわたる分岐があって、その先は胎内尾根道という門内岳から北股岳方面への登山道である。林道のほうを一時間ほども散策すれば足の松沢の橋があって、足の松沢尾根道を行く登山道は大石岳や杁差岳へと飯豊連峰の北部方面のルートとなっている。木々の聞から、かいま見せる渓流の姿は、好もしい流れの渓相をはるか下方に見せはするが、断崖絶壁の両岸に守られて容易に入渓できそうにない区間もある。明日、早朝から入渓する場所を下見する目的をも兼ねての散策である。夕刻の一時を待って、野営場下の流れに毛鉤りを振れば、そこそこの型の岩魚が出た。


 気儘な一人旅の野営では、日の暮れとともに天幕に入って、寝袋にもぐり込めばいつの間にかぐっすりと寝込んでいた。
「ずしん・・・」「ずすん・・・」
天幕の回りでなにものかが歩いている音で目が覚めた。人間の足音では無さそうだが・・
・・離れたところでも枯れ葉などを踏んづけたような重い音がする。・・・大型の野性動物なのだろうか・・・一頭だけではないようだ。
眠くてしかたがない。意識が朦朧としていて・・・しばらく眠っていたのだろう。

「ガサッ!・・ユサッ!・・」
天幕が揺すられている音で目が覚めた。
「ゾクッ!・・・ゾクッ!!・・・」
全身に電流のような怖気が走った。
寝袋から顔を出して天幕を見ると、いつの間にか、お月さまの光が射してきている。一人用の天幕の入り口には小さな前室がある。前室の突端をペグで固定しているあたりをしきりに揺すって中に入り込もうとして、天幕が揺すられている。そのあたりをメッシュ越しにじっと観察すると、天幕の下端と地面の間のすきまから、月明かりで何かが見える。どうも大型の動物ではないようだ。しばらく観察していると、のぞかぜているのは野兎の足であった。



「静かにしてくれよお!・・・眠たいいんやから!・・・」
一瞬に動きが止まった。あたりに静寂と緊張が走った。
 山中での野営で、独り寝の夜は数多くこなしてきて、全身に電流のような怖気が走った経験をするのはいったい何年ぶりのことかと・・・ほとんど忘れていた感覚ではあった。

いたずらするのが野兎であることがわかって、安心して眠りについた。
 しかし、しばらくすると、また天幕を揺すりだした。
「テントの中に入ってきても、何もないんやから・・・」
「・・・」
「もう、止めろ!」
声を掛けると、しばらく動きが止まる。
しばらくすると、また天幕を揺する。
「いいかげんにしろ!・・・食べるものなんか何もないんやから・・・」
と言って、天幕の前室を見ると、寝る前に飲んだ緑茶のティー・バックがあった。
「なんやあ・・・ティー・バックが欲しいのか・・・こんなもの茶殻やで・・・」
ティー・バックを天幕の外に出してやった。上半身だけを天幕の外に出して、月明かりの中を窺がうと、天幕の近くには5羽の野兎がいた。野兎は逃げだすわけでもなく、ほんの少し天幕から離れたところで私を無視したように屯していた。
「もう・・・静かにしてや・・・」
念を押してから、寝袋にくるまった。
 あれほどねむたかったのに、目が覚めてきた。しつこく天幕を揺すって中に入ろうとしていた野兎たちも茶殻を与えてからは、どこかに去っていった。静かになって、月明かりが天幕に降り注いでいる。緑茶の茶殻の句いが、そんなにも、野兎たちに刺激を与えていて、欲しいものだったとは・・・・・・そのうちに、頭が冴えだしてきた。
 今回の飯豊連峰の旅の思い出を頭で繰り出した。
「・・・今日見た陰陽石も見事なものであったが・・・湯の平(ゆのたいら)温泉もよかったなあ・・・それにしても内の倉川の尺上の岩魚は平凡な流れの中からでてきたなあ、思わぬところに大物が潜んでいるものなのだなあ・・・」等々。



 湯の平温泉は、ここ胎内野営場より直線で南へ十キロほど離れた位置にある。新発田市から加治川沿いをいやというほども延々と遡って走り、林道の終点に車を置いた。二泊分の食料や寝袋などとをリュックの荷にしてから、二時間ほど歩いてたどり着いた。それこそ「歩いてしか行けない秘湯」であった。前半の行程は見事なブナの自然林のなかの快適な小径を歩いたが、やがて道は加治川渓谷沿いの険しい懸崖の登り下りが激しくなり、張り巡らされた鉄の鎖につかまりながらの歩行で、崖下には加治川の流れが激しく岩を噛むのを足下に見て、やっとの思いで辿り着いた。

 そこには、かまぼこ型の山小屋風の建物、新発田市営の湯の平山荘が迎えてくれた。自前の食料と燃料を持参のうえの自炊が条件で、泊めてくれる。湯の平山荘で二泊して温泉と渓流釣りで英気を養うのが目的であった。平日であるためか登山客も湯治客もほとんどなくて、ただのんびりと過ごした。釣り竿を握るのも一時間ほどで切り上げて、三食の自炊に時間をたっぷりとかけて、温泉にゆっくり浸かり、ぼけ~として昼寝を貪り、ただひたすらに怠情を貪りたかった。

 湯の平山荘の管理人さんは気さくな方で、仕事の区切りがついた合間には話相手をしてくれた。知識と経験が豊富で大いに議論もやり、温泉に浸かりながらも管理人さんとの話はおおいに盛り上がった。
 かっては山荘の上流側の河川敷に露天の男湯等の三つの湯場が設置されていた。昨年の豪雨禍によってそれらが破壊されたため、山荘の下流側の女湯を男女共用の混浴として現在は使っているという。破壊から逃れた、ただ一つの混浴の本湯は加治川渓傘の右岸の岩壁の下に渓流に面して設備されていて、山荘からは下流100mの距離にあるが急斜面の階段を降下していく、落差の厳しい道のりである。全国でも有数の秘湯として知られる、静かな温泉にこころゆくまで、ゆったりと浸かる。身体がのぼせてくれば湯船から出て、広い洗い場でタオルを頭の下に当てがって、ごろりとあおむけに寝ころがる。
燦々とふりそそぐ太陽光線に裸身を晒らして仰のく。山峡の夏木立の息吹と青草の包いが吹き下ろしてくる。山気が心地よい。青い空に白い雲が湧き出る。天空にはキラキラと赤とんぼが舞っている。聞こえてくるのは滝の音と瀬の音。蝉の鳴き声や虫の音も小さく聞こえる。
 静かに目を閉じて、心を解き放つ・・・怠情を貪る・・・そうだ!

 ちんぽこの 湯気もほんに よい湯で
 ちんぽこにも 陽があたる 夏草

と詠んだ種田山頭火の遊吟の世界が、この場には相応しいと思った。いや、正確には、この二つの句を構成する単語は思い出したが、記憶はあやふやで、たしか

 ちんぽこにも湯気 ほんによい湯
 ちんぽこに 陽があたる 夏草

であったろうとメモしておいて、家に帰ってから確認したら、まるで頓珍漢ではあった。
ここには、奇才の人、山頭火が湯を楽しんだ情景に重ね合わせるものがしかとある・・・
・・・この静かな秘湯に裸身を晒していると、とりわけそのように強く思うのであった。

 管理人さんは露天風呂の清掃や設備の点検などの作業をしながら、私の話相手になってくれていた。湯船から遠目に見える、険しい断崖の岩場に設備された鉄柵の鎖を伝いながらやってくる男女の客が目に入った。その地点からだと山荘までは起伏の激しい難路であるから、半時間ほどもかかるだろう。話に夢中になっていて、それから一時間も経ったであろうか。さきほどの男客が温泉の入口に現れて、
 「早く風呂をあがってほしい・・・」と言う。
 「この温泉は男女混浴になっていますので、何も遠慮しないで、どうぞお二人も入ってください」と管理人さんが答える。
男はすごすごと引き返して行った。
しばらくして、先程の男が引き返して来て、また同じことを言う。男女泥浴の露天風呂を自分たち二人で独占したいから、早々に立ち去れと言うのである。管理人さんと目を合わせ、あきれ顔でニャリとする。なんとも無体な言いぐさである。それにしてもその男も男である。連れ合いの女に鼻先で使われて、二度も同じ使い走りをするとは、実になさけない男ではないか。



第三部「白山のオコジョ」へ続く

「山河に遊ぶ(その二)」web版
著者:陶 山汀(上原 濶)
掲載:2019/5/17(令和元年)
community船場website

白山のオコジョ

 白山は古くからも信仰の山として崇められてきました。信仰の中心である白山奥宮が白山の最高峰である御前峰(ごぜんがみね・標高2702m)にまつられているため、加賀・越前・美濃の国々の三方から登拝路が白山をめざしていた。
 現在の白山登山道は石川・福井・岐阜の三県から白山最高峰をめざすものが十余本もあるといわれる。そのなかでも手取川を遡行して白山の西面からせまるルートは石川県石川郡白峰村市の瀬(いちのせ)の地が起点になっていて、「釈迦新道」と「別山・市の瀬道」と呼ばれる二本の登山口となっており、さらに市の瀬から約6km奥の別当出会の地からは「砂防新道」と「観光新道」の登山口が設けてある。白山登山路はいずれの地点からも行程が長いのが特徴で、そのなかでも「砂防新道」が最短のルートということで利用者が圧倒的に多いといわれている。市の瀬は、夏には白山登山の玄関口として賑わい、登山センター・野営場・駐車場・温泉旅館などの国立公園の諸施設が設けられている。

 93年の7月中旬の平日に、賑わいを見せる夏休みを避けての、独りの静かな山歩きを「別山・市の瀬道」でやってみよう・・・明日は深いブナ原生林を辿っての千振尾根避難小屋に一泊して、明後日に御舎利山と別山(べっさん・標高2399m)の頂上を踏んで市の瀬に戻ってくる計画である。昼過ぎに市の瀬野営場に着いた。市の瀬野営場は登山センターや駐車場などの諸設備の一段下の河川側の緩斜面に設置されていて、手取川左岸の護岸整備された河岸段丘のなかに、ニセアカシアの大木やハンノキなどの疎林に包まれて、炊事棟を中心にして天幕場が整地されて設けられていた。
野営場には予測したとおりに野営客や登山客もなく、静寂そのものが迎えてくれた。早速、天幕を設営し、明日の単独登山にそなえて、今日はゆっくり寛いで英気を十分に養うこととしたい。

 誰もいない野営場には、静かにゆるゆると時が流れていく。時の流れの流れるままに、あたりの景色の移ろいを見つめている。夕日に映える六万山が、お椀硫を伏せたような丸い山姿の両裾を落としている手前あたりで手取川(牛首川)を分岐させて、その奥深くには渓谷を幾筋にも刻み込んで、両裾の脇の川からは白い激流を掃きだしている。白山主峰群の姿は手前の六万山に隠れて見えないが、両翼に釈迦岳や別山から連なる尾根や峰々を遠くに従えて、奥深い背景としている。この眼前の雄大な山河と自然が、人間そのものの存在や、私の小さな思いや憂いを鷹揚に受け止めて、なにもかも聴き留めてくれるような、たくましい神々のような存在として、私の目の前にある。あたりの静寂と雄大な景色がタ日のなか、時の流れとともに日陰の境界は山の裾を這い上がっていき、暗い山陰の部分は徐々に大きくなって陰影を増してくる。そんな雄大な暮色が、ちっぽけな私の存在など、鷹揚に包み込んで、その中に埋没させてしまおうとしている。はっ!と、我にかえれば・・・孤独の淵にいる自分に気付いても、この環境では・・・もうそれに対してあがく気力も萎えて、本音を吐露して素直にこころの中を見つめてみたい・・・そんな孤独な自分がいる。心の中のどこかでは、今回の単独登山をやることで、狐独に浸る時間を得たいと待ち望んでいたようで、・・・自分が歩んできたこれまでの生きざまを納めている箪笥の引き出しの中のひとつずつを、この機会に点検してみたい。・・・つぎつぎと思い出が湧いてきては、消えていく。いろんな思いも湧いては消えていく。

 考えてみれば、今ここに自分がこうしていることは決して偶然ではない。長い時間の流れのなかで、何もかもなるようにしてなってきた人生だ。いや、もがいてもならぬようにしかならなかったとも言える。見えぬ糸をたぐりたぐり生き続けてきたことを思えば、たぐりたぐったその糸の先々に繋がっていたもの、即ち今のこの現実は、必然でなくってなんであろう。

 四十歳を超えたところで胸部を圧迫する発作と身体の不調を訴えた。長い間続けてきた不摂生の煽りで成人病の兆候が著しいとの見立てである。狭心症と高血圧症の宣告であった。
禁酒禁煙は無論のこと、脂肪と塩分を抑えた菜食中心の食事に改めよ、運動不足と肥満を解消せよ。出来なければ生命の保障はしないと脅された。
 脅しの効果は絶大で、養生を続けた。しかし、回復の兆しが一向に見えない。毎日少なくとも数回以上も襲われる胸痛発作は五十路を超えた今も止まない。発作のたびに死の恐怖に怯え続けた。とにかく痛みを止めてくれと哀願し、投薬をたのんでも全く効き目がない。その後も心臓肥大・自律神経失調症・腰痛・胸椎椎間板異常・頚椎椎間板異常と病のレッテルは増えていくばかり。

 胸部発作の原因は長い年月を要して判明した。胸椎の椎間板に異常があり、ことあるごとに神経に触れるから痛みが走るといい、椎間板異常症候群だという。原因は判ったが処置の方法がないので死ぬまで直らないという。無理せずに節制して、ぼちぼち生きていけと諭された。原因は突き止められた。原因が判ったことで死の恐怖は和らいだ。とにかく、暗い絶望の淵から一歩でも二歩でも這い出さなければならない。
 死の恐怖に怯え続けたどん底の日々。病院帰りのある日、土塀から突き出た桜の小枝につけた花びらを見つけた。とたんに涙が出てきて止まらない。美しい。桜の花びらが、実に美しい。涙腺が開いたまま涙が溢れる。目を見張る両目からこんこんと湧いてくる。桜の花も、もうこれで見納めだと思った。ぽたぽたと鼻血がしたたるように落ちる。人間にはこれほども多くの涙があるものかと驚いた。
 歩くことが心臓に良いという。毎日一万歩以上を歩いた。休日には近隣の山々を中心に散策し、四季のうつろいのなかで、自然の風物と山のよさが判ってきた。もう五十の声をきいてからであった。今までに山歩きに接する機会がなかったかと言えば、そうではなかった。三十歳から始めた渓流釣りで春から夏にかけて岩魚や山女魚を求めて山奥まで釣り歩いてきた。魚と渓谷には興味があったが、山や自然の風物には焦点が合ってはいなかった。そんなことで病が山歩きをするきっかけとなった。

 ここ市の瀬から、千振尾根避難小屋までは標高差約千メートルの登山道を約四時間と所要時間が設定されている。休憩を入れての約四時間半というのが登山者の一般的な所要時間だろうと思われる。私は、自身の体力と荷の重さから判断して約七時間はかかると考えて、計画を立てた。夕刻の六時ごろには千振尾根避難小屋までたどりつきたいので、逆算して午前十一時出発とした。
 市の瀬を発って、別当出会へ向かう車道を歩くと牛首川を渡る橋の上流に巨大な砂防堰堤が見えてくる。「別山・市の瀬道」はその手前より林道に入って、巨大堰堤の左岸を登りきる。堰堤を超えれば、柳谷川と岩屋俣川が合流するだだっぴろい氾濫原の河原と、千振尾根や六万山の張り出した尾根などが展開する奥深い景色は胸のすく気持ちの良いものであった。河原のなかの林道分岐を左して、柳谷川の猿壁堰堤まで辿れば、あとはトチノキやサワグルミ、ミズナラやブナなどの大木が林立する裾をゆく登山道にとりつくことになる。左手の太い樹間に柳谷川の流れを垣間見たのもつかの間で、いつのまにか、大きな森のなかに包み込まれ、歩を進めていくことになる。
なだらかな登りを一歩一歩ゆっくり確かめて歩く。

 (いよいよ、このあたりからや・・・)
 ブナの原生林である。
 ブナの大木がつくる高い樹冠から根元までのひろびろとした大きな空間が、厳かに森閑として登山道の上空に覆いかぶさって、小さな私を迎えてくれる。登山靴で踏みしめる足裏からは一歩一歩にふわふわとした温もりが伝わってくる。
「久し振りやなあ・・・」ブナの木の太い幹を両手でなでまわす。
「また、やってこれたので・・・よろしくたのみます」二つ三つ、掌でたたきながらたくましいブナの木に挨拶をする。 ブナの木が成長して自らの子孫を残すために実をつけ始めるのは、自分自身が生まれてから七十年ほども経ってからのことだと言われる。ブナの木が三百年とか四百年とかの悠久の時間を一生涯としていることはうらやましくも、たのもしい限りである。その悠久の時間をこの場所で生き、人間の一生の何倍もの時間の足跡をもった、大木のブナたちに見守られている今、一歩を喘ぎ、喘ぎながら歩む弱々しい自分にとっては、そんな悠久の時間を単位として生きていくブナたちの風格が実にたのもしい。

 水飲み場の標識が立っている。ここまでは過去に二度、散策にきたことがある。今日は荷が重いためか、一時間近くも余計に時間が掛かっている。ここが最後の水場である。
リュックを降ろして、三リットルのポリタンクを取り出した。
「しまった!・・・」忘れものに今、気づいてもしようのないことではある。市の瀬の駐車場で、持ち物の点検をして、あとは荷をここに置いて、便所にいくついでに登山センターに立ち寄って、登山届けの記入をしてから出発と決めた。どうしたことか、登山届けを書かないで、ここまで来てしまった。
 追加した三リットルのポリタンクの水の重さがこたえる。もうすこしで千振尾根に出るはずだが地形からはそんな様子が窺がえない。何度も立っての休憩を繰り返し、その都度高度計にさわって、確認するも、行程は捗ってはいない。どうにも、途中で追加した水の重さがこたえる。たまらずに、リュックから取り出して手で持って運ぶ。そんなことをしても身にかかる重量に変わりがないことは百も承知している。こうでもしなければどうしようもない。右手で持ったり、左手で持ったり、ついには両の手で胸の前で抱いたり、重さと歩行の苦しさを、そんなことで紛らわそうと必死である。

 尾根の頂きに出た。
 眺望がぱっとひらけた。雲は高く2500メートルあたりから上でかかっていて白山主峰の御前峰あたりは雲の中で見えない。その下の室堂平の建物あたりからの下部はぐ~んと遠くまで見通せる。幾筋もの峰々は重なりあって脈々とうねり、雲間から漏れくる斜めに射る光のなかに輝いている。砂防新道の甚之助避難小屋と、その向こうには観光新道の殿ケ池避難小屋も淡い陽を受けていて確認できる。その下の方では白い糸を引いたように見えるのが白山公園線の車道で、それを右へとたどれば別当出会の登山口にある休憩舎である。
 展望がひらけたことで気分は晴れ、いくぶんかは元気がでてきた。いつの間にか岩と石の剥き出しの尾根をいく登山道に変わっている。ダケカンバやナナカマドなどの低木は足下の山の襞の底辺を埋めるように繁茂している。

 市の瀬を出発してから七時間で千振尾根避難小屋の前に到着した。荷の重さには泣いたが、なんとか予定通りに到着したことの喜びが大きかった。小屋の前でドサッとへたり込んで遠く夕日のあたる展望を楽しんだ。先程からヘリコプターが爆音を山々に響かせ、忙しく行き来している。夏山のピークを控えて登山者用の物資を市の瀬から室堂センターに荷上げしているのだろう。いつもは下から見上げてばかりいるものが、上から見下ろせる位置から見ると、爆音がなければまるでトンボの飛翔である。どうやら雲の晴れ間を待っていて夕刻のいっときに、その機会を得たのだろう。

「こんばんは!・・・」

 小屋の中には誰も居ないのは判っている。重い木の戸を引いて中にはいった。一畳ほどの土間で腰掛けて登山靴を脱ぐ。十人ほども泊まれそうな板の間である。薄暗いが材木の匂いが鼻につく。湿気てないのがよく、むしろほこりっぽい。
 板の間で蝋燭を灯して夕食の準備を急ぐ。
「それにしても、よう・・・たどり着いたわ・・・」必死の喘ぎを乗り越えた感慨がひとしきりであった。小屋にたどり着くほんの手前で、小さな池溏があった。水は茶黒く淀んでいて沸騰させても気持ちが悪く飲めそうもない。我慢をして運び上げた水の価値がよくわかる。夕食の準備をしながら、まずは今日の目標を無事に達成し得たことにひとりで酒杯をあげる。こうゆう時の酒の味は格別である。病を得て日に二箱の喫煙はきっぱりと断った。しかし、酒との縁は断つことができなかった。家人の目を盗んでは細々と潜行した時期もあった。その脈絡は連綿と続いて、共に老い共に死ぬまでの友と自分で決めた。
 蝋燭の炎の揺れと首から下げたヘッドランプの明かりのなかで食事をした。

「チィ!・・・キッ!・・・」

 何者の声か判らない。短い鳴き声が小屋の中でした。小屋の中も外もすっかり暗くなっていた。外で小便を済ませてから、入り口の重い戸を引いて締めた。疲れと酔いで睡魔が襲ってくる。食事の後片付けもほどほどに打っちゃって、灯を消して寝袋にもぐりこんだ。
すぐに眠むりこんだ。

 何時間寝たのだろうか。騒々しい音で目が覚めた。自分が寝ている床の下からの音である。小屋の入り口から見て左奥の隅あたりから入り己の土間あたりに向かって、何者かの動物が行ったり来たり走り回っている。時々、板の間の上にも上がって走り回っている。動きが早い。止まったかと思えばまた、走る。どうも二頭いるようだ。追っかけっこではないが、二箇所からの動きがある。板の間の上で走る音にヘッドランプの明かりで追うがはっきりと姿をとらまえることができない。ヘッドランプの明かりに驚いたのか、静かになった。
(何者なのだろうか?)
明かりを消して眠ろうとすると、また、走りまわる。咳払いの音を立てると静かになる。
とにかく、眠たくて眠たくてしかたがない。しばらく眠ったのだろう。また、一騒ぎで目があく。
「いいかげんにしろ!!!」
静かになる。・・・が、しばらくして、今度は床下の左奥の隅あたりで紙がこすれるような音がする。もぞもぞと紙が音を立てている。今度は紙とのじゃれあいである。しかたがない。何者か見極めてやろう。寝袋から抜け出して土間に降りた。ライトを床下の左奥の隅あたりにあてる。丸めた新聞紙が時々動く。そこに巣穴でもあるのだろうか。チラッと姿を見せた。イタチのような色と姿ではあるがそれよりも小さい。

「オコジョやな!!」

 チラッと姿を見せたきり、もみくちゃにして丸めた新聞紙の向こう側でもぞもぞとやってはいるが出てこない。どうも走り回るのは土間に脱いだ革の登山靴の句いを嗅ぎにきたりタ食の残り物の匂いに誘われてのことだと思われる。ライトの光を小刻みに揺らせながら「やかましくて寝られんやないか!静かにしてくれよ!!」
効き目があったとみえてしばらくは静かになった。再び、眠りについたところで、また騒ぎ出した。

「やかましい!!出ていけ!!」
ついに口走ってしまった。今度は、蝋燭を灯し、寝袋の上に座る。寒さが身に凍みる。
しかし、・・・私のこの口上は傲慢すぎて、道理にも合わないのではないか?
 (・・・ここは俺たちの住まいや・・・一宿だけの客にそんな横暴なことを言われる筋合いはないのだ・・・いやなら・・・出ていくのはあんたのほうやないか!・・・)
そんなことを言っているのではないだろうか、無言の抗議なのか、「ことりっ!」とも音はしなくなった。

 「まあ・・・君らが先住者なのだから仕方がない・・・前言は取消や!・・・そやけど客人のためにせめて走らずに静かに歩くとかしてもらえんやろうか?・・・いつまでもこんなことを繰り返していても、きりがないではないか?・・・あばれるんやったら今のうちに思い切り暴れておいて、客人が寝たら君らも静かにしてくれんかなあ・・・もういいかげんに「オコジョごっこ」はやめようやないか・・」
 時計を見ると午前二時前である。酒を引き寄せて呑んだ。それからは、「ことりっ」とも動きは無くなった。オコジョ氏も暴れ疲れて、眠ってしまったのだろうか。
 翌朝の、山小屋からの展望は全く効かなかった。小屋のまわりは乳色のガスですっかり包み込まれている。

 「じゃあ、行ってくるから!」
昨夜の、先住のオコジョ氏に声を掛けた。小屋にほとんどの荷物を残し、身軽になって千振尾根の残りの部分に取りついた。足元だけしか見えないガスのなか、霧雨のような雨も降りだした。千振尾根を登りきったところが御舎利山の山頂であった。山頂で、縦走路に直角に突き当たった。右手の南方向は別山から三ノ峰へとのびて、岐阜県白鳥町石徹白(いとしろ)方面と福井県大野市打波(うちなみ)方面への縦走路である。左手の北方面は南竜ケ馬場から室堂平へ、さらに白山主峰群への縦走路である。
 乳白色の壁のように立ち塞がる気体が歩みを進めるたびに遠ざかって逃げて行くなか、足元の登山道を踏み外さないように、それを辿った。乳白色の霧雨のなかに突然に小さな神社が浮かび上がってきた。それが別山の山頂であった。霧雨のしのつく視界の全く効かない頂上はあっさりと引き上げた。別当出合に向かう白山公園線の車道から見上げる別山の山容は胸がすく見事なもので、ここ数年来の私の憧れの峰ではあった。未練たらしくしないで、あっさりと頂上を離れた。

 荷物の負荷が身に掛からないことが、こんなにも歩き易いのか・・・と実感しながら、千振尾根避難小屋に戻ってきた。別山への往復で三時間ほどであった。
 小屋のなかで寛いだ。昨夜あれほど騒いだオコジョたちは、今はなにをしているのだろうか。なんの動きもない。静かにしのつく雨の小屋は寂しかった。自分だけのこの静けさを、このままずうっと保ち続けたい。静寂のなかの孤独感に浸り続けたい、そんな衝動にかられてくる。予定を変更して、もう一泊このままここに沈澱して、明日に山を降りようかとも迷った。しばらく休んでいると、風が出て雨もきつくなってきた。ラジオでは台風の影響だという。静寂を風と雨に破られて、予定どおりに山を降りることにした。
 雨のなかの下山路では難渋し、疲労困憊で市の瀬の登山センターに戻ってきた。
 この二日間、だれひとりに出会うこともなく静かな山歩きができ、自分の気儘な山行きが目論みどおりにやり通せたことの喜びは大きかった。今夜は雨が止みそうにない。野営場には天幕は張らずに、無人の登山センターに避難の宿泊をすることにした。

 夕食後、何気なく登山届けの帳面に目を通していた。かなり分厚い冊子で長年の記録が残っている。登山者の身元や連絡先、行動予定などが記入されている。個人の山行きやグループの登山者たちの山への思いが登山届けの行間に滲んで伝わってくるものがあって、なかなか楽しいものである。
この二日間で十人ほどが砂防新道で白山に登っている。私が登山届けを書き忘れていなければ、日付と時間順からみて、この欄とこの欄との間に、自分の登山届けを書き込んでいたはずである。

「あれっ!・・・これはなんだ!」

そこの欄には、私の行動予定と全く同じものが書き込まれているではないか。昨日の出発で、登山ルートは「市の瀬・別山道」で千振尾根避難小屋で泊まり、今日は御舎利山から別山へ登頂して「市の瀬・別山道」で下山。住所は金沢市内で氏名も連絡先もきちんと書いてある。そのうえに、下山後に記入することになっている下山済時刻の欄には、今日の午後四時とまで書いてある。

「とんでもない!・・・全くのうそだ!!」
思わず声を出した。大嘘である。

 第一に、昨日ここ登山センターを出発してから今夕午後六時に下山してくるまで、誰ひとりにも出会わなかった。昨夜の千振尾根避難小屋の泊まりでは同宿人は居なかった。同宿したのは「オコジョ氏」だけである。オコジョ氏が立派な証人である。
 それに、登山コースを「市の瀬・別山道」とし千振尾根避難小屋で泊まりとしていて、それは最も登山者が少ないコースを敢えて選んでいる。他のコースだと室堂平や南竜ケ馬場での山小屋泊まりとなるので宿泊の記帳が必要だが千振尾根避難小屋の泊まりでは、その必要もない。・・・そんなことも計算に入っての・・・他の登山者との遭遇を避けたがっている。それだけに、登山届への虚偽の記載を正当化しようという魂胆と心理の顕れではある。・・・白山登山の登山事情に詳しい者ではある。

 それにしても、この男は昨日から今日にかけてのこの時間帯に、自分自身のアリバイ工作を確実にしておかなければならない、こんな手の混んだ策を労してまでもやらなければならない、どんな事情や理由があったのだろうか。自身の活動や生活を営んでいくうえでの虚偽や虚飾を必要とする人間の生きかたとは、一体どのようなものなのだろうか。
 いずれにしても、登山届を自身のアリバイ工作のために悪用するなぞ、登山者の風上にもおけぬ不埒極まりない、不逞の輩ではある。


「山河に遊ぶ(その二)」web版
著者:陶 山汀(上原 濶)
掲載:2019/5/25(令和元年)
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