N E X T    I N D E X    B A C K



ぼくはチルドレン

槇 弘樹
written by Hiroki Maki
(C) 2001 BLUEMOON






〜第2章〜
掲げた希望の重さに気付いても 逃げないで欲しい・・・




■翌日 12月20日 水曜日 17:01
 ジオフロント NERV本部


その日、放課後になるとシンジは護衛のリムジンに乗り込み、NERV本部へと直行した。
伊吹マヤに会うためである。
神城家の人々が生活し、また通院しているのは静岡県静岡市にある大学病院だ。第三新東京市(旧世紀の神奈川県)外であり、こちらから出向くとなると、車かリニアを使うちょっとした遠出になる。
そうすると、当然MAGIシステムの敷く警備網の外に出ることになるわけで、チルドレンに対する身の危険が増してくる。
つまり、シンジが幾ら望んでもNERVの許可を得ること無くしては、決して自由に行き来できる距離ではないのだ。

NERVとしては、チルドレンに不用意にMAGI警戒網の圏外に当たる市の外に出てもらっては困る。
幾ら超一流の護衛が常に周辺を警護しているとは言え、無差別的なテロなどには事実上対処のしょうがないからだ。例えば一般市民を装い、爆弾を抱えた人間などが特攻を仕掛けでもしてきたら如何するか。未然に防げる確率は、殆どゼロだ。
だからこそ、スーパーコンピュータであるMAGIのバックアップが必要であるし、これが及ばなくなる市外だと身の安全の保障ができなるくなるというわけである。

そんなわけで、シンジが神城家の人々と邂逅を果たすためには、NERVの外出許可を取りつけるのがまず先決となってくる。
酷い回り道になるようであるが、実際に自分自身の命に関係してくる問題であるから、こればかりは仕方がない。シンジもその辺りのことは自覚していた。

「・・・・・どうも、ありがとうございました」

シンジは車から降りると、一見ビジネスマンにしか見えない運転手と助手席に座る護衛に頭を下げた。
ボディーガードやSSシークレット・サービスと言うと、黒ずくめのスーツを着込みサングラスをかけている姿を連想する者もあるだろうが、それはTVの見過ぎというものだ。
黒一色のスーツとサングラスでは、『自分は護衛です』と宣伝しているようなものである。
確かにそれはある意味での抑止効果がある。実際、そういう恰好を敢えてした護衛もチルドレンの周囲にはいる。

だが、一流以上の凄腕になるとまず自分の姿は隠すのが基本である。
彼らはどこからどう見てもただの一般人にしか見えない服装と気配を身につけ、チルドレンの周囲に風景として解け込み、潜在する危険に常に目を光らせるのだ。
ドラマや映画のそれとは異なり、非常に地味で根気と集中力のいる重労働。それがボディ・ガードという職業である。

「OKが出るといいですね、サード・チルドレン」

助手席のボディ・ガードが人好きのする笑みと共に言った。
社交辞令ではなく、心から交渉の成功を祈っていることが伝わってくる、優しい笑みだ。
本人の話によれば、彼には妻と幼い子供があるらしい。その分、ひとり息子を失おうとしている神城夫妻の気持ちを良く察することができるのだろう。

「はい。僕もそう願っています」

シンジは大きく頷くと、笑顔で返す。
このように、護衛者たちは、大抵のことならシンジの身の回りの事情を把握している。
今回は、シンジが手紙に関することを予め護衛に話しておいたのだ。

身を守られるようになってはじめて知ったことだが、守られる者とボディ・ガードの信頼関係と連携は安全保障の最重要条件の1つであるらしい。
チルドレンが、『自分は命を狙われる立場にある』というキチンとした意識を持つこと。
自分を守ってくれる護衛を信頼し、彼らの存在を生活の一部として受け入れ、その仕事を妨げないようにすること。
こういった心構えが、結果として自分の安全に結びついてくるというのだ。
最初は理解できなかったが、最近では実感としてこれに納得しつつある。

守る側にしても、影からヒッソリと気付かれずに守る・・・・・という考え方では、仕事に限界が出てくる。
だから、護衛者たちも対象(チルドレン)と友好的な関係を築こうと努めるわけだ。
寡黙でハードボイルドな男は、だから超一流のボディ・ガードにはなれない。誰とでも直ぐに打ち解けられる社交的な人間こそが、最も任務の成功に近い実力者なのだ。

「・・・・・あ、今日はテストはないから、1時間以内には帰れると思います」
「了解。幸運を祈ります」
「どうもありがとう」


NERV本部内はMAGIの強力な監視の中にあり、侵入者は絶対に存在できないシステムになっている。よって、少なくとも施設内部だけは護衛の者はつかない。
シンジは専属ボディ・ガードたちと別れると、真っ直ぐにマヤの部屋に向かった。

NERV本部は、よく産業スパイに狙われる企業やTV局などがそうしているように、施設自体が一種の迷宮となるように設計されている。
無味乾燥で、変わり映えしない廊下が延々と伸び、そして複雑に絡み合う。
言うなれば、地底空間に広がる『最も深き迷宮』といったところか。初めての訪問者が不用意に足を踏み入れると、下手をすれば一生外に出られないこともあり得るわけだ。

ここで働くスタッフたちも、自分の部署が関連するフロアの道順くらいしか知らず、余所のテリトリーに入る込むと迷う危険性が高い。
何の案内も無くNERV本部を隅々まで歩き回り、そしてその日の内に無事に帰還することができるのは、この施設で生まれ育ったファースト・チルドレン、綾波レイが唯一であるという伝説があるくらいであった。


「あ、シンジ君。いらっしゃい。待ってたわ」

昨日と同じ様に、部屋に到着すると、シンジはマヤに丁重に招き入れられた。
勿論、これは約束されていたことだ。昨夜、手紙を読み終えたシンジが彼女に電話を入れ、そしてアポイントメントを取りつけていたのである。

「まずは御礼を言わせてね。この話を受け入れてくれて、本当にありがとう。
きっと、神城さん夫妻も・・・・・それにユウタ君も喜ぶと思うわ」

勧められた椅子にシンジが腰掛けるのを待って、マヤは言った。
昨日の夜、シンジに「OK」の電話を貰い手を叩いて喜んだ彼女だ。今日はすこぶる機嫌が良いらしい。

「良いんですよ。当然のことです。チルドレンなんて言ったって、どうしてあんなに皆に騒がれるのか不思議なくらいで・・・・・。
なんだかあんなに皆に好意的に見てもらうと、罪悪感が沸くくらいなんですよ。
だから、本当に誰かの役に立てるなら、僕はそれでいいんです」

シンジのその言葉は、聞く人間が聞けば優等生的なつまらない解答のように受けとめられるだろう。
だが、マヤはシンジが本心からそれを告げていることを知っていた。
どこか自分の存在に負い目を感じる少年。それが、碇シンジなのだ。
彼に足りないのは、自分に対する絶対的な自信だ。「自分はこの場所で生きていくことが許されるのだ」という確信なのである。

実の父親や周囲の大人たちの恣意で、人間性を無視した『道具』として利用されつづけてきたシンジは、その悪影響を受け、自分の存在にコンプレックスを抱くまでになってしまっている。
人間として自分は存在する価値があるのか、自分は何の為に生きているのか。
もう2年の付き合いの中で、シンジがそんな悩みを抱き続けてきたことを伊吹マヤは知っている。
そしてその心の傷が、未だ癒されてはいないこともだ。
だからマヤは、今回のこの話が切っ掛けとなり、シンジがその自信を得ることができれば・・・・・と密かに期待してもいた。

「シンジ君が罪悪感を感じる必要なんて、ひとつもないのよ。悪いのは皆私たちNERVの大人なんだから。
あなたも気付いているでしょう。NERVは、世間に知られては不都合が生じる『真実』を闇に隠蔽する時間と状況を作るために、あなたたちをアイドルに仕立て上げて世間の目を逸らした。
あなたたちに苦渋を強いた罪を償うなんて言って置きながら、真実の隠蔽とチルドレンの未来を天秤にかけ、そして結果的にチルドレンをまた犠牲にするような選択肢をとったの」

そこで言葉を一端切ると、マヤは俯いて続けた。

「今あなたたちが脚光を浴び、それによって生活に不自由を――場合によっては、死の危険すら感じなくてはならない状況に陥ってしまったのは、全て私たち上層部の責任よ」

「あ、いえ!・・・・・僕、そういうつもりでこんなこと言ったわけじゃ」

落ち込むマヤの低い声に、シンジは狼狽する。
彼自身、2年前とは違い何時までも子供ではない。エヴァンゲリオンのパイロットであり、前線で戦っていた自分たちのポジションをNERVが巧みに利用し、それによって今のような状況が作られたことは理解しているつもりだ。
確かに、その事実に対し憤りを感じたこともある。
だがそれでも、マヤには責任が無いような気がした。彼女を責める気にはどうしてもなれないのだ。

「それで・・・・・どうなんでしょうか」

シンジは話題を変えて、この暗く淀んでしまった空気を払拭しようと早口に言った。

「神城さんのお宅は静岡みたいですけど。
僕は、行ってもいい・・・・・行くことができるんでしょうか?」

「うん、それなんだけどね」

マヤは、また少年に救われた己に自嘲的な笑みを浮かべつつ、静かに言った。

「実は、まだ許可を取れていないのよ。シンジ君は分かってるでしょうけど、市外に出ればMAGIのシステムから離れることになるから、貴方の身に危険が及ぶわ。
だから、NERVとしてはそうそう簡単に貴方たちチルドレンに外出許可を出すわけにはいかないみたいで・・・・・」

「じゃあ、ダメなんですか?」

ガックリと肩を落とすシンジを見て、マヤは思わず彼の頭を撫でてやりたいという衝動に襲われた。
元々、可愛らしい小動物をこよなく愛する彼女だ。怯えるリスあたりを連想させるシンジが、こういう哀しげな仕種を見せるとどうにも堪らないものがある。
もっとも、実際にやってしまうとそれはそれで洒落にならない事態に陥りそうなので、なんとか過ちは避けているのだが。

「こちらから出向くというのでは、どうも無理っぽいの。
だから1番確実なのは、神城家の皆さんにこの第三新東京市まで来てもらうことね。
そうすれば、すんなり許可は下りると思うわ。いえ、私が取り付けて見せる」

そう言うと、グッと右手を折って力こぶを作るような仕種をするマヤであったが、残念ながら力強さというものは微塵も感じられなかった。逆に、そのヘッポコさが可愛らしいぐらいである。

「でも、大丈夫なんですか?・・・・・神城ユウタ君って子は、白血病なんでしょう。
僕には良く分からないんですけど、手紙を読む限り随分と深刻みたいで・・・・・。そんな子に静岡からわざわざ遠征させるなんて、ちょっと酷なんじゃないでしょうか」

「そうね。酷と言えば酷ね。問題は彼の体調次第だけど・・・・・・。
カンファレンスにかけられて、BMTの方針が固められたってことは、今の状態はCRってことだし。それはそれで良いんだけど、化学療法と放射線の全身照射で感染に対する抵抗力が普通よりかは下がっている筈だから、外出はあまり勧められないということもあるし」

「ちょ、ちょっと待ってください。び、びーえむ・・・・・?」

いきなりBMTだのCRだのと、訳の分からない医学の専門用語らしきものを連発されて、学のないシンジは狼狽した。全く話についていけない。

「あの、それってどういうことなんですか?」
「・・・・・あ、ごめんなさい。ちょっと分かり難かったかしらね」

そう言ってマヤは苦笑するが、ちょっとどころではなく、全く分からない話だった。

「聞いた話によると、ユウタ君は近々『BMT』を受けるらしいわ。
このBMTというのは医者の使う言い方で、一般的には『骨髄移植』のこと。聞いたことないかしら?
TVでもたまに『骨髄バンク』とか『ドナー登録』だとかいうCMを流しているけれど」

「・・・・・あ、聞いたことあります。
確か、セカンド・インパクトで人類の半数近くが死亡したせいで、その『骨髄バンク』とかいうのが機能しなくなっちゃったんですよね。それで、また1からドナー登録をやり直さないといけないとかなんとか」

「そう。それのことよ。セカンド・インパクトで、ドナー登録をしていた人たちの多くが亡くなったわ。
おかげで、事実上1999年以前までのデータは使えなくなって、骨髄バンクは崩壊。
この15年で随分と建て直したらしいけれど、如何せん人口が激減した人類では・・・・・ね。
1999年には10万人のドナー登録があったんだけど、現在2017年の登録数は僅か6万。
日本骨髄バンクが目標としている30万人には程遠いのが現状よ」

「その骨髄バンクに30万人登録されていないと、どうなるんですか?」

シンジはこれらに関して全くと言って良い程、予備知識が無い。
だが『知らぬは一時の恥、訊かぬは一生の恥』だ。それにマヤは、初歩的な質問にも優しく丁寧に答えてくれる。臆する必要はなかった。

「輸血に喩えると分かり易いかもしれないわね。
例えば、シンジ君。あなたの血液型は、A型だったわね?」

「はい、そうです」

「じゃあ、ここからが問題よ。シンジ君が仮に大怪我で凄く出血してしまったとしましょう。
このままでは出血多量で命の危険がある。病院に担ぎ込まれたシンジ君には、当然輸血の準備が進められるわ。・・・・・その時、もしA型の血液が無くて輸血ができなかったら?シンジ君はどうなるかしら」

「それは・・・・・」

シンジは、少し考えると言った。

「多分、そのまま出血多量で死んでしまうんじゃないでしょうか。
輸血は血液型が合わないとできないですし、A型の血液がなくて輸血ができないとなると、もうどうしようも・・・・・」

「そう。それが答えよ、シンジ君。それと同じことが骨髄移植にも言えるわ。
BMT――つまり、骨髄移植の場合は、白血球の血液型とも言うべき『HLA』というものが合う必要があるの。
このHLAの型が合う確率は、10万人に1人だそうよ。
ドナー登録の数が足りないと、HLAの合う骨髄が見つからずに、結果的には患者さんが手術を受けられないという事態に陥るわ。
白血病の種類や程度によっては、この骨髄移植の手術でしか助かる可能性が無いというものもあるから。
ドナーの不足は、そういった患者さんが・・・・・・移植さえ受ければ助かる可能性もあるのに、その可能性を潰されて亡くなるということに繋がるわ」

「じゃあ・・・・・・あの、ユウタ君は?」

「彼は『急性骨髄性白血病』という難病よ。しかも、かなりリスクが高い例らしいわ。
更に2度目の発病であることや、その他の様々な要因が重なって、BMTでしか治癒の可能性はないと考えられているらしいの。
でも、肝心のドナーがまだ見つかっていなくて、移植を受けられない。このままだと・・・・・」

言葉を濁したマヤであったが、言わんとすることはシンジにも容易に想像できた。
思わずハッと息を呑み、そして重く口を閉ざす。
手紙にはそこまでの詳細には触れられていなかったが、シンジはここにきて漸く神城ユウタという少年が立たされている窮地を理解した。
命に危険があるなどというレベルではない。このままでは、確実に死ぬという程の深刻な問題なのだ。
マヤがどうしてこれ程まで、この問題に真摯な姿勢を見せているのかが漸く納得できたシンジだった。

「僕は・・・・・・どうすれば良いんでしょうか?」

暫し2人の間を支配した重苦しい沈黙を破り、シンジは恐る恐るといった感じで言った。

「私は医師免許を持っているわけでも、専門医というわけでもないわ。
だから、今の段階で私が言えることはこれだけよ。
・・・・・第三新東京市には優秀な医師が沢山いる。なんとか特例を設けて、神城ユウタ君をこの第三新東京市の病院に一時的にでも移せるよう、上に取り計らってみるわ。
だから、もし彼らがこの街に来られるようになったら・・・・・あなたは出きる限りのことをして、ユウタ君を勇気付けてあげて欲しいの。
今の私たちに出きることは・・・・・、多分それくらいしかないわ」





■同日 19時23分
 コンフォート17 11−A−4号室
 碇シンジ宅 リビング・ルーム


その日の夕食は、惣流・アスカ・ラングレーの遅刻で約20分遅くはじまった。
とは言っても、それは何も突発的な遅刻と言うわけではなく、きちんとした理由のある予告されていた遅れであったから、アスカを責める不心得者は1人としていなかった。

アスカ・ラングレーは、2年前の戦争終結時から精神病院への通院を続けているという事情持ちだ。
『エヴァンゲリオン依存症』とでも言おうか。
彼女は幼少期から、エヴァンゲリオンのパイロットであることだけに、己の存在意義をかけていた。
選ばれしチルドレンとしてのプライド。14歳で大学を出たというエリート意識と、周囲から寄せられる天才少女への期待とプレッシャー。
これらが、アスカに重すぎる負荷をかけ、結果として歪な成長を促すことになったのである。

そんなアスカは、『使徒』との戦いで度重なる敗北を経験し、そのプライドと共に自我を崩壊させた。
エヴァンゲリオンに己の存在意義を見出してきた少女が、エヴァンゲリオンのパイロットとしての必要性を見限られる。・・・・・この事実は、彼女に計り知れない衝撃を齎したのであった。
一時は出奔し、自殺まで図った彼女だ。この2年で表面的には完全復活したかに見え、輝くばかりの笑顔を取り戻したにしても、心の深層には未だに深刻な問題を抱えている。

セカンド・チルドレンではなく、1個の人間。惣流・アスカ・ラングレーとしての誇りを。
今の彼女に与えられた大きな課題である。ある意味で、碇シンジとよく似通っていると言えよう。
これはチルドレン3人に共通していることだが、まずは自己同一性。アイデンティティの確立が彼らの急務なのだ。
アスカはそのために、2週間に1度の通院でカウンセリングを受けている。
今日はそのカウンセリングの日だったわけだ。


「――シンジ、ちょっと付き合ってくれない?」

食事を済ませ、毎日のささやかな夕食会がお開きになった後、食器の片付けに勤しむシンジにアスカが言った。
珍しく彼と2人並んでキッチンにたち、一緒に皿を洗い出す。

「あれ、どうかした?」
「ちょっと、話があるのよ」

怪訝な表情をするシンジに、アスカは手元に視線を落としたまま言った。
その口調には、どうもいつもの彼女の元気さというか、覇気がみられない。
そんなこともあって心配になったシンジは、また余計なことを口走ってしまう。
 
「もしかして、病院でなにかあったの?」
「また・・・・・・」

アスカはゲンナリした表情で、呆れ混じりに言った。

「どうして日本人ってこうなのかしら。
精神病院でカウンセリングって聞いた瞬間、偏見丸だしな目で見るのヤメてくれない?
単なる精神衛生論じゃない。身体と同じ、疾患のケアよ。心の病ってやつ。
しかも私のは深層心理に関係するものだから、日常生活には何ら問題は生じないっていうのに。
『精神病院=狂人』って先入観を、日本人ってやつはどこから持ってきたわけ?
この国って、そういうところ、ホントに呆れるくらい遅れてる。
ハッキリ言って、その如何ともし難いバカげた先入観の方が、よっぽど精神病院隔離ものの狂人的性質に近しいわよ」 

「ご、ゴメン・・・・・そういうつもりで言ったんじゃないんだ」

明らかに怒気を含んだアスカの言葉に、シンジは作業の手を止めて謝罪した。
ただ、昔と違って反射的に謝ったというそれではない。自分の過失を認めた上での反応だった。

「別にいいんだけどね。シンジが、私をそういう変な目で見てるわけじゃないことは知ってるし。
でも気をつけることね。その気が無くても、相手を傷付けることはできるのよ。
言葉ってのは、喋る側の意図じゃなくて、受け取った側の解釈次第なんだから。
傷付けて自殺に追い込んで、『そんなつもりはありませんでした』じゃ済まないこともあるでしょ。
雰囲気と相手の反応を的確に読んで、それから喋ることね。そうじゃないと、何時か後悔するわよ」

「うん、わかった。・・・・・努力するよ」
「ん。分かればいいのよ。分かれれば」

アスカは少し胸を逸らし、冗談めかしてそう言うと笑って見せた。
彼女自身も本気で立腹していたわけではなく、どちらかというとシンジを相手に日頃の鬱憤を晴らしたというのが本当らしい。
彼女は暫く間を置くと、口調を元に戻して話を仕切り直した。

「・・・・・それはそうと、シンジ。あんた、昨日の内に手紙貰ってたんですって?
どうして私に何も話さなかったのよ。大事なことじゃない」

その言葉で、シンジは全てを悟った。
アスカの話とはそのことなのだ。つまり、彼女も今日になってマヤから例の手紙を手渡されたのであろう。
そうすると、恐らくファースト・チルドレンである綾波レイも、今頃手紙を読んでいるか、もしくはもう読み終わって、その内容について思案を巡らせている頃に違いない。

「手紙って、神城さんたちのやつだよね。
・・・・・僕もね、夕食の後、昨夜遅くに読んだんだよ。だから、相談するなら今日にしようと思ってたんだ。それに、アスカと綾波はまだ手紙を受け取ってないみたいだったし」

「ふーん。で、シンジはどうするつもり?」

「会うよ。ユウタ君に会ってみる。今日、マヤさんにもその意志の確認をしてきた。
今後についても、少し話し合ったよ」

それを聞いて、アスカはその自慢のブルーアイズを小さく見開いた。
明らかに驚いたといった表情である。本来彼女は表情豊かな百面相を良くやるので、見ていて面白いのだが。

「へぇ〜、アンタにしては行動が早いじゃない。どうしちゃったのよ。シンジのくせに」

ツンツンと肘でシンジを突つきながら、茶化すような口調でアスカは言った。
その口元には、どこか嬉しそうな――だが子供のような悪戯っぽさを感じさせる笑みが浮かんでいる。

「だって、なんか一刻を争う事態のような気がしたし・・・・・」
「その一刻を争う事態でさえ、ウジウジしてるのがシンジってもんじゃないの」

サラッと酷いことを言うアスカであったが、2年前のシンジは本当にそんな感じであった。
本人もそれを自覚しているため、何の文句も言えない。

「もう。話がだんだんズレてきてるよ、アスカ。・・・・・大事な話なんだからね。これは」
「そうね。・・・・・で、マヤと話したんでしょ。彼女、なんて言ってたの?」

話題の軌道修正を図るシンジに、アスカも直ぐに歩調を合わせる。
この辺り、彼女にも2年前からの格段の成長が見られた。角がとれて丸くなった感じである。
シンジと最近妙に仲が良いのも、双方の成長と歩み寄りがあったせいだろう。
死との関わり合いと、特殊な状況下で形成された人間関係。これらは、人を大きく成長させる。
だからこそか、彼らの成長したその姿はどこか哀しかった。

「マヤさんはね、結局、僕らが静岡に行く許可は下りないだろうって。僕もそう思う。
だから、向こうから来てもらうつもりだって。
第三新東京市にも優秀な医者は大勢いるから、こちらの小児病棟にユウタ君を移せるかどうかやってみるって言ってたよ」

「そうね・・・・・・」アスカは小さく頷くと言った。
「現状では、それがベストかもしれないわね」

「ねえ。ところでさ、アスカ。白血病ってどんな病気か知ってる?」
「アンタよりは・・・・・って程度よ。専門的な知識はゼロに近いわ」

そう言うとアスカは少し思案し、「そうね、まずはそこから始めるべきかもね」と小さく呟いた。
彼女は、カウンセラーからの助言もあり、この件に積極的介入を試みようと考えていた。
それが今抱えている様々な心理面での問題に、プラスの影響を及ぼす可能性があるからだ。
だが、神城家の人々がアスカに望むのは、『チルドレン』として病に伏せる少年を元気付けること。ただ、それだけだ。
それ以上の手出しと介入は、ある意味で邪魔にしかならないのかもしれない。
だが、そこで終わっては今までと何も変わらない。2年前と、何も変わらないのだ。
・・・・・アスカは思う。
また『セカンド・チルドレン』としてしか自分は必要とされず、『セカンド・チルドレン』としてしか自分は動けないのか、と。

戦争が終われば、兵士は必要なくなる。
では、兵士としてしか存在できなくなった者はどうすればいいのか。
戦いの中にしか生きる場所を見出せなかった者は、どこへ行けばいいのか。
少なくとも、アスカにとって『チルドレン』とは兵士だった。
誇り高く、気高く敵と戦い、これに勝利する戦士だった。

人々は兵士に声援を送る。激励し、期待を寄せる。
だが戦争が終われば、その忌まわしき記憶と共に、兵士の存在は人々の中から忘れ去られる。
ならば忘却された兵士は、どこに還ればいいのだろう。その兵士の存在価値はどこにあるのだろう。
戦争を戦ったのが兵士だけではないことは知っている。
戦争が兵士の働きだけで決するわけではないという論理も理解できる。
だが、戦争が終わり、そして兵士の存在が人々から忘れられることが『平和』なのか。
だとすれば、兵士として育てられ、兵士としてだけ生きてきた者は、戦いの終わりと共に消え逝くのが定めなのか。
もしそうなら、何故自分はまだこの世界に命を抱き生きているのか。
・・・・・彼女はまだ、その答えを知らない。





■4日後 12月24日 クリスマス・イヴ
 13時55分 第三新東京市


第三新東京市には、規模の大きな総合医院が2つ存在する。
1つは、ジオフロント・NERV本部内にある中央病院で、これは専ら戦闘で負傷したチルドレンたちを専門的に扱ってきたことで知られる特殊な施設である。
そしてもう1つが、『T3CH』と呼び親しまれるTokyo-3 Central Hospital(第三新東京市立・中央病院)であり、こちらは広く一般に門戸を開いている市内最大の医療機関だ。
勿論NERVとの関連性はなく、搬入されるのも外来の患者も一般人が殆どを占める。

そのT3CHに、神城ユウタ少年が今日付けで転院してくることになっていた。
白血病というのは、医師団によって『プロトコル』と呼ばれる治療計画が組まれ、それに沿って話が進められていくのが普通だ。それ故、いきなり転院すると言っても簡単には事は運ばない。事務的な手続きの問題もあり、通常なら数週間かかる話にもなり得るだろう。
だが、伊吹マヤはそれを4日間で決めた。

今、高層ビル群の合間を縫うように、軽快に走る紅いスポーツカーがある。
一路T3CHに向かうその車の助手席に、マヤはいた。
膝の上に花束を抱いていることからも分かる通り、目的は勿論のこと神城一家である。

「先輩、すみません。お忙しいところを」
「何言ってるの」

ステアリングを握る金髪の女性は、マヤのその言葉に苦笑した。

「・・・・・私の今の肩書き知ってる?技術開発部・名誉顧問よ。
誰がどう考えたって、典型的な閑職じゃない。
お忙しいどころの話じゃないわ。暇を持て余して困ってたところよ。
それに私は自分の意思で随伴を申し出たのよ。この件には少なからず興味があるしね」

肩の辺りで切りそろえられた金髪に、モデルのような長身。それに、理系の人間であることを全身でアピールするかの如き白衣と、非常に特徴的な美女である。
年の頃は、30歳前後か。
白衣と、身に纏う理知的な雰囲気から推測すれば医者のようにも思える。
実際、彼女の走らせる車がT3CHに向かっていることからも、誰もがそう考えることは明白だ。
だが、その大方の見解に反して、彼女は医師免許を持ちながらも医師を本職とする人間ではない。
彼女の名は、赤木リツコ。
世紀の天才と呼ばれ、かつて『エヴァンゲリオン開発計画』の総責任者として活躍した、前技術部主任である。

「それより・・・・・」

ステアリングを握ったまま、視線を前方から逸らすことなく赤木博士は言った。

「あなたの方こそ大丈夫なの?今の主任は伊吹マヤなのよ」
「私は・・・・・平気です。もう『使徒』は現れませんから。
今は定期的な起動実験とパイロットの試験を行うだけですから、仕事は激減です。
それに、うちのスタッフは皆優秀ですから。指揮者が数時間いないくらいで揺らぐ人たちじゃありません」
「・・・・・そう。それは頼もしいわね」

赤木博士は、かつての教え子であった若き主任の姿に目を細めた。
伊吹マヤは自分にないものを全て兼ね備えている。そして、何より人間的にクリーンだ。
無論のこと才能もある。多分、NERVの抱えるオーバーテクノロジーを扱いこなせるのは、世界を探しても自分を除いては彼女くらいしかいないだろう。
そしていずれ、伊吹マヤは師である赤木リツコの高みすらも超えていくに違いない。

将来性に満ちた、だが自分の超越的才に気付かぬ若きモンスター。
閑職は閑職なりに、彼女の観察日記でも付けていれば面白いことになるだろう。
赤木博士は、最近になってそう思うようになっていた。
カリスマ性やスター性といった目立つ要素を欠いてはいるが、マヤの持つ天賦の才とセンスは、それ程にズバ抜けている。
現場主任の地位につき、管理職としても様々な経験を得てきた彼女は、今まさに花開こうとしているのだ。
だからこそ、汚れきった己を自覚する博士には、尚のこと彼女が眩しく見えるのである。
そんな博士の心中を知ってか知らずか、マヤは遠慮がちに口を開いた。

「あの、ずっとお聞きしようとは思ってたんですけど・・・・・、先輩はどうして医師免許を?」

赤木博士と言えば、彼女の母親を含めて『電子工学』の世界的大家である。
それでありながらリツコは医師免許を取得し、なおかつ心理学の博士号など、一見すると電子工学に何ら関連しないと思われる分野にまで触手を伸ばしている。
この辺り、純粋に情報関連の学問一筋に打ち込んできたマヤには不思議に思えるらしい。

「・・・・・・そうね、これといった動機はないんだけど。まぁ、嗜みみたいなものかしら」
「た、たしなみですか」
「医学の世界は面白いし、設立当初からNERVは人材不足だったでしょう。だから、他人に頼らずに自分で何でもできるオールマイティな能力が必要だったのよ。特に私のポジションではね。
チルドレンの健康状態や精神状態は、EVAのシンクロ・システムにも技術的に深く関連してくるし。
私が母の後を継ぐべき立場にあることは、高校生の頃から分かっていたこと。だから、医学や心理学を心得ておくことに損はないと判断したのよ。・・・・・母、赤木ナオコを科学者として超えるためにもね」

ふむふむ、とマヤは小さく頷きながら師の言葉を聞いていた。
赤木博士を前にすると、彼女はいつも、まるで学生時代に返ったような姿を見せる。

「でもお医者様って凄いですよね。人を癒せるんですから」
「癒す?」
「ええ。病で苦しむ人や、重傷を負って死の淵に立たされた人々を救えるじゃないですか。
お医者様はその意味でまさに万能薬。医学の勝利ですよ」
「・・・・・それは誤解よ」
「えっ?」

夢見るようなマヤの言葉に、赤木博士はステアリングを握ったまま言った。
その素っ気無いような反応に、マヤは思わず師の横顔を仰ぐ。

「病を癒すという発想も、怪我を治すという発想もすべては勘違いよ。
もし、『自分は人を癒す人間だ』と主張する医者がいたら、それは奢り以外のなにものでもないわ」

「えっ、でも・・・・・」

医者が治すのでなければ、一体何者がそれを行うのか。
マヤの表情は如実にそんな疑問を語っていた。

「病と傷を癒すのは、人が神から授けられた治癒能力。
医院はそれを最大限発揮できる場と設備を提供し、医師は医学を以ってそれを補助する。
・・・・・私が師事した、偉大な女医の言葉よ」

「はあ・・・・・。
それはつまり、病気や怪我を治すのは患者に備わった自然治癒の能力で、医師はそれを補助する役割しかないってことですか?」

「そうよ。それを理解していないと、医師は増長するわ。社会的な地位も高めだしね。
医師は神じゃない。医学も神の業ではないわ。それを患者、医者ともに知ることね。
万能薬は、医学でも医師の存在でもない。ただ、自然に備わった自己の治癒能力だけなのよ。
私たち医者は、あくまでそれを最も効果的に引き出す手伝いをするだけ」

「なるほど・・・・・。流石、先輩。勉強になります」
「そう。それは良かったわ」

赤木博士は言うと、改めて視線を前方に移した。

「・・・・・さて、着いたわよ。先方の到着予定は14時だったわね」
「ええ。もしかすると、もう着いて検査を受けているかもしれません」

博士の紅いスポーツカーに続き、護衛の車両が2台。それから2輪車が1台、T3CHの敷内に滑り込んだ。
聳え立つ巨大な建物の周囲は、目にも鮮やかな緑で囲まれており、日本の病院といった感覚はない。
どちらかというと、高級ホテルに迷い込んだような錯覚を抱くほどだ。
付き添いや看護士に付き添われた車椅子の患者らしき姿も多く見られることから、恐らく緑の多い病院の周囲は入院生活をする者たちの、ちょっとした憩いの場になっているのだろう。

「あの特殊救急車両、あなたが手配したやつじゃなくて?」
「あ、そのようですね」

赤木博士の言う通り、急患搬入口の辺りにNERVのロゴが入った救急車が止められている。
後部座席の部分を無菌室に改良した特殊タイプで、間違いなくマヤが今回のために用意したものだ。
白血病の患者は、化学療法と放射線の全身照射を受け、感染に対する抵抗力が著しく低下する時期がある。
簡単に言えば、病気と戦う力が全く無くなってしまうのだ。
こうなると、ちょっとした弾みで直ぐに病気に掛かってしまう。
それ故、この間は特に周囲の衛生状態に気を配らなくてはならない。下手をすれば命に関わる問題に発展するからだ。

「あれが到着してるってことは、もう神城ユウタ君は運び込まれているようね」
「そうみたいですね。私達も行きましょう」

マヤは花束を持って車を降りると、赤木博士と護衛を伴なって玄関ドアを潜った。





■12月25日 クリスマス
 第三新東京市


今、ある意味でNERV本部スタッフの注目を一身に集める少年、神城ユウタは、その日退院を告げられて自宅へ戻る許可を出された。
静岡から第三新東京市にやってきたイヴの日、ユウタ少年はT3CH(第三新東京市中央病院)で1日掛けた検査を受けた。突然症状が悪化するような時期ではないから、念の為の処置だ。

「結果は、CR。完全寛解の状態を保っています。
今日はご自宅に戻られて構いません。ですが、前の病院の時と同様に定期的な検査は必要です。
まずは、骨髄移植に備えましょう。ドナーが見つかってくれることを祈るのみです。」

医者のこの言葉を受け、神城家は一抹の不安を抱えながらも市内に用意された仮住居に戻った。
戻ったとは言っても、そこはNERVが用意してくれたマンションの一室で、神城一家も昨日引っ越しを終えたばかりの新居である。
聞いた話によると、そのマンションはNERVが所有する社宅らしい。先の戦争で、NERVのスタッフにも多くの死傷者で出たため、部屋に空きが存在するとか。
そこを、特例としてタダ同然で手配してもらったのだ。
チルドレンからは、自分たちの住まう『コンフォート17』マンションの一室を提供してはという声も出たと聞くが、これは保安その他の面からの理由で上層部からNGが出たらしい。
そこで伊吹マヤ女史が用意してくれたのが、その社宅だったということだ。

環境の変化に伴なうストレス等が心配されたが、ユウタは3LDKの小奇麗な新居が気に入ったらしい。
もともと大雑把な性格をしているせいか、住み処に頓着する気はないようで、転院・転居の際も文句1つ言わず、まるで旅行に行くかのようにはしゃいでいた。
だが、彼の機嫌が終始優れていたのは、他に大きな要因がある。

12月25日。そう。今日はクリスマスだったのだ。
今朝、病院のベッドで目を醒ますと、例年の様に枕元にプレゼントが置いてあった。
包装紙をもどかしく開けてみると、そこには『初号機』の超合金。
サンタさんからのプレゼントだ。ユウタは小躍りして喜んだ。
クリスマスに合わせて新発売された『超合金エヴァンゲリオン・シリーズ』は、ユウタが虎視眈々と狙っていたマニア垂涎もののグッズだ。これをプレゼントされて、熱狂的なエヴァ・フリークの彼が喜ばないはずはない。

「サンタクロースが初号機くれたよ!」

やっぱり、サンタクロースはスゴイ。イヴの日は病院に泊まったのに、それでも忘れず来てくれた。
チルドレンの次に好きだ。7歳になって字を書けるようになったから、今度手紙を書こうと決心する。
それから、貰った超合金を片手に、早速両親に自慢を始めた。
やってくる看護婦さんや看護士、ドクターたちにも、いちいち駆動個所の説明をして回る。
そして微熱があるのを忘れたかのように、お決まりのエヴァごっこをして遊んだ。
クリスマスを迎えた大抵の子供がそうであるように、彼は上機嫌だった。

サード・チルドレンの乗る『エヴァンゲリオン初号機』は、小さな男の子の間で最も人気が高い。
なにせ、サード・チルドレンはエース・パイロットなのだ。使徒を3人のチルドレンの中で、1番多くやっつけている。負けたことは1度も無い。やられそうになるピンチは何度もあったけど、いつも最後は初号機が勝つ。
しかも、彼はTVの中だけの存在ではない。本物。本当に世界を守った、正真正銘のヒーローなのだ。
この事実に、子供たちが心を躍らせないわけが無い。
ユウタもTVで初めて『新世紀エヴァンゲリオン』を見た時から、サード・チルドレンの熱狂的なファンだ。DVDボックス、プラモデル、チルドレン人形、グッズはみんな持っている。
今朝、新発売の超合金(おもちゃ)を手に入れたから、ますます完璧だ。
その上、両親がとてつもないことを言い出した。

「今日のクリスマス・パーティには、サンタさんより凄い人が来てくれるんだよ」

これも楽しみでたまらない。一体誰が来るんだろう。
ユウタはプレゼントの初号機を使ってエヴァごっこをして遊びながら、これ以上に凄い人なんているんだろうかと考える。

「ねえ、サンタさんよりスゴイひとってだれなの?」
「夜のパーティで会えるわ。楽しみにしていなさい」

何度訊いても、母はそうとしか答えてくれない。
もしかすると、サンタクロースの親子がやって来て、パーティで出会えるのかもしれない。
だとするとサンタさんが2人だ。2倍である。
ユウタはそんな風に考えて、終始ニコニコと笑っていた。

だが、来訪するスペシャル・ゲストの存在に胸を躍らせていたのは、何もユウタだけには限らなかった。
実は内心、彼の両親もかつてない種の緊張と興奮を感じていたのである。
ゲストの存在は、担当医を除いては看護士たちも知らない事実だ。
そして何より、ユウタの反応を想像すれば・・・・・神城夫妻は込み上げてくる微笑を抑えきれなかった。
きっと今夜は、そして今年の聖夜は忘れられない思い出になる。
そんな、確信めいた予感があった。





■同日 19時58分
 第三新東京市 E24ブロック
 NERV社宅 神城家新居


来客を告げる控えめなチャイム音に、神城ユウコは一瞬身を強張らせた。
伊吹女史の話によると、このマンションには20の部屋があるが、住人は1人もいないという。
つまり、隣人が訪ねてくるという可能性は限りなくゼロに近い。
時計を見れば、約束の時間の2分前。ドアの向こう側にいるのが、自分の想像している人物であろうことは間違いない。

食卓の中央に置かれたクリスマス・ケーキを口に入れる瞬間を、先程から今か今かと待ちわびているユウタを残し、ユウコとケンタは揃って立ち上がった。
インターフォンの受話器を取り、応対に出たのはユウコだった。
硬い表情で、相手方と一言二言挨拶を交わす。
そんな母親の姿を、小さな少年はキョトンと不思議そうな表情で見ていた。

「あなた、約束の方よ」

インターフォンをフックに戻したユウコは、夫に言った。それに、ケンタは頷いて返す。
そして2人は揃って玄関口に向かった。
かなり条件の良い物件であるこの社宅は、設備も非常に良い。動体反応を検知したセンサーが、マンションにしては広めの玄関を明るく照らし出した。
ケンタより1歩早く辿り着いたユウコは、玄関の頑強な電子ロックとチェーンを外し、ドアをスライドして開かせる。
最初に夫妻の視界に飛び込んできたのは、真夏のひまわりを連想させる金色の少女の微笑だった。

「夜分失礼します、神城さん」

TVで見て、美しい少女であることは知っていた。
だが、実物では破壊力が違う。少なくとも2人はそう思った。
この世に存在することに違和感を感じるほど、惣流・アスカ・ラングレーの纏う美は、世界が違った。

「はじめまして。私、NERV本部所属セカンド・チルドレン・・・・・惣流・アスカ・ラングレー3佐です」

そう言って、彼女はにこやかに右手を差し出した。
それが欧州では極一般的な挨拶である「握手」を求めているのだと気付くまで、ユウコは数瞬を要した。
軽く握ったセカンド・チルドレンの手は、しなやかで柔らかだった。

「ご存知かもしれませんが、ご紹介します。
こちらが同じくNERV本部保安局対テロ対策課所属、適格者安全保障室室長の葛城ミサト将補。
それから、ファースト・チルドレンの綾波レイ3佐。
そして、サード・チルドレンの碇シンジ3佐です」

サラっと紹介されたその3人は、ひとり1人が世界を震撼させる影響力を持ったビッグネームであった。
元作戦部長で、チルドレンたち直属の上司であり保護者役を務めていた若き指揮官、葛城ミサト。
月の女神というマスコミの呼称が、今や地球圏で通用する神秘の少女、綾波レイ。
そして最強のエヴァ、初号機を操るエース・パイロットとして女性に絶大な支持を受けている碇シンジ。
全人類にその名を轟かせ、そして各国諜報機関にマークされる、今やアメリカ合衆国大統領さえ凌ぐであろう、まさに世界最高の超VIPが彼らだ。

「想像してみて下さい。
英国のクイーンでも、ハリウッド・スターでも、世界的ロックグループでも、誰でもいい。
雲の上にいたと思っていた伝説上の人々が、ある日突然、自分の家のドアを叩いて言うんです。
『やあ、こんにちは。あなたに会いに来ました』・・・・・と。
仰天しない人がいるでしょうか?あの時の僕らは、まさにそんな境地に立たされていたんです」

後のTVインタビューで、神城ケンタはこう語っている。
彼のこの表現は決して誇張をきかせた大袈裟なものではなく、この時の心境を上手く表現していると言えよう。彼はまさに、度肝を抜かれていたのだ。

「あの・・・・・、ユウタ君に会わせてはいただけないでしょうか」

身体と意識を硬直させていた神城夫妻に、恐る恐るといった様子で話しかけたのは、あのサード・チルドレンだった。
全人類を熱狂させたTV番組『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公にして、ユウタ憧れの人物だ。
冗談事ではなく、地球人類を滅亡から救うために14歳の若さで戦った伝説的英雄である。
彼が目の前に存在して、こともあろうか自分に話しかけているという事実に夫妻は戸惑った。
そして思い知った。自分たちは今、信じ難いほどの奇跡の中にいるのだと。
そうでなくして、こんな現実があるのだろうか?
明日出勤して、同僚たちにこのことを話したとしたら、絶対に狂人扱いされるに決まっている。誰も信じはしないだろう。これは、それだけの出来事なのだ。
しかも彼らは、偶然ここに現れたのではない。自分たちの息子に会いに来てくれたのである。
ただ、そのためだけに、彼らほどの人物が顔も知らない一般庶民の願いを聞き入れ、こんな場所にわざわざ出向いてくれたのだ。
気付いたとき、ケンタは涙を流していた。

白血病は重い病だ。
特にユウタの場合は、命に深刻な危険性が及ぶまでに重篤である。
そんな重い病との長きに渡る闘病生活の中で、神城夫妻は多くの友人を失ってきた。
2度とは戻らない『日常』。異世界に突如迷い込んだ一家は、当然ナーバスにもなった。半狂乱になった時期も、支え合う日々に疲れ果てた時期もあった。当然、周囲に多大な迷惑をかけた。
そんな一家に付き合うのだ。周囲の人間たちも綺麗事では済まない。
ユウタが白血病と診断されてから早4年。最初は励ましの声をかけてくれた知人友人たちも、次第に神城一家から距離を置くようになり、そして付き合いは途絶えていった。
だがそんな中で、毎回愚痴に耳を傾け、優しく励ましてくれる人々もいた。
途切れた絆もあるが、心に染み入るような人の優しさに、今まで知らなかった涙を覚えたのも事実だ。
こんな経験がなければ、恐らく生涯知り得なかったであろう、偉大な優しさだ。
そして、今この瞬間も、神城夫妻はそれ感じていた。

「ありがとう・・・・・ございます。ありがとうございます・・・・・。本当に・・・・」

心からの礼を言える幸福を噛み締めながら、ケンタは全身全霊を込めて何度も頭を下げた。
そんなケンタに、シンジたちは慌てて駆けよって面を上げるように促した。
チルドレンたちにしてみれば、ただ頼まれたから足を運んだまでだ。
市内のNERV社宅ということで地理的にも非常に近いし、安全面でも保安部が全面的にサポートしてくれているので然程の危険を犯したといった実感もない。それ故、相手に涙まで流されては戸惑ってしまうのも無理はない。

「あの・・・・・ひょっとして、ユウタに会ってやっていただけるのですか?」
「もちろんですよ。この子たちは、そのために来たのですから」

遠慮がちに問いかけるユウコに、葛城ミサトは一同を代表して言った。
スクリーンを通して知る通り、彼女は気さくな女性だった。
そんなミサトの笑みに緊張が些か解けてきたか、神城夫妻は「玄関で立ち話も何だ」ということで、慌ててチルドレンたちを部屋の中へ招き入れた。
そしてユウタの待つリビングへと彼らを連れ添って案内する。
待ち望んでいた時が、直ぐそこまで訪れていた。






※医師は確かに骨髄移植をBMTと表記するのが一般的ですが、口語としてはあまり使いません。
少なくとも患者には、きちんと骨髄移植と言ってくれます(BMTと言う人もいるでしょうけど)。
劇中では、医学の予備知識のある者と無い者を明確に区別するために、敢えてこのような書き方をしています。



■ N E X T   ■ I N D E X   ■ M A I L   ■ O N L I N E   ■ B A C K