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わたしが生きているので、あなたがたも
生きることになる(ヨハネ14:19)
タイトル
教会報「智も手も」抜粋記事   No358        ’17年11月号より
     司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                          写真や図は省略してあります。

陽が短くなってきました
                                    司祭 藤田 薫
 ひどい事件が多いと世の中悪くなったみたいな言い方をします。しかし、それは今に始まったことではないでしょう。わが身ひとつ振り返ってみただけでもそう感じます。何しろ昔のことはよく覚えているものですから。
 私が幼少の頃、生育環境が激変したのは今ぐらいの時期だったように記憶しています。
 肉親との別離に始まり色々あって色々苦しかったのです。虚弱体質で痩せこけていて骨と皮だけなどと言われており、ひどいアレルギー性鼻炎を患っていました。当然食は細く、日が暮れると熱を出して寝込むことが多かったらしいです。寝込んでいた時に勝手に家に「にゃあ〜」と鳴きながら上がってくる野良猫があの世からの使者のように不気味に映りパニックをおこし泣き喚いたこともありました。いつの時代でもおそらく小さな子どもは同様ではなかったかとは思いますが私も特に夜の暗闇は恐ろしく、魑魅魍魎みたいな得体の知れない何かがそこに潜んでいる気配を感じ本気で信じていました。現実の世界では誘拐事件が多発していたと記憶しています。知らない人に付いて行ってはいけないと言われていました。子どもをさらうのは魑魅魍魎ではなく同じ人間であることがこの世の闇の深さかと。その他にも親が子供を殺すという事件もニュースなどではなく地域の出来事的な話で耳に入っており、実際キレると非常に恐ろしかった親を知るわが身なら他人事に思えず、一つ間違えたら殺されかねないという妄想とおぼしき恐怖を味わい知らない人である誘拐犯どころか実の親すら、いつ恐怖の対象に転じるかわからない始末。
 私の激変は環境の方も郊外から大都会に移っていたということがありました。夜になると外はまっ暗だった環境から、夜の闇などなくなったかのようにどこでも街灯で照らされ、繁華街は派手なネオンの世界だった記憶があります。おまけに家は繁華街沿いでした。この世界の繁栄を謳歌するがのごとく夜の街は派手に落ち着きなく様々な色と動きに照らされていました。
 か弱い幼児だった私には死は遠いものではなく身近に感じられるものでしたが、その現実から私の目を逸らさせたのは、まさに高度成長期のこの世界の繁栄ぶりでした。謳歌する物質文明は子どもの目を奪い欲望をそそる物に事欠きませんでした。欲望は生命力を活性化させてくれる。または命の危機が迫る状況でも逆に生物としてプログラムが作動し生命力が活性化するのでしょう。
 教会を知るのもまたこの時期でした。十字架の意味などわからなかったでしょう。しかし、その姿はまさに恐れ苦しみ死を見せつけて来ます。電気のもたらす明るい世界に包まれて見ないようにしている自分の死への恐れや病弱な身体の苦しみが呼び覚まされてしまいます。十字架の道行のステンドグラスがとても不気味で恐ろしく感じていた記憶があります。まさに闇です。
 その時私が幸せいっぱいだったなら、そこに反応しなかったでしょう。でもとても苦しかったのです。だから苦しそうなイエスに反応したのではないかと。その想いはただの思いこみや妄想か後からの記憶の刷り込みなのかと言われれば否定はできません。
 しかし、私にとっての希望はその闇から始まりました。そういえば神の子が人としてお生まれになった時代、その世界は繁栄の極みに達していたようです。人間の文明が1つの頂点に達していた時代です。その環境においても死の現実、恐れ不安がなくなるわけではなく、世の中は変わることなく繁栄を続けることもなく闇は決して消えませんでした。
 キリストに希望を見出した者は神の国の到来を待ちのぞみました。この世界はそれから時間が随分過ぎて行きました。しかし教会を約束の窓口として待ち続けています。私もそこに生かされて今現在までとどまっています。


短信テモテ
★11月1日(水) 諸聖人祭日

 10時からミサが行われたが、参加者は10人余。少々さびしかった。
★11月2日(木) 死者の日
 10時からミサ。参加者は30人ほどで、特にこの一年間に帰天された方々を記念して、祈りがささげられた。
★11月12日(日) 年間第32主日
 恒例の七五三の祝福が行われた。集まったこどもたちの人数が、例年よりも多かったように思われる。こどもが多いと教会の雰囲気は明るくなる。
★教会留守番活動は火曜日も実施します
                                     S.K

 昨年9月から実施しています、平日の午後に春日部教会の鍵を開けて、どなたでも聖堂でお祈りが出来るように開放する活動は、今月11月から火曜日も追加しました。
 11月からは火曜日から金曜日までの午後1時から4時までを一般の方にも開放しています。
 信者さんはもとより、信者さんでない方も聖堂を訪問し、お祈りが出来ます。
 また、新年の1日から6日(予定)まで初詣が出来るように準備中です。
 1月1日のごミサにご参列出来ない方々のために、1日から6日のご都合がよろしい時間帯に教会に初詣されてお祈りできるように致します。
 ご案内用のチラシを準備中ですが、お知り合いの方々にもお知らせいただけますように、ご協力をお願い申しあげます。

「信徒による福音宣教のための学習会」へのお誘い
 「さいたま教区宣教・福音化年の開始」発表を受け、インターナショナルとして開始した学習グループですが、このたび日本語のみ使用とし再開いたしました。
★毎月第一日曜日
 ミサ後12:00〜13:00
★信徒会館 事務室 など。
★藤田薫神父による聖書などの講解。
 ※当日の『聖書と典礼』をご持参ください。
 前回(11/5)の出席者は10人を超えました。司祭の詳細な解説に頷く参加者も複数おられるなど、有意義でした。
                                     (K.T)

ごあんない
日本橋高島屋の「憩いの家」バザー
   
 12月19日(火)〜24日(日)まで8 F 催事場にて開催されます。黒柳徹子さんの御協力で、毎回華やかなスペースもあります。年末の忙しい中ですが、どうぞ機会を作ってお立ち寄りください。
 春日部教会元主任司祭、故宮田神父様が協力しておられました。「憩いの家」は社会福祉法人青少年と共に歩む会(世田谷区)が運営している自立援助ホーム(子供達の社会への巣立ちを)で、バザーは自主財源の大きな部分を占めています。
 このバザーには当教会の数人の方々が出品物を作成、提供しています。
                                     A.M W.E
                                     
10月の教区信仰講座に参加して
                                     S.K

 10月14日(土)のテーマは『教会』で、講師は藤田薫神父さんでしたが、今までの講師の方と違い、いきなり参加者席に入って来られて質問から入られましたので、皆さん考えるヒマも無くびっくりされたようです。
 神父さんからの最初の質問は、「教会って何ですか?」 これは皆さん何回も聞いたことがありましたので、どぎまぎしながらも何とかお答えになっていたと思います。
 これに関連して、「教会はいつから始まったのか? キリストの弟子たちが集まって、祈っていた所に聖霊が下ったところから教会は始まってといっても過言ではない。ですから、集まって祈るところには聖霊の働きがあります。
 それを感じるか感じないかは個人差がありますので、お祈りをする際には常に聖霊の働きを願いながら祈ることが重要です。
 また、信徒が教会に集まって祈る要はミサであり、ミサは最後の晩餐でのキリスト遺言から始まっていますから、中心は主の食卓です。
 過去の歴史からも判ることは、教会は迫害にあった時に信徒が増え、信仰が強くなっているということです。現在でも政府によって宗教が制限され抑圧されている国々では静かに宗教を信じる人々が増えているそうです。
 しかし、先進国と云われている国々ではどうでしょうか? 国民は豊かになり、その結果宗教の必要性を考えなくても生活が出来ているために教会・宗教離れが起きており、本当の意味で教会は危機的状況にあるといっても過言ではないかも知れません。」
 私たちはこの問題を真剣に考えるために、この講座が行なわれていることを考えなければならないのではないでしょうか。
 次の話題は、「新約聖書はいつ書かれたのか?」でした。「紀元一世紀の始めの頃は文字を読める人がほとんど居なく、口伝えで宣教されていましたが、キリストを知る生き証人が居なくなると正しい宣教ができなくなるので、その前に何とか後世に伝えるためには文章にして残すことが必要ということになり、数名の弟子たちの証言をまとめて出来たのが新約聖書です。」
 旧約聖書に関するお話は時間の関係で今回はありませんでした。
 薫神父さんの講話は約45分間で、その後休憩を挟んで後半はグループに分かれての分かち合いが行なわれました。
 私が参加したグループでは、「神父さんによって教会内の活動?奉仕がいろいろ変わるので戸惑っている」という意見がいくつかの教会の出席者からありました。
 神父さんは数年で変わられますが、信徒は転居しない限り変わりませんので、神父さんが変わられるたびにやり方が変わると、それについていくのに戸惑いがありますネ!という感想でした。
 講座の最後、15分は質疑応答で締めくくられましたが、残念ながらその内容はよく聞き取ることができませんでした。
 今回の講話で聞いた内容の詳細まではなかなか覚えられませんが、参加された方々にとっては時間を非常に短く感じさせる2時間ではなかったかというのが私の感想です。 

マルコ神父「いこいの家」の仲間E氏
平成29年4月30日50歳の帰天 (2)
                                     A.F.Y

 マルコ神父は、いつも何かとEさんの面倒を親切に見ている様子なので、私はつい、Eさん経済面は心配ないのでしょうか?と聞いて見ましたら、マルコ神父は「大丈夫、大丈夫です」と言われました。マルコ神父に限らず聖職者は人の知り得た事情を他の人に話したりはしない事は知っていましたが、その後短い間にいろいろの事が起こり、ここでは更に長くなりますのでカットします。
 Eさん、ある日自転車でいこいの家に向っている途中で膝が痛くなり、マルコ神父に連絡したら迎えに来て頂きましたって、その日の帰りはSさんにかかえられてゆっくり歩いて帰途に着きましたが、途中に置いて来た自転車を引く為に同伴しました。Eさんのアパート前まで行ったのはこれで二度目で、Sさんは部屋までEさんを送って行き、私は下で待って居ました。
 して今年ご復活の聖週間が始まり、私は聖金曜日の夜のミサ後、SさんからEさんが今日ICUに緊急入院した事を知らされて驚きましたが、やっぱりという気もしました。その日マルコ神父のところにEさんから具合が悪いと連絡があり、早速出向くと、ドアの前で10分程待ってEさんがやっと出て来て、マルコ神父にかかえられ3Fからの階段を降りる途中で心停止となり、近くで仕事をしていた女性に救急車を手配してもらい、車の中で呼吸はもどりましたが、意識は戻らぬままの入院だったとの事でした。この時、他県にEさんのお姉さんが居られることを初めて知り、何とか連絡を取ってICU面会の許可をお願いしたいと考えて居りまして(入院から2週間過ぎていました)、Eさんに逢い呼びかけをしたいと思って、いこいの家の皆さんにも話していました。
 残念ながら呼びかけができないうちに、Eさんは4月30日に亡くなってしまったのでした。残念でした。
 その後マルコ神父はお姉さんに連絡を取り(内容は知りませんが)、Eさんの遺体は葬儀社に都合で3日間預かってもらい、その後5月3日火葬場に12時30分に遺体が到着するというので、マルコ神父の他にSさん、T夫妻、Yさんと私で、5人でEさんを迎えました。Eさんのお姉さんと娘さん同時に来られて、初めてお会いしました。直接火葬庫のある部屋に移動して、3週間ぶりに棺の中のEさんに逢いました。マルコ神父がストラを着用してEさんに祝福の聖水をふり、プリントして来られた聖歌を歌い、火葬前のお別れの祈り(Eさんは受洗希望もありました)をささげました。Eさん、もしいこいの家に来なかったら、マルコ神父に出逢うことがなかったら……。Eさんの最後意識のあった時にマルコ神父の腕の中に抱かれ、その想いのままに帰天した訳で、ここに、Eさんどんなに安らかに帰天したか、幸せだったでしょうと、ここで思う訳でした。
 その後火葬に立ち会うことの出来なかったいこいの家の仲間の方達と追悼の時を持ち、Eさんの想い出を語り合いました。まだ仲間としてEさんが亡くなった事を受けとめきれずに、集まる度にEさんの話題が尽きることはありませんでした。Sさんの後日談としては、3週間近くもICUで昏睡して目覚めたとしても何らかの障害が残ったかも、と話していました。今、体の痛みもなく魂だけが神様のもとにたどり着いたでしょうか。
 主よあわれみたまえ、一匹の羊が足もとに近づこうとしています、大好きなマルコ神父の事を想いながら……。

夫の誕生日に(11月7日)
                                     A.Y.I
 毎月順天堂で甲状腺機能と白血球数などのチェックをしていただいている。このところ白血球の数値は毎月2000ずつあがっている。さすがに私の意志を尊重してくれている。ドクターにも“本当に何も治療しなくていいのか? 入院する?”そう言われた。“致しませーん”(?どっかできいた決めぜりふか!!) 何度きかれても変わらない。“でももっとすすんだらどうする?”“その時は先生にどこか受け入れてもらえる病院にでも、どこでも行けと云われた所に行くからいいの”と。私は間違っている? 自分の人生だもの。自分で決めたっていいじゃない。今までいっぱいたくさんの病や身の上に起きた事でずっと頑張ってきたんだから。好きな事をして、好きな物を食べて、笑って楽しく生き抜いてみたい。そう決めたのだから。
 白血病患者って臓器移植も何もできないんだなぁ・・・・。人の役に立ちたかったのに。目の角膜もダメなんだそうだ。長い間いろんな事がありおかげでいろんな事を学び覚えた。
 たくさん病気をしたおかげで医者を見ぬく力も、友達!娘!息子!もたくさんできた。最近は孫まで? むぎと出会えたことも大きい。こんなおもしろい子初めてだもの。
 7日はくしくも夫の誕生日に先のことを告げられた。病院から帰り3時過ぎ、珍しく珍しく夫が“お茶でもしに行こうか”どうやら落ち込んだと思ったらしい。本当は少しだけへこんだ。でもそのお茶をしに行き、コーヒーでHappy Birthday Papa! ありがとうパパ、幸せですよ 私。

こんにゃく物語(126)
.                                        S.M
冬近くとりのこしたる読書かな
                      M
 晩秋に入っても次々に追い打ちをかける台風に追いまくられて、古家の修理等々、読書の秋と言うのに多忙な日々を過ごしていたのですが、10月28日(土)、やや落ち着いて、A新聞の文化・文芸欄に『宗教改革500年、分断世界に光』という記事が目をひきました。・・・どうも私はあおり(?)たてているようなキナクサイ一強政治にはウンザリしているのですが、そんなわけで、文化・文芸欄に先ず目がゆくのですが、知らないのは私ぐらいで、カトリック新聞を通読していらっしゃる方や、教会で神父様の説教を聞いておられる方はすでに御存知と思いますが、不肖私は加齢と共に教会に足を運べず、眼もかすんで「カトリック教会、ルーテル教会、共同行事」という見出しで、私の様な無学の人間でも心うれしいことでした。以下取材記者の文で抜粋して書きます。
 日本両教会は11月23日に長崎市のカトリック浦上天主堂で、キリシタン弾圧や原爆投下受難の地から平和を希求するメッセージを、発信することにした。カトリック中央協議会の宮下事務局長は語る、「人間はいとも簡単に分断されてしまう。しかし分断されたものがよりを戻すのは本当にコツコツと作業するしかない。カトリックもルーテルもその証しです」。
 宗教哲学の権威星川教授は「他の宗教に対する排他性は、信仰者のアイデンティテーにかかわるため根深く、寛容であらねばという思想と矛盾する側面があります。しかし両教会が実践の中で乗り越えてゆく事ができればこれは宗教界に留まらず広く社会に示唆的な意味を持ちうるでしょう」とむすんでいます。
 私は世界中の人々がキリストの平和のために和解して手をつなげる日が来ることを祈ってやみません。

図書紹介
来住英俊 著
「キリスト教は役に立つか」
(新潮選書、税込\1,404)

 大方の日本人は「宗教を信じて御利益があるか?」を問題にする。それを逆手にとり、「役に立つか?」という視点からキリスト教信仰の本質を解説する。
 御利益を祈るという要素はキリスト者の祈りにもある。だが、キリスト者が利益を祈る祈りには、「み心ならば……」という留保条項が付いていて、叶えられない時は「み心ではないのだ」と納得する。
 イエス・キリストと人格的な交わりを結び、語り合う、それがキリスト者の(個人的な)祈りの本質であるが、自分の世界の中に自分と深い関わりを持つキリストの姿はあるものの、中心は依然として自分自身である、というのでは未だ不充分である。更に一歩進んで、自分の世界の中心が自分自身ではなくキリストになれば、キリスト者の生活の完成である。
 祈りの生活の反省を迫られる、厳しい本である。
                                     (N.F)

(「智も手も」No358 2017年11月号  11月26日発行より)


      
教会報「智も手も」抜粋記事   No357        ’17年10月号より
     司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                          写真や図は省略してあります。

祈りの時、神時間
                                    司祭 藤田 薫
 かつて『黙想と祈りの集い』のUさんに青年のための黙想指導をお願いしたことがありました。
 その中でUさんは深夜2時からの祈りについて語ってくれました。 
 「この時間は・・・自死が最も多い時間だそうです。」
 ぎょっとしました。その時間が丑三つ時であることは知っていたし、怪談話の舞台となる時間だという認識ぐらいはありましたが・・まさか黙想の中でそう来るかと。
 「それはこの時間が人間の神経が最も敏感になるということです。」
 なるほど、それで普段なら見えないようなモノまで視えてしまうと。
 聖書の中でも神が人に特別な顕現やしるしを行う時間は明記されてはいないものの、(創世記32:25、出エジプト12:29、列王記上19:9〜13、)主の降誕、最後の晩餐後のゲッセマネでの祈りなどは真夜中の出来事とされています。
 「この時間に祈ってみましょう。その時にどこかで死を選ぼうとしている人たちのために心を合わせながら・・」
 深夜2時からの祈りは自由参加でしたが参加しました。
 ゲッセマネでの弟子たちのように睡魔に呑み込まれてしまうのではないかと思いましたが、そういうことはありませんでした。なぜならUさんの導入の祈りと様々な苦しみの中にある人たちのための祈願、その中でも特に「今この時、自ら死を選ぼうとしている人のために祈ります。」という言葉は睡魔など叩き潰してくれました。沈黙に入ると闇の中でひたすら重い気分で黙想していた記憶があり、その後何か期待するような特別なことが起きたりはしなかった記憶が残っています。
 この時はまだ知るはずもなかったことですが、この後私の身の上に起こる人生の岐路、生死に関わる大きな事件や出来事は確かにこのあたりの時間に起きていたのでした。
 『見よその時、主が通り過ぎて行かれた。主の前で強い大風が山を裂き、岩を砕いた。だが風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。だが地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が来た。だがその火の中にも主はおられなかった。火の後にかすかにささやく声がした。』(列王記上19:)



2017年 平和旬間報告
埼玉地区平和旬間行事 於 大宮教会
                                     S.H

 8月6日(日)に、さいたま東ブロックでの開催ということで埼玉県さいたま市の大宮教会を会場に、埼玉地区の平和旬間行事が行われました。「平和のために働くキリスト者の使命」という岡田大司教様の講話を中心に質疑と分かち合いを行い、「平和祈願」と「一粒の麦感謝」のミサを行いました。
 「すべての人が与えられたいのちを十全に生きることができるように」という願いのもとにカトリック司教団が2001年に発行した「いのちへのまなざし」が、2017年に増補新版として改訂されました。この機会に、この司教団の教えを私たちに是非学んでほしいという思いで紹介をしたいという大司教様のお話で講話は始まりました。
 大司教様は、この本は、単に信者の皆様のものでだけではなく、教会の枠を超えた全ての人々に伝えたい、お願いしたいものであり、内容を紹介することによって、私たちが勉強をしてみたいという動機付けになれば良いとお話になられました。この本に書かれていることをすべて勉強するには1年以上にもわたる勉強が必要な内容ですので、講話は、平和旬間にちなんで、この中なら「戦争と暴力」に絞ってお話を戴きました。最初に「平和のための宗教者の使命」というカトリック司教協議会・諸宗教部門が主催し2015年に大宮教会で行われたシンポジウムに大司教様は言及され、平和は全ての人の願いであり、心掛けるものであり、宗教が違っても、平和を望んでいるという指摘をされました。
 次に、1981年にヨハネ・パウロ二世がされた「広島平和アピール」を踏まえて、戦後50年司教団メッセージで、戦争責任の告白と不戦の実現、戦後60年司教団メッセージで、非暴力による平和への道、戦後70年司教団メッセージにて武器によらない平和の達成を表明したことや、この教皇様のメッセージに触発されて、日本で平和旬間が始まったことをお話しになりました。教皇様は紀元2000年を迎えるにあたり、全カトリック教徒に対して、過去1000年間を振り返って、教会は3つのことを深く反省しなければならないと話されたことに大司教様は触れました。3つの事とは、「@キリスト者同士の分裂と対立、A暴力の行使の黙認(神の名による戦争、異端者の処罰、他の宗教者への攻撃)、B基本的人権の侵害を見過ごしたこと」です。更に、従来正戦という考えがカトリックにはあり、大規模な争いであっても正当防衛であればその戦いは許されると表明してきましたが、現代における兵器の破壊力の強大化により、例え正当防衛であっても戦闘がおきれば、戦闘員・非戦闘員の区別なく大量の人が殺されてしまうことになってしまって、戦争と暴力はいかなる理由があっても許されることではないと考えるようになったと大司教様はお話しになりました。1985年から始まった韓国司教団との交流の中では、お互いの認識が大きく異なっても、その交流の中で理解し合えるのがカトリックの良いところだともお話になりました。
 講話の最後に、他の「いのちへのまなざし」の内容である子供の貧困、虐待、ネグレクト、不登校や自死、死刑や環境問題について触れられ、全ての被造物をいつくしみを持って見ている神様のまなざしを、人間も自分の心として見つめ、大切にしなければならないと結ばれ、その後、質疑と分かち合いを行いました。
 私にとって、「いのちへのまなざし」にかけた司教団の思いと大司教様の思いを十分に知らされた講話になり、複雑な現代社会においては、ひとつひとつの事柄について勉強をし、自分なりの結論を出して、実行をしなければならないのだという反省と動機付けの良い機会になりました。
 最後に、「平和祈願」と「一粒の麦 感謝」のミサをホルヘ・マヌエル・マシアス・ラミレス神学生とインマヌエル永島真実神学生が参加して岡田大司教様の司式で行われ、平和旬間の行事が終了しました。
 当日大司教様が配布された参考文献は以下のものです。
 日本カトリック司教団「いのちへのまなざし【増補新版】」(540円)
 日本カトリック司教協議会 社会司教委員会・編 教皇ヨハネ・パウロ二世「広島平和アピール」
 日本カトリック司教協議会 諸宗教部門 「平和のための宗教者の使命」
 日本カトリック司教協議会 「平和を実現する人は幸い」(戦後50年、60年、70年司教団メッセージ)
 日本カトリック司教協議会 社会司教委員会「原子力発電の撤廃を」

<ハワイ>へ
"災い転じて福となす"・・・の旅
                                     A.Y.I

 体調も良くないまま、向うに行けばいつものとおり良くなるだろうと向かったハワイ。今年は向こうも異常気象! “なんでハワイが蒸し暑いのよ・・・!!”
 さておき、いつものホテルにチェックイン。朝から入れるようにしてくれているので、いつも庭に面した一番お安い部屋だが、ワイキキ中のホテルが稼働率100%以上?との事で“とれなくてごめんなさい”と、友達のコンシェルジュ。ホテル側のおわびで“そのかわり無料アップグレードして海に面したお部屋でもいいかしら”と。“え〜〜〜高いのに!?”“それはホテル側のミスだから”と。“泊まれるならばどんな所でも・・・”と、入った部屋はなんとオーシャンフロントでおまけにジュニアスウィート。広々とした室内。寝ながらにして波の音。“最高!やったね”と夫と大喜び、加えておわびに・・・と、お花のアレンジメントありの・・・、何をボーイが持ってきたと思えば、フルーツとチョコレートの盛り合せ。“ラッキー!!”今回は<超ボンビーの旅>が一転。
 まぁ食事は新しくできた日本系のスーパーもありそこで調達、又はローソンがすぐ隣のシェラトンにあるので美味しいおにぎり、フルーツも甘いし、それで夫は昼からビール。そうそう雪でも降るのでは? 初めて娘達からお小遣いをもらった時は二人で泣いてしまった“これで美味しいもの食べて・・・”なんて。泣かせるなぁ・・・一食ランチは豪華に行くぞ!!と一転。
 まだまだある<災い転じて・・・>。2つ目は古い建物なので窓を開けると取手がはずれて落下! しかも外へ。メンテナンスを頼んだが一晩は来ない。おかげで窓全開のまま、波の音を子守唄に・・・“気持ちいいなぁ〜〜”翌日ホテルが直してくれた上になんとお詫びにと1食$42するホテルの朝食ブッフェが2日分4食タダ券をもらう! 多分持つべきものは友達だと思う。
 3つ目、めずらしくショッピングセンターへ行く方向を間違えた夫。私は2日で歩けなくなり車椅子だったので、連れられるままに“おっ?!”見たことのないshopがあった、靴屋さんのアウトレット・カナダブランド。夫はずっと何年も履いている皮のサンダルを買い替えるといったものの、どこも$70以上、ハワイはトランプさんになって物価が上がったとの事。この店な!なんと$69のサンダルが$15。おまけに向こうの人の履かない小さなサイズの皮のビジネスシューズ“え ー?! $129が$4.9!?う!そー、そりゃー買わずにいられないよ・・・”私のはなかったけれど、<超ボンビー旅>なかなか面白い。ローカルなスーパーばかり行って面白いものや掘り出しものを見つけては“やったぁー”とか言って。
 最近みなさん!!スズメ見なくないですか? 向こうはスズメが沢山いるし、人になついてアサイボールのグラノーラをテーブルの上に置くと私の顔を良く見て食べる・・・“ありがとう・・・”とでも言うように。向こうのスズメ強い!! ハトが来ても“しっしっ。これ私の!!”みたいに。異常気象も私には体としてはつらいけどそのかわり大好きな花達が咲いていてくれて。しかしまぁ・・・向こうでラーメンなんて食べられませんよ!$20するんですもん!(2000円以上だ!!)
 帰りのJAL783便のクルーの人達のフレンドリーだった事。お友達的にして下さり、眠れない私にとても気を使って頂いた。搭乗日記の様なノートが置いてあって、いつも機長が“今日は何人書いてくれたかな・・・一人もいないと淋しいよね”というそうで。では・・・書くことが好きな私。チーフC.A.さんの言うには“何でもいいんですよ。ただその後のお客様にも読まれますけど・・・”と。そんなの構うものかと書いた!書いた。病気の事、クリスチャンであるので天命を受け入れ毎日楽しく生きる様にしている事。これまでのJALのクルーの方々の色々な支え等々、6ページ書いたかな・・・。渡して少しするとチーフが泣きながら来て“クルー全員、涙して読ませていただき感動です!機長2人も泣いてました、これは機長からのプレゼントということで預かりました・・・ありがとうございます”と。そんなこと書いたかな? 降りて入国審査の所、みなさんが待っていて下さった。別れはハグをして・・・“みんな優しい”と夫と涙。
 もう一つのいつもの偶然?? ホノルル空港で降りる時車椅子を押すのに迎えてくれたのが毎回同じ女性。“ハワイのマミー”と呼んでいる。しかも帰国便まで。“また会えたね、うれしいね”と“戻って来るよ”と“さよなら”した。そんな人の暖かさをいっぱい感じた<超ボンビーの旅>だった。来年は行かれるかな?

こんにゃく物語(125)
ケンケン核核の事(ケンケンガクガクのもじり)

.                                        S.M
 今年の「中秋の名月」はことさら美しく見られてよかった。良寛さんの言葉に「天上大風」というのがあるが、今年は特に天上平和を願ったのであった。それにうれしかった知らせは2017年のノーベル平和賞が核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)に決まったことでした。多くの平和団体がたゆまぬ努力の中に、どんなに強力なメッセージを受け取ったかと思いました。―ノーモア広島、ノーモア長崎―、むかし宮田神父さんたちと広島に行ったころ、「今地球は核」という本を読みました。今もその本は手元にありますのでごらんになりたい方はお申し出ください。
 今北朝鮮とアメリカがお互いにこぶしを振り上げているとき、唯一の被爆国日本は圧力をかけるのではなく、つまらないけんかはやめてというべきなのに…。行く行くは...。私だけの危惧ではない気がします。

マルコ神父「いこいの家」の仲間E氏
平成29年4月30日50歳の帰天 (1)
                                     A.F.Y

 淋しく、悲しく、力およばず帰天した彼(以後彼のことはEさんと記させて頂きます)について想う事は、結果幸せに召された感がありました。私が6月号の「智も手も」で記しました事について、遅くなりましたがその事についてです。
 Eさんは「聞屋」からいこいの家に来られたそうで、私が初めてEさんに逢ったのはいこいの家ででした。当初から私の面倒を見て下さって、郷里に居る自分の母親と同じ年令だそうで、私の事をお母さん、お母さんと呼んで居ましたが、私はまだEさんをよく知らないので「止めて〜ェ」と言ってしまいました。
 後にEさんは病気療養中であることを聞きましたが、いつも逢うとアルコールの香りを漂わせていますし、タバコも吸っていましたので、(肝疾患もあり)アルコールは止めた方がと話したら、「酒をやめて病気が治るならやめるよ」と言っていました。それ以上深く何も知らないし、何も言いませんでした。仕事もせず、いつもふらふらしているのが気になりました。常にマルコ神父を頼り、Sさんは弟の様に親身になって世話をし、その後Eさんが少し体調が良くなってアルバイトを始める時、面接の書類の作成等をSさんが手伝って仕事を始めましたが永くは続かず、間もなくやめてしまいました。
 自宅療養を(通院有り)続ける中、いこいの家に来ると、アルコールを止めていました。Sさんがタンサン飲料や牛乳をすすめ、Sさんが牛乳を付き合ったりもして居ましたが、昨年夏突然、熱中症を発症して入院したとSさんから聞かされ、驚きました。Eさん自分で体調管理も出来ないで居たのかと益々心配になりました。
 入院中、検査結果から糖尿病も発症しておりましたが、間もなく退院はしたものの独居生活。皆さんとも少しずつアドバイスもして体調は戻って行きましたが、足腰も弱っている様子。家はいこいの家の近く、歩いても大した距離ではありませんが自転車で通って来ました。その頃もアルコールは止めていましたのでホッとしましたが…。
 8月Eさんの誕生日、50歳を迎え、仲間でお祝いの乾杯をして喜びました。私は何もプレゼントを用意して居なかったので、つい「お母さんをプレゼントするね」と言ってしまい、本人はもとより皆さんも喜んで頂きました。
 母親がわりとなっても何もしてあげられずにいましたが、アパートに行って何か手伝いたい気持は充分にありましたが、近所の目もあることだし…。後に、ヘルパーとしてなら出来たのではないかと、考えの足りなかったことを反省! 時々は電話で「今日は何を食べましたか」とか、「買物に行ったら野菜・果物も少し買って来ましょうね(調理は自分で出来るので)、それも面倒な時は缶詰やジュースでも」とアドバイスする位で、その後も、いこいの家に来ない日があり、「少しでも調子が良ければ、自転車でも無理でなければ、一人家にこもって居るよりは…」と声をかけて、「皆さんと逢えば又気分も晴れるのでは…」と電話したら、やって来ました。やっぱり自転車で。膝が痛くなり自転車も無理になり、マルコ神父に連絡があり、途中までマルコ神父が迎えに来て下さって、いこいの家に来ました。やっぱり皆さんに逢えば笑顔も出て、楽しそうにしていました。

加須教会のミサ
                                     C.T

 先日午前中に用事があったので、午後2時からの加須教会のミサにあずかった。4,50人の方が参加していた。担当の金神父さんが午前中に上尾教会に行くため、この時間らしい。申し訳ないが、私には便利な時間なので時々利用させていただいている。先日帰天されたKさんが設計したこじんまりとした聖堂で、祭壇後方のステンドグラスが美しく、模様の意味などを考えるのも楽しい。
 加須駅から徒歩3,4分と近く、平日のミサもあり、一度訪ねるのもよいでしょう。実はここ1966年から12年間私がお世話になった教会でもある。

(「智も手も」No357 2017年10月号  10月22日発行より)


教会報「智も手も」抜粋記事   No356         ’17年9月号より

     司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                          写真や図は省略してあります。

強い風に揺られて
                                    司祭 藤田 薫
 かつて何度か外国の海でも国内の海でも船旅にて時化に遭い激しい波に揺られながらも大波を頭上に眺めながら船酔いすることもなく無事目的地にたどり着きました。思い起こせばこれが旅の醍醐味です。

 この夏の旅は台風が迫っていました。行きは問題なくても帰りは予報ではほぼ台風とぶつかっていました。こういう時いつも思います。どうして出発前に台風で電車が止まり中止にならないのだろうかと。
 予想通り帰りは台風で横殴りの雨に攻められ広島駅までたどりつくと、本線以外はほぼ止まっていました。その本線も次の列車はありませんでした。乗りそびれたらその日は大阪にたどり着けなかったでしょう。
 台風とともに目的地に無事到着。翌日、期待に反し台風は去らずに待っていてくれて米原→大垣の間がのろのろ運転。関ケ原あたりで電車がとまりそのままそこに閉じ込められそうな閉塞感を味わい、1時間以上の遅れが出たものの、なんとか無事に戻ることが出来ました。

 気候変動は極端に激しくなることが多くなりました。地球全体がそのようです。これに色々人災も絶えません。

 天災も人災も絶えることなく私たちを脅かします。

 教会はかなり早い時期から船に象徴されていました。こういう時代の荒波の中も旅する教会です。 まず「落ち着いて静かにしていなさい」(新共同訳。フランシスコ会訳は「気をつけて、冷静にしていなさい」イザヤ7章4節)

 さて・・・・先立つイエスに身を委ねて・・・。 



みことばクラス 夏のキャンプ
                                     N.K

 山登りやキャンプファイヤーも楽しかったけれど、自分達でうどんうちを教わって作り、おいしいうどんを食べられたのが思い出にのこりました。教えてくれたおじさんの、方言もおもしろかったです。

東ブロック合同サマーキャンプ
                                     I リーダー

 8月3日(木)〜5日(土)那須甲子青少年自然の家へ行ってきました。参加者は春日部から大人7名中学生1名小学生4名永島神学生。大宮から大人2名小学生5名高瀬神父、そして福岡神学院の佐藤神父も来て下さり22名。
 3日(木)A.M8:00に大宮を出たバスが、春日部西口りそな銀行前に集合した春日部組を乗せ、A.M.9:00に出発。車中自己紹介をしながら那須到着はお昼少し過ぎ、自然の家でバイキングの昼食を頂き、早速オリエンテーリング。5、6名のグループで敷地内を写真と地図を手に捜し歩きました。その後学習室を使って高瀬神父司式のミサに与りました。夕食後はキャンプファイヤー。炎が燃えつきるまで「進化ジャンケン」「ヤオヤのお店」「アブラハムには七人の子」とゲームや歌(踊り?)を楽しみ、入浴後一日の締めくくりの夕の祈りをして・・・おやすみなさい。
 4日(金)早めの朝食を頂きお弁当を持って登山に出発。バスで少し離れた那須ゴンドラまで行き、1,410mの山頂駅までゴンドラに乗り、ここから1,917mの三本槍岳を目指しました。曇り空は少し残念でしたが、登山口までの道にはアサギマダラが乱舞していました。夕食後は暗くなるのを待ってナイト・ハイク。スタート前に高瀬神父のコワ〜イ話を聞いた子供達は2、3人ずつで暗い道をゴールまで歩きます。途中何が出るかは・・・・。今日も一日たくさんの体験、発見、冒険ができました。
 5日(土)朝食後部屋の清掃と帰り支度をしてから昼食のうどん打ちです。地元のプロのおじさんに教えて頂き、3つのテーブルに分かれて粉から作りました。大きな包丁で切ったうどんを大鍋で茹でただけなのに、おじさんの方言と共に味わい深く、他のテーブルのお味見をして「う〜ん。やっぱりここのが美味しい!」と完食でした。
 職員の方々の見送りを受け自然の家を後にしたのは正午過ぎ。ほぼ予定どおりP.M.4:15に春日部に着き大宮組を見送りました。今年も、無事サマーキャンプを終了でき感謝です。一人一人の心に、しっかりと神様の愛がしみ通りますように。

Y.Mさんを偲んで
                                     S.Y

 Mさんが逝って2か月が過ぎました。携帯電話でm.....のアドレスを見るとメールのやり取りがまだできるような気がします。
 聖書勉強会に夫のTさんと一緒に参加した時からのお付き合いで、物静かでお洒落な人と思ったのが第一印象でした。
 Tさんが亡くなってから刺繍の会にお誘いし、二週間ごとの仲間との作業とお喋りを楽しんでいました。Mさんもお酒が好きなのを知って私も同類なので話が合いTさん宅で開いた忘年会では、いい気分になるまで飲んで二人ではしゃいだこともありました。
 刺繍の会ではお昼になるとUさんと皆のお弁当を買いに行って、いつの間にかそれが役目になっていて、退院後も具合の良い日には「私の夕飯の買い物があるから」とさりげなくお弁当の係りを務めていました。仲間へのMさん流の心遣いだったのでしょう。
 私が硬膜下血腫で入院中に、Mさんが製図の当番を代わって引き受けてフキン20枚の図を画き終えていて、私が久しぶりに作業に行くと「お見舞いの気持ちよ」と耳元でささやいて微笑んでいました。Mさん自身も体調が不安定なのにMさん流の優しさでした。
 病の後遺症で片方の耳の聴覚を失くして、声もかすれて話す事が少なくなっても「刺繍の会が一番の楽しみ!」と言って、いつもイアリングをしてコーディネイトされた服装で病気が再発する2月まで来ていました。
 6月の半ばにYさんと病院へ行った時、帰りの挨拶をすると本当に嬉しそうな満面の笑顔でベッドから手を振っていました。病状を自覚していたので最後の別れとして精一杯の気持ちを込めて私達を見送ってくれたのだと思います。いろいろ思い出すと今でも胸が熱くなります。

ラファエル神父に会ってきました。
                                     S.S

 2017年8月9日にラファエル神父にお会いしてきました。
 場所は兵庫県伊丹市にある聖ドミニコ宣教修道女会で、施設内には修道院、セミナーハウス、ロザリオ幼稚園などがあり、ラファエル神父は司祭館にいらっしゃいました。施設のそばには伊丹緑地という大きな公園が接していて、大好きなお散歩も楽しんでいるようです。ときどき、御ミサに京都の方にも行かれているとの事です。
 春日部教会の信徒会館やお庭のマリア様の事も大変喜んでくださいました。 にこやかでとてもお元気でしたよ。

宣教は「郷に入っては郷に従う」から
                                     S.K

 8月6日(日)の平和旬間司教講演とミサに参加してきました。
 会場である大宮教会のロビーには平和を考える多くの資料が用意され、参加者に配布されていました。ほとんどの資料は数年前に印刷されていた物ですが、この機会にと思い、いただいた資料を読み直してみました。
 その中で、私が常日頃感じていることに関する文章がありましたから紹介し、皆様のご批判を仰ぎたいと思います。
 「日本は少子化が進み、働き手が不足しているから外国人の労働力が必要だ」といわれています。私もその通りだと思います。
 外国人の労働力を期待しておきながら注文をつけるのは、はなはだ勝手かと思いますが、彼らが金銭目的だけでなく、日本に溶け込み、心から日本人に感謝されてこそ「日本に来て良かった」と感じるのではないかと思います。
 それは、「郷に入っては郷に従え」という精神を理解することではないかと以前から考えており、4〜5年前にフェースブックにも投稿したことがあります。
 先に触れました平和旬間講演時に配布されました資料の「平和のための宗教者の使命」冊子の ― はじめに ― (まえがき・ 筆者挿入)の中で、「十六世紀に日本に滞在し宣教していたイエズス会員アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父は、日本で働く宣教師に『日本人と行動様式や食生活そして日本式の礼儀作法を身につける必要がある』さらに彼は、『宣教師も日本人のように感情や表情をコントロールする方法を学ぶべきである』とも述べています」と紹介されています。
 この文章は宣教師が日本でキリスト教を布教する際に注意するべきこととして発せられた言葉ですが、布教に限らず外国人が日本で生活し、受け入れられるために必要なことで、400年余経過している現在においても全てに通用する言葉だと納得しました。
 外国から来日して日本で生活している皆さん、そして関係する方々は是非アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父さんの教えを理解して、1日も早く日本に溶け込んで欲しいと考えています。
 今、日本では「信徒も宣教に積極的に参加するように」と、さいたま教区でも信徒信仰講座が始まっていますが、キリスト教宣教にさいしても先記の言葉を含蓄する必要があるのではないかと考えています。
 いくら口先でいい言葉を発しても、日本人(その地域)に溶け込まず、日本(地域)の儀礼作法も身につけないようでは宣教どころの話ではないと思っています。
 我々も地域の中に溶け込み、私はこういう性格だという我を出さないで、地域の皆さんに愛されることが宣教の第一歩と考えています。

こんにゃく物語(124)
歴史の認識について

.                                        S.M
 今は昔、1952年(昭和27年)私20代の頃、朝鮮戦争が始まった。その頃の世相と今の世相が近似していると思われる。思えば当時『米、ソもし闘えば』と仰々しい言葉が流布していた。そして遂にドンパチがはじまった。その頃友人の自宅に「これでやっとひといきつける(軍需景気になって)」という手紙が届いたと友人はあきれ顔で話していたのを、私は鮮明に覚えている。当時なべ底景気と言われていた。戦況は一進一退、アメリカのトルーマン大統領は、朝鮮戦争で原発使用もあり得ると発言した。日本の首相は「貧乏人は麦を喰え」と発言した。
 なんで私がこんな事まで、覚えているかといえば、当時「文化研究」というグループにいれてもらって、同人雑誌のはしくれであったので。戦争で傷ついた米の兵士は王子の野戦病院に空路運ばれているという、うわさを聞いたのは後の事である。戦争で朝鮮は南北に分断され北朝鮮、韓国となり38度で分断されたのである。
 思うに戦争ほど普通の人々を苦しめるものはない。平和が人間を幸福にする最大の条件であると私は心から思っている。誰でも戦争嫌悪にならなければならないと思います。私は90才半ば、地に平和を心から願います。

短信テモテ
☆8月6日(日)
 薫神父は広島巡礼のため不在。久しぶりに油谷神父の司式でミサが行われた。

☆子供のプール
 8月前半まで連日の猛暑日。庭の一角には神父が購入して下さったビニールのプールが。ミサ後子供達がパシャ、パシャと。

☆8月15日(火) 聖母の被昇天の祭日
 夕方7時よりのミサ。雨で庭に出られず、信徒会館からのロウソクの行列で聖堂へ。ミサ後用意された軽食で和やかに祭日が祝われた。

☆永島神学生歓迎会とママさん会
 9月2日(土)午後6時より9時過ぎまで。
 主に20代から40代までの母親信徒の食事会が、永島神学生の歓迎会を兼ねて多目的室にて行われた。薫神父にも参加いただき、大人が20名ほどと子どもたちも加わって賑やかな会となった。永島神学生が腕を振るった素晴らしい料理の数々に舌鼓をうち、子どもたちも卓球や花火をして楽しいひと時を過ごした。

☆9月よりインターナショナル(国際)ミサが毎月第2日曜日に
 9月10日(日)はその第一回目。普段お会いしたこともない多国籍の方々の参加も多かった。第二朗読は英語で、聖体拝領や閉祭の聖歌は英語の歌詞が配布、歌われた。順次内容を改め、国際ミサとして形式を整えてゆくとの事。

(「智も手も」No356 2017年9月号  9月24日発行より)


教会報「智も手も」抜粋記事   No355        ’17年7・8月号より

    司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                          写真や図は省略してあります。

求めなさい、捜しなさい、たたきなさい。
                                    司祭 藤田 薫
この御言葉はいつも肝心の部分が抜け落ち、気がつくと自分を追いつめてくる苦手なものでした。まるで鬱気味の時にがんばれと言われるようなもので……。
 私は幼児の頃、かなり落ち着きがなく元気で積極的だったようなのですが、成長するにしたがってひ弱になり心身ともに軟弱になってゆきました。
 積極的な行動が一切苦手でした。そういう内気で重度の人見知りの私が中学生の頃、恩師から、行動力も決断力がまるでない私に必要を感じてか教え諭されました。「もし真冬に川に落ちてずぶ濡れになった人がいたら、それが夜中でも、すぐ目の前にある家の扉をノックしてその家の人を起こして毛布を貸してもらうことが出来ないとだめなんだよ!」と。
 その頃私にはとても出来ないことでした。夜中に知らない人を起こして毛布を貸してくださいなどと言う度胸はありませんでした。そこに私しかいなければその人は凍死してしまったでしょう。
 ありがたいことに今日までこのシチュエーションが現実になったことはありません。自分がずぶ濡れになったことはあった気がしますが……。
 確かに求め、捜し、たたけば与えられ、見つかり、開かれるのですが、私は他人と積極的に関わるのが大の苦手な内向型人間だったのです。そのせいかイエスが殺された後、扉に鍵をかけて引きこもっていた弟子たちには大いに共感出来たものです。
 かつて夜中にやってきて寝ている私が起きるまで扉を叩き続け、金を借りて行った後輩がいました。はっきり言ってそんなやつに金など貸したくなかったのですが、貸さないとしつこく居座って寝かせてくれなそうなので、追い払うために貸したのでした。そしてその貸した金は戻ってきませんでした。
 色々具体的にイエスのみことばどおりの顛末ではありました。信仰者としては見習うべき態度かもしれませんが、私はこの後輩のような図太さや厚かましさがあったなら神に身を奉げることなく社会人としてたくましく生きることが出来たでしょう。
 しかし、冒頭の抜け落ちた肝心の部分とは、求める、捜す、叩く相手は人ではなく神に対してということ。祈りのことなのです。実際私は祈りなしにはまともに何も出来ません。
 祈りがなければ逃げ出して行方をくらませてしまうでしょう。
 弱い時こそ祈りの力が強さになります。

 私自身がそうであることを証明しているでしょうか?
 最後は皆さんそれぞれいずれかを○で囲んで選んでください。

 @はい    Aいいえ   Bわからない 
 Cその他(                        )



短信テモテ
☆6月18日(日) 初聖体拝領
 「キリストの聖体」祭日に当たって、8人の子供たちが初聖体拝領の恵みに与った。

☆6月18日(日) おやじの会
 恒例の男性信徒の親睦会「おやじの会」が開催され、和やかな交わりのひとときを過ごした。

こんにゃく物語(123)
―よる年なみと共に―

.                                        S.M
 文月(七月)に入って心和むものに、なにより七夕伝承。私が行くデイケア施設でも心のこもった短冊や、願いを書いた美しい折紙が、笹の葉に吊るされていた。思えば殺風景というより暗い出来事の多い近頃、心なごむもてなしであった。
 しかし、我が体調は加齢と共にすぐれず、文月とは別に好きな本も視力のおとろえで読めず、其の他五体不満足となり、智も手も紙上の勝手な駄文をゆるされて書かせていただいたのも、其の他毎月の題字やカットも書きにくくなりました。俳人正岡子規の著書『病床六尺』ではないけれども、病気となれあって少しずつ回復して皆様にお目にかかるのを楽しみに、しばらく療養したいと思います。本当に長い間駄文をお許し下さった皆様に重ねがさね御礼申し上げます。
 神に感謝!

野田安則神父帰任
 レデンプトール会の野田安則神父は、カナダのトロントでの1年間の在外研修を終えて帰国され、復活祭後から再び京都教区カトリック丹後宮津教会にて司牧の任に当たっておられる。(N記)

図書紹介
来住(きし)英俊 著
「『不思議なキリスト教』と対話する」
(春秋社刊、税込\3,024)

                                       N.F
 『不思議なキリスト教』と題する本が2011年5月に講談社現代新書の一冊(税込\907)として刊行され、15か月間で30万部以上を売り上げるベストセラーとなり、2012年の親書大賞を受賞した。大澤真幸、橋爪大三郎という2人の社会学者の共著で、大澤氏が質問し橋爪氏が答える対談という形で書かれており、キリスト教についてのかなりの知識を示し、程々に好意的で程々に批判的な姿勢を見せている。信条・儀礼・習慣などをあげつらうのではなく、教理の立ち入った検討を中心としているのが特色である。キリスト教は何を信じているのか、その合理性はどこにあるのかと、非信者が抱く疑問を次々に取り上げていく。「たしかに問われるべき質問が問われている」とこの書を評価しながらも、この本が「いつも納得できる答えを与えているとは限らない」として、自ら論議に加わるという姿勢で書き下ろしたのがご紹介する本書である。著者は、論議することを「楽しみながら」本書を書いている。読者として想定されているのは知的好奇心に溢れる一般知識人であるが、信者が読んでもたいへん興味深く、かつ有益である。

(「智も手も」No355 2017年7・8月号  7月23日発行より)


教会報「智も手も」抜粋記事   No354        ’17年6月号より
    司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                            写真や図は省略してあります。

主よ、あなたがわたしをそそのかし・・・
                                    司祭 藤田 薫

 やりたくないことは多いです。暑い時に出かけて動き回るとか、わざわざ人混みに行くとか本当に嫌です。もう10年以上前になるが8月に中高生を引率する広島平和巡礼の話が立ち上がっていた。内容を聞いたとき正直勘弁してほしいとおもいました。青春18切符なるものを使い、始発でこちらを出て列車を乗り継ぎながら14時間以上かけて夜9時近くに広島に着くという計画でした。聞いただけで意識が朦朧としました。最初の時の団長は私ではなかったものの「子どもの信仰教育委員会」の担当司祭だったため私も行くことになってしまっていました。時期が時期なので台風がくれば電車が動かなくなり中止となることをひそかに願っていましたが、祝福されているように大変天候に恵まれました。それ以降中高生を引率する平和巡礼は隔年で行われています。その間も天候の具合で中止になる事を期待している私をあざ笑うかのように一度も中止になっていません。熱中症でダウンしたり、大勢人が集まり混み合う場所でグループからはぐれて迷子になる中高生は誰も出ませんでした。ただ私がはぐれただけでした。
 また同じような頃、司教様からやれと命じられた大勢人が集まる企画がありました。9月の上旬にやれと言われ、意識が朦朧としました。準備を進める中で、スタッフは数人しか集まらず色々難しい問題もあり企画倒れになりそうだったので、いっそそのまま企画倒れになれば2度と司教様も私に頼まなくなるだろうと密かにそっちを願いました。あとは時期が時期なので雨天中止の可能性も期待しました。その期待に応えてくれるように台風が接近中となりました。しかし、台風は足踏み状態になり酷暑を和らげ熱中症を出さないような程よい曇り加減の中その企画は開催されました。数人しかいなかったスタッフも前日の夜になって次々と集まり、30人ほどに増えていました。色々プログラム上も問題だらけだったのですが士気の高い元気なスタッフが大勢そろったため何とか乗り切れました。
 その翌々年も会場を変えてその企画は開催されました。この時は早い段階から十分なスタッフに恵まれ、綿密な準備が重ねられてきました。この時は雨天ならば雨天用の別なプログラムを用意しました。私としては雨が降ってくれたほうが大変さも少なくなるのでその可能性をひそかに願っていました。すると奇跡のような出来事が・・・。会場とその周辺のみ雨が降らず、それ以外の周りは雨だったのです。
 私は思わずエレミヤ書20章7節をつぶやきたい気分でした。「・・・あなたの勝ちです」と。これらのことを大変できついと愚痴ると他の「子どもの信仰委員会」の委員から「薫さん居るだけで何もしてないのに何が大変なの!」と返されて終わりです。



短信テモテ
☆ルルドのマリア像完成
除幕・祝別式
5月28日(日)10時のミサ後中庭にて。
 信徒を代表しS.Tさんが除幕。
藤田薫神父により、祝別された。式後お祝いのパーティが行われた。

☆塩田神父様の聖歌指導
 5月21日(日)
約15年前ラファエル神父の出張の折、月に一回当教会に来てくださっていた、あかつきの村の塩田泉神父様が来てくださった。師は「水の心」などいくつか聖歌の作曲者・作詞者としても知られている。ミサ後挨拶をされ、聖歌隊と希望者の方々が聖歌の指導を受けた。

☆牧野みどりチャリテイー オルガン リサイタル
5月26日(金)曇り時々雨 午後2時より3時半過ぎまで
日本福音ルーテル東京教会礼拝堂でのパイプオルガン演奏会。
春日部教会の見知った方々の他、7割ほどの聴衆で埋まり、バッハのトッカータとフーガ ニ短調、誰でも一度は聞いたことのある曲で始まりゆったり静かにパイプオルガンの音色にひと時を過ごすことができた。
外はJR新大久保駅の近くだけあり活気と喧騒にあふれた街並みで、教会の静けさが際立ち地域の祈りの場的印象を受けた。

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みことばクラスの遠足
 5月13日(土)雨
行き先:高崎教会
    高崎市染料植物園
    白衣観音
参加者:薫神父、S.S氏(運転)
    リーダー4名
    中学生1名、小学生10名
    母親5名
    計22名
高崎教会ではお茶とお菓子を用意していただき、國本神父もミサ後一緒に案内して下さいました。(I記)

高崎教会へ
                                      K.T
 ちがうきょう会に行けてうれしかった。またきょう会に行きたい! 
 シンプさまがすごくおもしろかったからすごく笑ったからもっとお話をもっともっとしてみたい! もっといたかった。もう一回は行きたい!
 次行ったらもうちょっとだけ時間を長くしてほしいとぼくは思いました。
 シンプ様がクイズとか、話したりすることとかがものすごくおもしろくて、がまんできずに笑ってしまいました。だからシンプさまといっしょにまた話したりほかのところに行ったりいろいろなところへ行ったりして、もっともっと話しあい手になってほしいとぼくは思いました。だからまた会ったときは、「こんにちは」だけじゃなくて、ほかにもいろいろと話したいと思ったから次からは、そうしたいと思いました。ぼくの名前も知ってもらって名前でいってほしいなあとぼくは思いました。
 キャンプとかでもいっしょに行きたいです。それですごく楽しかったです。楽しかったからまた行きたいです。
 えんそくに行って分かったことがありました。それはシンプさまがすごくすごくやさしいところです。シンプさまがいてえんそくは楽しくすごせました。だから話したいと思いました!

作曲者の塩田神父より指導を受けて
                                     K.T

 体調を整えて当教会に来て下さるとのことで、準備にも早々から熱が入った。
 あらかじめ用意した楽譜の中から、談笑を交えながら6曲を丁寧に解説、終始和やかな雰囲気のなかでご指導くださった。
 こころ癒される美しい旋律にのせて聖書をいかに伝えるか、作曲者から直接の指導をいただけたことは誠に光栄であった。
 塩田神父様のご健康の回復とご活躍を聖歌隊一同祈念し、さらに私たち自身が、主の一つの器として宣教に用いられるよう研鑽を続けていく所存である。

塩田泉神父と歌って
                                     N.Y
 青葉の風薫る5月21日のミサ後、塩田神父がオルガンの音を出す。神父様の指がオルガンの上を舞い踊り、歌い始める。そこに集まった人たちが自然に一緒に歌い始めた。聖歌(塩田神父作曲)「まなびの集い」の始まりだ。塩田神父に指導いただける恵みの機会に6曲を選び聖歌隊のメンバーで小冊子を作った。神父様はそれぞれの曲のエピソードをその時の風景が目に浮かぶように、ユーモアを交えて楽しく、またその時を深く思い出すように、お話して下さった。一曲一曲が何かの記念に作曲されているからだ。神父叙階の記念やカ障連全国大会のテーマソングとして、叙階5年目で帰天された神父に奉げられたり、薫神父司祭叙階の記念の曲も。
 神父様のテンポの良い指導にのせられてどんどん参加している人たちの歌声ものびやかになり熱い気持ちが響きあう。一緒に歌う楽しさ。音楽的な説明がなくても神父様の思いのこもった曲は自然とことばを味わいかみしめ祈りを込めて歌う事に導いてくれた。歌うことで学んだ。
 塩田神父は2017さいたま教区宣教福音化年のテーマソング「主は種を蒔く」を作曲されました。是非春日部教会のみんなで歌いましょう。一致して祈りを込めて。

中・高生会OB・OGと教会同年代の人達の集い
                                     備後・大枝 S.H
 中・高生会OB・OGと教会同年代の集い(代表発起人:S.Hさん、発起人:Y.Aさん、S.Sさん、A.Aさん、M.Sさん)を6月3日(土)14時−16時に新しい信徒会館のお披露目も兼ねて行いました。
 薫神父様、鈴木神父様もご参加頂き、同年代の方が12名とその子供達が7名、当時の中・高生会の行事に付添として来ていただいた方が10名の総勢31名の大集会となり、遠くからわざわざ来て頂いた方々も数多くいらっしゃいまして、本当に楽しいひと時を過ごすことができました。
 皆さん当時の話題や現在の生活の楽しさ・大変さ、そして信仰の難しさや希望等様々な事を時を埋めるように話をし、盛り上がりました。同時に現在の一人一人が充実した生活を悩みながらも送っていることが確かめられたことと思います。
 このような機会を持とうという話は、前から色々な方々から話が出ていましたが、信徒会館を持つことが出来て実現しました。本当に神様のお恵みと皆様の強いご支持のお蔭だと感謝しています。
 更に、参加は出来ないけれども、沢山の方々から欠席のお知らせを戴き、改めて当時の中・高生の皆さんが日本全国で活躍をしているのが実感でき、とても素晴らしい思いで一杯になりました。
 これからは、発起人の皆様が相談されて、年に1−2回程度何らかの楽しいイベントが開催できればと思っております。その時には、全力を挙げてサポートして行きたいと思います。
(世話人)

ルーテル東京教会でのチャリティ・オルガン・リサイタルを拝聴して
                                      M.F.Y
 先月、5月26日(金)、私は大好きなパイプオルガンの演奏を聴く事ができました。当教会のオルガニストM.Mさんの演奏です。なじみの曲もあり、とても素晴らしく、優雅な気分になった事は言うまでもありません。……礼拝堂正面から右側にオルガン位置を見て、正面からやや左の前列から5番目の席に友人と2人で座り、パイプオルガンの場合奏者は当然客席に背を向けますので、私の席からは、手足の動きがわずかに見る事ができました。ワクワク……そして、初めて行ったので、ルーテル教会の立派なこと、鮮やかなステンドグラス、正面の大きな十字架に向けて多方面からライトが煌めき、十字架の中央には静かにゆらぐライトが映し出され、私は演奏を聴きながら時々十字架を見上げ、先日帰天したEさんの魂がふるえている様にも見えるのでした。Eさんの事は後日書き綴りたいと、今準備中です。宗教曲を含む素晴らしい演奏。心に余韻を残し、友人(小学校のクラスメイト)と久しぶりに逢ったのでゆっくり話す場所を探して大久保の町を歩き、近況を話し合いました。牧野さん、有難うございました。そしてお疲れ様でした。今日の日の感激を忘れません。神様とこの企画をしてくださった方々有難うと感謝を申し上げます。

「新たなる出発」
                                      E.E
 無事に転会が出来ました事を、心から感謝します。
 転会後、不思議な夢を見ました。光り輝く海を、大好きだった祖母と眺めていました。思い出深い洗礼式の10月の海は、冷たく濁っていたのに、こんなに穏やかな海もあるのだと思いました。そして祖母と手をつなごうとしたら「これからは、マリア様に手をつないでもらいなさい」グーグースー。
 昨年9月11日、前(プロテスタント)教会のメッセージは『新たなる出発』で、ラザロの話でしたが、教会を離れて新たなる出発をする決心をしました。伝道師に「不登会状態を改善するために、他教会へ移りたい」と相談したら「いつでも戻って来て構わないから」と快諾していただきました。たぶん転会は不可能と思われたかもしれません。
その不可能を可能にした要因は、
@ 春日部教会では新参者を珍客扱いしない事。
A 神父様の御言葉「神の愛は救いがたい者へ注がれる」
B 代母様の愛。
 これからは、霊名マリア・パオリーナに込められた生き方をしたいと「新たなる出発」をしました。

こんにゃく物語(122)
至福!のとき・・・・・
                                       S.M

 6月の初旬から体調を崩してベッドの中でウツラウツラとしていた時、思い出すのは現役で働いていた時の楽しかった思い出であった。3月転任の時期、職員室は何かと卒業期でもあり忙しい時であったが、誰かが「今度赴任される先生は大物よ」といううわさが飛んでいた。多くの教師は何校も渡り歩くので事情を良く知っているのだった。私みたいに20年も一か所に留まっていた人間はめずらしいので外の事情は知らなかった。
 その方達は聞くところによればお一人は「大石内蔵助」とか「昼行灯」というあだ名だそうだ。もう一人の方は、口さがない女性教師に言わせれば、名付けて「木枯らし紋次郎」とか「あっしには関わりの無い事でござんす」とか言う様な方で「内蔵助さん」とは違う。
 2、3年後私は停年退職になり今30年、あれから二度「内蔵助さん」にお会いしている。一度目は奥様と共に10年前にアンデスメロンの大きいのをぶら下げて病気見舞いに、その後その方は大病をなさり九死に一生を得たのですが、私も病気で大変で手紙を書くだけで、二度目は先日6月9日(金)3人でたずねて下さった。思ったところ奥さんは優しく美人であった。昔いつも職員の間では、知らないうちに波風を立てず問題を解決するなど、無口な方で目配り気配りのある優しい先生であった。私は学校を辞めてからはいつも思い出すのは私にもやさしいコトバを小声でかけてくれた事、色紙に「神の前に人間は平等である。だけどおしゃべりは不平等でもいいよ」とユーモアたっぷりのコトバをおくってくれた。先生達は奥様の手料理をお重に詰めて持って来て下さりみんなで食べた。五目御飯はとても美味しかった。正に至福の時間であった。私はこんなに嬉しかった事はめったにないと思った。
 友あり遠方より来る。うれしからずや。

ビッグバン、ビッグバン以前、
そして宇宙のはじまり
                                      S.K
1.教皇庁国際神学委員会
    『人間の尊厳と科学技術』
      カトリック中央協議会
 これは全体で94ページで、解説と目次を除くと、79ページの小冊子です。
 表題は上記1.の処に記した“人間の尊厳と科学技術”です。
 この第三章の第一節“自然と、知識の管理”の“63項目”に次のように書かれています。“広く受け入れられている科学的な説明によると、宇宙は「ビッグバン」と呼ばれる爆発によって、150億年前に膨張を始め、それ以来、拡大と冷却を続けています。その後、次第に原子の形成に必要な条件が生まれ、さらにその後、銀河や星への凝縮が起こりました。それからおよそ100億年後惑星が形成されました。わたしたちの住む太陽系と地球(約45億年前に形成されました)には、生命の誕生にとって有利な条件ができました。……”
 以下、“生命の誕生”について記されていますが、この点については、次の機会に致します。
*   *   *
1.ビッグ・バン
 古代・中世の宇宙観については省略して、天体望遠鏡で観測される時代から科学的な話が始まります。この時代の恐らく最大の発見と言えるのが、〔銀河宇宙〕の発見でした。
 当時は、天の川(銀河とも言われている)が恒星の集団であることは分かっていました。また、マゼラン星雲も恒星の集団であることが分かっていました。
 問題は、a)銀河系が宇宙のすべてであって、アンドロメダを含めた星雲は銀河系内部に存在する、b)銀河系は島宇宙の一つに過ぎず、多数の渦巻状星雲は銀河系の外にある、という考え方が対立したことでした。
 1924年にようやく明確な結論が出された。ハッブルが、ウィル山天文台の口径2.5mの望遠鏡を使ってアンドロメダ星雲中にいくつかの変光星を見つけ、それを利用して距離を求めた。その結果、アンドロメダ星雲は銀河系の外にある島宇宙であることが分かった。〔銀河宇宙〕の考え方が定着した。


(「智も手も」No354 2017年6月号  6月25日発行より)


教会報「智も手も」抜粋記事   No353        ’17年5月号より
    司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                            写真や図は省略してあります。

・・・宣教・福音化年にむけて
                                    司祭 藤田 薫

 これは改めて強調する事というより私たちに常に呼びかけられている事です。

 しかし、これにふれる前に、まず私が自分自身を振り返ってみると…
修道院にいた頃、毎日ミサがあり、説教も毎日ありました。神学校でもそうでした。
ありがたい恵みも毎日受けていると、ありがたみを感じなくなってきます。
週に一度ミサの中で説教の部分で「分かち合い」をしていました。修道院のメンバー全員がそれぞれ心に浮かんだことを語るわけで、結構な長さになります。これに外国から来たばかりで日本語がまだわからないメンバーのために通訳をすると時間はその倍の長さになります。霊的に深まっていればそれは大きな恵みであり喜びとなっていたでしょう。
 しかし、罪深い私は霊的に深まるどころか長い話を我慢して空腹と戦いながら聞き続ける忍耐力のみ養ったということで霊的には浅くなる一方だったと思います。(後にこの忍耐力も崩壊し、長話アレルギーになってしまったようです。)
 まさに霊的飽食状態。少年時代からミサで侍者をしていて説教が始まると睡眠状態に入る習慣は改善されることなく、身体は説教が始まると条件反射で睡眠状態に入ります。

 こういったことは表層的なロクでもない部分で、深い部分で罪深いのは隣人愛・兄弟愛の欠如、いがみあい、蔑み、思っただけで人が死ぬなら凄いことに・・など。与えられた恵みが実を結ぶどころか、十字架のキリストの傷をえぐるような態度を繰り返す日々。

 まさに、旧約聖書におけるイスラエルの民や福音書におけるイエスの弟子たちに自分をかぶらせてしまいます。尊い神の教え、キリストの教えに直接ふれていた時、右の耳から左の耳に抜けてゆく。意味を理解しない出来ない。肝心の時、裏切る、寝ている、逃げ出す。

 ・・・たびたび罰が下り打ち砕かれました。
そういう愚かで良くない例に関してはとても自分は聖書的である・・などとここは自慢します。だからこそ神の愛について身をもってあかしできるところがあるのです。
神は人間的に立派な人を通して福音を伝えられたのではなく、弱く賢くもなさそうな人たちを選ばれました。神の愛は救いがたい者にこそ強く深くそそがれ現されると。
私たちが誇りたくない部分こそキリストのしるしがあらわになるところです。それが私たちそれぞれの担う十字架。
 自分のことばで語るには、時に自虐ネタのように自らの恥ずかしい体験を通して知るに至った神のゆるしと愛を語るようなものでしょう。


洗礼を受けて
                                   L.S.Y

 復活徹夜祭に洗礼を受けました。
復活徹夜祭は長いと聞いて緊張しましたが、朗読のときに文章を見ていて、興味を持って読んでいるとすぐのように感じました。
 洗礼式のときはどこに立てばいいのかなど、ちょっとわからなくなってしまいましたが、神父様と代父様に助けてもらいました。
 洗礼を受けたときは嬉しい感じがしました。皆さんにお祝いされて嬉しかったです。
これからも教会で楽しく過ごせるようにしたいです。よろしくお願いします。



短信テモテ
☆聖週間4月9日(日)〜15日(土)
+枝の主日
枝を手に手に雨の中、芝生の庭に出て聖水の祝福を受け入堂、ミサとなりました。ミサ後は恒例の地区別大掃除、芝の手入れ、庭木の消毒などの新しい作業も加わりました。

+聖木曜日(主の晩餐)19時
ミサの中で、洗足式が行われました。「きれいな足よりも汚れた足を丁寧に洗います」と言われて安心したとの感想でした。

+聖金曜日(主の受難)19時
祭壇の前に置かれた十字架に一人一人がひざまずいて拝礼し、ミサは立てられず、仮祭壇は多目的室に移されました。大斎小斎の日であり、各人各様の日であったと思います。

+復活徹夜祭19時
星空の下、中庭から聖堂までロウソクの行列を行いました。荘厳な雰囲気の中、朗読を通して天地創造からキリストの復活までの歴史を皆で黙想しました。洗礼式では1名の子どもの志願者が、晴れて受洗の日を迎えました。

☆復活祭4月16日(日)
これまでの復活祭は、教会があふれるほどの参列者で満杯になっていましたが、今年からは2階の小聖堂、多目的室のモニターでの参列も可能になり、ずいぶん緩和されたのではないでしょうか。復活の喜びのミサの中、2名の赤ちゃんの洗礼式も行われました。恒例のパーテイーは聖堂内で、また快晴と云う事もあり、芝に敷き詰めていたシートの上で、それぞれに団欒の輪が出来ていました。

☆4月23日(日)転会式
ミサ中1名の方がプロテスタントの会派からカトリック教会へ、信仰宣言の祈りにより入会され初の聖体を拝領されました。

☆5月7日(日)子供の祝福
ミサ後、聖堂のあちらこちらから集まって来た子供達は、端午の節句の祝いにちなんで雨の様なたくさんの聖水の祝福をいただきました。

ルルドの聖母像建立について
                                     S,T
 信徒会館の移転が終わり、多目的ホールをはじめ各部屋が便利よく使用され、皆さんの目が庭に向けられた頃、「庭の一隅に聖母の像があればいいね」との声が囁かれました。実は私も人生の最晩年になりましたので、生涯の思いを込めて何か教会のために尽くしたいと考えており、私の長い人生において、幾たびも遭遇した大きな困難や重篤な病気等を聖母の御助と恵みによってお救いいただき、今日まで無事生き長らえる事が出来たことへの感謝を奉げるために、教会の許可を得て、最初は私財を投じてもルルドの聖母像を建立したいと考えましたが、矢張り傲慢な考えを捨てて、聖母のみ心に添う謙虚さが大切であると反省し、また、時あたかも今年が師父聖マキシミリアノ・マリア・コルベが「けがれなき聖母の騎士信心会」を創立されてから百周年になることを知り、誠に時宜を得たものと思い、聖母の騎士会のメンバーにも相談しましたところ、ルルドの聖母像を希望する意見が多くありました。その後なるべく大勢の皆様にも輪を広げた方が良いと考え、神父様や教会の役員会にお諮りしたところ「信徒有志」でルルドの聖母像建立が承認されました。
 1月8日のミサ後「ルルドの聖母像建立」について説明会を開催し、
1、なるべく多くの信徒の皆さんに呼びかける
2、浄財を募る方法は献金箱によることとし期限は3月末とする。
3、聖母像の大きさは周囲のバランス等を考慮し90pとする。
4、設置場所の決定、設計図の作成、工事費概算額を把握する。
5、信徒有志の中から委員を選定して円滑に事業を運営する。
 上記について説明し了承をいただきました。その後数回の説明会を開催し今日に至りましたが、この間多くの皆様から温かいご支援や、お励まし霊的花束を沢山いただきました。献金額も110万円を超える金額をいただくことが出来ました。厚く御礼を申し上げます。
 当初探しあぐねておりました工事会社も、社長が東京芸大を出られてフランスには十数回も行かれ、なおルルドにも2回巡礼された経験のある方が見つかり、しかも格安の価格で引き受けて下さることが決まりました。竣工までは気を緩める事も出来ませんが、工事が順調に進めば5月20日頃に完成する予定です。
 信徒の皆さんがルルドの聖母像を仰ぎ見ながら、聖母への信心を通して、聖母のお取り次ぎによって重篤な病や大きな困難を克服することが得られ、また信仰を深めていただければ、これに勝る喜びはありません。
 最後になりましたが、ルルドの聖母像建立の呼びかけ人として、説明に手落ちや配慮が足りず、ご迷惑やご不快をお与えしましたことを深くお詫び申し上げます。神父様をはじめ有志の会委員の方々や信徒有志の会の皆さんに深甚なる感謝を込めて。

―防犯カメラによる監視社会、
 皆さんはどのように感じていらっしゃいますか!!―
                                     S.K

 4月のある日の午後、当教会在籍の画家・D.Nさんが所属されている「創展画人協会」の2017年春季展示会を拝見させていただきました。
 Dさんの今回の画題は「監視社会」です。近年は、防犯上の関係でいろいろな所に監視カメラが設置されています。街角、商店街は勿論、教会にもありますし、ドローンにも取り付けることが出来ます。出口さんはこの現状をキリスト信者として冷静に考え直すことがあってもいいのではないかと、提唱されているのではないかと、考えさせられました。

「親の心子知らず」
                                     K.T
 
表題に掲げた格言は私にとって未だに耳の痛いものの一つである。
言うまでもなく「父母を敬いなさい」は十戒のなかの偉大な教えであるし、最初の「キリスト教会」では独自の資料に記された「私(中略)はよい両親から生まれたので」を引用して、両親への感謝の気持ちを正直に表現する同輩が羨ましくてならなかった。30年近くが経過して彼のように教えを実行できなかった私自身にも憐憫の情をもつが、当時の父・母に対しては身を切るような後悔と謝罪の念とを抱く。
 私が1週間の宿泊研修を受けた内観研修所の所長が記した記事に「愛情飢餓が疾患の原因となっている」と書かれたものがあった。現在に至るまで日課として両親とくに現在は母からお世話になったこと、お返ししたこと、迷惑をかけたことについてそれから14年の間想起する作業を続けてきたが、当初から両親との「行き違い」の記憶のために、両親からいただいた愛情を「ふるい落とし」てしまっていたことに気づいていた。
 以前も発表するつもりで原稿を仕上げた段階で、母との行き違いの経験を言及したために、両親の立場に寄ったものにするという当初意図した論旨から大きく外れた記事となってしまい、母親でもある2人の友人とも相談して投稿を断念した経緯があった。
 父は「(何より)苦痛なのは仕事がうまくいかないことなどではない。子どもが病気をしていることだ。」と生前こぼしていたという。
 母も保険の効かぬ心理治療などに惜しむことなく援助してくれたし、医師との三者面談で私は母の顔をまともに見られず思わず顔をそむけたのであったが、幼いときの心的外傷となった経験の想起の際泣きながらも逃げずによく同席していてくれたと感謝している。
 また私に対する援助は生活のあらゆる面に及び、特に仕事の面では、学校と勤務先を辞めたと聞き、叔父のクリーニング店の手伝いの話を取りつけてきてくれた。近所にスーパーがオープンするというので新聞店で適時を狙い一部購入し、募集の広告を入手してくれた。
 入院中の内観研修(通算3回中2回目)では、「母と立場を交替して彼女自身の私に対する愛情をそのまま経験するならば、疾患が消滅するにとどまらず、私自身が大きく前進するだろう」
 というような洞察を得た。それは研修中に再体験できた愛情だけでも文字通り洪水のように過去から引きずっていたわだかまりを溶かしきってしまい、さらに私自身をも圧倒してしまうような大きなものとして経験したからであった。
 若い頃の迷いに対しては私自身の「目の前の梁を取り去る」(マタイ7:5)、つまり、自分自身を拘束している価値基準を自覚して放棄し、自分自身と相手(ここでは両親)を受容することが現段階での答えである。
 「愛されなかった私」か「愛された私」かの選択は私自らの意志でおこなってきたのに違いない。


こんにゃく物語(121)
青葉若葉   
目にはまぶしき陽の光 (芽)
                                       S,M

 マリアの月5月! 若い友から便りが届きました。病むことの多くなった私には、彼女はまぶしい存在なのですが、御文には3月の末東北にレンタカーで、石巻、女川、南三陸、気仙沼、高田と津波の被害のあった所をたどったそうです。
 リアス式海岸とはなるほどこういうものなのかと改めて納得する景色が続きます。くねくねと曲がった先に現れる湾と集落。広がるおだやかに凪いでる海があの日、これ等の集落を飲みこんだなんて、声も出ません。行く先々で嵩上げの大規模工事。でも、一度失われた街を作り上げるには途方もない大変さに、心がしぼんでしまいそうです。原発事故の福島はなおの事でしょう。「国民を守る」と安倍首相は云うけれど私達が望むのは防衛費ではなくて、被災地に住んでいる人の手厚い援助、生活に苦しむ国民を減らす事だと思います。復興大臣の暴言等を聞くと「国民を守る」と真っ赤な嘘だとよくわかります。「国民を守る」ために国民は賢く、厳しく良い政治家を育てて行く力を持たなければと、痛切に思います。という文でした。
 私はこのお便りを読んで胸が熱くなりました。
今の世相をかえりみて・・・・・

 去年今年(こぞことし)
    闇の深さ夏木立(芽)

(「智も手も」No353 2017年5月号  4月16日発行より)



教会報「智も手も」抜粋記事          No352         ’17年4月号より
    司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                            写真や図は省略してあります。

            ふっかつ
                                          司祭 藤田 薫
   ご復活おめでとうございます!
  司祭として春日部教会で迎える初めての復活祭となりました。
  さて、復活祭にまつわる思い出話を少々いたします。聖劇というとすぐに思い浮かぶのは降誕劇ですね。日本でも多くの教会で子どもたちによる聖劇を見ることが出来ます。カトリックの国々では、聖金曜日に受難劇やキリスト役の人物が実際に十字架を担ぎ、十字架につけられるまでを再現する祭りが行われる習慣があるところが少なからずあるようです。受難劇は血なまぐさい眺めが苦手な日本人からは好まれないからか、日本ではやっている話を聞いたことはありません。そういうことなのであえて私は2度ほど自らキリスト役になり受難劇をやってみたことがありました。その内容についてご復活をむかえている今この紙面にて語るのはふさわしくないでしょう。ただ今そこにふれるのは次の問題があったからです。
 それは復活。受難劇はあります。しかし復活劇はというのはどうでしょう。私は知りません。かつて聖金曜日に受難劇を行った時、そこの教会の信者の方々から「聖金曜日に教会に来られる限られた信徒だけに披露するだけでは、もったいないので、日曜日の復活の主日のミサのあとにもやってほしい」と頼まれました。しかし、復活祭後に受難劇というのは、ふさわしくないでしょう。やろうとは思いませんでしたが結局、ピラト役でもあった主任司祭も多くの、(あたかも「殺せ、殺せ、十字架につけろ」と叫ぶユダヤ人たちのような、)望む声に同意せざるをえなくなり、その勢いに押しつぶされ、復活の主日のミサ後にも受難劇をする羽目になりました。しかし、復活の主日にやる以上、復活まで続けてやらないとさすがに・・と思いはしました。
 しかし、それが難題となりました。そのプレッシャーもあってかスタッフとキャストともに徹夜祭後に稽古を続けたのち、気づけば徹夜で酒(しゅ)と交わり続けたおかげでひどい二日酔いになってしまい、受難の場面は迫真の演技だと勘違いされたようでしたが、苦しくつらかったのは演技ではありませんでした。その状態で私に復活したキリストまで演じるのは無理に決まっていました。それはもう冒涜です。監督「やれっ」私「やれない」で激しく争いました。「ええやろ、脱がされた服、また着て出たらえーだけや」「・・そういう問題ではない」「この期に及んで復活せんとかいうならホンマに殺したろか」などと傍で聞いていたらわけのわからないやりとりになりながら双方譲らず、唸りながら福音書の復活の場面とにらめっこをしていると、
 マルコによる福音書の復活の場面に目が。「こっ・・これや?、補遺がついてなかったら復活したキリスト、姿見せてない?」「それだ」代わりに天使役を弟子役の中から一番顔の整った高校生を選んでやらせることに。しかし急に天使役をふられた彼は「・・セリフ長くて無理」と監督は「・・立ってるだけでええわ」と。「セリフは?」「舞台のそでで・・・俺が威厳ある声でマルコ16章6〜7節の天使の声出したる」「じゃあ天使は口パク?」「・・・声と口の動き合わせる練習しとる時間がないから無理や。・・・・・ええわ、天使は口閉じたままでも声出る」この判断は結果的に正解でした。そしてめでたく私は復活したキリストを演じることから解放されました。
 そして、「驚くことはありません。あなた方は十字架につけられたナザレのイエスを捜しているのでしょうが、ここにはおられません。復活されたのです。ご覧なさい、ここがお納めした場所です。さあ行って、弟子たちに、特にペトロにこう言いなさい。『あの方は、あなた方より先にガリラヤに行かれます。かねて言っておられたとおり、そこで、あなた方はあの方に会えるでしょう』」で終わりました。この劇を見ていた会衆はこのからの墓の場面に最も感動したということです。演じなくて本当によかったと今も思っています。
―――――?―――――?―――――?―――――?―――――
短信テモテ
◆3月19日(日) 黙想会
コンベンツアル聖フランシスコ会の山口神父が見えて薫神父との共同ミサの後、聖ヨセフはマリア、イエスの守護者として、どれほど重要な役割をはたしたかをお話しくださった。
迷っていたヨセフに、「恐れず妻マリアを迎え入れなさい」(マタイ1・20)と告げた天使の言葉に従い、神にささげた聖ヨセフの生涯を考えさせられた。
◆3月25日(土)〜26日(日)
埼玉ブロック中高生交流会
さいたま教区埼玉県ブロックの中高生交流会が当教会で行われた。


中高生交流会に参加して
                                      A.K
 3月25日、26日の二日間、僕はカトリック春日部教会で開催された埼玉中高生交流会に参加させて頂きました。
 中学生のときまでは多くの友達と関わっていたこともあり、サマーキャンプなどで新しい友達と出会うのは普通でしたが、高校生になって特定の友達としか関わらなくなっていた僕は知らない中高生に会うのが少し不安でもありました。
 実際行ってみると、簡単なゲームやアイスブレイクなどを通して比較的簡単になじむことが出来、安心しました。初めて会う中高生だけでなく、かつてサマーキャンプで出会った友達とも久しぶりの再会ができたので良かったです。分かち合いでは高瀬助祭が中心になり、5、6人のグループを作って互いの悩みや考えを話し、聞きあいました。様々な意見などを聞くことで更に考え方の幅が広がったような気がしました。
 夕食でカレーを食べたあとは自由時間で、皆で卓球やカードなどのゲームをして楽しく過ごしました。神父様が徹夜してもミサで寝なければ良いとおっしゃったので、結局徹夜で遊び、ミサでは皆寝ないように必死でした。(笑)
終わるころには初めて会った中高生ともすっかり友達になり、 次回また会おうと言って交流会は終わりました。はじめは不安もありましたが、このような機会があればまた是非参加したいです。

高山右近、ゆかりの地
大阪・金沢 巡礼記 (2)
                                      I.J
 少し早めに会場である大阪城ホールに到着する。周辺一帯はすでに人でいっぱいだがポイント毎に大勢のスタッフがにこやかに誘導してくれる。ホール内には左右に大きなスクリーンが掛けられ中央に祭壇が設けられている。式の30分前から右近のビデオが映されホール内が一つになってその生涯に入っていく。
鐘の音と共にオーケストラ、聖歌隊、参加者全員で「いつくしみ深く御父の様に」を歌うなか司祭団入場、真紅のカズラの前後には右近のシンボルマークである家紋の七曜星の後ろに十字架と三重の輪がデザインされ鮮やか。正面二階の司祭団席は紅一色になる。
 1585年秀吉により、13年間過ごした高槻から明石に移封された右近は翌年、ここ大阪城でイエズス会のコエリヨ他35人余りの教会側一行の先導役として謁見の間で秀吉と会見している。そのおおよそ1ヶ月後には「キリスト教宣教の許可書」を交付した秀吉が、1587年には右近に使者を送り信仰を捨てる様詰問状を突きつける。この頃の信者数は24万とある。
 この時の右近の返事は「人間にかかわることは変えることができても、神のこと、またその教えにかかわることは一点たりとも変えることはできません」という信仰告白だった。右近35歳。ここからの生き方が殉教者の歩みだと―列福の儀―での「右近の略歴紹介」を聞きながら思う。
 「教皇書簡」が読まれ「肖像画の序幕」そしてシスター前田、作詞作曲の「主こそわが光―祈る右近―」を歌う中、聖遺物が祭壇近くに安置される。ミサは続き閉祭のことば「高山右近のように信仰を力強くあかしするために、行きましょう、主の平和のうちに」。感謝と喜びのうちに、退堂する司教団を見送る。
 この後ホールを退場しバスに乗り込むまでの大変なこと! 閉館直前のしろあと歴史館の「右近展」を見て宿泊地大津へ。夕食で列福の祝杯。なぜかシスター方のテーブルに私だけ加わることになり、隣になった若い頃ブラジルにいたというシスターから、まるで「天使にラブソング」の様なおいしい話までごちそうになる。
 8日、窓を開けると駅のホーム越しに琵琶湖が見え近くの山はうっすら雪をかぶっている。今日は午前中は移動のみ。車内はいつもの様にロザリオの祈りから始まる。バスは初日からずっと同じ運転手さんガイドさんが同行で、関西弁を交えながらの軽妙なおしゃべりと案内もすっかり馴染んできた。「ウチナーなんかこれ知ってる思うてんけど、これでも幼稚園カトリックやったんやんか。すっかり忘れててんけど、その頃きいてたんやなー」とのつぶやきも出る。バスは名神高速道から北陸自動車道へ入る。車窓の暗い海をながめながら、右近一行の金沢への道中に思いをめぐらす。車内のDVDでは心のともしびで放送された故溝部司教の「高山右近没後400年〜列福に向けて」(退任後の2012年、京都望洋庵での収録)が映された。2011年秋、司教様と大船渡教会で偶然ご一緒になり、お祈りした事を思い出す。
 お昼少し前に金沢教会に到着。右近が金沢で最初に住んだところで、現在の金沢21世紀美術館のすぐ隣にあり、ここでミサに与る。午後信徒の方が金沢城を案内して下さる。この地に26年を過ごした右近の足跡がそこここにある。雪づりの美しい兼六園(雪はなし)を見学後、能登の七尾へ。右近もこの地へ宣教に来ており七尾、羽咋(はくい)に教会を建てている。今日の宿は和倉温泉。
 巡礼最後の9日は、まず志賀町の右近記念公園とその近くにある墓へ。公園は道路に面していて右近像もあるのですぐにわかったが、墓は人家の間の細い道を裏山に登って行くような先で、急な山道は滑りやすく何とか辿り着いた。そこにひっそりと苔むした石と新しい石の十字架があった。マニラに追放され63才で帰天した右近の遺物を家族(妻、娘、孫)が密かに持ち帰り墓としたと伝えられている。皆で祈る。
 次に七尾教会へ。現在巡回教会となっているが信徒の方がお茶を用意して待っていて下さった。幼稚園もある可愛い教会で亡くなられた主任司祭がイタリアから船で運ばれたという祭壇、マリアゴレッテイのモザイク画や大きな絵が飾られ、包まれるよう。一緒に感謝のミサに与る。神父のカズラは列福式の真紅。昼食後右近とかかわりの深い遺品が多くある本行寺へ。右近が住んでいた部屋、直筆の書状、そしてこの列福式でいただいたメダルも見せて頂く。地方新聞の取材も来ていて住職の説明にも熱が入る。1614年2月25日、雪深い金沢を出立し長崎へ向かった右近一行の旅路がどんなに大変だった事か。それでもこの巡礼で見てきたように領地を追われて行くさきざきに教会ができている。「冬を堪え忍んで春を待つバラのように」と右近自身が手紙に書いているとおり、希望を失うことなく信仰を証しし続けた生涯は現代に生きる私達にとっても大きな道しるべとなる。新高岡駅でバスと別れ、北陸新幹線で大宮へ。
 巡礼の終わりに右近のように日々を受け止め、深く神と対話しながら力強く歩み続けられるようにと祈る。(終り)

愛猫との別れ
                                       F.R
 猫を飼うきっかけとなったのは、娘たちが教会へ行く途中、公園で拾った子犬が16才で死亡したことがきっかけだった。
 最初は「二度と動物は飼うまい」と思ったのですが、私と次女が“ペットロス”になったのを見かねた夫が「猫でも飼ったら」と言うと、次女が早速猫探しをした。その時、三女が「動物を飼うとお別れのとき辛いよ」と助言したのだったが、近くでアビシニアンとショートヘアのミックスの猫が貰い主を探しているという情報が入った。その猫が「チョコ」で、11年前の事だ。いざ飼ってみると部屋中飛び跳ねるし“ハラハラ、ドキドキ”だった。しかし、幸いなことにトイレと爪とぎの躾ができていて食事中もテーブルの端に座って見ているが、あまり手を出さなかった。日常生活は動物独特の早起きで、私たちの起きるのを待っている甘え猫だった。そのうち、犬の別れから悲しみは癒されて“チョコ”に夢中になっていった。
 しかし10年後の昨年9月、病は突然訪れ、嘔吐の繰り返しで念のため病院へ連れて行くとエコーを撮り、「シコリがある」と告げられた。「他に転移がなければいいが早い摘出がいい」と言われ、17日開腹手術に同意して3日間の入院。結果「大腸の腫瘍は切除できたが、リンパの転移はどうにもならない、余命は3か月」と言われる。抗がん剤でも治療は可能だが、半年位の延命で副作用があるそうだった。“チョコ”と一緒に頑張るためにステロイド剤治療にした。退院後、相当怖い思いをしたようでかなり甘えてくるようになった。薬の効果で時には信じられないくらい元気になったり、病弱になったりの繰り返しだった。娘たちも時々訪れたが11月に入り”チョコ”の衰弱が激しくなり、なでたり話しかけることしか出来ずとても辛かった。点滴とかしたがもう効果もなく、それでも尿の始末は自力でしていてそれが動物の習性か?
 そして、11月15日午前11時過ぎ最期を迎えた。その時、「チョコ」と呼ぶと尻尾を軽く振るだけで、やがて大きく息を吐き声にならない呻き(うめき)声で息絶えた。それは夫が買い物から帰ってきて10分位経過後、待っていたように。可愛がった動物によくある事だそうだ。そして私たちは庭に埋めた亡骸(なきがら)に朝、夕と毎日“チョコ”に声をかける生活だった。
 しかし、動物の死によって家族が一致し協力する家庭が出来たことは、大きな恵みと考えている。夫は「動物には霊魂がない」と言いますが、信心の浅い私は亡骸に花を手向(たむ)けることで心が落ち着く。こういう気持ちが神様の計らいでしょうか。
やがて、教会へ再び行くことができました。

こんにゃく物語(120)
まだらぼけの話
                                        S.M

 春もたけなわ、復活祭も近くなり、皆よろこびの季節に!
私は、一人前に、まだらぼけになったようだ。
 作家佐藤愛子さんではないが「90歳、なにがめでたい!」なんて、威勢のよい言葉も出ず、シュンとなっている。というのは、「智も手も」3月号の編集日が山口神父様の黙想会と重なり、珍しくWさん、Sさんが事務室で待機しておられた折、これはめったにないチャンスと思い、「Wさんの奥様はハワイ沖の離島のらい病院を訪れられたと人づてに聞いたのですが、…?」とお訊ねすると、Wさんはポカンとして「そうかなあ」と腑に落ちない顔をなさった。別の方と間違えていたわけで、私が自分のボケに気がついた始まりだった。「前からボケていたよ」と、息子なら笑うだろう。
 らい者を理解するためにらい者と共に生活された神父様の話には、すごい方がいらっしゃったものだと思いながら、その神父様の名前がすぐには出て来ない。「コルベ神父様だったかなあ」と言うと、そばで聞いておられたSさんに、「何言ってんの!コルベ神父様はアウシュヴィッツで殉教されたのよ!」と、笑われた。家に帰ってからやっと、ダミアン神父様だったと思い出した。
 カトリックの有名な造形作家であられた舟越安武氏の作品が千葉県の館山にあり、当教会の主任司祭であられた鈴木神父様に案内して頂いたのは、いつの日のことであったか…?
 年齢と共に、固有名詞が出て来ない。そのうち、「あなた、だあれ?」なんて言い出すかも知れない。筋トレだけでなく脳トレにも励まなくてはならない。復活祭も近く、我が情けない脳も復活しますように…!

≪原発放棄―箒≫
 3月に「原発廃止に向けてのお願い」という手紙が「サヨナラ原発の会」(カトリック大阪教区社会活動センターシナピス)より教会に届きました。
 主旨は原発廃止の意思表示をするため≪原発箒≫のストラップを身の回りに下げて、自分の意思を表現しましょう! との事です。ただし、1本につき100円の材料費の負担をお願いしております。
 福島原発事故の影響は計り知れないものがあり、原発安全神話が一旦は崩れたものの、最近では先月末に大阪高裁で「関西電力高浜原発再稼働を認め」、広島地裁で「四国電力伊方原発の運転差し止めを求めた処分の訴えを退ける(運転可)」のニュースがありました。
 昨年11月の日本カトリック司教団のメッセージである「原子力発電の撤廃を」と同じ考えをお持ちの方々にはこういう形で自分の意思を表現するのも良いのではないかと思います。(備後地区/S.H)
≪原発箒≫100円/1本・・・・の扱いはA.Mまでお願いします。
以下は関連する本です。
☆回勅ラウダート・シー共に暮らす家を大切に 
教皇フランシスコ著  \1,512
☆今こそ原発の廃止を
  日本カトリック司教協議会編纂委員会編集  \1.944
☆キリスト者として“原発”をどう考えるか
  内藤新吾(プロテスタント牧師)著
いのちのことば社 \700+税

(「智も手も」No352 2017年4月号  4月16日発行より)



教会報「智も手も」抜粋記事          No351         ’17年3月号より
    司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                            写真や図は省略してあります。
怖かったこと
                                            司祭 藤田 薫
 幼少時に恐ろしかったものの1つに注射がありました。おそらくそれは多くの人に共通している恐怖かもしれません。予防接種の時期が近づいてくると、死の判決が近づいてくるような恐怖感が日々強まり、当日になれば朝から不気味な恐怖に打ち震え憂鬱でした。風邪などで病院に連れていかれるのも、注射をされるかされないかは天と地ほどの恐怖の差がありました。痛みは残るものの、その後の解放感は、闇から光に解き放たれたかのようでした。
 これが今度はメンタルな恐怖の体験となると「共同回心式」なるものがありました。大きな教会はだいたい待降節中と四旬節中に行われるものです。中高生の頃の記憶では昨今のこの近辺の教会では考えられない、5〜6人の司祭がそのために来られていた気がします。その頃は典礼の季節などほとんど気にしていなかったため、ミサに行くと(ほぼだいたい遅れていく)大勢の司祭の姿が見えるか、聖堂内に臨時の告白スペースが設置されていると、「その時」なのでした。ご存知の方は多いと思いますが、説教の後に共同回心式が始まるので、共同回心式をパスしてミサにあずかり聖体拝領をするのは極めて困難(不可能ではないものの、それをやれば罪に罪を重ねるような気になるためさすがにできなかった)。このやり方は逃げ場を失い、半強制的に告白をしなくてはならない状況になるため恐怖でした。告白するようなことはいつでも果てしなくあったわけですが、それらの罪を告白することは、昔の言い方では清水の舞台から飛び降りる、今風なら多分、高所恐怖症がバンジージャンプに挑戦するようなものと言えば良いでしょうか。
 終わってしまえば注射が済んだ後の時に似た感覚(残る痛みを除き)と心安らかにそのミサにあずかり、来るべき大きなお祝いに顔を上げて迎えることが出来る気分になったように記憶しています。そもそも予防接種や治療のための注射は、身体を守るためにするものですが、一瞬でも痛みを伴うことから幼少時には恐ろしいものになってしまっています。
多くの治療には痛みや苦痛が伴います。私たちの回心にも同じ事が言えるでしょう。治療を好む人は良いのですが・・病院嫌いの人が、痛みへの恐れから適切な治療を遠ざけるように、癒し手であるキリストに向かいあうことを恐れるのでしょうか?
 ゆるしの秘跡における罪のゆるしには、大変な治療に必要となる長くかかる痛みや苦しみのプロセスはありません。告白の苦しみがあるだけです。苦しみが大きければ大きいほど、キリストの癒しと愛を深く知ることになります。
 四旬節は特に私たちにとって、ふさわしく清められるための期間です。
                                    

短信テモテ
◆3月1日(水)灰の水曜日
1
9時よりミサ。灰の式があった。

◆3月5日(日)ミサ中、灰の水曜日に来られなった希望者に、灰の式があった。
子供の祝福

ひな祭りにちなんでミサ後に行われた。

◆3月19日(日)
梅崎神父さんと藤田神父の
共同司式ミサ。自分の弱さと困難を大切にとの梅崎神父の説教があった。
ミサ前後両神父により「ゆるしの秘跡」が行われた。(T)


信徒による福音宣教のための学習会
                                                      K.T
2017教区管理者メッセージ「さいたま教区 宣教・福音化年の開始」を受け、私たち日比の有志は総意として学習グループを開始し、ご案内させていただきます。皆さまのご参加をお待ちしております。
目的
1.信徒の務めである福音宣教に必要な知識を身につける
2.来訪者を歓迎し、共同体を身近に感じてもらう
日時
4月より毎月第1・3日曜日ミサ後 各回30分程度
運営
1.当教会信徒により、進行(講義)も信徒が担当。
2.司祭に出席してもらう。
3.学習者の国籍・母語等は問わない 。
4.日英の2ヶ国語は、必要に応じ通訳などを補う。
学習内容
1.当面、カテキズム(入門レベル)を予定。
2.シラバス(講義要綱・学習資料)はMrs. C.Y.が準備する。日本語版についてはMrs.Y.の説明を受けた後、Kが翻訳。


高山右近列福式とゆかりの地
大阪・金沢 巡礼記 (1)
                           I.J
 2月7日の列福式参加を中心に、2月6日から9日までの巡礼に行った。
 6日早朝羽田を飛び立ち雪を頂いた富士を眼下に見て1時間程で大阪空港に着陸。ここで鹿児島、長崎、愛知から参加のシスター方7名と合流しバスに乗り込む。同行司祭は横浜教区の山口道孝神父。「あけぼの」に―先人の歩みに耳を傾けながら、アジア太平洋に生きる―を連載されていたので名前だけは知っていた。添乗員を含め37名の巡礼団の中には巡友(これまでの巡礼で知り合った人)も何人かいる。右近の足跡をたどる旅に加えこの「人」との出会いも巡礼の楽しみだ。
 最初に向かったのは右近21歳で城主となった高槻城があった一帯。城址公園にはマニラにも同じ像があるという右近像があり、右近が建てた天主教会堂跡の石碑やセミナリオ跡などを見る。近くの高槻教会へ行くと丁度バチカンの教皇代理アンジェロ・アマート枢機卿一行がお帰りになるところで、入口にあるひざまずいたイタリア大理石の右近像と共にお見送りする。この教会は日本26聖人に奉げられた教会で、右近臨終の地マニラ郊外アンティポロ教会をモデルに設計されたことなど、信徒の方々が話して下さる。祭壇右手には列福を記念して新しく掲げられた絵があり、これはスペイン、マンレサ洞窟教会のモザイク画にある右近像を、とお願いして描いて頂いたとの事。明日が列福式とあって巡礼団が国内外から訪れている様子。
 1581年4月この高槻で行われた復活祭は近隣諸国のみならず、美濃、尾張のキリシタンも参列し15,000人の大行列だったと知り、当時の盛況ぶりを思いながら茨城キリシタン遺物史料館へ向かう。バスは山深い里へと入って行き途中からは大型車は入れず歩きとなる。小雨のなか千提寺地区へ、最高齢が92才という巡礼団には少し心配になる道だが無事到着。小さな史料館だがビデオ、史料とも貴重なものばかり。ここもかつて右近の領地で、禁教の中、屋根裏の梁にくくりつけた「あけずの櫃(ひつ)」を長子にだけ伝え続け、1920年になってやっと発見されたそうである。この櫃から出てきたもので一番有名なのが、あの歴史の教科書にも出てくるフランシスコ・ザビエル像の絵。現在は神戸市立博物館所蔵となっている。その後千提寺の北にあたる下音羽からも1930年にかけて墓碑や十字架、ロザリオ、メダイ等続々と発見されたと知る。信仰を守り伝えようとするエネルギーを感じる。
 長い一日の締めくくりは、近くにある「黙想会・神との出会いの場」として作られた「愛と光の家」でのミサ。静けさの中で右近と神との深い交わりを思い感謝、宿泊地箕面へ。
 7日、目ざめるとチラホラ雪が舞っている。列福式は正午からなのでその前に玉造教会(大阪教区の司教座教会)へ。
 細川家の屋敷跡に建てられたカテドラルは無原罪の聖母に捧げられた教会で、戦災で焼失し1963年に建てなおされたとある。
 聖堂前の広場には両端に右近と細川ガラシアの石像があり生花が飾られ正面中央のマリア像を見上げると何とその壁面と同じ青空が広がっている。いつの間にか朝日が輝いていた。
 聖堂内は堂本印象の絵とステンドグラスが朝日を受けて光に満ちている。駐車場には列福式に参加の全国からの巡礼団のバスが来ていて、そこここで再会の歓声があがる。(次号に続く)

白血病の再発と“むぎ”
                          A.Y.I
 
今、お茶の水の順天堂医院。私の白血病は慢性でも特殊な型らしく治ることはもちろんなく、現在急性への移行期に入っているらしく、このまま何もしないでいるという訳にはいかないとのドクターの言葉、・・・やっぱり・・・。秋からの風邪っぽい症状が続いているのはおかしいとは思っていた。4年前に治療した時より更に医学は進歩したので薬も新しいのができていた。今まで飲んだ薬は肝臓、たんのうに副作用が強く出た為、この薬は6錠から始めるところ今回“とりあえず1錠から始めましょう”の言葉。また高額な薬代がかかるな・・・・。3週間飲んで2錠に増えた。白血病・・・今度再発したら何もせずに神さまの決められた命を全うしよう…そう思いましたが、2017・2・3節分の日に・・・。
 やってきました。我が家の新しい家族“むぎ”。長女が選び長女が名前を付けました。この子は“はんぱない”のです。やんちゃ、おてんば、良く食べ、よく寝て、よく遊び(やはりシーズー犬です)。
 おきている時は、常に全力疾走です。具合の悪い私をいじめるかのごとく、つい何日か前までは、夜中にヒト(私)を起こして“遊ぼう”。それが3時です。そして4:30には起床。私は寝不足。それでなくてもたった3年ほどで白血病が再発し、また抗がん剤のお世話になっているというのに・・・・。でも病気のことで落ち込んでいるヒマなど全く与えず“あそぼ?!あそぼ?!”いわゆる金魚のふん!状態。
 ゆずが亡くなり毎日泣いてばかりで何のヤル気もおきなかった私の“救世主”とでもいうのでしょうか?
 “むぎ”です。今後何度か登場するかもしれませんのでよろしくお願いします。2016・9・30生まれです。

こんにゃく物語(119)
―陽光の下で―
                                              S.M
 我が家の小さな庭の南高梅が桜前線より一足早く咲きほこっている。もう春!!・・・・、股関節の手術をして、早くも6年近く、中々痛みは回復しないので庭で遊ぶ機会も少なくなったが、4時間のデイケアの車の中の友人が、ボタンの芽のふくらみをすばやく見つけて「随分ボタンがあるのネ」とほめて下さった。植えつけてから10年以上たって、体の不調と共に赤、桃、白、黄、特に黄色のボタンは植木屋さんも珍しいとほめたくれたものであったが、私の体調のゆえで手入れが行き届かず、硝子戸の中からだれに云うともなくボタンに「面倒見られなくてごめん」とつぶやいている。
 今日、東日本大震災。原発事故6年!被災者の方々は本当に多くの悩みを抱えて生きていられると思うに、陽光まぶしい小さな庭の春の息吹をぼんやり眺めていると、ふと何か申し訳ない気になる。私に出来る支援はないだろうかと思う・・・・。ふと♪花は咲く花は咲く♪のテーマ音楽が流れる。被災者の方々の心に花がポっと咲くのを、心ある人々は支援を・・・・。それなのに時の政府は原発再稼働を次々とやり、私は逆行する政権にふんがいしている。美しい花々を送りたいと思う。

(「智も手も」No351 2017年3月号  3月26日発行より)


教会報「智も手も」抜粋記事     No350      ’17年1・2月号より
    司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                            写真や図は省略してあります。
自分の愚かさゆえに
                                     司祭 藤田 薫
 
困った時に助けられる体験ばかりは豊かにあります。それを告白すれば本が何冊も書けてしまうと思います。今回は自動車関係に限定して告白します。それでも詳しく描写すると長くなるのでダイジェストにします。
 ずいぶん前の事、自分の車のキーが紛失したため、スペアキーを使っていました。そもそもよく物を無くします。信号待ちをしていると、運転席の窓をコンコン叩く高齢者の姿が。こんな道路のど真ん中でこんなことをしてくるとは認知症の高齢者ではと、厄介そうだなと思いました。仕方なく窓を開けるとその人の手に私の車のキーが…「後ろを走っていたら、この車のトランクにキーが刺したままになっていました」と、その方は信号待ちを見計らって、自分の車から駆け下りてキーを抜いて渡しに来てくれたのでした。その親切に感謝の気持ちと自分のボケぶりに恥ずかしくなり死にたくなりました。
 また随分後の別の時、給油後しばらく走っていると、信号待ち中、また高齢者の方が窓を叩き、「給油口開けっ放しだったので、外の蓋を閉めておきました」と。セルフのガソリンスタンドで蓋を閉めずに、中の栓を置いたまま出て来ていたのでした。感謝とともに心の中で自分を罵りました。
 こういうことは、他にも何度もあり、親切な他のドライバーの方々のおかげで事なきを得ました。その度に自分を罵りましたが、どんなに罵っても同じような過失が治りません。(今の車は栓に紐が着いていて離れないようになっているので、置き忘れることはありませんが・・)
 またある時、荒涼とした人気のない、民家も周囲にないような場所で車がパンクした時(現在ならば自力でタイヤの交換が可能であり、かつ今の車はそういう場合交換せず応急処置が可能なので、こういう話にはならない)、4つあるナットのうち2つまでは外せたものの、3つめが強固でびくともせず、途方に暮れ(こういうことに対応可能なサポートもしてなかったこともあり)、そのうちだんだん考えるのをやめ、やがて天にすべてをゆだねました。何十台もの車が通り過ぎていった後、やがて一台の車が止まりました。50歳代くらいの男性と、70歳代くらいの男性が下りて来ました。若い方の男性が苦闘の末なんとか3つ目を外すことに成功。しかし、4つ目は固定されているがごとく・・。それでは自分がと年配の方のほうも「う〜ん、う〜ん」と顔を真っ赤にして頑張って挑戦してくれたが、もちろんびくともしません。それ以上頑張られると健康上危険なことになりかねないので止めました。3人で途方にくれていました。どのくらい途方にくれていたかよく覚えていませんでしたが、日は暮れかけていました。目の前には、廃品回収置き場があり、人の気配はなかったのですが、やがてそこに廃品を積んだトラックが入ろうとしてきました。若い方の男性がそのトラックの前に走って行き、そのトラックを止めました。そのトラックから大柄のインド人とおぼしき人(そうでなければバングラディシュかパキスタンか)がおりて来ました。この状況を打破できる真打登場と私の目には映りました。4つ目のナットは一瞬で外れました。「ヤッター」とみんな喜んでいました。
いずれも、自分がちゃんとしっかりしていたなら起きなかったエピソードです。
 そもそも、私のように不注意な人間が今まで誰かを死傷させるような事故を起こしていないのは奇跡ではないかと思えます。
 しかし自分が愚かなことをよくやらかす割に、人が愚かなことをやらかすと冷ややかな反応をして見下すことが多いです。(その手のエピソードで本が何冊も書けそうです)しかし、そのようなやつである私がこのように助けられてばかりいます。してもらっていないのなら、してもらっていないから出来ないと言い訳ができますが、してもらっている以上言い訳はできません。神様がニヤリと笑いながらウインクをしているようです。

みことばクラス
クリスマスのげき
                                     4年生 M.A
 
私はクリスマスのげきでマリア様をやりました。
マリア様をやってみてマリア様のきもちがわかった気がしました。

クリスマスこどもミサの思い出
                                            S.Y
 
クリスマスこどもミサでは、聖劇でヨセフ様の役をやりました。ヨセフ様の役は楽しかったです。
 マリア様役の女の子と一緒に声を合わせてセリフを言う場面は難しかったけれども、なんとかできました。
 ミサの後にみんなで遊びました。陣地取りゲームなどをしました。楽しかったです。クリスマスプレゼントももらいました。中に入っていたお菓子はおいしかったです。
 次はイースターが楽しみです。


「教会で初詣」に留守番ご協力
いただきました皆様、有難うございました。
                              教会留守番活動世話役 S.K
 
智も手も12月号でご案内いたしました「教会でも初詣」を実施いたしましたが、ほぼ毎日何人かの方が初詣に教会を訪問してくださいました。 
 今回、ご協力いただきました方々のご感想を生かして、次回からはさらに認知度をあげ、「初詣は神社だけでなく、教会でも出来るのですよ」を広めていければいいと願っています。
 希望者はローソクを灯してお祈りできました。
 当教会の留守番ボランティア活動は、初詣以外でも、平日の水曜日、木曜日、金曜日の午後1時から午後4時まで、教会の鍵を開けて留守番をしていただく活動です。詳細は教会玄関ホール壁にございます。
 ご協力いただけます方は、申出書がホールにございますので、お名前、連絡先などをご記入くださいまして、お渡しいただければありがたいです。
 どうぞよろしくお願い申し上げます。


短信テモテ
☆信徒会館への引越し 12月18日(日)
 
ミサ後、信徒全員参加の協力で引越し大作業が行われた。マザーハウスから数名の方が引越のプロとして、大型家具の運び出し設置等で参加。
教会委員長号令のもと、ワイワイガヤガヤ大騒ぎの嬉しくも楽しい(?)引越しとなる。
「注」マザーハウスは、罪を犯してしまった方々に寄り添い活動をしている特定非営利活動法人。

☆クリスマス・イブのミサ24日 19時
ミサ後パーテイー。
 準備してくださった方々に感謝。

☆クリスマス深夜ミサ 午前0時
 
数十年ぶりの深夜ミサ。聖夜、蝋燭の炎がハートに・・・。ミサ後の小さな茶話会で一息。

☆子供のクリスマスミサ 13時
 
主日のミサが10時より、その後例年の通り子供達のミサが行われた。ミサ後は聖劇、そしてゲーム等、ワーワー大はしゃぎ(2頁参照)。佐藤智宏神父が途中参加、神父の背中を借りての馬跳びに子供達も神父も汗びっしょり。

☆元旦深夜のミサ 午前0時
 
大晦日の節目の深夜、前年の感謝と新年の歩みへのミサが、十数人の方の参加で奉げられた。

☆元旦ミサ1月1日(日) 11時
 
神の母聖マリアの祭日、新年を祈願しての初詣ミサ。年頭の説教は第50回世界平和の日教皇メッセージ「非暴力、平和を実現するための政治体制」の内容をわかり易く解説をしていただく。普段の日曜と同様の参加者であった。

☆信徒会館祝別式 1月15日(日)
 
ミサ後の祝別式。

☆信徒総会 1月22日(日)
 
ミサ後定例信徒総会。50名程の参加で滞りなく前年度報告が承認され、次年度へと引き継がれた。

☆掃除ロボットの活躍
 
広くなった聖堂、玄関、元図書室をボタン一つでお掃除してくれる。便利な世の中になった。

ルルドの聖母の建立について
                                  呼び掛け人 S.T
 
この度信徒会館の庭の一隅にルルドの聖母像を信徒有志によって建立することが決まりました。信徒の皆様の善意やお祈り、知恵や専門的知識、技術など様々な分野でご協力ご助力をいただきながら進めて参りたいと念願しておりますので、この趣旨に賛同の方は酒井までご連絡を下さるか、お聖堂入口前に設置してありますルルドの聖母像建立の献金箱にお名前を記入したメモを投入して下さるようお願い致します。後日設計図や施工方法、工事費用等について準備が整い次第再度説明会を開催しますので、ご参集下さいますよう重ねてお願い致します。

三年目
                                           L.M.Y 
 
洗礼の秘跡を受けてもうすぐ3年になります。もう3年も経つのかなと思うばかりです。生きてきて、本当に生ききれたというか無駄が無かったと思えます。沢山罪も犯してしまったのですが、ゆるしの秘跡で心がゆるされ安らぎを覚えたりと本当にいい3年間を過ごせました。
 何はともあれ、心の荷を降ろすこと、休みたい時に休める教会という場所を与えられたことで、主日以外の日も一生懸命に働いたり、休んだり、又遊んだりして来られました。胸の痛いのを解放し、いやしが与えられるのには、教会へ行き、平日には自分に出来る事をがんばるというサイクルが良かったのだと思います。休みと仕事(労働)は自分の良いテンポとなり心のビート・リズムとなって感情に弾力が出てきたと思います。
 過去、胸にしまい込んでしまった重荷を降ろすのは容易ではないけれど、少しずつ降ろしていきたいと思います。

感銘を受けた短歌作品
                                         K.T
 
今は亡きK.Sさんが長らく会長をなさっていた精神障がい者家族会「親和会」があり、私もその会員です。
その会員さんの中に、N.Eさんという方がいらっしゃいます。四国のご出身で、お父様は高浜虚子のお弟子さんでした。お名前は、お父様が「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」というイエスの最後のことばから取って名付けられたのだそうです。
 熱心なプロテスタントの信者さんで、よく短歌をお詠みになりますが、その作品に私はいつも深い感銘を受けています。ご子息は障がい者ですがやはり歌をお詠みになり、一昨年「大西民子賞」を受賞されました。
ご本人のご了承をいただきましたので、Eさんの作品を皆さまにもぜひ味わっていただきたいと思い、ご紹介します。
*    *    *
禍(わざわ)ひといふ禍(わざわ)ひは初めより
         神の御手なる創造の玉

時に追はれ時に流され時に泣く
       人はなにゆえ時の奴隷ぞ

朝な夕な歌詠む吾子の姿見て
      われもまた同じ道を歩まむ

受賞せし吾子は障りの中に在り
        命の限り歌を詠みたる

ほめ言葉受けし君の背丸まりて
      白きハンカチ握りしめをり

貧しくも尊しと思ふ一日よ
      母の好みしコスモスの咲く


それは突然やってきた
                          A.Y.I
 
1月18日(水曜日)夕方、思いもしない事が現実に起こってしまった。以前このコーナーにも載せていただいた、我が家のアイドル、シーズー犬の“ゆず”がたった2時間で神様のもとに旅立ってしまったのだ。
 夕方、きっかり5時になると時計を見ながら私達の顔を見る。それがWごはんだよ“の合図。その日も5時少し前に仕度をして“ゆず、ごはんよ。今日は(乾燥の)マグロだよ”と。しかし一向に食べない。食べないどころか横になってしまい急に呼吸が荒くなったのだ。これはおかしいと思ったものの行きつけの病院は定休日。トリミング等をお願いしている近所のペットスパの方に聞いてみると“ララガーデンの病院は遅くまでやってるから行ってみたら?”と云われ、毛布にくるんで夫と連れて行った。行く途中車の中、私が抱いていると更に苦しそうにした。
 検査の結果“かなり危ないです”と。“なんで?さっきまで元気に動きまわっていたのに。何で?”治療を待つしかない時間の長く感じる事。必死に神さまに祈っていた。“肺に水がたまりそれを吐かせたら血が混じっていて、多分心臓の総合弁に何らかの異常がある・・・・”と。“心臓!?”今まで2週間に1度アレルギーの為に通院していたが、言われた事は全くないのに・・・・。なぜ!?
 病院に着いて約1時間半後の19時18分、天国に召されたのだった。30分間ドクターが必死に心臓マッサージをしてくれて何とか戻ってとの思いも届かず。でも意識のあるうちに“ゆず・・・・”と声をかけると夫と私の顔をしっかり目を開けて見た。何か言いたげに。きっと“ごめんね”か“パパ、ママ、バイバイ”か“ありがとう”なのか?そのどれだかだと思う。そして目を閉じた。泣きながら、マッサージをして下さるドクターに私達は、“先生、もう戻らないなら充分です。後は早くやすらかに眠って欲しいです”と。
 酸素吸入もいろいろな管も外され、呼吸は止まった。わずか8年3ヶ月の命。しかしあの子は人が好きで人に好かれておとなしくて全く吠えることもなく・・・・いい子すぎたのかな?言葉の伝わらないもどかしさ。
 まだ気持ちの整理がつかず、何をやっているのだろう・・・・という事が始終おきる。少しだけ神さまをうらんだりもした。でも今は神さまのもと、天国で自由気ままに走り回る姿を思い浮かべようと思う。“ゆず、ありがとう。愛してるよ” 

こんにゃく物語(118)
―南枝向日(なんしこうじつ)―
                                         S.M
 
身体のあちこちが痛んで、つらい冬ですが、「2月」はもう春の予感がして、心が少しづつ浮きたってきます。皆さまお元気で冬をのりきられましたでしょうか? 2月の私の計画表はデイケア1週2回で1回4時間、ヘルパー3回、他に医者通いに、等々結構いそがしいのですが、本当に有り難い事に、同じ地区のDさんが、テニスの帰りだからとおっしゃって、だいたい水曜日おいそがしいのにお寄り下さり、教会の方々のお元気な御様子を教えて下さり、私は暖かくなったら、もっと教会に行ける様、心待ちにしています。本当にコトコトと希望が湧いてくるのは、皆様方の活躍ぶりです。最近お聞きしたことでは、幾人かの方が春日部のイオンで、遠藤周作氏の「沈黙」をご覧になっていられたとうらやましいお話でした。
 私も上野の科学博物館の「ラスコー展」に行きたいなぁと思ってはいますが身体との相談です。それにTさんに教わってアイパットの使い方、加齢と共に忘れかけてしまって!・・・早く春よ来い! それに「古代歴史文化賞」大賞受賞田中史生さんの本を読みたい!
―神父様はじめ皆様元気で!―
ご降誕おめでとうございます!
                     

(「智も手も」No350 2017年1・2月号  2月26日発行より)



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