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わたしが生きているので、あなたがたも
生きることになる(ヨハネ14:19)
タイトル
教会報「智も手も」抜粋記事 No367 ’18年10月号より
     司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                          写真や図は省略してあります。

司教叙階式にて
                                司祭 藤田 薫
 さいたま教区にやっと新たな司教様をお迎えできたことを心から感謝しています。
 その叙階式にあたって私はささやかな信仰体験をさせていただきました。叙階式において私は畏れ多くも教皇から被選司教への任命書の日本語訳を読み上げる任を与えられていました。まあ、そんなに難しいことでもなかろうと深く考えずにいました。あらかじめその任命書の日本語訳は送られてくることになっていたので、来たら暗記するほど練習しておけば問題ないだろうと思っていました。しかしこのような任命書はすぐに送られて来ることはないらしく、手元に日本訳が届くのはかなり時期が迫った頃というような話をうかがいました。少なくとも一か月くらい前には届くかと想定していましたが、その考えは甘かったようです。実際に届いたのは5日前でした。そこにはこれは確認用で、これをプリントアウトしたものを持ってくる必要はなく、式用に用意したものがありますとのことでした。その言葉を信じました。みっちりそれだけに5日間費やせるなら暗記も不可能ではないかもしれませんが、慌ただしい状況にぶつかっており、ゆっくり練習する時間もありません。しかしちゃんと用意しているということだから大きな文字とかで書いてあり、きっと読みやすいものだろう、それなら暗記するほど練習しなくても大丈夫だろうと思いました。そして叙階式を明後日に控えた土曜日の朝、急に気温が下がって寒いくらいの日が続いたせいなのか、目覚めると声が枯れているような気がしました。おそらく気のせいだと自分に言い聞かせました。会議のために教区事務所に向かうとスータン姿にマスクをして半病人のようになっているY師に遭遇しました。私の声を聞いたY師は「…薫さん、あんたもか…」と枯れた声で言いました。これで気のせいではなく現実だったことが証明されてしまいました。この大事な時によりによって…とわが身を呪いかけましたが、スマホを見ているとSNSの中に、こういう時はパイナップルジュースがこのような時ののどに良いと書いてありました。時間がないのでそのトピックを信じて、子どもの頃以来長らく飲んだ記憶のなかったパイナップルジュースを1リットル購入し、飲み続け、24日の朝に飲み干しました。効果があったかどうかは私の声を聞いた方々が判断してください。
 司教叙階式では司祭の多くは(内陣に相当する)舞台壇上ではなくそのすぐ下の会衆席に着くことになっていました。私も当然そちらだろうと、そちらの行列に並んで式が始まるのを待ちました。すると何人かの司祭から「あんたがなんでここに並んでいる! あんたはあっちだろう」と追い払われてしまいました。さいたま教区の司祭は舞台に上がる側の列だったのです。しかし、全員が舞台には上がれないので、行列の前の方にいれば舞台の下になります。そこで行列の前のほうにひっそりと並んでいました。そのまま整然と式が始まることを期待していたのですが…。後方から私を呼ぶ声がしました。「薫さん! 薫さん! どこにいる?」Y師でした。Y師は私を見つけると、「あんた、そこじゃない。こっちだ」といってどんどん司祭の列をかき分けて後ろの方に進んで行きました。「ここっ!」 そこはもう後ろに司祭たちはいませんでした。「S神父と並んで被選司教の両脇に付く!」 それはまったく知らされていませんでした。おかげで任命書の事を忘れかけました。建物の外に出て行列の準備に入ったころ、一応任命書がちゃんと準備されているか確認しようと思いました。…が式長をはじめ式の進行を誘導する担当の司祭たちは慌ただしく動き回っていて、ちょっとそういうことを聞ける雰囲気がありませんでした。やはり、ここはちゃんと信じるしかないかと思い、練習用に持ってきていた任命書のコピーは控室の自分の荷物にしまったままにしておきました。長い入祭の行列の後、舞台に上がり、被選司教の左側に立ちました。説教壇の上にも棚にも日本語の任命書らしいものはありませんでした。そういうものはもしかしたら必要になった時に舞台裏か脇から漆塗りの賞状盆にでも入れて恭しく侍者が持ってくるのだろうかと思ったりもしました。しかし、そのような気配はなさそうだった。そして、ついに教皇大使がラテン語で任命書を読み上げはじめました。私はその背後に控えて立っていました。この期に及んでも日本語の任命書らしいものはなく、Y助祭が掲げ上げて会衆に向けて見せているのはラテン語の任命書でした。とても長く感じました。日本語の任命書はこんなに長かっただろうかと感じるほどに。やがて終わり、教皇大使が下がられると、私はすぐに説教壇には出ることができませんでした。矢吹助祭が促したので、私は「任命書は?」と尋ねました。Y助祭は「え? ないです」と。ああ、起きてしまった…最悪の事態が…と頭の中は真っ白になりました。式長のT師は小声で「じゃあ、日本語の朗読はカットということで…」と説教壇前に身をかがめて合図をしました。しかし、頭の中は真っ白でもY助祭の「ない」という言葉に私の手は反応していました。ポケットからスマホを出しました。かつてファティマの大聖堂のミサで日本語の福音朗読を頼まれていながら、日本語の福音朗読箇所のプリントを遥かかなたの聖母出現の礼拝所に置き忘れてしまい、日本語の福音朗読が出来なくなりそうになったことがありました。その危機において聖母のとりなしはスマホを通して成し遂げられました。スマホに聖書は全部入っていたことに気づき、事なきを得ました。ではこの時は…任命書はパソコンにダウンロードしていたのでスマホに任命書を入れた記憶はありませんでした。それでもなんとかすることは可能でしが、3分〜5分はかかってしまいます。それでは間が開きすぎます。それにパニック状態でもありました。
 ファイルを確認すると…ありました。こういう時に指が震えたり画面がフリーズしたりするとすべて台無しになってしまいます。私の頭はフリーズしていましたが、指が震えて間違った画面操作をしてしまうことも、画面がフリーズすることもありませんでした。神に感謝! その様子が列席の方々にどのように映りどのように聞こえたかは、列席された方々に聞いてください。You−tubeで中継されていたので、映像でも残ってしまっています。司教叙階式に穴をあけなかったことを神に感謝! スマホを通して助けられる神に感謝!



短信テモテ
★9月24日(月) 司教叙階式
 さいたま教区マリオ山野内倫昭司教の叙階式・着座式が盛大に挙行され、当教会からも多数の信徒が参列した。

司教叙階式に参加して
                                       F.W
 まず、天気予報を1週間前からチェックして、「24日は良い天気になりますように」が、毎日の祈りの一部だった。
 24日の朝雨が降り始めた時、パーッと降ったので、式に来る人の足元を軽くしてくださいと祈った。でも、そんなに良い天気ではなかった。
 22名の司教様、100名以上の司祭団、山野内司教様の友人の二人の住職様、多くの侍者、そして1500名以上の参加者の中、教皇大使の任命書を朗読、岡田大司教の説教、受階者の約束、諸聖人の連願、教皇大使の按手、叙階の祈り、聖香油を受け、ミトラ(被る冠)の授与、バクルス(杖)の授与、司教様達からの感激を受けあとは山野内司教様の典礼ミサが終わって祝賀の挨拶、花束贈呈、霊的花束の贈呈、最後にはマリオ山野内司教様の挨拶で叙階式が終わった。外に出たとたんものすごく暑く晴れて、不思議な気持ちを感じさせた。山野内司教様の洗礼名はマリア様と関係があり、司教様のお母さんの祈りの力、皆さんと神様イエス様マリア様に支えられている方だとその時感じました。
 霊的花束を渡したことで終わるのではなく、絶えず祈るようにと思いました。
 主キリストによってアーメン。

司教叙階式に参列して
                                       N.M
 9月24日、さいたま教区信徒が5年間待ち望んでいた新司教の叙階式に参加致しました。
 心配していた雨も明け方には止み、開式の頃には薄日がもれ、穏やかな天候となっていました。ジュビリホールは勿論第2会場の体育館も多数の立見席を含め満席状態で、新司教への期待の大きさを感じました。
 開式が刻一刻と迫るなか、午前11時、高く掲げられた十字架を先頭に侍者、司祭、司教団、そして新司教の入場。大スクリーに映し出された新司教のお姿を見て、遠い昔イスラエルの民がエレサレムにキリストを迎え入れた当時の光景に思いを馳せ、胸に迫るものがありました。
 菊池大司教の司式でミサは挙行され、山野内新司教の紹介の後、フランシスコ教皇からの任命書が教皇大使によりラテン語で読み上げられた後、日本語訳は…なんと薫神父でした!! (聞いていないよ…!!)
 一語一句もらさずいつものよく響くハッキリした声で堂々と…。大役を果たされました。(私事ですが、本日一番感激した場面でした)。
 また、岡田大司教から、さいたま教区の現状(多国籍、多文化、多民族)を述べ、信徒には祈りの大切さと人々の声に耳を傾け、他人の立場になり、お互い理解しあいましょう、と促す説教がありました。
 そして、新司教に指輪とミトラ(司教帽)、バクルス(杖)が授与され、祭壇中央席に着座されました。おめでとうございます。その後新司教の挨拶があり、閉祭の歌では、塩田神父が行列の最後尾でご自分の曲を、満面の笑みでタクトをとっていらっしゃいました。
 2時間以上の式になりましたが、参列できたことに感謝すると共に、山野内新司教の春日部教会でのミサをお待ちしています。

Hさんの思い出
                                       T.C
 H.Tさんがミサ後のお知らせで7月に帰天されたことが告げられて驚いた。函館の教会で葬儀ミサを行ったとの話だった。謹んでご冥福をお祈りします。
 Hさんは長い間教会の典礼部の役職をされ、教会委員長の仕事も何年か引き受けてくれた。お仕事がら、防火防災に詳しい方だとほかの方から聞いたことがある。春日部医療センターができたころ、入院中に教会のミサに参加していたとのこと。その後大阪の病院に行くと挨拶したのは2年ぐらい前のことだったか。半年くらい前だったか突然日曜日のミサに参加されていて、一言二言お話をしたのが最後にお会いした時となった。
 思い出すのは、ミサ後に彼のごつい車に乗せてもらって、東口をまっすぐに行ったところにあるy電機に3回行ったことである。2010年の秋ごろより、ノートパソコン、今「智も手も」を作っているページ印刷機、震災後にテレビの買い替えであった。ラファエル神父が転任前の最後の頃だった。

平成30年7月豪雨
ボランティア体験記(2)

                                       S.S
 8月12日の日曜日はボランティアを休み、午前中は呉教会でミサに与り ミサ後に別館(マリア館)でのお茶会にも参加しました。西日本豪雨災害で実際に被害に遭われて避難生活をされている方もミサに来ています。日々の暮らしを大切にして信仰生活を過ごされている姿を見て、ご苦労されているお話に共感しながら広島・呉・軍港・終戦記念日直前という状況で色々な事を考えました。
 被災地に来て何人かの罹災した方とも話し、来る前(全日ボランティアをする予定)と心境が変わり その街の良い所を人に話すことでも応援ができ、大切だと思い始めました。その日の午後は友人に会いに広島駅まで、翌13日には高速船に乗り江田島の旧海軍兵学校見学に行き(特攻兵の遺書や家族への手紙があります)、2日間休み、観光もしました。
 被災地の状況は日々変わって、電車が復旧したり新たなサテライトが立ち上がったりとネットでは情報が飛び交っていますが、災害の規模に対してテレビのニュースではあまり取り上げられていないように思います。現地で実際に見て、山間部も含めた被災箇所の全体が見えてくると、これは復旧に何年もかかる災害ということがわかります。海沿いの線路や道路の重要な目立つ場所が復旧した時点で、報道される事が少なくなりボランティアも減り、忘れ去られてしまう事を危惧してしまいますが、手付かずの集落、寸断されている道路はまだまだ沢山あるようです。
 14日は音戸地区に行き、土砂の?き出しのボランティアに参加、この日の夜に深堀神父にお誘いを受け、久保助祭と宿泊中の他の方達(信徒でなくても宿泊が出来ます)と共に食事とお酒を頂きながら話をしてわかちあいをしました、ボランティアをしていても心に負担がかかります、それをわかちあう場所として 教会(別館)での宿泊というのはとても良い場所だと思います。被災されているのにその準備に献身的に動いてくださっている呉教会・教区事務所の皆様には本当に感謝してマリア館を使わせて頂きました。
 15日には聖母の被昇天のミサに呉教会で与り、その後お茶会で挨拶をして兵庫へ戻りました。宿泊したマリア館の環境も設備も素晴らしく、呉の街での食事や温泉もボランティア参加者に無料や半額等サービスも親切で、楽しく充実した日々が過ごせました。
 呉在住のボランティアで親しくなった方に「来年の夏も来られたら来ますね」と別れ際に挨拶をしたら、「冬に牡蠣が物凄く美味しいから冬に来たらいいですよ」と言われ、復旧するニュースを見ては、ふとそんな気持ちになる時もあります。
 平成30年の西日本豪雨災害で被災した地域が早く復興しますようにお祈りいたします。

コラール
                                       S.A
 昨年はルターの宗教改革500周年に当る年であった。これにちなみ、宗教改革の傍流で育まれた音楽を取り上げてみた。聖書至上主義者として世に知られるルターは、他方音楽の才能にも恵まれ、コラールの分野で道筋をつけた人である。それで、ここでは音楽愛好家の顔を持つルターの作品と、後世が影響を受けた教会音楽の一端を探ってみたい。
 ルターは「音楽は神からの神聖な賜物、ゆえに悪魔の敵」と述べている。ルターの手になるコラールは36編ある。作曲技法はカトリックの教会旋法を拠り所とした、といわれている。コラールの中で最も有名なのは、「神はわが砦」(詩編46−2、賛美歌267番)であろう。この曲は、ペストの流行で動揺する人々の信仰を励ますため、1529年に書いたものである。なお、コラールとはもともとグレゴリオ聖歌をさす古称のこと。それが宗教改革により、みんなで歌うドイツ語の讃美歌が民衆に広がり、これをコラールと呼ぶようになった。コラールはルターの没後およそ160年を経て、バッハによって集大成され最高潮に達している。近代音楽の父といわれ、あらゆるジャンルに大きな足跡を残したバッハであるが、とりわけ力を注いだのは教会音楽であった。その大作としては、マタイ受難曲、ヨハネ受難曲、ミサ曲ロ短調がある。各曲の内容については割愛するが、マタイ受難曲には13曲(その中で「いばらのかむり」は特に有名)、ヨハネ受難曲には11曲のコラールを含む合唱曲があり、類似性が感じられる。また、バッハの時代は、ルーテル教会でもカトリックのミサを継承する聖餐式を行っていたので、バッハがラテン語のミサ曲を作曲したのも故なきことではない。余談になるが、今から28年前にドイツ・ザクセン州の古都ドレスデンを訪れ、妻と二人でクロイツ・キルヒェ(十字架教会)をたずねたことがある。この教会には、かつてルターが来訪している。後年バッハもマタイ受難曲を再演するなど、歴史的にも由緒のある教会であった。ルターと同時代の宗教改革者にツヴィングリとカルバンがいる。ツヴィングリは3人の中で一番音楽にすぐれていたらしいが、礼拝に音楽を取り入れなかったので、音楽面では名を残していない。カルバンも音楽は祈りを妨げるとして、賛美歌に力を注がなかった。それでも讃美歌集にはカルバンの曲が6曲載っている。世にいうシュトラスブルグ詩編歌は125曲あるが、うち85曲はカトリック教会の流れを汲むものである。この二人はオルガンの使用を禁じ、教会にオルガンを置かせなかった。事実、スイス・ベルンのミュンスター大聖堂では、音の出ないオルガンを中世の遺物として設置。日本のカルバン教会でもオルガンは見当らない。今回改めてプロテスタントの讃美歌(1986年版)を調べていたら、エキュメニズムによるものかな、モーツァルト、シューベルト、ケルビーニなど、カトリック大作曲家の曲が歌詞を変えて数曲あった。なお、プロテスタント教会では、アヴェ・マリアのような聖母への讃歌は全く歌わないので、賛美歌集には載っていない。さらにオルガン演奏されることもない。17世紀に花開いたコラールであるが、教会音楽のルーツはグレゴリオ聖歌にある。しろうと判断だが、今日使用している典礼聖歌の中にも、その影響が見られると思う。例えば、4度音程(天使のほほえみ、という和音)の和声進行(並行オルガヌム)は多声化したグレゴリアン調ではないだろうか。
 グレゴリオ聖歌は本来単旋律であり、しかもラテン語なので現代人にとってはなじみ難い音楽である。しかし、ここでルター風にいうならば「グレゴリオ聖歌は神が与えてくれた恩寵の一つであり、汲めどもつきぬ泉である」といっても過言ではないだろう。

土曜日の上野公園 育MENたち
                                       D.N
休みの日に上野公園に行くと若い父親が子供たちの面倒を見ている姿をよく見る
リュックサックを背負い 肩にカメラをかけ ひざにタオルをおき 用意万端 手慣れたものだ
おそらく普段から家のこと 料理や子育てを奥さんと分担し合っているのだろう 聞くところによるとおむつなども若い父親はサッと取り換えるという
わたしたち古い世代のものには考えられない 昔は女性はたいてい専業主婦で父親は外に働きにいく時代であった
いまは共稼ぎの家庭が多く女性と男性が家事を分担し合っている
女性も働く喜びを味わい能力を活かせる時代でもある
だからといってよき時代になったと言えるのだろうか
確かに二人で協業して稼ぐので経済的にはゆとりがあるようにみえる
私たち昔の世代に比べていい車に乗りいい家に住んでいる
しかし子供の面倒を充分にみることができない
その上受け皿である保育所が満杯で子供を預けるのもたいへんと聞く
こんなことを言うとあなたは古いとお叱りを受けるかも知れないが
父親はしっかり仕事に専念し母親がしっかり家のことをやる
一生懸命に働くことを通じて父親の後ろ姿を見て子が育つといった面
母親が子供を胸に抱きよせ 目と目とみつめあって愛情を子どもに注ぎ込むといった面
こどもを育てる過程でもっともっと母親と子供が長時間接することが大切であると思う

こんにゃく物語(134)
                                       S.M
ゆく秋や我と我が知る身の病(万太郎)
 世界的な異常気象に見舞われた今年の夏は苦しい夏であった・・・・。早や10月も半ばに入ろうとしています。地震洪水の直撃を受けた方々はどんなに苦しい思いをしていられるかと案じられます。
 さて7、8月に書きました是枝監督の「万引き家族」への感想を書くお約束をしたのですが、・・・・体力の都合で一筆啓上。「万引きは犯罪である。絶対にしてはいけない!!」 この作品のあらすじは、最初生活のために万引きを繰り返したが、それが悪いことと気がつきはじめて成長して行く少年が焦点です。「本当!」の家族の絆の大切さを提示している問題作だと思いました。
◎10月に入って嬉しかった事は玉城デニーさんが翁長知事の心をついで当選した事。
◎平和憲法9条を死ぬまで支持すると思った事です!!
 地に平和を!

バロック聖堂とロック・バンド
                                       N.F
 もう36年も前(1982年)の話で恐縮だが、ミュンヘン大学での研修中、初夏のある日曜日に、ボイロンのベネディクト会修道院を訪れた。列車で(ウルムで乗り換えて)3時間余りである。
 バロック・ロココ様式の壮麗な聖堂を見学していたら、突如としてロック・バンドの演奏が始まった。すると、たまたま近くにおられた一人の修道士が、肩をすくめて、「若い神父さんが熱心なもので……」と、すまなそうに謝った。聞けば、近年教会離れが著しい若者たちを引き戻す方法を模索して、試みているのだ、という。
 一般に、バロック聖堂は音響効果がとてもよく、小さな物音でも大きく響く。その中でのロック・バンドの演奏はすさまじいばかりだった。
 第2ヴァティカン公会議後の新しい典礼運動が盛り上がりを見せていた頃の思い出である。

山頂の小聖堂
                                       N.F
 スイス、ドイツ、オーストリアなどのアルプス山地では、山頂に建つ小聖堂をよく見かける。悪天候時には避難小屋の役割をも担うという。ふもとの村の大切な宝なのである。

(「智も手も」」No367 2018年10月号 10月28日発行より)

   
教会報「智も手も」抜粋記事 No366 ’18年9月号より
     司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                          写真や図は省略してあります。

来なさい、そうすれば・・
                                司祭 藤田 薫
 ヨハネによる福音書では最初の弟子となる2人がまずイエスにした最初の質問が「どこにお泊りですか?」でした。イエスは言葉で説明することなく「来なさい、そうすればわかる。」です。かつてある教会の青年たちと修道会の神学院の敷地内にある教会を訪れた時、一通り施設内を見学したのち、そこで挨拶された柔和な物腰の老司祭が「私の部屋もご覧になりますか?」と部屋に招いてくださいました。さして見たいとも思ってはいなかったのですが・・・。扉を開いて見せていただいた部屋は、執務室ではなく寝室でした。驚いたことに、黙想の家などの宿泊者用の部屋程度の広さ(机とベッドだけでスペースのほとんどが埋まってしまうくらい)で私物らしいものはもちろん、余計なものが一切ない簡素な部屋でした。世俗的な価値観で見るなら、わざわざ来客に見せるような価値など皆無の部屋でした。しかし、信仰の目で見るなら、まさに天国へ迎え入れられる準備の整っているような、この世に囚われない修道者としての清貧が証されていました。私もその頃修道院にいましたが、私の部屋を訪問者に公開などすれば・・(高価なものなどは一切なかったのですが)想像しただけで冷や汗ものでした。思えば、その時から遡ること10年程、私が10代半ばくらいから教会の司祭館に入り浸っていたことを思えば、司祭の生活空間に身を置くことがその後を形成する上で不可欠だったのかもしれません。しかしながら、自分が司祭として歩み始めると自力で部屋を片付けられない性分が日に日に悪化し、司祭居室は人が足を踏み入れることが困難な空間と化してしまいました。あの老司祭の部屋にどれほどあこがれたことでしょう。また、かつてだいたいいつも灰色の薄汚れた作業着をまとい山谷で居を構えていたS師の襤褸アパートの屋根裏部屋の三畳間が天国に通じる聖なる空間のように思い出されました。どんなにあこがれても私の現実はかけ離れ混沌化し、その居室は地獄に通じつつあるようにさえ思えました。まさにその入り浸っていた部屋の恩師から突然電話で「そのうち春日部を訪問するよ」と。自分が受けた恩恵を思えば、そういう申し出には喜んで応じなければなりません。しかしながら私の居室はとても見せられない、私の司祭生活がどれほど地に落ちたかがわかりやすく視覚化されてしまっているでしょう。「こっ…来られる前に電話ください。(突然、思いがけなくはご遠慮ください)」その時は居室以外の場所でお迎えするしかないと思いました。だいたい個人的な来客に対してそうしてきていました。それ以降連絡はなく、いまだ実現はしていませんが・・・。しかし、そのような部屋ではうっかり死ぬこともできないと感じていました。心の状態は部屋に反映されているでしょう。散らかっていても本人がそれで落ち着くのなら良いと思います。ところが私の場合は散らかった部屋では落ち着かない。人にも見せられない。突然踏み込まれるようなことに耐えられない状態ないし状況。信仰者としていつも目覚めている態勢にもなっていないような感じがしました。……そういうわけで遂に人の手を借りて部屋の方は夏か本格化する前に片付けてもらえました。これで部屋に人を迎えることも、うっかり倒れたまま起き上がってこなくなっても自分ではいいかなと思える状態になりました。そういうこともあり、ゆるしの秘跡のための告白部屋のないこの春日部教会でどこでも告白部屋にできる衝立と跪き台を注文してつくってもらいました。どこにでも運べますが、司祭居室に置いておいてそのままできる雰囲気になってきました。是非と宣伝したくはないですが、必要な方は遠慮なくゆるしの秘跡を。



短信テモテ
☆7月14日(土)OB・OG会に参加して
                                       F.D
 厳しい暑さの中、OB・OG会に参加させていただきました。普段教会では挨拶程度しか話をしない人ともたくさん会話をすることができ、とても楽しい会でした。県外からも多くの人が参加していただき、改めて信仰への想い、キリストの愛を感じました。又来年も参加したいです。

☆8月2日から合同サマーキャンプ
  8月2日(木)〜4日(土) 長野妙高高原
  参加者 春日部教会: 小学生(男)7名、(女)3名、リーダー 5名、保護者 3名
  大宮教会: 小学生(男)1名、(女)1名、中学生(女)2名、リーダー 4名
  高瀬神父、佐藤神父  (I記)
☆8月15日聖母被昇天ミサ
  毎年この日に開かれる聖母被昇天の祝日のミサが19時より行われた。ミサ後に簡単な茶話会が行われた。

東ブロック合同サマーキャンプin妙高
                                       リーダー I.J
8/2(木)
 8:00 春日部西口りそな銀行前を貸切バスで出発。9:00大宮駅東口で大宮教会のメンバーと合流。今年は初参加の子供が多い。車中自己紹介をしながら高速を走り、佐久平パーキングで昼食。かぶと虫館へ行ったり、長いスベリ台を楽しんだりして、再びバスで目的地自立妙高青少年自然の家に16:00到着。荷物を仮置場に置くと、子供達はもう周りを駆け回る。丁度この日、この夏の高校野球で優勝した大阪桐蔭の吹奏楽部のメンバーが宿泊していて、今日野外コンサートが開かれるというので、玄関前には大きなトラックや楽器が並べられ、宿泊客以外の人も大勢集まっている。私達もキャンプイファイヤーまで一緒にコンサートを楽しんだ。照明、映像、歌、踊りと本格的。子供向けにということで、目玉おやじ、アンパンマン、ドラエモンまで登場して盛り上った。
 私達は途中で次のイベント、キャンプファイヤーの場所に移動し、点火から火が消えるまで歌やゲーム、踊り(?)「アブラハムには七人の子」を楽しみ、夕べの祈りをして・・・・・おやすみなさい。

8/3(金)
 8:30くもり空の中、自然の家で用意していただいたお弁当をリュックに入れ、バスで長野県の飯縄山(1,917m)へ出発。予定時間を少し過ぎたものの無事登頂下山でき、夕食後にはナイトハイク。高瀬神父のこわ〜い話を聞いた後一人で暗い道を歩く、ゴールするまで「キャー!」という叫び声や、泣いた子もいたとか、いないとか。夕べの祈りをして・・・・おやすみなさい。

8/4(土)
 早朝から強い陽ざし、7:00朝のつどいのラジオ体操の時、青空に妙高山が輝いている。朝食後お弁当を用意していただき職員の方々の見送りを受けて9:00自然の家を出発。お昼少し前に富岡教会に到着。佐藤神父、高瀬神父司式のミサにあずかる。富岡教会の信徒の方数名も、お茶やお菓子を用意して待っていて下さり、ここでお弁当を頂く。
 春日部教会だけのサマーキャンプで藤田恵神父がまだ神学生の頃(2006年?)同行してくださって、甘楽ふるさと館の帰りに訪問したことを思い出す。
 富岡製糸場が世界遺産になり、まわりの道や駐車場が整備され、新しくなった聖堂には両サイドに白い絹糸が飾られていた。
 ほぼ予定通り16:00「また来年ね〜」と大宮のメンバーと別れ、春日部西口に17:00到着。「楽しかった!!」「来年も行きたい!!」という初参加の子供達の言葉が何よりのおみやげでした。

初めてのキャンプ
                                       F.B
  8月2〜4日の3日間教会のキャンプに参加しました。どんな場所に行くのかも知らない、家族もいないキャンプは初めてだったので、私にとってはぼうけんに出るようでした。荷物を準備するところから、自分一人でやったので、とてもわくわくしていましたが、バスに乗った時には不安と緊張でいっぱいになっていました。出発してしばらくしてから、緊張もとけて、気がついたら話せる友達もできていました。
 一番印象に残っているのは、2日目の山登りです。空気も景色も、足の痛さを忘れるくらい最高でした。雲が自分より下にあることにおどろいたけど、見上げても雲があったので、不思議な気持ちになりました。
 ドキドキしたりわくわくしたり、不安になったり、ホットしたりの3日間。このキャンプで感じた初めては、ずっと忘れられないものになりました。

平成30年7月豪雨ボランティア体験記(1)
                                       S.S
  8月8日〜15日にかけて広島県呉市に西日本豪雨災害のボランティアに行ってきました。
 「夏休みの間、認知症の母を1日でも多く面倒を見たい」という家内の思いもあり、長めに兵庫(家内の実家)に帰省する予定でしたが、子供達はともかく私が何もせず10日近くも過ごすのは跋が悪いので、5日の義父の納骨式の後6〜7日に被災地状況の下調べや長靴・防塵マスク・メガネ・厚手のゴム手袋などを買い、社協で市民活動災害共済に入り、8日の朝 広島へと向かいました。
 今回の災害でカトリック広島教区では呉教会が一番大きなボランティアセンターになっていますが、その頃はまだ広島〜呉の電車も高速道路も通行止めになっており、一般道は大渋滞でした。土地勘も無く電車の代行バスなどに乗り 呉市役所に着いたのは8日の午後3時過ぎ、受付時間や事前準備の概要を聞いてから、迷惑かけると思いつつ呉教会のボランティアセンターに電話をすると担当の久保助祭に繋がりました。本来は事前連絡が無いと受け付けられない旨説明して翌日からとなるそうなのですが、連泊する事と春日部から来たカトリック信徒という事で、可哀想に思ってくださったのかすぐに迎えてくださり、主任司祭の深堀神父に挨拶をして、その日からの宿泊が決まり、翌日からボランティアに参加出来る態勢が整いました。
 毎朝8時過ぎに市役所に行き 受付を済ませてバスに揺られ、7日は呉市倉橋町、8、9日は呉市天応町の土砂の掻き出しをしました。場所により状況が違いますが、住宅地の家々の周りに1mほど土砂や流木がある場所もあります、1グループ10人がかりで掻き出し作業しても僅かしか進みません、捗(はかど)らせる為の道具も足りません。大きな岩や太い流木、鉄の塊になっている車がゴロゴロと道路脇に置いてある場所、大量の家具を廃棄してある場所、重機の騒音と埃っぽい空気、土砂の放つ酸い匂いに夏の暑さ、避難生活や被災した家での生活でご苦労されていても、ボランティアに気遣い、とても親切にしてくださるので とても胸が痛みました。
 事前に調べても現場の状況があまりわかりませんでしたが、SNS等は情報規制がマナーになっています。災害地では亡くなられている方もいますし、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に配慮してという事でしたが、徐々に被災地の状況がネットで拡散される様になって来ました。その状況を写真などで見なければ、実際に人の心は動かないと思う反面、その写真を見る度に傷つく人がいるのは判断の難しい事だと思います。今回の災害でボランティアに配布される資料には『写真を撮らない、SNSには投稿しない』と記されていました。(次号に続く)

「父声克語」心房粗動―カテーテル・アブレーションの手術を受けて・・・
                                       F.K
  4月の或る出勤の朝、少し身体に異変があった。家を余裕をもって出たはずなのに、電車がホームに入って来ていてギリギリだった。(何でかーぁ)と思う。▼乃木坂の駅に着いて改札を出る。登りの階段が一気に登れなかった。息切れで途中休まないといけなかった。二度休んだ。▼修道院前の坂道に差しかかる。一度、二度、確か三度休んだ。『えっ、何、何が起きたのだ。』と、思う。▼日中は書店への営業だ。エスカレーター有り、階段有りで、普段気にならないことが、なぜか負担になりだした。▼帰宅した。いきなり家内が「お父さん、顔色真っ青だよ」「えーっ」ビックリして鏡を見た。その通りだ。「帰って来る方向がそっちでしょう」掛かり付けの病院が、港区だから、そっちの方が近いわけです。▼直ぐ、身体の状況を言って、病院に駆け付けた。スタッフが出迎えて対応を急いでくれた。有り難かった。▼不整脈が出ている、心房粗動の診断が出た。▼掛かり付けの主治医が定年退職で、月一回の診断のため、報告も直接しないで、事後報告となっていた。▼そして、早めの日程を入れてもらい、経過を話した。家族の希望は、近場の病院に「紹介書」を作成してもらう事になった。「私も、そう思う」と言ってくれた最後の言葉が重く響いた。▼そして、そして、春日部医療センターから、自治医大医療センターへ、紹介の紹介の形になった。循環のなかでも、不整脈は専門医が別にいて、二度目に行ったとき、入院7/17、手術日7/18が決まった。▼7/15ミサ後、薫神父より、病者の塗油の秘跡を受けた。▼家族とともに担当主治医の説明を受けた。カテーテル・アブレーションの説明は、「腑に落ちた」内容で、大丈夫、安心だ、と思った。▼当日、今自分はどんな状況なのだろうか?どんな状態にいるのだろうか?と、想像の翼を広げる。看護師がストレッチァーを押し、自分は点滴棒を左手に押しだし、首から心電図モニターをぶらさげて『イザ、出陣!!自然に心の中で呟く。後ろから家内と娘が続く・・・・・。』が、急に緊張からか、トイレに駆け込んだ。(失礼しました。)▼数えれば三度目の手術。手術台への踏み台が三段。(えーっ・・・。)主治医のY先生他2名の医師と看護師2名の紹介があった。他スタッフ何?名。▼手術台の正面には、上下2つの画面、計8台のモニター画面と主力画面一台。『あぁ、こんな形で守られるんだ・・・安心だ。「主イルエ、主イルエ、主イルエ、・・・主イルエ、」と繰り返し唱える。』▼背中にモニターのためのシールがペタペタと貼られ仰向けに寝かされた。同時に消毒液で下半身が冷たくなった。「チクチクするよ・・・」と言って主治医が、手順のサインを出した。そのサインがなくなると同時に、カテーテルが身体の中に入っていってるんだろうと思う。▼夕べはしっかり眠ったし、局所麻酔のため医師の話声が聞こえるし,連携がうまくかみ合っていることも確認できた。▼「主イルエ、主イルエ、主イルエ、・・・主イルエ、」と射祈を続けていると、「これから治療に入るよ・・・」『えっ・・・まだやってないの・・』と同時に、背中の右肩の近辺が熱く突き刺す痛みが何度か来る。しかし、声を挙げる痛さではなかったので耐えられた。▼「私、失敗しないので・・・」大門未知子(ドクターX)の決め台詞が頭をかすめる。▼待機している妻と娘はどんな様子で待っているんだろうか?▼「Fさん、終わりました」『あぁ、神に感謝!!』目頭から一滴の涙がこぼれ落ちた。そしてそして終わりじまいの支度が次から次へと終えてストレッチァーに移動されて病室に運ばれた。▼ホットしている妻と娘の顔を見て時間を聞いたら「1時間15分くらいかな」順調で早かったんだ。お腹すいた、ノド乾いたなぁと思う。昼食にはまだ間があるナ。急に眠くなった。▼昼食の世話は娘がしてくれた。おにぎり3個、煮物、サラダ、スイカのデザートをおいしく食べ終えた。「有難う!!そして祈りに参加してくれた皆様に感謝!!」身内の一人一人の顔、顔、顔。シスター達の、また協力者たちの顔が浮かんだ。▼翌日は腰の痛みが大変だった。病室に戻るや否や、約7時間ズーット仰向けに寝た切りのポーズだったために腰が辛かった。時がたつにつれて徐々に回復してきた。歩く姿も前かがみではなく正しく歩けるようになった。「予定通り退院は明日(7/20)です。」と主治医が言って出ていかれた。

(「智も手も」」No366 2018年9月号 9月23日発行より)

   
教会報「智も手も」抜粋記事 No365 ’18年7月号より
     司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                          写真や図は省略してあります。

言葉の重み?
                                司祭 藤田 薫
 若造の頃、信者ではない親族や知人から、「聖書をどんなに読んだところで、人生経験には勝てない。人間は経験だ。」みたいなことをよく聞かされた気がします。人生経験を積んでいない若造には返す言葉もありませんでした。まだ「人生経験どんなに積んでも愚か者は愚かなままだ」などと言いたくても言える基盤もなく、経験を盾にされるならそれを上回る経験をもってしか否定できないように思っていました。しかも、このような考えにしっかりどこかで洗脳されてしまっていたようです。神学生時代の修道院の院長や養成担当が小神学校上がりで社会生活未経験者だったため、世間知らずで机上の空論ばかり語っているという印象を持つようになっていました。毎日ミサで説教を聞いていましたが、ほとんど何も残りません。説教は子守歌となり睡魔を呼ぶばかりでした。素晴らしくありがたい内容を日々豊富に耳にしても、心に響くことも、とどまることなく流れてゆくだけでした。修道会の担当する教会では、定年退職した信徒のMさんが事務員兼よろず相談窓口として活躍していました。日本語表現に限界のある外国人宣教師と異なりわかりやすい大阪弁と長い人生経験からくる説得力のある言葉、高い実務能力等はいずれも修道院の司祭たちにはないものばかりでした。しかし、主任司祭は自虐的に言いました「どんなにMさんの話が分かりやすくて上手でも、信者さんの多くはへたでも神父の話の方をありがたがるんです。」ある信徒の人は「海を越えて外国から来たというだけで重みが違う」と言っていました。それなら司祭であるということではなく、外国人宣教師であるということで重みがあるということになります。こういう信徒の目に若い邦人司祭たちがずいぶんやられて「外国人司祭を外国人だと言うだけでありがたがっている・・・」みたいな愚痴を聞かされていました。その頃私はまだ司牧者側から見た司牧の現場も、そういう風当たりも当然知らず、のちにさいたま教区で司祭として司牧の現場に立った時も、鈍感力が幸いしてかそういった感触を受けた体験はないどころか逆に「ちゃんと何を言っているのかよくわかって有難い」などとありがたがられ、陰口を言われていたとしても地獄耳を持たなかったことが幸いしてか知らずじまいでした。こういった評価の是非はともかく、過去見てきた世界を思い起こすと、かつてほぼ毎日右耳から左耳に抜けていた説教は、単に育ちの悪い自分の僻みという色眼鏡により、語る司祭たちが世間知らずで社会生活での過酷な人生経験に裏打ちされていないため迫力がないと勝手になめてかかっていたのかもしれません。それと日常的に良いものに満たされて満腹状態で感謝の心を忘れて聞く耳を持たなくなっていたのでしょう。そもそも話の迫力とは霊的な次元ではどうなのかわかりません。……そこで原点に戻ってみるならば・・・イエスが召し出した弟子たちに関して個人の力量や経験値などでは考慮されてはいなかったと思います。違うと思う人は福音書を読んで確認してください。何より決定的なところで皆、致命的に落伍しています。自身の知恵や功績で人前に立てる要素はないと言えるでしょう。それでふと思い出すのが、某カリスマ司祭は叙階後、結構長い年月、いかにも司祭らしい霊的な話など好んでするどころか避けてさえいる(私の知る限り)かのような印象でした。その彼の叙階後間もない時期に「司牧の現場ってさぁ…聖霊が働くんだよねぇ。」その頃その司祭はまだカリスマ司祭などと呼ばれてはおらず、そういう話題を真面目に話すこと自体がとても少なく、言い方も普段通りのとても軽い調子だったのでまるで重みが感じられなかったのですが、かえってそれが真実味を感じさせました。要するに、何を言っているかわからないけど有難くても、わかりやすいから有難くても、つまらなく聞こえても、面白くても…何が語らせているかなのです。主役は語り手ではありません。



短信テモテ
★6月17日(日) 父の日
 ミサ後、教会委員長号令の元、庭の手入れや芝刈り、料理の手配、買出しなどの後、わいわいがやがや親父(おやじ)の会が始まり、楽しそう。
 突然(知らない者にとっては)ラファエル神父の来訪、懐かしくもまた、ビックリ。しばらくして、外国籍の方々が集まり、スペイン語のミサがはじまる。

★プールでパチャパチャ !
  ミサ後、幼児達の大好きなプールが始まる。ルルドのマリア様とママ達にみ守られて。

H.Mさんを偲んで。
                                       S.K
 5月4日朝6時4分、H.Mさんが亡くなりました。23日間眠り続け最後に大きく目を開き静かにスーっと。Hさんらしい最後でした。
 今から10年前、聖母の騎士会に所属していらした奥様が、最近具合が悪く出席されないのでお見舞いに行きたいと、Sさんのお供でお訪ねしたのが最初の出会いでした。御二人とも重い病気を抱えながら助けあって一生懸命生活していらっしゃいました。穏やかで優しいHさんはお訪ねするといつも割烹着、タオルを頭に巻いて行ったり来たり。時には奥様に叱られながらニコニコとお家の事を手伝っておられました。Hさんご自身は大小合わせて18回の手術を受け、お二人でホームに入られた後、数ヶ月で奥様が亡くなり本当に大変だったと思います。   
 口癖は「ありがたいね〜。春日部教会のために働きたい。若ければ草取りでも、会計でも」そして農協で記者をしていらしたHさんは「智も手ものお手伝いがしたい」と。いつも誰かのために何かをしたい、それには「勉強せないけん!」と毎日3つの新聞を読みメモを取り切抜きをし、最後までエンピツとメモ用紙を置いておられました。
 御聖体をお持ちすると本当に楽しみに待っていて下さりテーブルの上がきれいに片付けてあり「御聖体拝領」のパンフレットが用意してありました。パンフレット通りに共に祈り、御聖体を拝領し、今日の福音を読み、神父様のお説教をお話します。時には耳に手をかざして聞いてくださいました。最後に十字架の印をして終わると「ありがたいね〜」とおっしゃるのです。
 長いようで短かったHさんとの7年間、思い出はたくさんあります。Hさんを通して神様が教えて下さったたくさんのお恵みを心から感謝したいと思います。

こんにゃく物語(133)
−無常こそは世の定め−徒然草

                                       S.M
 今年は梅雨明け宣言がばかに早く今まで降り込められて家に居た反動か?嬉しくなって6月30日ヨタヨタしながらララガーデン内の映画館でカンヌ国際映画祭の最高賞をとった是枝監督の「まんびき家族」を観にゆきました。
 はじめは何がなんだかわからなかったのですが、随分考えさせられる映画でしたので感想を7月号智も手もに書こうと思っているうちに独協の眼科診察等、体力を使う事が続き、又急激な気候変動で体がついて行かず体調を崩し、今日7月7日ロマンチックの七夕の祭りは、西日本に気象庁が滅多に出さない大雨特別情報を発表。テレビ、ラジオで報道中です・・・・。ただただ被災者の方々の無事を祈るばかりです。思えばここ数年天変地異が多く、島国日本はどうなって行くのかと、不安はつきません。思えば梅雨の合間に少し浮かれすぎたのか、内憂外患の折、9月号に映画感想を書きたいと思っています。重ね重ね被災なさった方々に少しでも幸あれかしと祈るばかりです。
   

(「智も手も」」No365 2018年7月号 7月22日発行より)


  
教会報「智も手も」抜粋記事 No364 ’18年6月号より
     司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                          写真や図は省略してあります。

扉は開いて
                                司祭 藤田 薫
 聖堂の扉は24時間開いていることが望ましいと思います。しかし、それは色々簡単なことではないという現実があります。敷地内で聖堂が独立して建っている教会の中には24時間扉に鍵がかかっていない所も全くないわけではないですが少数ではないかと思います。私がいる時は、鍵は開けたままにしてあります。以前担当していた教会でもそのようにしていました。信徒の方々は心配していましたが、私が担当中夜中に泥棒が入った形跡はありませんでした。(日中マリア像が出て行ってニュースに映っていたことはありましたが。)しかし、担当司祭が変わると泥棒が入るようになったらしく、その2代後の担当司祭の時に食事に呼ばれて行った時などは中に司祭がいても鍵がかかっていました。やはり泥棒は私が金を持っていないのがわかるのでしょうか?。
 春日部の前にいた教会では「泥棒は取るものがないかもしれないが、放火魔にでも夜中に入られたら火をつけ放題だ」と言われ、夜間は信徒が鍵をしめていました。私はこっそり裏口を開けておきましたが・・・。しかし、建物の扉を開けても、中にいる者の心の扉が開かれていなければ開かれた教会とは言えません。と、これは信徒の皆さんに言うより前に私自身が反省しなければならないことです。ずいぶん貝か天岩戸のように閉ざし続けていた気がします。新しい風に身を委ねましょう。



短信テモテ
★初聖体拝領
 6月3日(日)、「キリストの聖体」主日ミサにおいて、4人の少年少女が初聖体拝領の恵みに与った。

★みことばクラス遠足
  5月19日(土)に、みことばクラスの遠足が行われた。

みことばくらすのえんそく
                                       S.M
 みんなでおべんとうをたべたこと、おねえちゃんたちと外でたくさんあそんだことがたのしかった。また行きたいです。

教会学校の遠足
                                       I リーダー
 5月19日(土)、加須教会と加須未来館へ行ってきました。
 参加者は男の子7人、女の子5人、お母さん7人、リーダー4人、薫神父、バスの運転をしていただいたSさん(お父さんでもあります)の25人。
 加須教会までは1時間程。満員のバスの中はにぎやかです。到着するとキム神父と委員長、信徒の方4,5人が待っていてくださって、10時30分からミサ。キム神父は「子供達がこんなにたくさんいるミサは久しぶりで嬉しい」と、とても喜んでくださいました。
 ミサ後、用意していただいた飲み物とお菓子を頂き、お見送りを受けて20分バスで移動し、未来館へ着く頃には昨日の大雨はウソのように青空が広がっていました。
 利根川を見下ろす土手の上にある未来館のバーベキューコーナーで、みんなでお弁当を食べた後、自転車に乗ったり、アスレチックをしたり卓球をしたりと思い思いに駆け回り、4時過ぎ帰途につきました。
 楽しい一日をありがとうございました。

「十字架の言葉は神の力」
(I コリント1:18)

                                       K.T
 本誌の常連となったことを自ら決して快く思ってはいない。だが緊急の必要があり、本稿で私よりも高い英語力のある方々を差し置いて国際ミサで司祭説教の英訳という僭越をわざわざ行っている理由を、公にさせていただくとともに、志ある方にお力を貸していただけるように広告させていただきたい。蛇足ながら私自身は人一倍の目立ちたがり屋であることも憚らず明らかにしておく。
 初めて英訳の打診を受けたのは國本神父からであった。ミサ前突然に依頼を受けたため、驚愕、即辞退した。次に出席した英語ミサでは托鉢の話を日本語でされた。この國本神父の説教はきわめて深遠で私の心を打ったのだが、師の教えが英語話者に十分理解されていない事実こそ、痛恨の極みであった。それでも師の異動の後、ミサ説教の原稿を英訳させていただけたのはこの上なく光栄であった。ある事件を機に、Team of Evangelical Translation(宣教のための通訳・翻訳チーム)なるものをその近い将来、教会内の信徒を募って発起することを思いついた。当時は市場に若干の自然科学系論文の産業翻訳実績があり、キリスト教系翻訳の学習と実践についても持論があったが、多くの日本人と同じく、私の口頭表現は“bookish(学校英語だ)”と評され、最も苦手な技能であった。今回、ミサで英訳をさせていただくまでにはこの役割に用いられること自体に私の強い希望と祈りがあったことを付記させていただく。昨年の国際ミサスタート時には、自分を追い込みすぎ持病の悪化もあり断念したものの、この度改めて私の申し出を快諾してくださった薫神父に、師の聖書についての深い理解に基づいたhomily(教え)と併せて、深く感謝申し上げる。
 本稿で私が何より強調したいのは、表題聖句の「神の力」を現実として実感していることである。毎回、英訳該当週の英語版典礼パンフレットを繰り返し朗読することを学習の中心としている。そして、このみことばを繰り返し味わうという修練によって、自らが強められた事実を私は証言(testify)する。数年克服できなかった大きな問題をクリアでき、み言葉の信憑性への確証を得、さらに愛することそのものに神が臨在することを身をもって理解できた。
無論、私の信仰、つまり愛する力にも、英語力にも伸びしろが大きい。特に、少なくともこれまでの訳出は精密さに欠け、蠅も止まるが如く遅い。司祭もかなり私に優(易)しく、難解な用語や長い説教を避けてくれている。自由に司祭に語ってもらえないのが残念でならないが、今後の私の努力次第である。
 国際ミサの英訳が他の信徒になされていないことで、今後弊害がさまざま予想される。個人的にも切磋琢磨させていただける方と、team workを大切にして奉仕させていただきたい。事前演習はない。説教はshowではないのだから。原稿も提供されない。薫神父は説教に原稿を用いていないのだ。しかし、神の力、言葉の力は極めて強い。さらに、自分の技術が力ある真実のことばを伝えるために用いられるのはこの上ない喜びである。司祭の説教さえ理解できれば、国籍も限定しない。ぜひ、協力してほしい。
 広く呼びかけ、お願いしたい。現在、生きるために愛そうとし、愛するために生きようとしている。神を生きることこそが私の道である。努力して積み上げたものはたとえ微力でも、他の何のためでもなく、宣教のためにこそ用いたいのだ。さもなくば私の30数年間はむなしい。ミサ説教に限らない。翻訳案件であれば、私の手を使ってほしい。少しでもお役に立てるよう、誠心誠意取り組ませていただく。虚栄心を満たすためではなく、神の栄光のために。

こんにゃく物語(132)
―人生出会いの旅だらけ―

                                       S.M
 今日は6月8日、「智も手も」原稿締め切り2日前。6月5日に道の駅五箇村にバスハイクの計画があったのに、眼科通院と重複するので参加できず残念に思っていたのです。今日迎えのデイケアに参加した方が、私が車に乗せてもらうと口々に、「Sさんがいないとさみしいね」とみんなが言っていたと教えてくださいました。女の人だけでなく男の方までおっしゃるのにはびっくり。(私は自己宣伝しているのではないのです。)
 この男の方はいつも元気な時はテニスをしていらしたと、あとからうかがいました。テニスのトレーニングの服にイタリヤのトリコローレの旗が縫いつけてあり、とてもカッコが良かったのです。「あら、イタリヤ製ですか」と聞いたら、嬉しそうに、「よく知っていますネ」とほめて下さったのです。私は少女時代日、独、伊三国同盟の頃の、「日の丸だ。ハーケンクロイツだ。トリコローレだ」という歌を思い出して、歌いました。私が行っている春日部のカトリック教会にしばらく着任されたマルコ神父様はミラノの方だとお話ししました。この男の方は無口な方でしたがそれがきっかけで私だけでなく今は皆さんと楽しくお話なさっています。その方が、「道の駅行きに同乗した方々が『Sさんがいないとさみしいね』と言っていた」と教えて下さったのでした。
 私は時々さびしくなってめいりこむのですが、教会の中でも「ほら、S節が始まった」と笑いながらはげまして下さっているのだと思います。やはり外に出かければいろいろな方と出会いがあり楽しいです。皆さんのやさしさに感謝です。
 我が家の梅の実が色づく頃に、締め切り2日前!!
  

(「智も手も」」No364 2018年6月号 6月24日発行より)


教会報「智も手も」抜粋記事 No363 ’18年5月号より
     司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                          写真や図は省略してあります。

今はどのような時か
                                司祭 藤田 薫
 ずいぶん前から日本のカトリック教会では司祭不足と言われて久しいです。しかし、そう言われていた頃の実情は信徒と司祭の比率でみれば、カトリック信者が多数を占める国々では数万人の信徒に対して司祭一人、日本では数百人に対して一人の割合だったと記憶しています。それもいよいよこれからは比率の問題ではなく不足してくることになりそうです。この日本では教会内の諸問題は教会内に限定されていることより、社会の縮図として社会問題がそのまま反映されていることが多いです。さいたま教区ではしばらく恵まれた状態が続いたため差し迫った危機感は感じにくいかもしれませんが、近年の司祭不足に関しては召命が少ないというだけにとどまることだけではなく少子化の影響も大きいでしょう。それが顕著なのはかつて邦人司祭の50%近くを占めていた長崎周辺です。
 また、かつては盛んだった盛大な飲酒もなくなり、教会施設内・敷地内での禁煙も普通になりました。これも教会における意識の向上というより、社会の影響でしょう。
 教会が社会の影響を受けるのは、自然なことかもしれません。残念ながら認知度が高い割に信者数のわずかなキリスト教の影響はどのくらい社会にあるのでしょうか。カトリック信徒の著名人やシスターの中で教会の枠を超えて広くその著作や講演等が親しまれていることはあります。しかし、カトリック教会との繋がりがどれほど良い意味で印象付けられているかはわかりません。知識としてなら、教会関係の出版社ではなさそうな出版社からわかりやすい解説本はかなり出ています。ただしそれは仏教や神道、イスラム教などの解説書と一緒です。先日、教誨師の集まりで、お坊さんたちが、後継者不足について話していました。少子化で寺を継いでくれる子どもがいないとか、独身の僧侶が増え後継者が生まれないなど・・・。
 こちらも宗教的な世界というより社会状態がそのまま反映されているようです。つまり今はどこでも人材不足であるということでしょう。単に組織上の維持という目で見るなら明らかに危機的状態です。私たちは絶滅危惧集団となるのでしょうか。だがしかし具体的な希望として多国籍教会の姿があります。すでに地方都市周辺はそれで成り立っているところが目立ちます。危機的状況は中途半端な安定や発展とは異なり奇跡を必要とします。
 そもそも教会は私たちの熱意や努力の次元だけでは生きたものにはなってはいません。
 教会に生かされる人たちは常にいます。そう感じています。可能性は常に開かれています。
 聖霊の風が豊かに吹きますように!



十字架の道行き
                                       H.T
 四旬節中の聖金曜日、十字架の道行きをしました。春休み中の子ども達も含めて30人くらい参列し、神父様が大きな十字架を担いろうそくを灯し、1留ずつの前でお祈りをしました。
 神父様が持参されたお祈りのテキストは、1994年聖金曜日に教皇ヨハネ・パウロU世が十字架の道行きをされた時に、正教会総主教バルトロマイT世が特別にこの日の為に作られ献上されたものを基に作られたものでした。短い文の中にも、受難の情景が痛々しく目に浮かぶもので、各留の最後の祈りは主の祈りの1文が加えられていて、誰にでも祈りやすく、心をこめて祈る事ができるものでした。最初は偏見で、正教会の人の考えたものでするのは少し抵抗がありました。でも、終わってみると、・・・・ルターの宗教改革から500年で、長崎で共同ミサが捧げられた事も、他人の様に聞き流していた様な疎い私でしたが、同じイエス様を思う心でお祈りしている正教徒の人の事を考える機会になり、兄弟姉妹の数が倍に増えて、私の中ですごい事になりました。1人でも多く、罪深い私の為に神に祈ってもらえるのですから!!
 他宗派との一致の一歩がこんな内的な体験から始まるのかとしみじみ感じたのは、道行中も、聖金曜日受難のミサの間も、寝るまで、イエス様と同じ茨の冠でしょうか。酷い頭痛がしていたからかもしれません。

短信テモテ
★青年部懇親会 4月14日(土)
 19時より、春日部市内のイタリア料理店に薫神父を含めて13人が集まり、皆で美味しい飲み物と料理をいただいた。話も弾み、親睦の深まる楽しい集いとなった。(s)

★マルコ神父お別れパーティー
  4月22日(日)、3時からの英語ミサ終了後マルコ神父のお別れパーティが開かれた。
 師は2011年5月足利教会より当教会に着任し、2年後に越谷伝道所の担当となり、当教会を離れたが。以後も月1回英語ミサを担当してくれていた。18年5月よりイタリアミラノの宣教会本部に転任となったため、この日が最後の英語ミサだった。たくさんの方がパーティに集まり、最後に記念撮影をした。

★子供の祝福 5月6日(日)
 ミサの直後に子供たちが祭壇前に集まり。薫神父より祝福を受けた。皆で子供たちの健やかな成長を祈った。

★防火防災のお話 5月6日(日)
 ミサ後委員長が防火防災の話をした。そのあと防災のビデオを見た。緊急の際は履物を履かずに、どこからでも逃げてくださいとのことでした。

★国際ミサ・幼児洗礼 5月13日(日)
 第二日曜日は御昇天を祝う主日でした。この日は普段より人数が多く、空席はほとんどなくて聖堂はほぼいっぱい。K氏が神父の説教を通訳。幼児洗礼があった。

こんにゃく物語(131)
―かこさとし師のお仕事をなつかしむ―

                                       S.M
 今年5月2日、92歳天寿を全うされて大絵本作家の師は天に召されました。子供の可能性を信頼し、生涯現役で大きな愛を注がれつづけた方の思い出は多くの人々の心に残るのではないかと思われます。
 私も息子もその一人で福音館書店発行の「かわ」「海」「地球」「宇宙」など一連の科学絵本に私と息子の共通の宝物になり、息子もその心をひきついでいるようです。
 特に私は「海」という絵本を好きで何回も読んだものですが、作家の履歴はほとんど知らずにおりました。各メディアの報道では、本当に一貫して人間を愛され、東大の工学部卒業後川崎市のセツルメントで奉仕活動を続けられた事。セツルメント時代子供達から多くの事を学んだと謙遜して話していられた事を知りました。また、ラオス、ベトナム、オマーンの子供達の識字運動に参加なさった事も知りました。
 ―ちなみに私の孫は、東大セツルメントの流れのひまわり保育園を卒園して二人ともに元気で働いています。―
 ラジオ深夜便で師の録音を聞こうと思いながら寝てしまって、ここのところ医者通いばかりですが、郷愁のように胸が熱くなり拙文をしたためました。

Life is a gift of God
                                       D.N
鹿沢 湯尻川の源流に
 イワナが生息する
標高1800mの山奥で
 ろくに餌もない厳しい冬を乗り越え、
  生きながらえている。
酸素のいきわたった
 きれいな5℃ぐらいの冷たい水
  ここがイワナつりの穴場である
岩の下にいる川虫をとって
 エサを確保する
  3から4時間ぐらいで
   6〜7匹はつれる
生きたまま山荘にもちかえる
 夕方にバーベキューする
イワナの命を美味しく頂くわけで
 感謝の気持ちを忘れてはならないし
  無駄にしてはいけない
イワナだけではなく
 生けし生きるものをいただいて
  われわれは命をささえられている
イワナの命を
 あるいはいきるものの命を
  無駄にしないためにも
自分の命を 他の人の命を
 大切にしなくてはならない
自然のなかにいると
 そのように感じる
自然のなかにいると
 神を感じる     
                2018/5/08

福音化学習会の記録
  春日部教会の福音化宣教学習会で学んでいる内容について紹介させていただきます。毎月第一日曜日のミサ後のコーヒーサービス終了後の12:00〜13:00に定例にて開催しております。現在は10〜12名の方々にご参加いただいております。皆さんもお時間がございましたら是非のぞいてみてください。毎週でなくお時間がとれる月だけでも歓迎いたします。
 ここでは、学習会にて薫神父さんからいただいた聖書講解の一部を紹介させていただきます。
4/7(日) 講解 『聖書と典礼』より
 文字を心に書き記すと、キリストがそこに働く。キリストは完成された律法である。(エレミヤ31:31-34(3/18T))
 「シャローム」は相手の平和と平安を願う挨拶である。争い・対立の渦中にある中東の社会の中では「味方である」とのメッセージが有用であった。(ヨハネ20:19−31(4/8福))
5/6(日) 講解 『聖書と典礼』より
カイサリア、ヤッファの港について
 カイサリアはヘロデが人工的に造った入り江で、ユダヤ(ローマ)への港であった。ヤッファはペトロがイエスについて幻の中で、異邦人への宣教の指示を受けたところである。
「異言」について
 神がかった「預言の状態」においてなされ、本人も何を言っているかわからない。これは聖霊が臨在している証拠である。
「信仰と愛」について
 かつて律法は契約のしるしだったが、律法を守れないときはいけにえを捧げて贖わせた。イエスは神であるご自身を捧げ一回きりのいけにえとして私たちの罪を決定的に赦してしまった。この絶対的な赦しの中にあればほかに必要はない。これが人間に対するキリストの愛であり、イエスは人間と神とをつなぐという役目をさらなる復活にて完成された。キリストを信じることは永遠の命にあずかることである。それは愛すること、天に宝を積むことであり、また肉体が朽ちても永続するこの愛にこそキリストはおられるのである。キリストが復活したと確信しなければこの「愛の教え」は単なる道徳でしかなく、信仰としての意味をもたなくなる。また、復活は「信じるもの」であり、「理解するもの」ではない。たとえ根拠がなくとも信じる者がキリスト者であるともいえる。キリストの愛を行うことは痛みを伴うものであるが、救いを求める私たちがすべてをゆだねきることはできない。
その他(一部)
■モーゼが神から授かった「十戒」石板の所在について諸説。
■「ノアの箱舟」史実の正確性。
                                  (文責:K.T)

越谷伝道所

 マルコ神父転任のため、藤田薫神父が当伝道所との兼任となりました。ミサの日程は未定。

(「智も手も」」No363 2018年5月号  5月27日発行より)


教会報「智も手も」抜粋記事 No362 ’18年4月号より
     司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                          写真や図は省略してあります。

にぎやか
                                司祭 藤田 薫
 教会が賑やかなのは、とても良いことですね。
 昔、私が春日部教会に居候していた時の事、電話で「お聖堂で静かにお祈りしたいのですが、春日部教会は日曜日のミサ後などそれが出来るでしょうか?」という、都内の出身者らしい未信者の方の相談がありました。私は「春日部教会では・・・それは難しいですね」と答えるしかなかったと記憶しています。
 大きな聖堂がある教会は確かにミサが奉げられていないときは静寂が保たれ、静かに祈るための聖域となっています。しかし、さいたま教区の特に埼玉県内の教会では環境的にそれが極めて困難な状況があります。
  そのせいなのか聖堂は祈りの場であり、静寂をまもる場所であるという感覚が欠落しているかのような教会共同体が多いです。
 それは、ミサにあずかる喜びのあまり高揚して静かにしていられないのでしょう。笑顔でミサに集えるのは実に素晴らしいことです。ミサは何しろお祝いですから喜びがあふれてくるのを抑えることは難しいのでしょう。

 以前、長江司教様の葬儀で出棺後、斎場まで向かうマイクロバスの中で、春日部教会の担当司祭であった二人の司祭、M師とN師が大きな声で会話をされていました。どちらも声がとても大きいのです。その会話の内容も長江司教様の思い出とかではなく、斎場に向かう途中という空気を読まないような、そこから見えていた建設中スタジアムに関して、ああでもないこうでもないというような内容だったと思います。長江司教様の親族の方々もそのバスに同乗されていたので、私は冷や汗をかいていました。そのうちバスの最後部の席に座っておられたS師が「まったく、子どもの頃にちゃんと親からしつけされてないやつはいい大人になってもどうしようもねぇな」とコメントされていました。
 しかし、長江司教様の親族の方々は不快な様子もされず、「・・いえ、にぎやかでいいですね。叔父もきっと一緒に微笑んでいるように思えます。」と微笑みながら自然な雰囲気でそう言われていました。M師もS師も今は向こうで長江司教様とにぎやかにされているのではないかと思います。



私の洗礼
                                       F.M.Y
 私は小学4年生の頃、近所に住んでおられるSさんに出会い、親切に接していただきました。私が高校生ぐらいになり、おばさんの家の壁などにあった十字架やイエス様の像に心を惹かれ、キリスト教に興味を持ちました。おばさんは私にいろいろなことをいっぱい教えてくださいました。そして、私が高校2年生の冬に教会に行き始め、そこで國本神父様にお会いして、一緒に神様にお祈りしたり、イエス様の生涯を学んだり、神の愛を学んだりしました。
 私は國本神父様に洗礼の話をしましたが、入信に至りませんでした。その後に藤田薫神父様がおいでになりましたが、洗礼の話をして許可をいただくまで長い年月が経ち、ようやく受洗の日を迎えることができました。
 これも、神さまからのお恵みだと思っています。
 私が洗礼を受け、カトリック信者になれたのは、教会の信徒の方々や代父母の方々が私のためにお祈りしてくださったからだと思っています。
 受洗の前は、嬉しくて、数日前から寝ることも食べることもできないほどの喜びでした。
 無事カトリック信者になれたことに神さまに感謝、神父様に感謝、教会の信徒の方々に感謝、代父母の方々に感謝しています。
 これからも、教会で楽しく過ごせるようにしたいです。
 よろしくお願いいたします。
〜神に感謝〜

塩田神父様ありがとう
                                       S.Y
 1/21(日)に塩田神父はこの春日部教会のためにすばらしい歌を作って教会に来られました。歌を皆様と歌った後、多目的ルームでこの企画に参加をした有志の聖歌隊による昼食会を兼ねた懇親会を開催しました。懇親会は最初から和やかな雰囲気で時間が経つのも忘れるくらい楽しいものでした。
 会の中で次回も教会に足を運んで下さいと参加者全員が塩田神父に伝え会を終わりました。
 私はこの企画に参加できたことと、聖歌隊の人と仲間になれた事を感謝し、神様に伝えました。

考え
                                       M.Y
 仕事と信仰はどちらが大切だろう?
 信仰は恵みで、戴いたもの。
 信仰は、神を賛美すること。神に感謝すること。
 わたしは、今年四月で、三十七歳になる。わたしは長い年月、入信を拒否した考え方をしていた。それは、自分を否定していた考えで、生きた心地がしなかった。
 入信して五年目の今、もっとイエスさまを愛し、感じたいと思う。神さま、イエスさまに近づきたいと思う。イエスさまのことが好きになってきた。もっとイエスさまのことを知るようにしたい。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」
 わたしは、人を癒すことが出来ればと思う。育てた梨を人に提供するのも癒しかもしれない。守護聖人聖ルカに祈り、自分の役割、タレント、使命感がハッキリとわかればいいなと思う。
 せっかく入信できたのだから、入信の秘跡を感謝していきたい。何か特別なこと、自分だけにしかできないようなことを見つけないでも大丈夫だと思う。そのままの姿、そのままの心でいたい。わたしたちの信仰は、何かすることによって救われるのではなく、信じることによって救われるのだから。神さま、イエス様へ身も心も捧げるように日々を過ごして、仕事に励んで前向きに生きよう。
 感謝の思いを大事に、自分を大事にして、思いやりの心を忘れずいこう。

こんにゃく物語(130)
                                       S.M
我はよみがえりなり、我を信ずるものは死すとも生きん。(ヨハネ11:25、26)
 何と力づよいみことばでしょう。天衣無縫のみことばが、主が昇天してから何千年も経って現代のバアさんを激励されるのだからすごい・・・。
 復活祭の前々日、私が通う4時間のデイケアセンターで江戸川の土手下を車で延々と通って、「行けども行けども一面菜の花」(熊谷守一の詩文)に胸がおどりました。関宿に近い木間が瀬という所に無量寺院という寺があり(新義真言宗)その庭に素晴らしい「しだれ桜」の古木があり目下満開であると、東武鉄道に定年まで勤めあげた私より10年下の男子の方が、スマホをごらんになって、日本画家で日本美術院所属の先日亡くなられた後藤純男画伯はこの寺で誕生し2才までこの寺で育った云々をよく教えて下さいました。それはさておき、広い庭のしだれ桜の古木の見事なこと。桜の木の近くでながめると虚空(青空にむかって)ぐんと伸び上がっている見事さ。私は息をのむ思いでした。樹の生気を一杯吸い上げ、毅然とたっている老木。地まで垂れ下がっている枝々。一枝一枝存在感があり、・・・私を連れ出して下さった方々に感謝!! 思わずあさっては復活祭だ、ものみなよみがえりの日だと、10人位のグループに嬉しくなって話したものでした。
 この文が「智も手も」にのる頃エマオの旅人の如くポクポクと主に導かれながら歩いて行かれます様に・・・・。復活祭当日はなつかしい方々に会えて本当に感謝でした。

短信テモテ
★聖週間 3月25日〜31日

枝の主日 
 青空のもと、庭にシートが敷かれ祝福を受けた枝を各々手に、聖歌を歌いながら入堂、ミサとなる。
 ミサ後恒例の大掃除。

聖木曜日
 祭壇の前に椅子が置かれ、5人の男性の参加で洗足式が行われた。ミサ後、御聖体を多目的室床の間へ移動、安置される。

聖金曜日
 15時より十字架の道行が30人前後の参加で行われた。
 19時より「悲しみの日」の為ミサは行われず、十字架を祭壇中央に据え、神父、信徒一人一人の崇敬の儀が行われる。

聖土曜日
 復活の徹夜祭として19時より庭でロウソクの祝別、行列後ミサ、厳かな式の中、洗礼式が行われる。

★復活祭 4月1日
 聖堂、多目的室、廊下、玄関等など超満員の参列者。多国籍の方々も多く、国際ミサ形式で行われる。復活にちなみ、聖墳墓教会の事、「聖書と典礼」最後のページ、國本神父寄稿文の事等もおりまぜての説教であった。1区切り毎にK氏が英訳し、多国籍の方々への内容の説明となった。ミサ後皆が持ち寄った、たくさんのイースター卵が祝福され配られる。庭、多目的室、子供達は会館二階で、有志の方々が用意して下さったご馳走で、お祝いの親睦会となる。

★復活節第2主日 4月8日
 この日は正教会の復活祭でもあるとの事、まだ復活祭の余韻が残るミサの中、3名の子供の洗礼があった。

(「智も手も」」No362 2018年4月号  4月22日発行より)


教会報「智も手も」抜粋記事 No361 ’18年3月号より
     司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                          写真や図は省略してあります。

目を覚まして…
                                司祭 藤田 薫
 過去を振り返ると、私が遭遇した面倒な事件は、深夜に起きていました。
 福音書の例え話のように夜中の来客もありました。しかし、こういう場合は面倒なので戸を叩く音に目を覚ましても、そのまま無視します。相手がどんなにしつこく叩き続けても、私は神様ではないので決して根負けして迎え入れたりしません。だが困ったことにその相手はどこまでもしつこく諦めない奴だったため、扉が開かないと外に回り部屋の窓に迫りました。不覚にも私は窓を施錠する習慣がなかったため侵入を許してしまい、朝早くから仕事であるにも関わらず、そのまま朝まで来客の相手をする羽目になりました。諦めて帰ったと勘違いして相手が窓に迫るのに気づくのが遅れてしまい窓の鍵を施錠しなかったことが悔やまれます。
 夜中に寝ている私を叩き起こし、金を借りて行った者もいます。福音書に従って貸した金は戻って来ませんでした。
 命令で引きこもりの青年の相手をやむなくしていた頃、夜中に行方不明になる事が多く、朝まで探索や待ち伏せで寝ることが出来ないこともありました。
 ちなみに私は夜型ではありません。とてもありがたくありません。私の昔話でした。
 そういえばイエスが捕えられたのも深夜でした。受難の出来事の始まりです。
 振り返れば神が特別に人にご自分を現される重要な場面、旧約聖書の中では日没後から深夜を通し夜明け前が印象的です。あたかも神の接近は闇に包まれ死の危険と恐怖のうちに迫るかのようです。(創世記15:12−18、32:23−31、出エジプト12:29、列王記上19:9以下) 
 私たちは闇に包まれた現実の中でもがき格闘しながら静かに囁く神の声に耳を傾けながら生きていかなくてはならないのでしょうか…。 
 …状況は闇に包まれていますが、そこで語られ展開するのは祝福と希望です。
 実現する救いは朝早いうちに来ます。
 この世界の闇がいつ終わるのかはわかりませんが、私たちは教会の典礼を通して救いの実現を体験します。困難な現実の前に私たちはイエスを見捨てて逃げた弟子たちのように引きこもるでしょう。イエスはそこに来られます。



短信テモテ
★弥生の節句に因む子供たちの祝福

 3月4日(日)に、ひな祭りに因んで子供たちの祝福が行われた。

★四旬節黙想会 2月25日(日)
 クラレチアン会の竹延眞治神父が来られて薫神父と共同ミサ。ミサ後の黙想会で四旬節についてのお話をされた。苦行ではなく、愛の行いに輝く期間とする、との言葉が印象に残った。

★さいたま教区の四旬節青年黙想会
 3月10日(土)〜11日(日)に、岡田武夫大司教の指導のもとに催された。教区内の諸教会から約10人の参加者が集まり、和やかな雰囲気のうちに岡田大司教の講話に耳を傾け、分かち合いをした。11日
(日)は大司教と薫神父の共同ミサだった。

四旬節青年黙想会に参加して
.                                        M.Y
 さいたま教区の青年黙想会があると知り、最初はもう歳が歳だし自分は青年ではないと自分で限界を決めつけていた。しかし、日が近づくにつれて、なんか自分で限界を作っていて神様の声を聴こうとしていないなと気づきました。百聞は一見に如かずと思い、思い切って参加しました。
 参加当日は、さいたま教区内から9名くらいの青年が集まり、日頃教会で青年がいないことを嘆いていた私は目が輝き気持ちが明るくなりました。黙想会のお話は岡田大司教様がしてくださいました。テーマは主の祈りについてで、お話を聞き、分かち合いをしました。神様の思い、気持ち、考えをまず先に聴くことができれば、私たちに必要なものは神様が用意してくださる。天の父に、御名が聖とされますように、御国がきますように、御心が行われますようにと従順な気持ちで祈ることが大切だと思いました。この世に生を与えてくださった神様、父親のように良いものを与えて続けてくださる神様をいつまでも賛美、感謝できますように。いつも、最初に神様を優先して祈ることが大切だと思いました。
 また、祈りというのは私と神様の間の祈りではなくわたしたちと神様の間の祈りなのだということを分かち合いました。
 今回、自分は主の祈りは結びまでを大事に唱えることが大切だと気づきました。わたしは、神様を讃えて祈る前半部分に重きを置いてしまい、後半部分の、わたしたちの日ごとの糧をお与えください〜以降をよく祈れていませんでした。粘り強く、辛抱強く、忍耐強く、結びまで祈りきることだと思いました。これからは丁寧に後半部分も祈りたいと思います。長い祈りだと思いました。
 お話の後、ミサがあり、夕食があり、その後、カン神父様、高瀬神父様、シスター、青年たちと懇親会をしました。普段教会では話せない、同世代同士の疑問や考えが話せました。夕食を共にした薫神父様も神学校時代の話や人間味あふれる出来事などを話してくださり、皆とても笑いました。笑顔になれて面白かったです。教会で笑えるのは本当に愉しい。人と人がこんなに笑いあえるのだったら、教会へ行ってもいいかなと多くの若者が思うはずだと思いました。人間味があって思いやりあふれる人間関係が教会にあるのを感じました。
 ミサで神様へのお願いを描いたカードを奉納しました。神様の声に耳を傾けることができますように。
 派遣の祝福の時、岡田大司教様がおっしゃりました。司祭召命について、信徒の召命について。自分も心の中で聞こえる神様の声をよく聴き、勇気を出して召命に応えられますように。
 友情を育めたし、心の奥の思いも確認できたし恵まれた黙想会となりました。食事は神学生の永島さんが作ってくださいました。本当に恵まれた日でした。

福音化宣教学習会にご参加されませんか!
  昨年5月からの開始以来、紆余曲折を経て続けてきた学習会ですが、この間にご参加くださった方々ならびに食事・運営でお力添えくださっている方々、何よりも毎回講解くださっている薫神父に、まずは深く感謝申し上げます。
 そして、さらに多くの信徒の方々にご参加いただけるよう、当会についてあらためてお知らせさせていただきます。
 そもそも、この学習会は昨年さいたま教区で開始された「福音化宣教」を第一の目的としており、信徒の皆様お一人おひとりがご自分の言葉で福音を語ることができるように養成を受けるものです。
 そのため、例えば2月に解説いただきました「洗礼の秘跡」のような一聞基礎的な内容につきましても、これから洗礼を目指されている求道者の方々に解りやいように、神父は丁寧にお話くださっています。
 既信者の我々も、このような神父の説明を聞きながら認識を新たにすると共に、我々が一般の方々に接する際の参考になると考えております。
 自分の言葉で語るには何よりも福音の正確な理解が前提となりますし、求道中の方々および信徒の方々にも深くご理解いただける内容となっており、さらに親睦のためにも良い機会となることを期待いたしております。
 皆さまのご参加をお待ちしております。
 「福音化宣教学習会開催要領」をご覧ください。
.                                  (世話役:K.T)

福音化宣教学習会開催要領
. 日時:原則毎月第一日曜日ミサ後                                       
 12:00〜13:00
 (司祭の都合により中止になる場合はお知らせいたします)
 場所:信徒会館
 事務室およびキッチン
 
こんにゃく物語(129)
金子兜太師へのオマージュ

.                                        S.M
 やっとおそい春が近づいた2月20日、戦後を代表する俳人、金子兜太師が98才で天寿を全うされました。私はラジオ深夜便の「明日へのことば」(深夜4時)でご逝去を知り、あぁ惜しい方が亡くなられたと思ったものです。それに師の追悼の意味で師の生前の肉声で力強く、トラック島に派遣され飢えに苦しみながら洞窟にいるコウモリ、其の他食べられる物は食べつくし、自分だけは生きのびようとこっそり隠れてわかち合いせずに食べたことなど、赤裸々に語っておられました。外に出れば機銃掃射を受けて死生をさまよい、はじめ派遣された100人程の部隊が終戦になって無事本国に帰還できたのは数人であったとの事でした。
 無事日本に帰国してから、金子師は一貫して戦争の悲惨さと人間のおろかさを訴え続けられました。金子師はアンコールアワーの録音の中で「戦争の無い真の自由と平和を堅持してこそ自分の生きる道だと信じ、ウソ、いつわりは許さないの精神で生き抜く」と結んでいました。
 本当に惜しい方が亡くなったと私は思いました。私もこの方の様に正直に生きたい。

父の意に適ったのは兄か弟か
.                                        N.F
 1991年に刊行された『聖書・新共同訳』の「マタイによる福音書」21章28−32節に次のような記述が
ある。
 「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、
今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。この二人のうち、どちらが父親の望み通りにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」
 ところが、1970年刊行の『聖書・新改訳』では、同じ箇所が次のようになっている。
 「…ところで、あなたがたは、どう思いますか。ある人にふたりの息子がいた。その人は兄のところに来て、『きょう、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。兄は答えて『行きます。お父さん。』と言ったが、行かなかった。それから、弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は答えて、『行きたくありません。』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。ふたりのうちどちらが、父の願ったとおりにしたのでしょう。」 かれらは言った。「あとの者です。」 イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。収税人や遊女たちのほうが、あなたがたより先に神の国にはいっているのです。というのは、あなたがたは、ヨハネが義の道を持って来たのに、彼を信じなかった。しかし、収税人や遊女たちは彼を信じたからです。しかもあなたがたは、それを見ながら、あとになって悔いることもせず、神を信じなかったの
です。…」
 全体としての趣旨は同じだが、たとえ話の中での兄と弟の登場順が逆であり、両者の姿勢・立場も完全に逆になっている。この食い違いは一体何に由来するのだろうか。
 両者の底本は同一ではないが、それにしてもこれほどの相違があるとは考えにくい。もしかしたら、ギリシア語原文では「一方は…」「他方は…」的な書き方がされているのを、それぞれ一方を兄(あるいは弟)、他方を弟(あるいは兄)と勝手に決め込んだのか?、と疑ったが、どうもそうではないらしい。後者が底本としたネストレ校訂本第24版は残念ながら参照できなかったので何とも言えないが、前者が底本としている聖書協会世界連盟版『ギリシア語新約聖書』(修正第3版)では、確かに「兄」「弟」と訳して然るべき語が用いられているからである。
 結局、食い違いの原因は解明できなかったが、聖書の読み方について一つの教訓を得たように思う。翻訳によって読むのである限り、片言隻句の相違にこだわるのは無意味であるばかりでなく、本来の趣旨から離れた勝手読みをしてしまう恐れさえあるのではないか、ということである。大づかみに内容を受け止めて、細部にはこだわらない、という読み方をするのがよいと思うが、どうであろう。

(「智も手も」」No361 2018年3月号  3月25日発行より)


教会報「智も手も」抜粋記事 No360 ’18年1・2月号より
     司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                          写真や図は省略してあります。

今回の四旬節は
                                司祭 藤田 薫
 まず、深い話ではなくある意味どうでもいいかもしれませんが・・
 今回、灰の水曜日は2月14日に始まり復活祭は4月1日です。現在のカトリック教会の暦では2月14日から聖ヴァレンティヌスの名前は外されています。皮肉にもバレンタインデイが日本の社会に定着してしまっているため、ご存知のとおり良く知られている次第で・・・言ってしまえばバレンタインデイに灰をかぶり、エイプリルフールに復活祭を迎えるということになりました。
 私としてはこの2月14日などは、カトリック信者は甘いチョコレートなどではなく『カカオ95%のチョコ○ート効果』を互いに送り合えば灰をかぶるに相当する効果が!・・・などと言ってみたいものです。(ちなみに私は毎日食べています。口には苦いが体には良いので霊的な賜物に似てお勧めです)
 さて…。今、私たちが生活している環境で目の前に聖書の舞台にあるような荒れ野はありません。しかし、私たちは日を追うごとに悪化してゆくかのような、未来に希望が見えにくい状況に生きています。私は特に最近そうなって来ているとは思いません。昔からかたちを変え見えやすい時、見えにくい時があっただけで危機的状況は常にあったのだと。
 この閉塞感こそ私たちにとっての荒れ野です。参考のために私の閉塞感体験を。…あまり具体的に語りたくはないので具体的に語りませんが、その閉塞感のうちに死んだ方が楽なのではないかと感じたことはありました。そういう時の心象風景は荒涼とした荒れ野のようでした。イメージとしてそのように浮かんで見えるというだけではなく、砂を噛むような感覚はまさに砂漠にいるような感覚として記憶に残っています。大事な事はそこからです。

        私は静かに神を待つ。私の救いは神から来る。



短信テモテ
★クリスマス降誕祭

 12月24日(日)19時より。ミサ後パーティー。前より混みあった感じがしなかったのは広くなったほかに、他のミサに分散したためか。
 その後、25日(月)午前0時と午前10時にミサが行われた。
 午後1時より子供ミサ、佐藤智宏神父が今年も来て下さり、薫神父と共同司式。ミサ後子供たちによる聖劇。
 佐藤神父がピアノ曲の演奏を披露し、みんなでゲームをした。

★12月30日(土)より1泊で教区の中高生交流会があった。

★1月14日(日)、国際ミサ。ミサ中に洗礼式があった。ベネディクションがあった。

★1月21日(日)、塩田神父が見えて薫神父と共同司式。主に教会エキュメニカルについて体験を交えて説教された。ミサ中に幼児洗礼式があった。
 ミサ後塩田神父は聖歌の指導をしてくださった。

★1月28日(日)、油谷神父が見えて、薫神父と共同司式。ミサ後信徒総会。
 昨年度の決算案と今年の予算案を承認した。

★2月11日(日)、国際ミサ。ミサ中に3人の方の入門式があった。

こんにゃく物語(128)
.                                        S.M
 めでたさも中ぐらいなり
        おらが春  一茶
 1月も下旬になって何十年に一度の大雪がふり、ひっそりと家にこもっていました。そのような時、心にうかんでくるのはアンデルセンの「マッチ売りの少女」の悲しい物語でした。今の世でも、この寒さの中でホームレスの人達はどうして暮しているのかしらと、ぬくぬくと「Mはこたつで丸くなっている」と思いながら心が痛みます。
 去年の夏フランス在住の私の若い友人が病む私への激励の心からか贈って下さった本を、感銘深く読みました。徒然なるままに紹介させていただきます。本名は「聖書と歎異抄」五木寛之、カトリック神父・本田哲郎師の対談集でした。今の世、科学の進歩のおかげもあって私も便利な思いをしていますが、ますます不安材料は増えていくように思えます。
 今朝のラジオニュースも気象庁発表で、ここ30年までに起こる大地震の確率を70から80に引き上げると発表がありました。
 主よ、天災だけでなく心にも平和をあたえたまえ。  2018年2月10日 記

(「智も手も」」No360 2018年1・2月号  2月25日発行より)



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