僕とブルースとの出会い

 
 彼は1949年生まれ、50過ぎのおじちゃんミュージシャンであるが、いまだにバリバリのロックンロールを歌っている。
 1984年に発売された「
BORN IN THE U.S.A.」ってアルバムぐらいは聞いた事があるのではないだろうか?最近では映画「フィラデルフィア」の主題歌でアカデミー賞をとったことで知られている。


 僕がブルースに初めて出会ったのは、1986年の冬、3枚組のライブCD「THE "LIVE"1975-1985」だった。当時、僕は中学生で、初めてミニコンポを買ったばかりだった。そして何かのご褒美かなにかで、親にCDを買ってもらえることになり、CDをほとんど持っていなかった僕は1枚でも多くのCDがほしいために“3枚組”CDを買ってもらった。この「1枚」=「1組」という、約束の盲点をつく僕の貧乏根性を許し、CDを買ってくれた親に本当に感謝している。買ってもらえなかったら、こんなにブルースに狂っていなかったことだろう。
 当時、「FMステーション」という雑誌を読んでいて、ブルースの事は名前だけを知っている程度だった。しかし、このCDを聞いてはまってしまった。特に「
HUNGRY HEART」「THE RIVER」「BORN TO RUN」が気に入った。ブルースの曲を聞いた事がない人はこの3曲だけでも聞いてほしい。そして、ある晩(1987年のお正月だったかな)テレビで「BORN TO RUN」のビデオクリップを見た。体に稲妻が走った。体が震え、鳥肌が。凄い、凄すぎた。

 それ以来、僕は彼にのめりこんでいった。そして高校生になったころ、やっとブルースのCDをすべて揃えられた。しかし、僕のまわりにはブルースファンは1人もいなかった。知っている人もほとんどいなかった。ブルースを聞くのは僕より上の世代だった。あと、5年ぐらい早く生まれていればと悔やんだものだ。とにかく、学生時代は毎日「BORN TO RUN」を聞いていた。

 就職してから、ブートCDの存在を知った。海賊盤ってやつです。で、通信販売で「LIVING PROOF」というコンサートの隠し盗りCDを買った。音質は驚くほど良く、観客の声が大きい事で逆に臨場感があるぐらいだった(当時のブルースはバンドメンバーを替えていてイマイチ好きではなかったが)。それで、今度はブートの世界にも足を踏み入れてしまった。現在までに200枚以上のブートを購入している。まあ、ブートなので音質のひどいものも沢山あったが、買うまでどんなCDかわからないというギャンブル感も楽しいものです。

 1996年11月のある朝、何気無しに新聞を読んでいた。すると、「
ブルース・スプリングステーンのライブが急遽実現!!」という小さな広告が僕の目に飛び込んできた。当時彼はアコースティックのソロアルバムをリリースし、このライブもアコースティックギター1本でのソロコンサートである。本当は彼のバリバリのロックコンサートを見たいのだが、でも、行くしかないでしょう。ブルースをこの目で見れるんだから。
 11月30日、朝5時からチケットぴあに並んだ。寒かった。5時に着いたのに1番ではなかった。1番はスピッツのコンサートの人だったと思う。で、10時になり、申し込みが始まった。2番目だったので10時5分ぐらいのコンピュータ入力だったと思う。と、ぴあのおばちゃんが「S席売り切れで取れないよ」と。や、やばい。1分後、「A席取れたよ」と。良かったーー。実際、席は一番後ろの席だった。あぶない、あぶない。
 1月31日、今回の来日ライブの最終日である。席は1番後ろだったが、目の前にブルース本人がいた。感動した。その後、僕の行った日のライブがブートCDになり、購入した。これでいつでもあの時の興奮、感動が味わえる。このブートCDは僕の宝物だ。

 1999年に入り、ブルースがEストリートバンド(昔のバンド、いや、彼のバンド)と10年ぶりに再結成をしツアーをスタートさせるというニュースが伝わってきた。
 で、7月のある日、ソニー・レコードから1通のE-メールが届いた。内容は「JTBでブルースのニュージャージーコンサートを見にいくツアーを計画中」。僕は何かにとりつかれたように申し込んでいた。日程も、値段も決まってないのに・・・結構高かった。JTBめ・・・・。
 1999年8月1日。僕は夢であった「
BRUCE SPRINGSTEEN & THE E STREET BAND」のライブを体験した。しかも地元ニュージャージーで。

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