岩出山の初秋を彩るイベント「第41回政宗公まつり」が、9月11、12日の両日開催された。
 政宗公まつりは、仙台城址にあった政宗公平和像が、昭和39年に岩出山町城山公園へ
移設されたことを契機に岩出山の歴史をしのぶ祭りとして毎年行われていた。
 一昨年のことだが、城山公園に立ち寄り伊達政宗公の平和像を見たことがあった。
その時は、「政宗公まつり」は、政宗公平和像と関係があるとは知らなかった。有備館にも
足を運び、岩出山町は、伊達家ゆかりの町と知った。
そういうこともあり、今回の「政宗公まつり」は、私の思い出の一つになった。
 私は、本まつりの12日に行ったが、メーンの「伊達武者行列」をはじめ、第20回全国京
都会議記念の「京文化への誘(いざな)い」、舞妓さんの写真撮影会、花火大会など当日
の全ての行事を見ることができた。
 新町50周年記念事業の「政宗公まつり」は、京都にゆかりのある全国53市町村が一同
に会する「第20回全国京都会議」が開催され、特別企画として、宮城県指定無形民族文
化財「早川流八ツ鹿踊り」や岩出山と関係が深い京都冷泉家による「冷泉家和歌披講」・
京舞妓舞踊などが披露された。
  早川流八ツ鹿踊りは、祖霊供養を主とした踊りで、魔よけの踊りでもあるということであ
った。この踊りは、約400年前に始められていて伊達政宗公の眼にとまった踊りということ
であった。伝統ある勇壮な舞に魅了した。
 
  京舞妓舞踊は、小唄と三味線にあわせ、二人の舞妓さんがしなやかに踊って見せてくれた。
舞妓さんについて、踊りをみせてくれた二人の舞妓さんを例に詳しく説明してくれた。
舞妓さんは、概ね20歳までの娘さん。日本髪は自毛。髪の結い形は舞妓の年数で違う。頭のカンザシは、1月から12月まで月々
の花で毎月変わる。最初の1年ほどは下唇にしか紅をささない。頭は1ヶ月に1回しか洗わない。そのために、夜寝るときは、昔の
人が使った高い枕。着物は振袖にだらりの帯(〜だらりの帯よ。という歌もあった。)。舞妓さんの履く厚底の履物は「おこぼ」という。
舞妓さんは誰でもなれるわけではなく、そのためのしきたりや修行の時間を費やして一人前になるようだ。少しの時間だったが、
にわかに舞妓さんの勉強をしてきた。
 「冷泉家和歌披講」は、初めて生でみる雅の世界だった。
宮中で読まれる和歌のテレビ中継を見たことがあったが、今回は、正装した古式ゆかしきいでたちで冷泉家に代々伝わる「和歌披
講」の披露だった。ゆったりとして朗々と歌われる和歌に昔の雅の世界へと誘ってくれた。
 「京文化の誘い」のイベントが終了した後、舞妓さんの写真撮影会に参加した。撮影会は、戸田浦ポケットパークというところで開
催された。
 私が行った頃には、既に撮影会が始まっていた。
 京舞妓舞踊を踊っていた舞妓さん二人がモデルだった。
 この方、撮影会に参加したことが無かったことと二人の舞妓舞踊を見た後だったことから少し緊張した。プロのカメラマンも沢山
来ていて、皆、素晴らしいカメラを持参して撮影していた。私は、ディジカメでの撮影なので場違いと思った。
 戸田浦ポケットパークは、舞妓さんの撮影場所としては願っても無い環境と思った。
 町内を流れる内川の川のほとりで撮影され、柳と橋、昔風の行灯(?)、少々朽ち果てた昔風の黄土色の土壁、城下町岩出山な
らではの自然環境で、良くこの撮影場所を選んだものと感心した。このような環境だからこそディジカメでも素晴らしい写真が撮影
できたと満足した。
 メインイベントの「政宗公まつり」の武者行列、当時の武者姿を再現したもので、きらびやかに身を装った騎馬武者隊・甲冑武者隊
などの行進でまさに戦国絵巻そのものの雰囲気で壮観だった。
 政宗公役は、岩出山伊達家16代当主・伊達宗尚さんが努め、町中心商店街を練り歩いていた。町内の男子児童による「ちびっ
こ政宗隊」の編成や、パレードには、京の舞妓さんも人力車に乗って参加するなど、賑やかで華やかな本まつりだった。
 夜の花火大会は、江合川が流れる「あったか河川公園」で開催された。
 花火大会のオープニングの前には、東北弁のトークで有名な庄司恵子の歌謡ショーがあり花火大会に花を添えていた。
 夜も8時を回っただろうか、いよいよ花火大会の開始となった。河川公園の土手には、全町民が見に来たと思われる程、沢山の
人で賑わっていた。
 初秋の夜空を彩る花火に酔いしれ大きな歓声が上がっていた。
 「政宗公まつり」の余韻を感じながら岩出山を後にした。
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岩出山文化の誘い
        「第41回政宗公まつり」
(04.9.13)

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