教会報「智も手も」より司祭の言葉

久々に再会すると
                             司祭 藤田 薫
 特に最近いろんな場所や集まりで久しぶりの再会の出来事があります。久しぶりの中には10年ぶりくらいは割と短い方で、20年ぶりや30年ぶり以上も珍しくなかったりします。
 さすがに30年以上になれば、すっかり歳をとって雰囲気も変わり、普通に街中ですれ違っていたら気が付かないような相手もいれば、ほとんど変わっておらずすぐわかるような相手もいて色々です。この現実の中での再会は時間の流れの中での出来事なので、互いに歳を重ねていく中での出来事です。ただ私はある種の疑似体験のような感覚に陥ります。ある種というのは、死後の話です。経験がないのでわかりませんが・・・。先に亡くなった人たちとは現実の中でこのように再会することは出来ません。再会するためには私自身も向こう側に行かなくてはならないでしょう。…多分。ただ、このように何十年ぶりに再会することがあるような感覚で、やがて先に亡くなった人たちと再び会うことがあるのだろうかと。それがキリストのうちにそのようにあってほしいと願っています。それはそうと以前から、それは職業柄のせいなのか、自分の死が迫っている事がわかっている人たちの中に私に会いたがる方が時々います。それは病者の塗油や、ゆるしの秘跡をということがまず多くの前提ではありますが、以前からよく面識のあり、本人の意識がはっきりしている方は、私に会いたかった、お話をゆっくりしたかった…という思いを伝えてこられます。その人たちにとって私はこの世にあってあの世に最も近い存在と認識されるのかもしれませんが、特別なことは何も知りません。ただ一部の何か視える人たちから魂が死にかけで生き続けているみたいなことを言われたことはあり、それが本当なのか違うのかはさておき、自分でもそのような気はします。それらの人たちには、もはや死神を恐怖ではなく光輝く先への案内者と認識するように、漆黒に黒ずんだ私の背後に光輝くキリストを見てくれているのなら、私もそれなりに役割を果たしたことにはなるのでしょう。実際のところそういう状態の人たちに私は目ではとらえられない輝きを感じるのでした。

                           「智も手も」No368 2018年11月号 11月25日発行より
---------------------------------------------------------------------------------------------

司教叙階式にて
                             司祭 藤田 薫
 さいたま教区にやっと新たな司教様をお迎えできたことを心から感謝しています。
 その叙階式にあたって私はささやかな信仰体験をさせていただきました。叙階式において私は畏れ多くも教皇から被選司教への任命書の日本語訳を読み上げる任を与えられていました。まあ、そんなに難しいことでもなかろうと深く考えずにいました。あらかじめその任命書の日本語訳は送られてくることになっていたので、来たら暗記するほど練習しておけば問題ないだろうと思っていました。しかしこのような任命書はすぐに送られて来ることはないらしく、手元に日本訳が届くのはかなり時期が迫った頃というような話をうかがいました。少なくとも一か月くらい前には届くかと想定していましたが、その考えは甘かったようです。実際に届いたのは5日前でした。そこにはこれは確認用で、これをプリントアウトしたものを持ってくる必要はなく、式用に用意したものがありますとのことでした。その言葉を信じました。みっちりそれだけに5日間費やせるなら暗記も不可能ではないかもしれませんが、慌ただしい状況にぶつかっており、ゆっくり練習する時間もありません。しかしちゃんと用意しているということだから大きな文字とかで書いてあり、きっと読みやすいものだろう、それなら暗記するほど練習しなくても大丈夫だろうと思いました。そして叙階式を明後日に控えた土曜日の朝、急に気温が下がって寒いくらいの日が続いたせいなのか、目覚めると声が枯れているような気がしました。おそらく気のせいだと自分に言い聞かせました。会議のために教区事務所に向かうとスータン姿にマスクをして半病人のようになっているY師に遭遇しました。私の声を聞いたY師は「…薫さん、あんたもか…」と枯れた声で言いました。これで気のせいではなく現実だったことが証明されてしまいました。この大事な時によりによって…とわが身を呪いかけましたが、スマホを見ているとSNSの中に、こういう時はパイナップルジュースがこのような時ののどに良いと書いてありました。時間がないのでそのトピックを信じて、子どもの頃以来長らく飲んだ記憶のなかったパイナップルジュースを1リットル購入し、飲み続け、24日の朝に飲み干しました。効果があったかどうかは私の声を聞いた方々が判断してください。
 司教叙階式では司祭の多くは(内陣に相当する)舞台壇上ではなくそのすぐ下の会衆席に着くことになっていました。私も当然そちらだろうと、そちらの行列に並んで式が始まるのを待ちました。すると何人かの司祭から「あんたがなんでここに並んでいる! あんたはあっちだろう」と追い払われてしまいました。さいたま教区の司祭は舞台に上がる側の列だったのです。しかし、全員が舞台には上がれないので、行列の前の方にいれば舞台の下になります。そこで行列の前のほうにひっそりと並んでいました。そのまま整然と式が始まることを期待していたのですが…。後方から私を呼ぶ声がしました。「薫さん! 薫さん! どこにいる?」Y師でした。Y師は私を見つけると、「あんた、そこじゃない。こっちだ」といってどんどん司祭の列をかき分けて後ろの方に進んで行きました。「ここっ!」 そこはもう後ろに司祭たちはいませんでした。「S神父と並んで被選司教の両脇に付く!」 それはまったく知らされていませんでした。おかげで任命書の事を忘れかけました。建物の外に出て行列の準備に入ったころ、一応任命書がちゃんと準備されているか確認しようと思いました。…が式長をはじめ式の進行を誘導する担当の司祭たちは慌ただしく動き回っていて、ちょっとそういうことを聞ける雰囲気がありませんでした。やはり、ここはちゃんと信じるしかないかと思い、練習用に持ってきていた任命書のコピーは控室の自分の荷物にしまったままにしておきました。長い入祭の行列の後、舞台に上がり、被選司教の左側に立ちました。説教壇の上にも棚にも日本語の任命書らしいものはありませんでした。そういうものはもしかしたら必要になった時に舞台裏か脇から漆塗りの賞状盆にでも入れて恭しく侍者が持ってくるのだろうかと思ったりもしました。しかし、そのような気配はなさそうだった。そして、ついに教皇大使がラテン語で任命書を読み上げはじめました。私はその背後に控えて立っていました。この期に及んでも日本語の任命書らしいものはなく、Y助祭が掲げ上げて会衆に向けて見せているのはラテン語の任命書でした。とても長く感じました。日本語の任命書はこんなに長かっただろうかと感じるほどに。やがて終わり、教皇大使が下がられると、私はすぐに説教壇には出ることができませんでした。矢吹助祭が促したので、私は「任命書は?」と尋ねました。Y助祭は「え? ないです」と。ああ、起きてしまった…最悪の事態が…と頭の中は真っ白になりました。式長のT師は小声で「じゃあ、日本語の朗読はカットということで…」と説教壇前に身をかがめて合図をしました。しかし、頭の中は真っ白でもY助祭の「ない」という言葉に私の手は反応していました。ポケットからスマホを出しました。かつてファティマの大聖堂のミサで日本語の福音朗読を頼まれていながら、日本語の福音朗読箇所のプリントを遥かかなたの聖母出現の礼拝所に置き忘れてしまい、日本語の福音朗読が出来なくなりそうになったことがありました。その危機において聖母のとりなしはスマホを通して成し遂げられました。スマホに聖書は全部入っていたことに気づき、事なきを得ました。ではこの時は…任命書はパソコンにダウンロードしていたのでスマホに任命書を入れた記憶はありませんでした。それでもなんとかすることは可能でしが、3分~5分はかかってしまいます。それでは間が開きすぎます。それにパニック状態でもありました。
 ファイルを確認すると…ありました。こういう時に指が震えたり画面がフリーズしたりするとすべて台無しになってしまいます。私の頭はフリーズしていましたが、指が震えて間違った画面操作をしてしまうことも、画面がフリーズすることもありませんでした。神に感謝! その様子が列席の方々にどのように映りどのように聞こえたかは、列席された方々に聞いてください。You-tubeで中継されていたので、映像でも残ってしまっています。司教叙階式に穴をあけなかったことを神に感謝! スマホを通して助けられる神に感謝!

                           「智も手も」No367 2018年10月号 10月28日発行より
---------------------------------------------------------------------------------------------

来なさい、そうすれば・・
                             司祭 藤田 薫
 ヨハネによる福音書では最初の弟子となる2人がまずイエスにした最初の質問が「どこにお泊りですか?」でした。イエスは言葉で説明することなく「来なさい、そうすればわかる。」です。かつてある教会の青年たちと修道会の神学院の敷地内にある教会を訪れた時、一通り施設内を見学したのち、そこで挨拶された柔和な物腰の老司祭が「私の部屋もご覧になりますか?」と部屋に招いてくださいました。さして見たいとも思ってはいなかったのですが・・・。扉を開いて見せていただいた部屋は、執務室ではなく寝室でした。驚いたことに、黙想の家などの宿泊者用の部屋程度の広さ(机とベッドだけでスペースのほとんどが埋まってしまうくらい)で私物らしいものはもちろん、余計なものが一切ない簡素な部屋でした。世俗的な価値観で見るなら、わざわざ来客に見せるような価値など皆無の部屋でした。しかし、信仰の目で見るなら、まさに天国へ迎え入れられる準備の整っているような、この世に囚われない修道者としての清貧が証されていました。私もその頃修道院にいましたが、私の部屋を訪問者に公開などすれば・・(高価なものなどは一切なかったのですが)想像しただけで冷や汗ものでした。思えば、その時から遡ること10年程、私が10代半ばくらいから教会の司祭館に入り浸っていたことを思えば、司祭の生活空間に身を置くことがその後を形成する上で不可欠だったのかもしれません。しかしながら、自分が司祭として歩み始めると自力で部屋を片付けられない性分が日に日に悪化し、司祭居室は人が足を踏み入れることが困難な空間と化してしまいました。あの老司祭の部屋にどれほどあこがれたことでしょう。また、かつてだいたいいつも灰色の薄汚れた作業着をまとい山谷で居を構えていたS師の襤褸アパートの屋根裏部屋の三畳間が天国に通じる聖なる空間のように思い出されました。どんなにあこがれても私の現実はかけ離れ混沌化し、その居室は地獄に通じつつあるようにさえ思えました。まさにその入り浸っていた部屋の恩師から突然電話で「そのうち春日部を訪問するよ」と。自分が受けた恩恵を思えば、そういう申し出には喜んで応じなければなりません。しかしながら私の居室はとても見せられない、私の司祭生活がどれほど地に落ちたかがわかりやすく視覚化されてしまっているでしょう。「こっ…来られる前に電話ください。(突然、思いがけなくはご遠慮ください)」その時は居室以外の場所でお迎えするしかないと思いました。だいたい個人的な来客に対してそうしてきていました。それ以降連絡はなく、いまだ実現はしていませんが・・・。しかし、そのような部屋ではうっかり死ぬこともできないと感じていました。心の状態は部屋に反映されているでしょう。散らかっていても本人がそれで落ち着くのなら良いと思います。ところが私の場合は散らかった部屋では落ち着かない。人にも見せられない。突然踏み込まれるようなことに耐えられない状態ないし状況。信仰者としていつも目覚めている態勢にもなっていないような感じがしました。……そういうわけで遂に人の手を借りて部屋の方は夏か本格化する前に片付けてもらえました。これで部屋に人を迎えることも、うっかり倒れたまま起き上がってこなくなっても自分ではいいかなと思える状態になりました。そういうこともあり、ゆるしの秘跡のための告白部屋のないこの春日部教会でどこでも告白部屋にできる衝立と跪き台を注文してつくってもらいました。どこにでも運べますが、
司祭居室に置いておいてそのままできる雰囲気になってきました。是非と宣伝したくはないですが、必要な方は遠慮なくゆるしの秘跡を。

                           「智も手も」No366 2018年9月号 9月23日発行より
---------------------------------------------------------------------------------------------

言葉の重み?
                             司祭 藤田 薫
 若造の頃、信者ではない親族や知人から、「聖書をどんなに読んだところで、人生経験には勝てない。人間は経験だ。」みたいなことをよく聞かされた気がします。人生経験を積んでいない若造には返す言葉もありませんでした。まだ「人生経験どんなに積んでも愚か者は愚かなままだ」などと言いたくても言える基盤もなく、経験を盾にされるならそれを上回る経験をもってしか否定できないように思っていました。しかも、このような考えにしっかりどこかで洗脳されてしまっていたようです。神学生時代の修道院の院長や養成担当が小神学校上がりで社会生活未経験者だったため、世間知らずで机上の空論ばかり語っているという印象を持つようになっていました。毎日ミサで説教を聞いていましたが、ほとんど何も残りません。説教は子守歌となり睡魔を呼ぶばかりでした。素晴らしくありがたい内容を日々豊富に耳にしても、心に響くことも、とどまることなく流れてゆくだけでした。修道会の担当する教会では、定年退職した信徒のMさんが事務員兼よろず相談窓口として活躍していました。日本語表現に限界のある外国人宣教師と異なりわかりやすい大阪弁と長い人生経験からくる説得力のある言葉、高い実務能力等はいずれも修道院の司祭たちにはないものばかりでした。しかし、主任司祭は自虐的に言いました「どんなにMさんの話が分かりやすくて上手でも、信者さんの多くはへたでも神父の話の方をありがたがるんです。」ある信徒の人は「海を越えて外国から来たというだけで重みが違う」と言っていました。それなら司祭であるということではなく、外国人宣教師であるということで重みがあるということになります。こういう信徒の目に若い邦人司祭たちがずいぶんやられて「外国人司祭を外国人だと言うだけでありがたがっている・・・」みたいな愚痴を聞かされていました。その頃私はまだ司牧者側から見た司牧の現場も、そういう風当たりも当然知らず、のちにさいたま教区で司祭として司牧の現場に立った時も、鈍感力が幸いしてかそういった感触を受けた体験はないどころか逆に「ちゃんと何を言っているのかよくわかって有難い」などとありがたがられ、陰口を言われていたとしても地獄耳を持たなかったことが幸いしてか知らずじまいでした。こういった評価の是非はともかく、過去見てきた世界を思い起こすと、かつてほぼ毎日右耳から左耳に抜けていた説教は、単に育ちの悪い自分の僻みという色眼鏡により、語る司祭たちが世間知らずで社会生活での過酷な人生経験に裏打ちされていないため迫力がないと勝手になめてかかっていたのかもしれません。それと日常的に良いものに満たされて満腹状態で感謝の心を忘れて聞く耳を持たなくなっていたのでしょう。そもそも話の迫力とは霊的な次元ではどうなのかわかりません。……そこで原点に戻ってみるならば・・・イエスが召し出した弟子たちに関して個人の力量や経験値などでは考慮されてはいなかったと思います。違うと思う人は福音書を読んで確認してください。何より決定的なところで皆、致命的に落伍しています。自身の知恵や功績で人前に立てる要素はないと言えるでしょう。それでふと思い出すのが、某カリスマ司祭は叙階後、結構長い年月、いかにも司祭らしい霊的な話など好んでするどころか避けてさえいる(私の知る限り)かのような印象でした。その彼の叙階後間もない時期に「司牧の現場ってさぁ…聖霊が働くんだよねぇ。」その頃その司祭はまだカリスマ司祭などと呼ばれてはおらず、そういう話題を真面目に話すこと自体がとても少なく、言い方も普段通りのとても軽い調子だったのでまるで重みが感じられなかったのですが、かえってそれが真実味を感じさせました。要するに、何を言っているかわからないけど有難くても、わかりやすいから有難くても、つまらなく聞こえても、面白くても…何が語らせているかなのです。主役は語り手ではありません。

                           「智も手も」No365 2018年7月号 7月22日発行より
---------------------------------------------------------------------------------------------

扉は開いて
                             司祭 藤田 薫
 聖堂の扉は24時間開いていることが望ましいと思います。しかし、それは色々簡単なことではないという現実があります。敷地内で聖堂が独立して建っている教会の中には24時間扉に鍵がかかっていない所も全くないわけではないですが少数ではないかと思います。私がいる時は、鍵は開けたままにしてあります。以前担当していた教会でもそのようにしていました。信徒の方々は心配していましたが、私が担当中夜中に泥棒が入った形跡はありませんでした。(日中マリア像が出て行ってニュースに映っていたことはありましたが。)しかし、担当司祭が変わると泥棒が入るようになったらしく、その2代後の担当司祭の時に食事に呼ばれて行った時などは中に司祭がいても鍵がかかっていました。やはり泥棒は私が金を持っていないのがわかるのでしょうか?
 春日部の前にいた教会では「泥棒は取るものがないかもしれないが、放火魔にでも夜中に入られたら火をつけ放題だ」と言われ、夜間は信徒が鍵をしめていました。私はこっそり裏口を開けておきましたが・・・。しかし、建物の扉を開けても、中にいる者の心の扉が開かれていなければ開かれた教会とは言えません。と、これは信徒の皆さんに言うより前に私自身が反省しなければならないことです。ずいぶん貝か天岩戸のように閉ざし続けていた気がします。新しい風に身を委ねましょう。

                           「智も手も」No364 2018年6月号 6月24日発行より
---------------------------------------------------------------------------------------------

今はどのような時か
                             司祭 藤田 薫
 ずいぶん前から日本のカトリック教会では司祭不足と言われて久しいです。しかし、そう言われていた頃の実情は信徒と司祭の比率でみれば、カトリック信者が多数を占める国々では数万人の信徒に対して司祭一人、日本では数百人に対して一人の割合だったと記憶しています。それもいよいよこれからは比率の問題ではなく不足してくることになりそうです。この日本では教会内の諸問題は教会内に限定されていることより、社会の縮図として社会問題がそのまま反映されていることが多いです。さいたま教区ではしばらく恵まれた状態が続いたため差し迫った危機感は感じにくいかもしれませんが、近年の司祭不足に関しては召命が少ないというだけにとどまることだけではなく少子化の影響も大きいでしょう。それが顕著なのはかつて邦人司祭の50%近くを占めていた長崎周辺です。
 また、かつては盛んだった盛大な飲酒もなくなり、教会施設内・敷地内での禁煙も普通になりました。これも教会における意識の向上というより、社会の影響でしょう。
 教会が社会の影響を受けるのは、自然なことかもしれません。残念ながら認知度が高い割に信者数のわずかなキリスト教の影響はどのくらい社会にあるのでしょうか。カトリック信徒の著名人やシスターの中で教会の枠を超えて広くその著作や講演等が親しまれていることはあります。しかし、カトリック教会との繋がりがどれほど良い意味で印象付けられているかはわかりません。知識としてなら、教会関係の出版社ではなさそうな出版社からわかりやすい解説本はかなり出ています。ただしそれは仏教や神道、イスラム教などの解説書と一緒です。先日、教誨師の集まりで、お坊さんたちが、後継者不足について話していました。少子化で寺を継いでくれる子どもがいないとか、独身の僧侶が増え後継者が生まれないなど・・・。
 こちらも宗教的な世界というより社会状態がそのまま反映されているようです。つまり今はどこでも人材不足であるということでしょう。単に組織上の維持という目で見るなら明らかに危機的状態です。私たちは絶滅危惧集団となるのでしょうか。だがしかし具体的な希望として多国籍教会の姿があります。すでに地方都市周辺はそれで成り立っているところが目立ちます。危機的状況は中途半端な安定や発展とは異なり奇跡を必要とします。
 そもそも教会は私たちの熱意や努力の次元だけでは生きたものにはなってはいません。
 教会に生かされる人たちは常にいます。そう感じています。可能性は常に開かれています。
 聖霊の風が豊かに吹きますように!

                               「智も手も」No363 2018年5月号  5月27日発行より
---------------------------------------------------------------------------------------------

にぎやか
                             司祭 藤田 薫
 教会が賑やかなのは、とても良いことですね。
 昔、私が春日部教会に居候していた時の事、電話で「お聖堂で静かにお祈りしたいのですが、春日部教会は日曜日のミサ後などそれが出来るでしょうか?」という、都内の出身者らしい未信者の方の相談がありました。私は「春日部教会では・・・それは難しいですね」と答えるしかなかったと記憶しています。
 大きな聖堂がある教会は確かにミサが奉げられていないときは静寂が保たれ、静かに祈るための聖域となっています。しかし、さいたま教区の特に埼玉県内の教会では環境的にそれが極めて困難な状況があります。
 そのせいなのか聖堂は祈りの場であり、静寂をまもる場所であるという感覚が欠落しているかのような教会共同体が多いです。
 それは、ミサにあずかる喜びのあまり高揚して静かにしていられないのでしょう。笑顔でミサに集えるのは実に素晴らしいことです。ミサは何しろお祝いですから喜びがあふれてくるのを抑えることは難しいのでしょう。

 以前、長江司教様の葬儀で出棺後、斎場まで向かうマイクロバスの中で、春日部教会の担当司祭であった二人の司祭、M師とN師が大きな声で会話をされていました。どちらも声がとても大きいのです。その会話の内容も長江司教様の思い出とかではなく、斎場に向かう途中という空気を読まないような、そこから見えていた建設中スタジアムに関して、ああでもないこうでもないというような内容だったと思います。長江司教様の親族の方々もそのバスに同乗されていたので、私は冷や汗をかいていました。そのうちバスの最後部の席に座っておられたS師が「まったく、子どもの頃にちゃんと親からしつけされてないやつはいい大人になってもどうしようもねぇな」とコメントされていました。
 しかし、長江司教様の親族の方々は不快な様子もされず、「・・いえ、にぎやかでいいですね。叔父もきっと一緒に微笑んでいるように思えます。」と微笑みながら自然な雰囲気でそう言われていました。M師もS師も今は向こうで長江司教様とにぎやかにされているのではないかと思います。

                               「智も手も」No362 2018年4月号  4月22日発行より
---------------------------------------------------------------------------------------------

目を覚まして…
                              司祭 藤田 薫
 過去を振り返ると、私が遭遇した面倒な事件は、深夜に起きていました。
 福音書の例え話のように夜中の来客もありました。しかし、こういう場合は面倒なので戸を叩く音に目を覚ましても、そのまま無視します。相手がどんなにしつこく叩き続けても、私は神様ではないので決して根負けして迎え入れたりしません。だが困ったことにその相手はどこまでもしつこく諦めない奴だったため、扉が開かないと外に回り部屋の窓に迫りました。不覚にも私は窓を施錠する習慣がなかったため侵入を許してしまい、朝早くから仕事であるにも関わらず、そのまま朝まで来客の相手をする羽目になりました。諦めて帰ったと勘違いして相手が窓に迫るのに気づくのが遅れてしまい窓の鍵を施錠しなかったことが悔やまれます。
 夜中に寝ている私を叩き起こし、金を借りて行った者もいます。福音書に従って貸した金は戻って来ませんでした。
 命令で引きこもりの青年の相手をやむなくしていた頃、夜中に行方不明になる事が多く、朝まで探索や待ち伏せで寝ることが出来ないこともありました。
 ちなみに私は夜型ではありません。とてもありがたくありません。私の昔話でした。
 そういえばイエスが捕えられたのも深夜でした。受難の出来事の始まりです。
 振り返れば神が特別に人にご自分を現される重要な場面、旧約聖書の中では日没後から深夜を通し夜明け前が印象的です。あたかも神の接近は闇に包まれ死の危険と恐怖のうちに迫るかのようです。(創世記15:12-18、32:23-31、出エジプト12:29、列王記上19:9以下)
 私たちは闇に包まれた現実の中でもがき格闘しながら静かに囁く神の声に耳を傾けながら生きていかなくてはならないのでしょうか…。
 …状況は闇に包まれていますが、そこで語られ展開するのは祝福と希望です。
 実現する救いは朝早いうちに来ます。
 この世界の闇がいつ終わるのかはわかりませんが、私たちは教会の典礼を通して救いの実現を体験します。困難な現実の前に私たちはイエスを見捨てて逃げた弟子たちのように引きこもるでしょう。イエスはそこに来られます。

                               「智も手も」No361 2018年3月号  3月25日発行より
---------------------------------------------------------------------------------------------

今回の四旬節は

司祭 藤田 薫

 まず、深い話ではなくある意味どうでもいいかもしれませんが・・
 今回、灰の水曜日は2月14日に始まり復活祭は4月1日です。現在のカトリック教会の暦では2月14日から聖ヴァレンティヌスの名前は外されています。皮肉にもバレンタインデイが日本の社会に定着してしまっているため、ご存知のとおり良く知られている次第で・・・言ってしまえばバレンタインデイに灰をかぶり、エイプリルフールに復活祭を迎えるということになりました。

 私としてはこの2月14日などは、カトリック信者は甘いチョコレートなどではなく『カカオ95%のチョコ○ート効果』を互いに送り合えば灰をかぶるに相当する効果が!・・・などと言ってみたいものです。(ちなみに私は毎日食べています。口には苦いが体には良いので霊的な賜物に似てお勧めです)
 さて…。今、私たちが生活している環境で目の前に聖書の舞台にあるような荒れ野はありません。しかし、私たちは日を追うごとに悪化してゆくかのような、未来に希望が見えにくい状況に生きています。私は特に最近そうなって来ているとは思いません。昔からかたちを変え見えやすい時、見えにくい時があっただけで危機的状況は常にあったのだと。 この閉塞感こそ私たちにとっての荒れ野です。参考のために私の閉塞感体験を。…あまり具体的に語りたくはないので具体的に語りませんが、その閉塞感のうちに死んだ方が楽なのではないかと感じたことはありました。そういう時の心象風景は荒涼とした荒れ野のようでした。イメージとしてそのように浮かんで見えるというだけではなく、砂を噛むような感覚はまさに砂漠にいるような感覚として記憶に残っています。大事な事はそこからです。

        私は静かに神を待つ。私の救いは神から来る。

                               「智も手も」No360 2018年1.2月号  2月25日発行より
---------------------------------------------------------------------------------------------

2017年12月号
聖なる夜

                               司祭 藤田 薫
御降誕は世の闇に希望の光が眩く輝いた出来事。
今年もまた迎えます。

世界中で大勢の人がクリスマスをお祝いしています。
 おそらくみなさんそれぞれ物心ついた頃からクリスマスをお祝いした数多の楽しい思い出を重ねて来たことでしょう。カトリックの家庭に育たなくても、戦後世代の方々ならばクリスマスが祝われていたのではないかと思います。
 キリスト教文化圏では教会で祝う以上に、それぞれの家で祝う家族の幸せな思い出を積み重ねてゆく夜でもあるようです。
 
 日本にいると残念なことに25日から翌年の1月6日までの降誕節全体をお祝いの時期として迎え祝い続けることは難しいです。理由は皆さんもご存知のことかと思います。25日でクリスマスムードから年末ムードに切り替わるでしょう。キリスト者はご降誕と年末年始を別物にするのではなく降誕節として過ごします。クリスマスの飾りをしたまま年を越すのは、日本人としては近所の人等から「まだクリスマスの飾り片づけないのか」と変に思われるかもしれません。しかし、それがキリスト者であることの主張にはなるかもしれません。

…それはともかく、神の国の完成には未だ至っていません。
2000年をすでに超えてしまいましたが、ご降誕に始まる喜びの出来事が・・繰り返され続ける戦争や災害や貧困(にブレーキをかけるようなことはあっても)・・この世界でつづく様々な苦しみを消し去るには至っていません。

キリストがお生まれになったその世界は、壮大な発展と繁栄の極みに向かっていました。しかし、平和が常に続いていたわけではなく、すべての人が不自由なく幸せに暮らしていたわけではありません。
発展と繁栄の陰に取り残されるように大勢の貧しい人たちがいました。また圧倒的な支配者の武力に対して、武力によって反乱を起こし十字架刑に処せられる者が後を絶たなかった時代です。

今の私たちの世界も、大都市に足を踏み入れるなら、ひと昔前では想像出来ないほどの壮大な発展ぶりが見られます。
この聖なる夜はその実りが(年々クオリティーが上がり)美しいイルミネーションの彩りでこの世界を包みこんでいるでしょう。
そういうこの世界の繁栄ぶりを見ると、イエスのお生まれになった時に重なるものを感じます。
この世界の闇は相変わらず深いのです。
主の御降誕を知らせた星の光も羊飼いたちの前で輝いた主の栄光も人が灯す光ではありませんでした。神の光です。
私たちは闇夜にお生まれになったまことの光キリストをお祝いします。
現実の世界の闇が終わる時がいつなのか未だにわかりません。

…しかし、『光は闇の中で輝いている』のです。

                               「智も手も」No359 2017年12月号  11月26日発行より
---------------------------------------------------------------------------------------------

陽が短くなってきました
                               司祭 藤田 薫
 ひどい事件が多いと世の中悪くなったみたいな言い方をします。しかし、それは今に始まったことではないでしょう。わが身ひとつ振り返ってみただけでもそう感じます。何しろ昔のことはよく覚えているものですから。
 私が幼少の頃、生育環境が激変したのは今ぐらいの時期だったように記憶しています。
 肉親との別離に始まり色々あって色々苦しかったのです。虚弱体質で痩せこけていて骨と皮だけなどと言われており、ひどいアレルギー性鼻炎を患っていました。当然食は細く、日が暮れると熱を出して寝込むことが多かったらしいです。寝込んでいた時に勝手に家に「にゃあ~」と鳴きながら上がってくる野良猫があの世からの使者のように不気味に映りパニックをおこし泣き喚いたこともありました。いつの時代でもおそらく小さな子どもは同様ではなかったかとは思いますが私も特に夜の暗闇は恐ろしく、魑魅魍魎みたいな得体の知れない何かがそこに潜んでいる気配を感じ本気で信じていました。現実の世界では誘拐事件が多発していたと記憶しています。知らない人に付いて行ってはいけないと言われていました。子どもをさらうのは魑魅魍魎ではなく同じ人間であることがこの世の闇の深さかと。その他にも親が子供を殺すという事件もニュースなどではなく地域の出来事的な話で耳に入っており、実際キレると非常に恐ろしかった親を知るわが身なら他人事に思えず、一つ間違えたら殺されかねないという妄想とおぼしき恐怖を味わい知らない人である誘拐犯どころか実の親すら、いつ恐怖の対象に転じるかわからない始末。
 私の激変は環境の方も郊外から大都会に移っていたということがありました。夜になると外はまっ暗だった環境から、夜の闇などなくなったかのようにどこでも街灯で照らされ、繁華街は派手なネオンの世界だった記憶があります。おまけに家は繁華街沿いでした。この世界の繁栄を謳歌するがのごとく夜の街は派手に落ち着きなく様々な色と動きに照らされていました。
 か弱い幼児だった私には死は遠いものではなく身近に感じられるものでしたが、その現実から私の目を逸らさせたのは、まさに高度成長期のこの世界の繁栄ぶりでした。謳歌する物質文明は子どもの目を奪い欲望をそそる物に事欠きませんでした。欲望は生命力を活性化させてくれる。または命の危機が迫る状況でも逆に生物としてプログラムが作動し生命力が活性化するのでしょう。
 教会を知るのもまたこの時期でした。十字架の意味などわからなかったでしょう。しかし、その姿はまさに恐れ苦しみ死を見せつけて来ます。電気のもたらす明るい世界に包まれて見ないようにしている自分の死への恐れや病弱な身体の苦しみが呼び覚まされてしまいます。十字架の道行のステンドグラスがとても不気味で恐ろしく感じていた記憶があります。まさに闇です。
 その時私が幸せいっぱいだったなら、そこに反応しなかったでしょう。でもとても苦しかったのです。だから苦しそうなイエスに反応したのではないかと。その想いはただの思いこみや妄想か後からの記憶の刷り込みなのかと言われれば否定はできません。
 しかし、私にとっての希望はその闇から始まりました。そういえば神の子が人としてお生まれになった時代、その世界は繁栄の極みに達していたようです。人間の文明が1つの頂点に達していた時代です。その環境においても死の現実、恐れ不安がなくなるわけではなく、世の中は変わることなく繁栄を続けることもなく闇は決して消えませんでした。
 キリストに希望を見出した者は神の国の到来を待ちのぞみました。この世界はそれから時間が随分過ぎて行きました。しかし教会を約束の窓口として待ち続けています。私もそこに生かされて今現在までとどまっています。
                                    「智も手も」No358 2017年11月号  11月26日発行より

---------------------------------------------------------------------------------------------


祈りの時、神時間

                              司祭 藤田 薫
 かつて『黙想と祈りの集い』のUさんに青年のための黙想指導をお願いしたことがありました。
 その中でUさんは深夜2時からの祈りについて語ってくれました。 
 「この時間は・・・自死が最も多い時間だそうです。」
 ぎょっとしました。その時間が丑三つ時であることは知っていたし、怪談話の舞台となる時間だという認識ぐらいはありましたが・・まさか黙想の中でそう来るかと。
 「それはこの時間が人間の神経が最も敏感になるということです。」
 なるほど、それで普段なら見えないようなモノまで視えてしまうと。
 聖書の中でも神が人に特別な顕現やしるしを行う時間は明記されてはいないものの、(創世記32:25、出エジプト12:29、列王記上19:9~13、)主の降誕、最後の晩餐後のゲッセマネでの祈りなどは真夜中の出来事とされています。
 「この時間に祈ってみましょう。その時にどこかで死を選ぼうとしている人たちのために心を合わせながら・・」
 深夜2時からの祈りは自由参加でしたが参加しました。
 ゲッセマネでの弟子たちのように睡魔に呑み込まれてしまうのではないかと思いましたが、そういうことはありませんでした。なぜならUさんの導入の祈りと様々な苦しみの中にある人たちのための祈願、その中でも特に「今この時、自ら死を選ぼうとしている人のために祈ります。」という言葉は睡魔など叩き潰してくれました。沈黙に入ると闇の中でひたすら重い気分で黙想していた記憶があり、その後何か期待するような特別なことが起きたりはしなかった記憶が残っています。
 この時はまだ知るはずもなかったことですが、この後私の身の上に起こる人生の岐路、生死に関わる大きな事件や出来事は確かにこのあたりの時間に起きていたのでした。
 『見よその時、主が通り過ぎて行かれた。主の前で強い大風が山を裂き、岩を砕いた。だが風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。だが地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が来た。だがその火の中にも主はおられなかった。火の後にかすかにささやく声がした。』(列王記上19:)
                          「智も手も」No357 2017年10月号  10月22日発行より
           ----------------------------------------------------------------------------------------------     
強い風に揺られて
                              司祭 藤田 薫
 かつて何度か外国の海でも国内の海でも船旅にて時化に遭い激しい波に揺られながらも大波を頭上に眺めながら船酔いすることもなく無事目的地にたどり着きました。思い起こせばこれが旅の醍醐味です。

 この夏の旅は台風が迫っていました。行きは問題なくても帰りは予報ではほぼ台風とぶつかっていました。こういう時いつも思います。どうして出発前に台風で電車が止まり中止にならないのだろうかと。
 予想通り帰りは台風で横殴りの雨に攻められ広島駅までたどりつくと、本線以外はほぼ止まっていました。その本線も次の列車はありませんでした。乗りそびれたらその日は大阪にたどり着けなかったでしょう。
 台風とともに目的地に無事到着。翌日、期待に反し台風は去らずに待っていてくれて米原→大垣の間がのろのろ運転。関ケ原あたりで電車がとまりそのままそこに閉じ込められそうな閉塞感を味わい、1時間以上の遅れが出たものの、なんとか無事に戻ることが出来ました。

 気候変動は極端に激しくなることが多くなりました。地球全体がそのようです。これに色々人災も絶えません。

 天災も人災も絶えることなく私たちを脅かします。

 教会はかなり早い時期から船に象徴されていました。こういう時代の荒波の中も旅する教会です。 まず「落ち着いて静かにしていなさい」(新共同訳。フランシスコ会訳は「気をつけて、冷静にしていなさい」イザヤ7章4節)

 さて・・・・先立つイエスに身を委ねて・・・。 

                          「智も手も」No356 2017年9月号  9月24日発行より
--------------------------------------------------------------------------------------------------

          求めなさい、捜しなさい、たたきなさい。
                              司祭 藤田 薫

この御言葉はいつも肝心の部分が抜け落ち、気がつくと自分を追いつめてくる苦手なものでした。まるで鬱気味の時にがんばれと言われるようなもので……。
 私は幼児の頃、かなり落ち着きがなく元気で積極的だったようなのですが、成長するにしたがってひ弱になり心身ともに軟弱になってゆきました。
 積極的な行動が一切苦手でした。そういう内気で重度の人見知りの私が中学生の頃、恩師から、行動力も決断力がまるでない私に必要を感じてか教え諭されました。「もし真冬に川に落ちてずぶ濡れになった人がいたら、それが夜中でも、すぐ目の前にある家の扉をノックしてその家の人を起こして毛布を貸してもらうことが出来ないとだめなんだよ!」と。
 その頃私にはとても出来ないことでした。夜中に知らない人を起こして毛布を貸してくださいなどと言う度胸はありませんでした。そこに私しかいなければその人は凍死してしまったでしょう。
 ありがたいことに今日までこのシチュエーションが現実になったことはありません。自分がずぶ濡れになったことはあった気がしますが……。
 確かに求め、捜し、たたけば与えられ、見つかり、開かれるのですが、私は他人と積極的に関わるのが大の苦手な内向型人間だったのです。そのせいかイエスが殺された後、扉に鍵をかけて引きこもっていた弟子たちには大いに共感出来たものです。
 かつて夜中にやってきて寝ている私が起きるまで扉を叩き続け、金を借りて行った後輩がいました。はっきり言ってそんなやつに金など貸したくなかったのですが、貸さないとしつこく居座って寝かせてくれなそうなので、追い払うために貸したのでした。そしてその貸した金は戻ってきませんでした。
 色々具体的にイエスのみことばどおりの顛末ではありました。信仰者としては見習うべき態度かもしれませんが、私はこの後輩のような図太さや厚かましさがあったなら神に身を奉げることなく社会人としてたくましく生きることが出来たでしょう。
 しかし、冒頭の抜け落ちた肝心の部分とは、求める、捜す、叩く相手は人ではなく神に対してということ。祈りのことなのです。実際私は祈りなしにはまともに何も出来ません。
 祈りがなければ逃げ出して行方をくらませてしまうでしょう。
 弱い時こそ祈りの力が強さになります。

 私自身がそうであることを証明しているでしょうか?
 最後は皆さんそれぞれいずれかを○で囲んで選んでください。

 ①はい    ②いいえ   ③わからない 
 ④その他(                        )

                                    「智も手も」No355 2017年7・8月号  7月23日発行より

--------------------------------------------------------------------------------------------------


         
主よ、あなたがわたしをそそのかし・・・
 
                                   司祭 藤田 薫

 やりたくないことは多いです。暑い時に出かけて動き回るとか、わざわざ人混みに行くとか本当に嫌です。もう10年以上前になるが8月に中高生を引率する広島平和巡礼の話が立ち上がっていた。内容を聞いたとき正直勘弁してほしいとおもいました。青春18切符なるものを使い、始発でこちらを出て列車を乗り継ぎながら14時間以上かけて夜9時近くに広島に着くという計画でした。聞いただけで意識が朦朧としました。最初の時の団長は私ではなかったものの「子どもの信仰教育委員会」の担当司祭だったため私も行くことになってしまっていました。時期が時期なので台風がくれば電車が動かなくなり中止となることをひそかに願っていましたが、祝福されているように大変天候に恵まれました。それ以降中高生を引率する平和巡礼は隔年で行われています。その間も天候の具合で中止になる事を期待している私をあざ笑うかのように一度も中止になっていません。熱中症でダウンしたり、大勢人が集まり混み合う場所でグループからはぐれて迷子になる中高生は誰も出ませんでした。ただ私がはぐれただけでした。
 また同じような頃、司教様からやれと命じられた大勢人が集まる企画がありました。9月の上旬にやれと言われ、意識が朦朧としました。準備を進める中で、スタッフは数人しか集まらず色々難しい問題もあり企画倒れになりそうだったので、いっそそのまま企画倒れになれば2度と司教様も私に頼まなくなるだろうと密かにそっちを願いました。あとは時期が時期なので雨天中止の可能性も期待しました。その期待に応えてくれるように台風が接近中となりました。しかし、台風は足踏み状態になり酷暑を和らげ熱中症を出さないような程よい曇り加減の中その企画は開催されました。数人しかいなかったスタッフも前日の夜になって次々と集まり、30人ほどに増えていました。色々プログラム上も問題だらけだったのですが士気の高い元気なスタッフが大勢そろったため何とか乗り切れました。
 その翌々年も会場を変えてその企画は開催されました。この時は早い段階から十分なスタッフに恵まれ、綿密な準備が重ねられてきました。この時は雨天ならば雨天用の別なプログラムを用意しました。私としては雨が降ってくれたほうが大変さも少なくなるのでその可能性をひそかに願っていました。すると奇跡のような出来事が・・・。会場とその周辺のみ雨が降らず、それ以外の周りは雨だったのです。
 私は思わずエレミヤ書20章7節をつぶやきたい気分でした。「・・・あなたの勝ちです」と。これらのことを大変できついと愚痴ると他の「子どもの信仰委員会」の委員から「薫さん居るだけで何もしてないのに何が大変なの!」と返されて終わりです。

                                      「智も手も」No354 2017年6 月号  6月25日発行より

--------------------------------------------------------------------------------------------------

・・・宣教・福音化年にむけて

司祭 藤田 薫

これは改めて強調する事というより私たちに常に呼びかけられている事です。

 

しかし、これにふれる前に、まず私が自分自身を振り返ってみると…

修道院にいた頃、毎日ミサがあり、説教も毎日ありました。神学校でもそうでした。

ありがたい恵みも毎日受けていると、ありがたみを感じなくなってきます。

週に一度ミサの中で説教の部分で「分かち合い」をしていました。修道院のメンバー全員がそれぞれ心に浮かんだことを語るわけで、結構な長さになります。これに外国から来たばかりで日本語がまだわからないメンバーのために通訳をすると時間はその倍の長さになります。霊的に深まっていればそれは大きな恵みであり喜びとなっていたでしょう。

しかし、罪深い私は霊的に深まるどころか長い話を我慢して空腹と戦いながら聞き続ける忍耐力のみ養ったということで霊的には浅くなる一方だったと思います。(後にこの忍耐力も崩壊し、長話アレルギーになってしまったようです。)

まさに霊的飽食状態。少年時代からミサで侍者をしていて説教が始まると睡眠状態に入る習慣は改善されることなく、身体は説教が始まると条件反射で睡眠状態に入ります。

 

こういったことは表層的なロクでもない部分で、深い部分で罪深いのは隣人愛・兄弟愛の欠如、いがみあい、蔑み、思っただけで人が死ぬなら凄いことに・・など。与えられた恵みが実を結ぶどころか、十字架のキリストの傷をえぐるような態度を繰り返す日々。

 

まさに、旧約聖書におけるイスラエルの民や福音書におけるイエスの弟子たちに自分をかぶらせてしまいます。尊い神の教え、キリストの教えに直接ふれていた時、右の耳から左の耳に抜けてゆく。意味を理解しない出来ない。肝心の時、裏切る、寝ている、逃げ出す。

 

・・・たびたび罰が下り打ち砕かれました。

そういう愚かで良くない例に関してはとても自分は聖書的である・・などとここは自慢します。だからこそ神の愛について身をもってあかしできるところがあるのです。

神は人間的に立派な人を通して福音を伝えられたのではなく、弱く賢くもなさそうな人たちを選ばれました。神の愛は救いがたい者にこそ強く深くそそがれ現されると。

私たちが誇りたくない部分こそキリストのしるしがあらわになるところです。それが私たちそれぞれの担う十字架。

自分のことばで語るには、時に自虐ネタのように自らの恥ずかしい体験を通して知るに至った神のゆるしと愛を語るようなものでしょう。

                              「智も手も」No353 2017年5月号  5月28日発行より

--------------------------------------------------------------------------------------------------

ふっかつ

司祭 藤田 薫

ご復活おめでとうございます!

司祭として春日部教会で迎える初めての復活祭となりました。

さて、復活祭にまつわる思い出話を少々いたします。聖劇というとすぐに思い浮かぶのは降誕劇ですね。日本でも多くの教会で子どもたちによる聖劇を見ることが出来ます。カトリックの国々では、聖金曜日に受難劇やキリスト役の人物が実際に十字架を担ぎ、十字架につけられるまでを再現する祭りが行われる習慣があるところが少なからずあるようです。受難劇は血なまぐさい眺めが苦手な日本人からは好まれないからか、日本ではやっている話を聞いたことはありません。そういうことなのであえて私は2度ほど自らキリスト役になり受難劇をやってみたことがありました。その内容についてご復活をむかえている今この紙面にて語るのはふさわしくないでしょう。ただ今そこにふれるのは次の問題があったからです。

それは復活。

受難劇はあります。しかし復活劇はというのはどうでしょう。私は知りません。かつて聖金曜日に受難劇を行った時、そこの教会の信者の方々から「聖金曜日に教会に来られる限られた信徒だけに披露するだけでは、もったいないので、日曜日の復活の主日のミサのあとにもやってほしい」と頼まれました。しかし、復活祭後に受難劇というのは、ふさわしくないでしょう。やろうとは思いませんでしたが結局、ピラト役でもあった主任司祭も多くの、(あたかも「殺せ、殺せ、十字架につけろ」と叫ぶユダヤ人たちのような、)望む声に同意せざるをえなくなり、その勢いに押しつぶされ、復活の主日のミサ後にも受難劇をする羽目になりました。しかし、復活の主日にやる以上、復活まで続けてやらないとさすがに・・と思いはしました。

しかし、それが難題となりました。そのプレッシャーもあってかスタッフとキャストともに徹夜祭後に稽古を続けたのち、気づけば徹夜で酒(しゅ)と交わり続けたおかげでひどい二日酔いになってしまい、受難の場面は迫真の演技だと勘違いされたようでしたが、苦しくつらかったのは演技ではありませんでした。その状態で私に復活したキリストまで演じるのは無理に決まっていました。それはもう冒涜です。監督「やれっ」私「やれない」で激しく争いました。「ええやろ、脱がされた服、また着て出たらえーだけや」「・・そういう問題ではない」「この期に及んで復活せんとかいうならホンマに殺したろか」などと傍で聞いていたらわけのわからないやりとりになりながら双方譲らず、唸りながら福音書の復活の場面とにらめっこをしていると、

マルコによる福音書の復活の場面に目が。「こっ・・これや‼、補遺がついてなかったら復活したキリスト、姿見せてない‼」「それだ」代わりに天使役を弟子役の中から一番顔の整った高校生を選んでやらせることに。しかし急に天使役をふられた彼は「・・セリフ長くて無理」

と監督は「・・立ってるだけでええわ」と。「セリフは?」

「舞台のそでで・・・俺が威厳ある声でマルコ1667節の天使の声出したる」「じゃあ天使は口パク?」「・・・声と口の動き合わせる練習しとる時間がないから無理や。・・・・・ええわ、天使は口閉じたままでも声出る」この判断は結果的に正解でした。

そしてめでたく私は復活したキリストを演じることから解放されました。

そして、

「驚くことはありません。あなた方は十字架につけられたナザレのイエスを捜しているのでしょうが、ここにはおられません。復活されたのです。ご覧なさい、ここがお納めした場所です。さあ行って、弟子たちに、特にペトロにこう言いなさい。『あの方は、あなた方より先にガリラヤに行かれます。かねて言っておられたとおり、そこで、あなた方はあの方に会えるでしょう』」で終わりました。この劇を見ていた会衆はこのからの墓の場面に最も感動したということです。演じなくて本当によかったと今も思っています。

「智も手も」No352 2017年4月号  4月16日発行より




                怖かったこと
         
                                     司祭 藤田 薫
                                                     
  幼少時に恐ろしかったものの1つに注射がありました。おそらくそれは多くの人に共通している恐怖かもしれません。予防接種の時期が近づいてくると、死の判決が近づいてくるような恐怖感が日々強まり、当日になれば朝から不気味な恐怖に打ち震え憂鬱でした。風邪などで病院に連れていかれるのも、注射をされるかされないかは天と地ほどの恐怖の差がありました。痛みは残るものの、その後の解放感は、闇から光に解き放たれたかのようでした。
 これが今度はメンタルな恐怖の体験となると「共同回心式」なるものがありました。大きな教会はだいたい待降節中と四旬節中に行われるものです。中高生の頃の記憶では昨今のこの近辺の教会では考えられない、5~6人の司祭がそのために来られていた気がします。その頃は典礼の季節などほとんど気にしていなかったため、ミサに行くと(ほぼだいたい遅れていく)大勢の司祭の姿が見えるか、聖堂内に臨時の告白スペースが設置されていると、「その時」なのでした。ご存知の方は多いと思いますが、説教の後に共同回心式が始まるので、共同回心式をパスしてミサにあずかり聖体拝領をするのは極めて困難(不可能ではないものの、それをやれば罪に罪を重ねるような気になるためさすがにできなかった)。このやり方は逃げ場を失い、半強制的に告白をしなくてはならない状況になるため恐怖でした。告白するようなことはいつでも果てしなくあったわけですが、それらの罪を告白することは、昔の言い方では清水の舞台から飛び降りる、今風なら多分、高所恐怖症がバンジージャンプに挑戦するようなものと言えば良いでしょうか。
 終わってしまえば注射が済んだ後の時に似た感覚(残る痛みを除き)と心安らかにそのミサにあずかり、来るべき大きなお祝いに顔を上げて迎えることが出来る気分になったように記憶しています。そもそも予防接種や治療のための注射は、身体を守るためにするものですが、一瞬でも痛みを伴うことから幼少時には恐ろしいものになってしまっています。
多くの治療には痛みや苦痛が伴います。私たちの回心にも同じ事が言えるでしょう。治療を好む人は良いのですが・・病院嫌いの人が、痛みへの恐れから適切な治療を遠ざけるように、癒し手であるキリストに向かいあうことを恐れるのでしょうか?
ゆるしの秘跡における罪のゆるしには、大変な治療に必要となる長くかかる痛みや苦しみのプロセスはありません。告白の苦しみがあるだけです。苦しみが大きければ大きいほど、キリストの癒しと愛を深く知ることになります。
四旬節は特に私たちにとって、ふさわしく清められるための期間です。
            

「智も手も」No351 2017年3月号  3月26日発行より





        自分の愚かさゆえに

司祭 藤田 薫

困った時に助けられる体験ばかりは豊かにあります。それを告白すれば本が何冊も書けてしまうと思います。今回は自動車関係に限定して告白します。それでも詳しく描写すると長くなるのでダイジェストにします。

ずいぶん前の事、自分の車のキーが紛失したため、スペアキーを使っていました。そもそもよく物を無くします。信号待ちをしていると、運転席の窓をコンコン叩く高齢者の姿が。こんな道路のど真ん中でこんなことをしてくるとは認知症の高齢者ではと、厄介そうだなと思いました。仕方なく窓を開けるとその人の手に私の車のキーが…「後ろを走っていたら、この車のトランクにキーが刺したままになっていました」と、その方は信号待ちを見計らって、自分の車から駆け下りてキーを抜いて渡しに来てくれたのでした。その親切に感謝の気持ちと自分のボケぶりに恥ずかしくなり死にたくなりました。
 また随分後の別の時、給油後しばらく走っていると、信号待ち中、また高齢者の方が窓を叩き、「給油口開けっ放しだったので、外の蓋を閉めておきました」と。セルフのガソリンスタンドで蓋を閉めずに、中の栓を置いたまま出て来ていたのでした。感謝とともに心の中で自分を罵りました。

こういうことは、他にも何度もあり、親切な他のドライバーの方々のおかげで事なきを得ました。その度に自分を罵りましたが、どんなに罵っても同じような過失が治りません。(今の車は栓に紐が着いていて離れないようになっているので、置き忘れることはありませんが・・)

またある時、荒涼とした人気のない、民家も周囲にないような場所で車がパンクした時(現在ならば自力でタイヤの交換が可能であり、かつ今の車はそういう場合交換せず応急処置が可能なので、こういう話にはならない)4つあるナットのうち2つまでは外せたものの、3つめが強固でびくともせず、途方に暮れ(こういうことに対応可能なサポートもしてなかったこともあり)、そのうちだんだん考えるのをやめ、やがて天にすべてをゆだねました。何十台もの車が通り過ぎていった後、やがて一台の車が止まりました。50歳代くらいの男性と、70歳代くらいの男性が下りて来ました。若い方の男性が苦闘の末なんとか3つ目を外すことに成功。しかし、4つ目は固定されているがごとく・・。それでは自分がと年配の方のほうも「う~ん、う~ん」と顔を真っ赤にして頑張って挑戦してくれたが、もちろんびくともしません。それ以上頑張られると健康上危険なことになりかねないので止めました。3人で途方にくれていました。どのくらい途方にくれていたかよく覚えていませんでしたが、日は暮れかけていました。目の前には、廃品回収置き場があり、人の気配はなかったのですが、やがてそこに廃品を積んだトラックが入ろうとしてきました。若い方の男性がそのトラックの前に走って行き、そのトラックを止めました。そのトラックから大柄のインド人とおぼしき人(そうでなければバングラディシュかパキスタンか)がおりて来ました。この状況を打破できる真打登場と私の目には映りました。4つ目のナットは一瞬で外れました。「ヤッター」とみんな喜んでいました。

いずれも、自分がちゃんとしっかりしていたなら起きなかったエピソードです。

そもそも、私のように不注意な人間が今まで誰かを死傷させるような事故を起こしていないのは奇跡ではないかと思えます。

しかし自分が愚かなことをよくやらかす割に、人が愚かなことをやらかすと冷ややかな反応をして見下すことが多いです。(その手のエピソードで本が何冊も書けそうです)しかし、そのようなやつである私がこのように助けられてばかりいます。してもらっていないのなら、してもらっていないから出来ないと言い訳ができますが、してもらっている以上言い訳はできません。神様がニヤリと笑いながらウインクをしているようです。

                                No350 2017年1・2月号より
     


            ご降誕おめでとうございます!
                                          司祭 藤田 薫

 冬至、一年で最も陽が短くなり闇が深くなる時期。私たちは主の御降誕をお祝いします。
 真夜中の出来事。それは喧噪とは程遠い世界だったと思います。
ケーキやプレゼントの楽しい記憶が毎年思い出されます。街はクリスマスムードに染まり美しいイルミネーションが夜を彩ります。
この日は幸せな人たちが益々幸せな時を過ごし、あまり幸せではない人たちはより一層不幸せになる時でしょうか? この現実の世界はそのように見えてしまいます。それは私のただの僻みでしょうか?
キリストの平和は世に現れましたが2000年を過ぎても争い傷つく世界は変わっていません。キリストがお生まれになったその時と場所も、平和で安全な環境が整っていたわけではありませんでした。繁栄を極める世界の影の中での出来事でした。
旧約聖書の中で神が重要な場面で自らを人に現す時、日が沈んで闇に包まれてから、あるいは真夜中を選ばれることがあります(創世記15:17、32:25-27、出エジプト記12:29、サムエル記上2:3-10、列王記上19:9-12).。出エジプト記の過ぎ越しの出来事以外はいずれも特別に選ばれた1人にだけ現れておられるので、第三者はもちろん大勢の人に知られるようなことが、その時には全くなかったのです。
極めて大切な出来事がほとんど誰もが寝静まっている深い夜の闇の中で起きているというのは、意味深いです。
いずれもその後に大きな力をもって神の救いの計画が実現してゆきます。
まことの希望の実現を目覚めてお迎えしましょう。
                  







       

                                     No349 2016年12月号より



        悲しみが希望に変わる瞬間
                                          司祭 藤田 薫
 その時は本当にどうしてよいかわかりませんでした。なんであれ子どもが親より先に死ぬことほど耐え難いことはないでしょう。
 前の教会に赴任して間もなく小学校2年生の男の子が難病で亡くなりました。比較的広い聖堂は多くの学校関係者も加え、人であふれかえる状態。高齢者の平均的な通夜では見ることの出来ない光景でした。深い悲しみに聖堂の空気は重く沈んでいました。通夜の説教で何を話したのか全く覚えていません。そもそもその前に何を話したらよいかもわかりませんでしたから。
 記憶に確かに残っているのは、男の子の両親の様子です。深い悲しみに沈んだ目を伏せていた2人が、私の話していた言葉に反応するかのようにゆっくり目を上げ、互いの手をとりました。式後、父親は「神父さんが言われた通り教会の中であの子は生きている」というようなことを伝えてきました。
 翌朝、内陣の後ろにある池の水があふれかけていました。普段そのようなことはなかったし、見たこともありませんでした。誰かが水を増やすようなことをした形跡もありません。それを見た男の子の両親は涙を流しながら言いました。「あの子のメッセージだ。確かに教会の中で生きているという」。
 葬儀ミサ中、両親の顔は明るい表情に変わっていました。火葬場から戻り遺骨を両手で持って歩いている父親の足並みの軽やかさは私の目にはあたかも息子のバースデーケーキを持ってくる父親のように映りました。そして私に楽しいことをしているかのような表情で挨拶をしたのです。普通に考えたらありえないことですが、彼の表情は実に穏やかなで明るかったのです。
 この両親はこれまで教会にあまり熱心ではなかったそうです。しかし、これ以後熱心になり、ラテングループのリーダーになりました。「教会の中に、教会活動の中に息子がいる」と。
 しかし、半年ほど後、父親は私に別れを告げに来ました。「日本にいたのは息子のためだった。なぜなら私の国は麻薬カルテルで有名な国。治安はとても悪い。安全な日本で息子を育てたかった。しかし、今は息子の安全を心配する必要はなくなった。だから国に帰ろうと思う。国に帰ってそこで教会活動をしようと思っている。教会とつながっていればどこででも息子とつながっているから」
 しっかりとした態度で語る彼にからはキリストに生かされている者の強さを感じました。そして夫婦は帰国しました。そこで熱心に活動しているそうです。
                                     No348 2016年11月号より

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

          祈りによる交わり
                            司祭 藤田 薫
                     
 祈ること…。神に意識を向けること。神に心を合わせようとすること。
心がそこになくしては祈りにならず…心が祈りで満たされれば、神のいつくしみにつつまれる。
 祈りは聖霊の潤滑油。1人に留まることなく交わりを生む。
果たしてその力は?
今の日本にいるとキリスト者であることもその祈りも果たしてこの現実の世界にどの程度の力があるのだろうかと疑問がわかなくはないです。
ローマ・カトリックの本場のヨーロッパなどはローマ周辺以外、深刻な教会離れが進んでいるということです。日本の教会がまだオルガニストや聖歌隊が顕在な教会が多い中、世界遺産級の教会が小聖堂でも余るわずかな高齢者の会衆にオルガニスト不在で録音した曲を流して聖歌の伴奏をしている状態も珍しくないという光景もあるそうです。

 しかし、聖地を始め巡礼地を訪れると大勢の巡礼者に埋め尽くされている状況があります。
観光との境目が微妙な巡礼地もありますが…。
そこでは大勢の祈る人たちに埋め尽くされています。ミサ以外の時、聖体訪問など聖堂を訪れる時は、献金してロウソクを灯します。そこで祈る時に奉げられるロウソクは祈りを見える形で灯します。
 大勢の人が祈るために集まっている状況は絶えず続いています。
私たちは集まってともに祈ることで、交わりを深めます。
ミサはその極みです。
明日の安全が保障されていない紛争地でのミサが地上と天上をつないでいることを実感できるほど素晴らしかったという体験を伝えられたことがあります。
私たちは今のこの世界の現実を前になすすべもない事ばかりです。
しかし、祈ることはいつでも出来ます。その祈りも1人より2人3人、それ以上の多くの人たちとともに祈るところにキリストがおられる。
キリストのうちに互いに祈りあいましょう。


            
            No.347 2016年10月号より

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

人からしてほしいことを、人にも

司祭 藤田  薫
 ・・・しなさい。とあります(ルカ631)。マタイ福音書では黄金律として「これが律法と預言者の教えである」と結ばれています。

イエスより前の時代、偉大なラビであるヒレル(パウロの師ガマリエルの師)の前にある異教徒が問いかけました。「片足で立っていられる間に律法のすべてを暗唱できたらユダヤ教に改宗する」。それに対してヒレルは片足で立って「自分にしてほしくないことは他の人にもするな。それが教えのすべてだ。それ以外は解説にすぎない」と答えたそうです。

イエスの教えよりヒレルのほうが易しく感じるのは私だけではないと思います。しないということは間違えることはありませんから。特に内向的な者にとってはありがたい福音です。

イエスの教えの大変なところはその積極性です。

この黄金律に対して上げ足を取るような言い訳は豊富に浮かびます。そもそも好みというものは人それぞれなので、自分が人からしてほしいことを、他の人にしたら迷惑になることが多々ある。例えば甘いもの好きな人が、みんな喜んでくれるだろうと甘いお菓子のお土産を甘いものが苦手な人にあげたら・・・非常に迷惑だとか。食べ物の好き嫌いなどではこれは多々あると思います。また私は怪談話が大好きなので、そういう話を人からしてもらいたいし、そういう話を人にも聞かせ続けたいが、苦手な人がこれにつき合わされたら悪夢となり、私だけ幸せになって巻き込まれた人は不幸になってゆくでしょう。

深刻な例なら、幸せな人が自分もそういう便りを送られたらうれしいから、写真付きの「結婚しました」、あるいは家族や子どもたちの姿を年賀状などで(自分で望まない結果としての)独り身の友人や離婚して間もない友人に送ったりすれば、受け止め方によっては苛めにすらなります。

こういった具体的な言い訳の例ならそれだけで本が書けるぐらい果てしなくあります。

行動するということは常に失敗や間違える可能性があるということです。

多くの人が失敗や間違えることを恐れます。

恐れは信じることを阻みます。

だからイエスは「恐れるな」と語りかけます。

私は歳を重ねるにつれて恐れより面倒くささが強くなってまいりました。

しかしつくづく聖書からわかることは神の導きは大変面倒くさく厄介に展開され、楽なケースなど見いだせなかったということであります。だから人には「面倒くさい事、厄介な事を恐れるな」と説教します。確かに本当のことだからです。

証明できることは、そういう中にキリストが生きておられるということです。
                         
                         No.346
 20169月号より