夢は、ありますか

あなたに掴みたい夢は、ありますか?

願いは、ありますか

あなたに譲れない願いは、ありますか?

少年は言いました。

ぼくは・・・・・




ぼくはチルドレン

槇 弘樹
written by Hiroki Maki
(C) 2001 BLUEMOON






〜プロローグ〜
重ねた君の手に感じる小さな安らぎを




橋、それもとりわけ距離の長い鉄橋などは、その構造と特性から『盗聴』を仕掛けるには最も困難な場所であると、いつだったか聞いたことがある。
多分、学生の頃良く読んだミステリー小説で得た知識だろう。
だったら、アテにはならない。推理ものの小説にはプラフやハッタリが多いからだ。さりげない薀蓄にも、結構な割合で嘘が含まれていると言う。
だけど、こうして橋の上を待ち合わせの場所に指定されたと言うことは、あながち『橋と盗聴』に関するあのネタは嘘と言うわけではなかったらしい。

そんなことを考えながら、神城しんじょうケンタはフッと唇の端を吊り上げた。
家族が生きるか死ぬかという時に、随分余裕のあることだ。どうやら、神経が麻痺してきているらしい。
それもそうだ。生死をかけたゲームに付き合い始めてから、もう4年。
常に神経を尖らせていたなら、当の昔に廃人になっている。

「ねえ、ユウコ」

ケンタは、傍らに立つ妻に微笑みかけた。
形ばかりではあるが、冬の到来を予感させる冷たい風が吹いている。そして、彼らが並んで立つ無人の寂れた鉄橋には、その風を遮るものは何一つとしてない。

西暦2000年。
後に『セカンド・インパクト』と呼ばれる未曾有の大災害の発生により、地球は地軸が歪む程のダメージを受けた。この影響で南極の氷は融解。海面の水位は、一気に60〜85メートルもの上昇を見せ、世界中の都市を次々と飲み込んでいった。
日本もこの大災厄から逃れることは叶わず、首都・東京をはじめとする幾多の都市が水没の悲劇に見舞われた挙げ句、四季の彩りを失い、常夏と国となるなど甚大な被害を被った。

だが、『使徒戦争』と呼ばれた混乱が2年前に終結して以来、この国にも徐々にだが季節が戻りつつある。最近では、季節の温度差が何とか肌で体感できるまでになったくらいだ。
だからこそか、ジリジリと肌を焦がすような常夏の日差しに、年中その身を苛まされてきた彼らには、季節の変わり目に吹く微かな冷風さえもかなり堪えるのだった。

「寒くないかい?僕の上着が必要なら、いつでも言ってくれ」
「平気よ。私は平気。」

神城ユウコは、透き通るような微笑で応えた。
彼女と出会ってもう10年。何故、こんな美人と僕は結婚できたのだろう。
妻のその笑顔を見ると、度々ケンタはそう思う。今でも、こんな出来た女性が自分を選んでくれたという事実を俄かに信じきれない。

「考えてみれば、何も外に立っている必要はないんだ。・・・・・今気付くなんて、間抜けな話だけど。
無理しないで、君は車の中で待っていてくれてもいいんだよ。その方が絶対に暖かい。」
「大丈夫よ。平気。私は女性だから。」

再び無理のない笑みを浮かべて返す妻に、ケンタは首を軽く捻った。
言葉の意味が分からない。何故、女性だと大丈夫なんだろうか。
不思議に思って訊いてみると、彼女はこう応えた。

「女性の方が、男性より体脂肪率が高いのよ。脂肪が多いと、防寒効果が高まるわ。」
「・・・・・なるほど。女性の体がどうしてしているのか、その長年の謎が解けたよ。」

そう言えば、難破して冷たい海に落ちた時、男性より女性の方が長時間生きられると聞いたことがある。
しかも、この情報ソースはリアリティに欠けるミステリー小説ではなく、科学的検証のなされた事実に基づくものだったと記憶している。
なるほど、女性のは色々な意味で偉大だ。ケンタは改めて、彼女達を尊敬した。

「ところで、どうして男性は女性より脂肪が少ないんだろう?」

約束の時間まで、あと10分程度。
時間を適当に潰すつもりで、ケンタは博学な妻に問い掛けた。
もちろん、結婚前から彼女とこういう他愛もない問答をする一時がたまらなく好きだということもある。

「・・・・・さあ、どうしてかしらね。良く分からないわ。でも、私なりの仮説はあるの」

聞いてみる?と目で問いかけるユウコに、ケンタは軽く頷いた。
彼女に限らず、日常の些細なところで女性という生き物は男性より頭が良い。ケンタはそう思っている。
妻が確信をもって助言してくれる時は、無条件にそれを受け入れることにしている程だ。

「昔、大昔の話よ。原始時代くらい昔。
その頃、男は狩りをする生き物だったわ。だから、体力と筋力が必要だったの。
対して、女は男が長期に渡る狩りの遠征に行っている間、住まいと家族を守る役割を担っていたと聞くわ。そのためには、少ない栄養で長い間体調をキープする必要があったの。
そこで、女は脂肪を多く身に纏ったのだと思うわ。男はその代わりに筋肉を得たのね。」

「なるほど、ね。・・・・・でも、どうして女性は狩りに同伴しなかったんだい?」

「命を宿せるのは、女だけだからよ。赤ちゃんを育てられるのも、女だけだわ。
それに男性は、母乳だって出せないもの。原始の時代に粉ミルクなんてないしね。だから、赤ちゃんを生める女性は家に残ることにしたの。
考えてもみて?身重だったり、出産後間もない時は、満足に動けないでしょ。赤ちゃんにも毒だし。」

「うーむ。・・・・・パーフェクトな説明だ。いつもながら見事だよ、ホームズ君。
少なくとも、僕にはそう思える。文句なしだ。」

ありがとう、ワトソン君。そう、ユウコが冗談交じりに返そうとした時だった。
橋の対岸側から1台の電動バッテリー式の自動車が、滑るように近付いて来た。
勿論、待ち合わせの人物達以外にあり得ない。
この鉄橋は打ち捨てられて久しい。第三新東京市・拡張計画とその工事が、使徒襲来の関係で頓挫した煽りを受けたのだ。

「会社の同僚の彼?」
「・・・・・多分ね。」

ユウコとケンタのやり取りを肯定するように、彼らの手前で停止した黒い乗用車の運転席から、見知った顔が現れた。
芹沢せりざわヨウヘイ。ケンタが勤める会社の、後輩に当たる男性である。

「神城先輩、お待たせしました。」
「いや、時間通りだよ。芹沢君。」

芹沢はエンジンを止め運転席のドアを閉めて神城夫妻に軽く会釈すると、直ぐに助手席に回った。
その足取りは軽い。30前半か、ひょっとするとまだ20代かもしれない。
ヒョロリとした細身で、いかにも『研究者』といった先入観を具現化したような男だった。

「さ、どうぞ。伊吹先輩。」

そう言って、芹沢は助手席のドアを開き、そこに腰掛けていた人物に言った。
それに伴ない「ありがとう」と、澄んだ若い女性の声が聞こえてきた。
その助手席の女性こそ、神城夫妻が朝早くこんな辺鄙な場所に足を運んでまで会いたかった人物である。

「おはよう御座います、神城先輩。それに、ユウコさん。」

女性を伴なってケンタ達に歩み寄った芹沢は、にこやかに頭を下げた。
芹沢が入社してきてから数年、業務上の指導だけではなく、社会人としても良きアドバイザーとして努めてきたのが、他ならぬ神城ケンタである。
したがって2人の仲は非常に良かった。ケンタは何度も芹沢を家に招いたし、そのおかげでユウコとも親しくしているわけだ。

「早速、ご紹介します。こちらの女性が、伊吹マヤさん。オレの学生時代の先輩で、NERV本部に勤めるスタッフです。」

そう言って、芹沢は後ろに控えていた伊吹という女性を前に押し出した。

「で、伊吹先輩。こちらの方々が、例のご夫婦です。
オレがお世話になってる会社の先輩で神城ユウタ氏。そしてそのお隣の方が、神城ユウコさん。」

「はじめまして。NERV技術開発部主任・伊吹マヤです。」

そう言って軽く頭を下げた彼女は、非常な童顔もあってか芹沢よりも更に若く見えた。
ボーイッシュと表現しても差し支えないような、短めの黒髪。大きく澄んだ頭髪と同じ色の瞳。
少なくとも、芹沢の先輩には絶対に見えない。女子高生と言っても何とか通用しそうなくらいである。
むしろ、芹沢の妹か後輩と言ったほうがシックリくるような女性だった。

「・・・・・あ、神城です。今日は、お忙しいところ本当に有り難う御座います。」

暫く呆然と彼女を見詰めていたことに気付き、神城夫妻は慌てて伊吹に頭を下げた。
そして一通りの形式的挨拶を済ませ、握手を交わす。
それから暫くして表情を引き締めると、伊吹女史が本題を切り出した。

「大体のお話しは、芹沢君から聞いています。
失礼ですが、NERVの方で事の真偽と・・・・・そして息子さん、ユウタ君のことも確認させていただきました。」

透き通った冬の空気を思わせる綺麗な声だ。神城ユウコは、彼女の声を聞きながらそう思った。
少女と言って良い程の愛らしい容姿と、それがまた良くマッチしている。
しかもこの若さで技術部主任だというから、まさに才色兼備とはこのことだ。

「それで、チルドレンとコンタクトを図りたいというご要望に関してですが・・・・・」

ゴクリ、とケンタは固唾を飲んで言葉の続きを待つ。
是非。是非とも、ケンタの願いを叶えてやりたい。
死の確率を内包した難病と戦う、幼い我が子の唯一の夢を叶えてやりたい。
――だが、伊吹女史の次の言葉はそんな夫妻の儚い願いを、無残に打ち砕くものだった。

「残念ですが、NERVとしてはこれにお応えすることはできません。・・・・・本当に、ごめんなさい。
お二人から戴いたお手紙を拝見しました。それに芹沢君からもお話を聞いて、私も上層部に何度か掛け合ってみました。ですが、・・・・・私の力では、上層部の決定を覆すに及びませんでした。」

伊吹女史は、心から済まなく思っているようだった。
沈痛な面持ちで、頭を垂れていることからもそれは顕著だった。
勿論、無茶な頼みをしたのは神城夫妻の方であり、女史は厚意でそれを受けただけだ。
彼女が謝罪する必要は何一つない。が、それでも彼女は心からの謝罪をしていた。
それだけでも、伊吹マヤという人物の優しさと思いやりが窺えるというものだ。

「ご存知の通り、チルドレンは特務機関NERVの最重要機密に抵触する存在であり、常に充分な安全確保と護衛が必要とされる立場にあります。不用意に世間に出せば、命を狙われるような世界の住人なのです。あの子供たちは。
そのせいもあって、彼らに民間の方が接触を図るのは非常に困難と言わざるを得ないのが現状なのです。」

「そう・・・・・ですか・・・・・」

覚悟していたとは言え、神城夫妻は落胆を隠しきれない。
だが考えもみれば、偶然ネルフ関係者と繋がりがある人間(芹沢のことだ)が近くにいて、こうしてそのネルフの要人と直接交渉ができただけでも奇跡に近い出来事だ。
それにNERVのチルドレンたちが、世界的に最も有名な英雄であり、その周辺警護はアメリカ合衆国大統領にすら匹敵するほどに厳しいという事実は子供でも知っていることだ。
土台、無茶な話だったと言える。
――ただの一般人が、チルドレンに会いたいだなんて。

「ですが、これはNERVとして許可できないというだけの話です。
チルドレンたちが強く望み、これに安全性が見出せればNERVとしても許可せざるを得ません。
彼らは人形ではなく、自由を持つひとりの人間なのですから。」

そう言って、伊吹女史はあまりに魅力的な笑みを浮かべた。

「そ、それは!?」

思わぬ話の展開に、ケンタは1歩踏み出して言った。
もしやという、淡い期待が心を支配する。
そして伊吹マヤという女性自身、人にそんな期待を抱かせる不思議な力を持ったヒトだった。

「・・・・・はい。神城さんご夫婦が直接チルドレンに会い、掛け合うことはできません。
ですが、直接会わずとも意思を伝達する手段は幾らでもあります。
ヴィデオ・フォン(TV電話)、ヴォイス・メッセージ、そして手紙。
私は安全面から、この手紙による接触を提案します」

伊吹女史はそう言って、NERVの制服の胸ポケットから3通の便箋セットらしきものを取り出して、神城夫婦に差し出した。

「ファースト・チルドレン=綾波レイ。
セカンド・チルドレン=惣流・アスカ・ラングレー。
そして、サード・チルドレン=碇シンジ。
お二人が望むなら、彼らに手紙をしたためてください。そして、それを改めて芹沢君に預けてくだされば、私が責任を持ってそれを受け取り、直接彼らに渡すことをお約束します。
そして――保証はありませんが、彼らチルドレンがその想いに応えてくれると言ってくれれば、お二方の・・・・・そしてユウタ君の願いは叶うことになるかもしれません。」

「・・・・・・っ!?」

ケンタとユウコは、驚愕に顔を見合わせた。
小刻みに体が震え出す。
諦めかけていた希望が、再び二人の心に灯された。

日常から切り離された世界に生きる息子。
ユウタの願いを叶えてあげられるかもしれない。
まだ幼い我が子が夢見るように願う、その想いに応えられるかもしれない。


会わせてあげられるかもしれないのだ。






伝説のチルドレンに。












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