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わたしが生きているので、あなたがたも
生きることになる(ヨハネ14:19)
タイトル

教会報「智も手も」抜粋記事   No353        ’17年5月号より
    司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                            写真や図は省略してあります。

・・・宣教・福音化年にむけて
                                    司祭 藤田 薫

 これは改めて強調する事というより私たちに常に呼びかけられている事です。

 しかし、これにふれる前に、まず私が自分自身を振り返ってみると…
修道院にいた頃、毎日ミサがあり、説教も毎日ありました。神学校でもそうでした。
ありがたい恵みも毎日受けていると、ありがたみを感じなくなってきます。
週に一度ミサの中で説教の部分で「分かち合い」をしていました。修道院のメンバー全員がそれぞれ心に浮かんだことを語るわけで、結構な長さになります。これに外国から来たばかりで日本語がまだわからないメンバーのために通訳をすると時間はその倍の長さになります。霊的に深まっていればそれは大きな恵みであり喜びとなっていたでしょう。
 しかし、罪深い私は霊的に深まるどころか長い話を我慢して空腹と戦いながら聞き続ける忍耐力のみ養ったということで霊的には浅くなる一方だったと思います。(後にこの忍耐力も崩壊し、長話アレルギーになってしまったようです。)
 まさに霊的飽食状態。少年時代からミサで侍者をしていて説教が始まると睡眠状態に入る習慣は改善されることなく、身体は説教が始まると条件反射で睡眠状態に入ります。

 こういったことは表層的なロクでもない部分で、深い部分で罪深いのは隣人愛・兄弟愛の欠如、いがみあい、蔑み、思っただけで人が死ぬなら凄いことに・・など。与えられた恵みが実を結ぶどころか、十字架のキリストの傷をえぐるような態度を繰り返す日々。

 まさに、旧約聖書におけるイスラエルの民や福音書におけるイエスの弟子たちに自分をかぶらせてしまいます。尊い神の教え、キリストの教えに直接ふれていた時、右の耳から左の耳に抜けてゆく。意味を理解しない出来ない。肝心の時、裏切る、寝ている、逃げ出す。

 ・・・たびたび罰が下り打ち砕かれました。
そういう愚かで良くない例に関してはとても自分は聖書的である・・などとここは自慢します。だからこそ神の愛について身をもってあかしできるところがあるのです。
神は人間的に立派な人を通して福音を伝えられたのではなく、弱く賢くもなさそうな人たちを選ばれました。神の愛は救いがたい者にこそ強く深くそそがれ現されると。
私たちが誇りたくない部分こそキリストのしるしがあらわになるところです。それが私たちそれぞれの担う十字架。
 自分のことばで語るには、時に自虐ネタのように自らの恥ずかしい体験を通して知るに至った神のゆるしと愛を語るようなものでしょう。


洗礼を受けて
                                   L.S.Y

 復活徹夜祭に洗礼を受けました。
復活徹夜祭は長いと聞いて緊張しましたが、朗読のときに文章を見ていて、興味を持って読んでいるとすぐのように感じました。
 洗礼式のときはどこに立てばいいのかなど、ちょっとわからなくなってしまいましたが、神父様と代父様に助けてもらいました。
 洗礼を受けたときは嬉しい感じがしました。皆さんにお祝いされて嬉しかったです。
これからも教会で楽しく過ごせるようにしたいです。よろしくお願いします。



短信テモテ
☆聖週間4月9日(日)〜15日(土)
+枝の主日
枝を手に手に雨の中、芝生の庭に出て聖水の祝福を受け入堂、ミサとなりました。ミサ後は恒例の地区別大掃除、芝の手入れ、庭木の消毒などの新しい作業も加わりました。

+聖木曜日(主の晩餐)19時
ミサの中で、洗足式が行われました。「きれいな足よりも汚れた足を丁寧に洗います」と言われて安心したとの感想でした。

+聖金曜日(主の受難)19時
祭壇の前に置かれた十字架に一人一人がひざまずいて拝礼し、ミサは立てられず、仮祭壇は多目的室に移されました。大斎小斎の日であり、各人各様の日であったと思います。

+復活徹夜祭19時
星空の下、中庭から聖堂までロウソクの行列を行いました。荘厳な雰囲気の中、朗読を通して天地創造からキリストの復活までの歴史を皆で黙想しました。洗礼式では1名の子どもの志願者が、晴れて受洗の日を迎えました。

☆復活祭4月16日(日)
これまでの復活祭は、教会があふれるほどの参列者で満杯になっていましたが、今年からは2階の小聖堂、多目的室のモニターでの参列も可能になり、ずいぶん緩和されたのではないでしょうか。復活の喜びのミサの中、2名の赤ちゃんの洗礼式も行われました。恒例のパーテイーは聖堂内で、また快晴と云う事もあり、芝に敷き詰めていたシートの上で、それぞれに団欒の輪が出来ていました。

☆4月23日(日)転会式
ミサ中1名の方がプロテスタントの会派からカトリック教会へ、信仰宣言の祈りにより入会され初の聖体を拝領されました。

☆5月7日(日)子供の祝福
ミサ後、聖堂のあちらこちらから集まって来た子供達は、端午の節句の祝いにちなんで雨の様なたくさんの聖水の祝福をいただきました。

ルルドの聖母像建立について
                                     S,T
 信徒会館の移転が終わり、多目的ホールをはじめ各部屋が便利よく使用され、皆さんの目が庭に向けられた頃、「庭の一隅に聖母の像があればいいね」との声が囁かれました。実は私も人生の最晩年になりましたので、生涯の思いを込めて何か教会のために尽くしたいと考えており、私の長い人生において、幾たびも遭遇した大きな困難や重篤な病気等を聖母の御助と恵みによってお救いいただき、今日まで無事生き長らえる事が出来たことへの感謝を奉げるために、教会の許可を得て、最初は私財を投じてもルルドの聖母像を建立したいと考えましたが、矢張り傲慢な考えを捨てて、聖母のみ心に添う謙虚さが大切であると反省し、また、時あたかも今年が師父聖マキシミリアノ・マリア・コルベが「けがれなき聖母の騎士信心会」を創立されてから百周年になることを知り、誠に時宜を得たものと思い、聖母の騎士会のメンバーにも相談しましたところ、ルルドの聖母像を希望する意見が多くありました。その後なるべく大勢の皆様にも輪を広げた方が良いと考え、神父様や教会の役員会にお諮りしたところ「信徒有志」でルルドの聖母像建立が承認されました。
 1月8日のミサ後「ルルドの聖母像建立」について説明会を開催し、
1、なるべく多くの信徒の皆さんに呼びかける
2、浄財を募る方法は献金箱によることとし期限は3月末とする。
3、聖母像の大きさは周囲のバランス等を考慮し90pとする。
4、設置場所の決定、設計図の作成、工事費概算額を把握する。
5、信徒有志の中から委員を選定して円滑に事業を運営する。
 上記について説明し了承をいただきました。その後数回の説明会を開催し今日に至りましたが、この間多くの皆様から温かいご支援や、お励まし霊的花束を沢山いただきました。献金額も110万円を超える金額をいただくことが出来ました。厚く御礼を申し上げます。
 当初探しあぐねておりました工事会社も、社長が東京芸大を出られてフランスには十数回も行かれ、なおルルドにも2回巡礼された経験のある方が見つかり、しかも格安の価格で引き受けて下さることが決まりました。竣工までは気を緩める事も出来ませんが、工事が順調に進めば5月20日頃に完成する予定です。
 信徒の皆さんがルルドの聖母像を仰ぎ見ながら、聖母への信心を通して、聖母のお取り次ぎによって重篤な病や大きな困難を克服することが得られ、また信仰を深めていただければ、これに勝る喜びはありません。
 最後になりましたが、ルルドの聖母像建立の呼びかけ人として、説明に手落ちや配慮が足りず、ご迷惑やご不快をお与えしましたことを深くお詫び申し上げます。神父様をはじめ有志の会委員の方々や信徒有志の会の皆さんに深甚なる感謝を込めて。

―防犯カメラによる監視社会、
 皆さんはどのように感じていらっしゃいますか!!―
                                     S.K

 4月のある日の午後、当教会在籍の画家・D.Nさんが所属されている「創展画人協会」の2017年春季展示会を拝見させていただきました。
 Dさんの今回の画題は「監視社会」です。近年は、防犯上の関係でいろいろな所に監視カメラが設置されています。街角、商店街は勿論、教会にもありますし、ドローンにも取り付けることが出来ます。出口さんはこの現状をキリスト信者として冷静に考え直すことがあってもいいのではないかと、提唱されているのではないかと、考えさせられました。

「親の心子知らず」
                                     K.T
 
表題に掲げた格言は私にとって未だに耳の痛いものの一つである。
言うまでもなく「父母を敬いなさい」は十戒のなかの偉大な教えであるし、最初の「キリスト教会」では独自の資料に記された「私(中略)はよい両親から生まれたので」を引用して、両親への感謝の気持ちを正直に表現する同輩が羨ましくてならなかった。30年近くが経過して彼のように教えを実行できなかった私自身にも憐憫の情をもつが、当時の父・母に対しては身を切るような後悔と謝罪の念とを抱く。
 私が1週間の宿泊研修を受けた内観研修所の所長が記した記事に「愛情飢餓が疾患の原因となっている」と書かれたものがあった。現在に至るまで日課として両親とくに現在は母からお世話になったこと、お返ししたこと、迷惑をかけたことについてそれから14年の間想起する作業を続けてきたが、当初から両親との「行き違い」の記憶のために、両親からいただいた愛情を「ふるい落とし」てしまっていたことに気づいていた。
 以前も発表するつもりで原稿を仕上げた段階で、母との行き違いの経験を言及したために、両親の立場に寄ったものにするという当初意図した論旨から大きく外れた記事となってしまい、母親でもある2人の友人とも相談して投稿を断念した経緯があった。
 父は「(何より)苦痛なのは仕事がうまくいかないことなどではない。子どもが病気をしていることだ。」と生前こぼしていたという。
 母も保険の効かぬ心理治療などに惜しむことなく援助してくれたし、医師との三者面談で私は母の顔をまともに見られず思わず顔をそむけたのであったが、幼いときの心的外傷となった経験の想起の際泣きながらも逃げずによく同席していてくれたと感謝している。
 また私に対する援助は生活のあらゆる面に及び、特に仕事の面では、学校と勤務先を辞めたと聞き、叔父のクリーニング店の手伝いの話を取りつけてきてくれた。近所にスーパーがオープンするというので新聞店で適時を狙い一部購入し、募集の広告を入手してくれた。
 入院中の内観研修(通算3回中2回目)では、「母と立場を交替して彼女自身の私に対する愛情をそのまま経験するならば、疾患が消滅するにとどまらず、私自身が大きく前進するだろう」
 というような洞察を得た。それは研修中に再体験できた愛情だけでも文字通り洪水のように過去から引きずっていたわだかまりを溶かしきってしまい、さらに私自身をも圧倒してしまうような大きなものとして経験したからであった。
 若い頃の迷いに対しては私自身の「目の前の梁を取り去る」(マタイ7:5)、つまり、自分自身を拘束している価値基準を自覚して放棄し、自分自身と相手(ここでは両親)を受容することが現段階での答えである。
 「愛されなかった私」か「愛された私」かの選択は私自らの意志でおこなってきたのに違いない。


こんにゃく物語(121)
青葉若葉   
目にはまぶしき陽の光 (芽)
                                       S,M

 マリアの月5月! 若い友から便りが届きました。病むことの多くなった私には、彼女はまぶしい存在なのですが、御文には3月の末東北にレンタカーで、石巻、女川、南三陸、気仙沼、高田と津波の被害のあった所をたどったそうです。
 リアス式海岸とはなるほどこういうものなのかと改めて納得する景色が続きます。くねくねと曲がった先に現れる湾と集落。広がるおだやかに凪いでる海があの日、これ等の集落を飲みこんだなんて、声も出ません。行く先々で嵩上げの大規模工事。でも、一度失われた街を作り上げるには途方もない大変さに、心がしぼんでしまいそうです。原発事故の福島はなおの事でしょう。「国民を守る」と安倍首相は云うけれど私達が望むのは防衛費ではなくて、被災地に住んでいる人の手厚い援助、生活に苦しむ国民を減らす事だと思います。復興大臣の暴言等を聞くと「国民を守る」と真っ赤な嘘だとよくわかります。「国民を守る」ために国民は賢く、厳しく良い政治家を育てて行く力を持たなければと、痛切に思います。という文でした。
 私はこのお便りを読んで胸が熱くなりました。
今の世相をかえりみて・・・・・

 去年今年(こぞことし)
    闇の深さ夏木立(芽)

(「智も手も」No353 2017年5月号  4月16日発行より)



教会報「智も手も」抜粋記事          No352         ’17年4月号より
    司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                            写真や図は省略してあります。

            ふっかつ
                                          司祭 藤田 薫
   ご復活おめでとうございます!
  司祭として春日部教会で迎える初めての復活祭となりました。
  さて、復活祭にまつわる思い出話を少々いたします。聖劇というとすぐに思い浮かぶのは降誕劇ですね。日本でも多くの教会で子どもたちによる聖劇を見ることが出来ます。カトリックの国々では、聖金曜日に受難劇やキリスト役の人物が実際に十字架を担ぎ、十字架につけられるまでを再現する祭りが行われる習慣があるところが少なからずあるようです。受難劇は血なまぐさい眺めが苦手な日本人からは好まれないからか、日本ではやっている話を聞いたことはありません。そういうことなのであえて私は2度ほど自らキリスト役になり受難劇をやってみたことがありました。その内容についてご復活をむかえている今この紙面にて語るのはふさわしくないでしょう。ただ今そこにふれるのは次の問題があったからです。
 それは復活。受難劇はあります。しかし復活劇はというのはどうでしょう。私は知りません。かつて聖金曜日に受難劇を行った時、そこの教会の信者の方々から「聖金曜日に教会に来られる限られた信徒だけに披露するだけでは、もったいないので、日曜日の復活の主日のミサのあとにもやってほしい」と頼まれました。しかし、復活祭後に受難劇というのは、ふさわしくないでしょう。やろうとは思いませんでしたが結局、ピラト役でもあった主任司祭も多くの、(あたかも「殺せ、殺せ、十字架につけろ」と叫ぶユダヤ人たちのような、)望む声に同意せざるをえなくなり、その勢いに押しつぶされ、復活の主日のミサ後にも受難劇をする羽目になりました。しかし、復活の主日にやる以上、復活まで続けてやらないとさすがに・・と思いはしました。
 しかし、それが難題となりました。そのプレッシャーもあってかスタッフとキャストともに徹夜祭後に稽古を続けたのち、気づけば徹夜で酒(しゅ)と交わり続けたおかげでひどい二日酔いになってしまい、受難の場面は迫真の演技だと勘違いされたようでしたが、苦しくつらかったのは演技ではありませんでした。その状態で私に復活したキリストまで演じるのは無理に決まっていました。それはもう冒涜です。監督「やれっ」私「やれない」で激しく争いました。「ええやろ、脱がされた服、また着て出たらえーだけや」「・・そういう問題ではない」「この期に及んで復活せんとかいうならホンマに殺したろか」などと傍で聞いていたらわけのわからないやりとりになりながら双方譲らず、唸りながら福音書の復活の場面とにらめっこをしていると、
 マルコによる福音書の復活の場面に目が。「こっ・・これや?、補遺がついてなかったら復活したキリスト、姿見せてない?」「それだ」代わりに天使役を弟子役の中から一番顔の整った高校生を選んでやらせることに。しかし急に天使役をふられた彼は「・・セリフ長くて無理」と監督は「・・立ってるだけでええわ」と。「セリフは?」「舞台のそでで・・・俺が威厳ある声でマルコ16章6〜7節の天使の声出したる」「じゃあ天使は口パク?」「・・・声と口の動き合わせる練習しとる時間がないから無理や。・・・・・ええわ、天使は口閉じたままでも声出る」この判断は結果的に正解でした。そしてめでたく私は復活したキリストを演じることから解放されました。
 そして、「驚くことはありません。あなた方は十字架につけられたナザレのイエスを捜しているのでしょうが、ここにはおられません。復活されたのです。ご覧なさい、ここがお納めした場所です。さあ行って、弟子たちに、特にペトロにこう言いなさい。『あの方は、あなた方より先にガリラヤに行かれます。かねて言っておられたとおり、そこで、あなた方はあの方に会えるでしょう』」で終わりました。この劇を見ていた会衆はこのからの墓の場面に最も感動したということです。演じなくて本当によかったと今も思っています。
―――――?―――――?―――――?―――――?―――――
短信テモテ
◆3月19日(日) 黙想会
コンベンツアル聖フランシスコ会の山口神父が見えて薫神父との共同ミサの後、聖ヨセフはマリア、イエスの守護者として、どれほど重要な役割をはたしたかをお話しくださった。
迷っていたヨセフに、「恐れず妻マリアを迎え入れなさい」(マタイ1・20)と告げた天使の言葉に従い、神にささげた聖ヨセフの生涯を考えさせられた。
◆3月25日(土)〜26日(日)
埼玉ブロック中高生交流会
さいたま教区埼玉県ブロックの中高生交流会が当教会で行われた。


中高生交流会に参加して
                                      A.K
 3月25日、26日の二日間、僕はカトリック春日部教会で開催された埼玉中高生交流会に参加させて頂きました。
 中学生のときまでは多くの友達と関わっていたこともあり、サマーキャンプなどで新しい友達と出会うのは普通でしたが、高校生になって特定の友達としか関わらなくなっていた僕は知らない中高生に会うのが少し不安でもありました。
 実際行ってみると、簡単なゲームやアイスブレイクなどを通して比較的簡単になじむことが出来、安心しました。初めて会う中高生だけでなく、かつてサマーキャンプで出会った友達とも久しぶりの再会ができたので良かったです。分かち合いでは高瀬助祭が中心になり、5、6人のグループを作って互いの悩みや考えを話し、聞きあいました。様々な意見などを聞くことで更に考え方の幅が広がったような気がしました。
 夕食でカレーを食べたあとは自由時間で、皆で卓球やカードなどのゲームをして楽しく過ごしました。神父様が徹夜してもミサで寝なければ良いとおっしゃったので、結局徹夜で遊び、ミサでは皆寝ないように必死でした。(笑)
終わるころには初めて会った中高生ともすっかり友達になり、 次回また会おうと言って交流会は終わりました。はじめは不安もありましたが、このような機会があればまた是非参加したいです。

高山右近、ゆかりの地
大阪・金沢 巡礼記 (2)
                                      I.J
 少し早めに会場である大阪城ホールに到着する。周辺一帯はすでに人でいっぱいだがポイント毎に大勢のスタッフがにこやかに誘導してくれる。ホール内には左右に大きなスクリーンが掛けられ中央に祭壇が設けられている。式の30分前から右近のビデオが映されホール内が一つになってその生涯に入っていく。
鐘の音と共にオーケストラ、聖歌隊、参加者全員で「いつくしみ深く御父の様に」を歌うなか司祭団入場、真紅のカズラの前後には右近のシンボルマークである家紋の七曜星の後ろに十字架と三重の輪がデザインされ鮮やか。正面二階の司祭団席は紅一色になる。
 1585年秀吉により、13年間過ごした高槻から明石に移封された右近は翌年、ここ大阪城でイエズス会のコエリヨ他35人余りの教会側一行の先導役として謁見の間で秀吉と会見している。そのおおよそ1ヶ月後には「キリスト教宣教の許可書」を交付した秀吉が、1587年には右近に使者を送り信仰を捨てる様詰問状を突きつける。この頃の信者数は24万とある。
 この時の右近の返事は「人間にかかわることは変えることができても、神のこと、またその教えにかかわることは一点たりとも変えることはできません」という信仰告白だった。右近35歳。ここからの生き方が殉教者の歩みだと―列福の儀―での「右近の略歴紹介」を聞きながら思う。
 「教皇書簡」が読まれ「肖像画の序幕」そしてシスター前田、作詞作曲の「主こそわが光―祈る右近―」を歌う中、聖遺物が祭壇近くに安置される。ミサは続き閉祭のことば「高山右近のように信仰を力強くあかしするために、行きましょう、主の平和のうちに」。感謝と喜びのうちに、退堂する司教団を見送る。
 この後ホールを退場しバスに乗り込むまでの大変なこと! 閉館直前のしろあと歴史館の「右近展」を見て宿泊地大津へ。夕食で列福の祝杯。なぜかシスター方のテーブルに私だけ加わることになり、隣になった若い頃ブラジルにいたというシスターから、まるで「天使にラブソング」の様なおいしい話までごちそうになる。
 8日、窓を開けると駅のホーム越しに琵琶湖が見え近くの山はうっすら雪をかぶっている。今日は午前中は移動のみ。車内はいつもの様にロザリオの祈りから始まる。バスは初日からずっと同じ運転手さんガイドさんが同行で、関西弁を交えながらの軽妙なおしゃべりと案内もすっかり馴染んできた。「ウチナーなんかこれ知ってる思うてんけど、これでも幼稚園カトリックやったんやんか。すっかり忘れててんけど、その頃きいてたんやなー」とのつぶやきも出る。バスは名神高速道から北陸自動車道へ入る。車窓の暗い海をながめながら、右近一行の金沢への道中に思いをめぐらす。車内のDVDでは心のともしびで放送された故溝部司教の「高山右近没後400年〜列福に向けて」(退任後の2012年、京都望洋庵での収録)が映された。2011年秋、司教様と大船渡教会で偶然ご一緒になり、お祈りした事を思い出す。
 お昼少し前に金沢教会に到着。右近が金沢で最初に住んだところで、現在の金沢21世紀美術館のすぐ隣にあり、ここでミサに与る。午後信徒の方が金沢城を案内して下さる。この地に26年を過ごした右近の足跡がそこここにある。雪づりの美しい兼六園(雪はなし)を見学後、能登の七尾へ。右近もこの地へ宣教に来ており七尾、羽咋(はくい)に教会を建てている。今日の宿は和倉温泉。
 巡礼最後の9日は、まず志賀町の右近記念公園とその近くにある墓へ。公園は道路に面していて右近像もあるのですぐにわかったが、墓は人家の間の細い道を裏山に登って行くような先で、急な山道は滑りやすく何とか辿り着いた。そこにひっそりと苔むした石と新しい石の十字架があった。マニラに追放され63才で帰天した右近の遺物を家族(妻、娘、孫)が密かに持ち帰り墓としたと伝えられている。皆で祈る。
 次に七尾教会へ。現在巡回教会となっているが信徒の方がお茶を用意して待っていて下さった。幼稚園もある可愛い教会で亡くなられた主任司祭がイタリアから船で運ばれたという祭壇、マリアゴレッテイのモザイク画や大きな絵が飾られ、包まれるよう。一緒に感謝のミサに与る。神父のカズラは列福式の真紅。昼食後右近とかかわりの深い遺品が多くある本行寺へ。右近が住んでいた部屋、直筆の書状、そしてこの列福式でいただいたメダルも見せて頂く。地方新聞の取材も来ていて住職の説明にも熱が入る。1614年2月25日、雪深い金沢を出立し長崎へ向かった右近一行の旅路がどんなに大変だった事か。それでもこの巡礼で見てきたように領地を追われて行くさきざきに教会ができている。「冬を堪え忍んで春を待つバラのように」と右近自身が手紙に書いているとおり、希望を失うことなく信仰を証しし続けた生涯は現代に生きる私達にとっても大きな道しるべとなる。新高岡駅でバスと別れ、北陸新幹線で大宮へ。
 巡礼の終わりに右近のように日々を受け止め、深く神と対話しながら力強く歩み続けられるようにと祈る。(終り)

愛猫との別れ
                                       F.R
 猫を飼うきっかけとなったのは、娘たちが教会へ行く途中、公園で拾った子犬が16才で死亡したことがきっかけだった。
 最初は「二度と動物は飼うまい」と思ったのですが、私と次女が“ペットロス”になったのを見かねた夫が「猫でも飼ったら」と言うと、次女が早速猫探しをした。その時、三女が「動物を飼うとお別れのとき辛いよ」と助言したのだったが、近くでアビシニアンとショートヘアのミックスの猫が貰い主を探しているという情報が入った。その猫が「チョコ」で、11年前の事だ。いざ飼ってみると部屋中飛び跳ねるし“ハラハラ、ドキドキ”だった。しかし、幸いなことにトイレと爪とぎの躾ができていて食事中もテーブルの端に座って見ているが、あまり手を出さなかった。日常生活は動物独特の早起きで、私たちの起きるのを待っている甘え猫だった。そのうち、犬の別れから悲しみは癒されて“チョコ”に夢中になっていった。
 しかし10年後の昨年9月、病は突然訪れ、嘔吐の繰り返しで念のため病院へ連れて行くとエコーを撮り、「シコリがある」と告げられた。「他に転移がなければいいが早い摘出がいい」と言われ、17日開腹手術に同意して3日間の入院。結果「大腸の腫瘍は切除できたが、リンパの転移はどうにもならない、余命は3か月」と言われる。抗がん剤でも治療は可能だが、半年位の延命で副作用があるそうだった。“チョコ”と一緒に頑張るためにステロイド剤治療にした。退院後、相当怖い思いをしたようでかなり甘えてくるようになった。薬の効果で時には信じられないくらい元気になったり、病弱になったりの繰り返しだった。娘たちも時々訪れたが11月に入り”チョコ”の衰弱が激しくなり、なでたり話しかけることしか出来ずとても辛かった。点滴とかしたがもう効果もなく、それでも尿の始末は自力でしていてそれが動物の習性か?
 そして、11月15日午前11時過ぎ最期を迎えた。その時、「チョコ」と呼ぶと尻尾を軽く振るだけで、やがて大きく息を吐き声にならない呻き(うめき)声で息絶えた。それは夫が買い物から帰ってきて10分位経過後、待っていたように。可愛がった動物によくある事だそうだ。そして私たちは庭に埋めた亡骸(なきがら)に朝、夕と毎日“チョコ”に声をかける生活だった。
 しかし、動物の死によって家族が一致し協力する家庭が出来たことは、大きな恵みと考えている。夫は「動物には霊魂がない」と言いますが、信心の浅い私は亡骸に花を手向(たむ)けることで心が落ち着く。こういう気持ちが神様の計らいでしょうか。
やがて、教会へ再び行くことができました。

こんにゃく物語(120)
まだらぼけの話
                                        S.M

 春もたけなわ、復活祭も近くなり、皆よろこびの季節に!
私は、一人前に、まだらぼけになったようだ。
 作家佐藤愛子さんではないが「90歳、なにがめでたい!」なんて、威勢のよい言葉も出ず、シュンとなっている。というのは、「智も手も」3月号の編集日が山口神父様の黙想会と重なり、珍しくWさん、Sさんが事務室で待機しておられた折、これはめったにないチャンスと思い、「Wさんの奥様はハワイ沖の離島のらい病院を訪れられたと人づてに聞いたのですが、…?」とお訊ねすると、Wさんはポカンとして「そうかなあ」と腑に落ちない顔をなさった。別の方と間違えていたわけで、私が自分のボケに気がついた始まりだった。「前からボケていたよ」と、息子なら笑うだろう。
 らい者を理解するためにらい者と共に生活された神父様の話には、すごい方がいらっしゃったものだと思いながら、その神父様の名前がすぐには出て来ない。「コルベ神父様だったかなあ」と言うと、そばで聞いておられたSさんに、「何言ってんの!コルベ神父様はアウシュヴィッツで殉教されたのよ!」と、笑われた。家に帰ってからやっと、ダミアン神父様だったと思い出した。
 カトリックの有名な造形作家であられた舟越安武氏の作品が千葉県の館山にあり、当教会の主任司祭であられた鈴木神父様に案内して頂いたのは、いつの日のことであったか…?
 年齢と共に、固有名詞が出て来ない。そのうち、「あなた、だあれ?」なんて言い出すかも知れない。筋トレだけでなく脳トレにも励まなくてはならない。復活祭も近く、我が情けない脳も復活しますように…!

≪原発放棄―箒≫
 3月に「原発廃止に向けてのお願い」という手紙が「サヨナラ原発の会」(カトリック大阪教区社会活動センターシナピス)より教会に届きました。
 主旨は原発廃止の意思表示をするため≪原発箒≫のストラップを身の回りに下げて、自分の意思を表現しましょう! との事です。ただし、1本につき100円の材料費の負担をお願いしております。
 福島原発事故の影響は計り知れないものがあり、原発安全神話が一旦は崩れたものの、最近では先月末に大阪高裁で「関西電力高浜原発再稼働を認め」、広島地裁で「四国電力伊方原発の運転差し止めを求めた処分の訴えを退ける(運転可)」のニュースがありました。
 昨年11月の日本カトリック司教団のメッセージである「原子力発電の撤廃を」と同じ考えをお持ちの方々にはこういう形で自分の意思を表現するのも良いのではないかと思います。(備後地区/S.H)
≪原発箒≫100円/1本・・・・の扱いはA.Mまでお願いします。
以下は関連する本です。
☆回勅ラウダート・シー共に暮らす家を大切に 
教皇フランシスコ著  \1,512
☆今こそ原発の廃止を
  日本カトリック司教協議会編纂委員会編集  \1.944
☆キリスト者として“原発”をどう考えるか
  内藤新吾(プロテスタント牧師)著
いのちのことば社 \700+税

(「智も手も」No352 2017年4月号  4月16日発行より)



教会報「智も手も」抜粋記事          No351         ’17年3月号より
    司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                            写真や図は省略してあります。
怖かったこと
                                            司祭 藤田 薫
 幼少時に恐ろしかったものの1つに注射がありました。おそらくそれは多くの人に共通している恐怖かもしれません。予防接種の時期が近づいてくると、死の判決が近づいてくるような恐怖感が日々強まり、当日になれば朝から不気味な恐怖に打ち震え憂鬱でした。風邪などで病院に連れていかれるのも、注射をされるかされないかは天と地ほどの恐怖の差がありました。痛みは残るものの、その後の解放感は、闇から光に解き放たれたかのようでした。
 これが今度はメンタルな恐怖の体験となると「共同回心式」なるものがありました。大きな教会はだいたい待降節中と四旬節中に行われるものです。中高生の頃の記憶では昨今のこの近辺の教会では考えられない、5〜6人の司祭がそのために来られていた気がします。その頃は典礼の季節などほとんど気にしていなかったため、ミサに行くと(ほぼだいたい遅れていく)大勢の司祭の姿が見えるか、聖堂内に臨時の告白スペースが設置されていると、「その時」なのでした。ご存知の方は多いと思いますが、説教の後に共同回心式が始まるので、共同回心式をパスしてミサにあずかり聖体拝領をするのは極めて困難(不可能ではないものの、それをやれば罪に罪を重ねるような気になるためさすがにできなかった)。このやり方は逃げ場を失い、半強制的に告白をしなくてはならない状況になるため恐怖でした。告白するようなことはいつでも果てしなくあったわけですが、それらの罪を告白することは、昔の言い方では清水の舞台から飛び降りる、今風なら多分、高所恐怖症がバンジージャンプに挑戦するようなものと言えば良いでしょうか。
 終わってしまえば注射が済んだ後の時に似た感覚(残る痛みを除き)と心安らかにそのミサにあずかり、来るべき大きなお祝いに顔を上げて迎えることが出来る気分になったように記憶しています。そもそも予防接種や治療のための注射は、身体を守るためにするものですが、一瞬でも痛みを伴うことから幼少時には恐ろしいものになってしまっています。
多くの治療には痛みや苦痛が伴います。私たちの回心にも同じ事が言えるでしょう。治療を好む人は良いのですが・・病院嫌いの人が、痛みへの恐れから適切な治療を遠ざけるように、癒し手であるキリストに向かいあうことを恐れるのでしょうか?
 ゆるしの秘跡における罪のゆるしには、大変な治療に必要となる長くかかる痛みや苦しみのプロセスはありません。告白の苦しみがあるだけです。苦しみが大きければ大きいほど、キリストの癒しと愛を深く知ることになります。
 四旬節は特に私たちにとって、ふさわしく清められるための期間です。
                                    

短信テモテ
◆3月1日(水)灰の水曜日
1
9時よりミサ。灰の式があった。

◆3月5日(日)ミサ中、灰の水曜日に来られなった希望者に、灰の式があった。
子供の祝福

ひな祭りにちなんでミサ後に行われた。

◆3月19日(日)
梅崎神父さんと藤田神父の
共同司式ミサ。自分の弱さと困難を大切にとの梅崎神父の説教があった。
ミサ前後両神父により「ゆるしの秘跡」が行われた。(T)


信徒による福音宣教のための学習会
                                                      K.T
2017教区管理者メッセージ「さいたま教区 宣教・福音化年の開始」を受け、私たち日比の有志は総意として学習グループを開始し、ご案内させていただきます。皆さまのご参加をお待ちしております。
目的
1.信徒の務めである福音宣教に必要な知識を身につける
2.来訪者を歓迎し、共同体を身近に感じてもらう
日時
4月より毎月第1・3日曜日ミサ後 各回30分程度
運営
1.当教会信徒により、進行(講義)も信徒が担当。
2.司祭に出席してもらう。
3.学習者の国籍・母語等は問わない 。
4.日英の2ヶ国語は、必要に応じ通訳などを補う。
学習内容
1.当面、カテキズム(入門レベル)を予定。
2.シラバス(講義要綱・学習資料)はMrs. C.Y.が準備する。日本語版についてはMrs.Y.の説明を受けた後、Kが翻訳。


高山右近列福式とゆかりの地
大阪・金沢 巡礼記 (1)
                           I.J
 2月7日の列福式参加を中心に、2月6日から9日までの巡礼に行った。
 6日早朝羽田を飛び立ち雪を頂いた富士を眼下に見て1時間程で大阪空港に着陸。ここで鹿児島、長崎、愛知から参加のシスター方7名と合流しバスに乗り込む。同行司祭は横浜教区の山口道孝神父。「あけぼの」に―先人の歩みに耳を傾けながら、アジア太平洋に生きる―を連載されていたので名前だけは知っていた。添乗員を含め37名の巡礼団の中には巡友(これまでの巡礼で知り合った人)も何人かいる。右近の足跡をたどる旅に加えこの「人」との出会いも巡礼の楽しみだ。
 最初に向かったのは右近21歳で城主となった高槻城があった一帯。城址公園にはマニラにも同じ像があるという右近像があり、右近が建てた天主教会堂跡の石碑やセミナリオ跡などを見る。近くの高槻教会へ行くと丁度バチカンの教皇代理アンジェロ・アマート枢機卿一行がお帰りになるところで、入口にあるひざまずいたイタリア大理石の右近像と共にお見送りする。この教会は日本26聖人に奉げられた教会で、右近臨終の地マニラ郊外アンティポロ教会をモデルに設計されたことなど、信徒の方々が話して下さる。祭壇右手には列福を記念して新しく掲げられた絵があり、これはスペイン、マンレサ洞窟教会のモザイク画にある右近像を、とお願いして描いて頂いたとの事。明日が列福式とあって巡礼団が国内外から訪れている様子。
 1581年4月この高槻で行われた復活祭は近隣諸国のみならず、美濃、尾張のキリシタンも参列し15,000人の大行列だったと知り、当時の盛況ぶりを思いながら茨城キリシタン遺物史料館へ向かう。バスは山深い里へと入って行き途中からは大型車は入れず歩きとなる。小雨のなか千提寺地区へ、最高齢が92才という巡礼団には少し心配になる道だが無事到着。小さな史料館だがビデオ、史料とも貴重なものばかり。ここもかつて右近の領地で、禁教の中、屋根裏の梁にくくりつけた「あけずの櫃(ひつ)」を長子にだけ伝え続け、1920年になってやっと発見されたそうである。この櫃から出てきたもので一番有名なのが、あの歴史の教科書にも出てくるフランシスコ・ザビエル像の絵。現在は神戸市立博物館所蔵となっている。その後千提寺の北にあたる下音羽からも1930年にかけて墓碑や十字架、ロザリオ、メダイ等続々と発見されたと知る。信仰を守り伝えようとするエネルギーを感じる。
 長い一日の締めくくりは、近くにある「黙想会・神との出会いの場」として作られた「愛と光の家」でのミサ。静けさの中で右近と神との深い交わりを思い感謝、宿泊地箕面へ。
 7日、目ざめるとチラホラ雪が舞っている。列福式は正午からなのでその前に玉造教会(大阪教区の司教座教会)へ。
 細川家の屋敷跡に建てられたカテドラルは無原罪の聖母に捧げられた教会で、戦災で焼失し1963年に建てなおされたとある。
 聖堂前の広場には両端に右近と細川ガラシアの石像があり生花が飾られ正面中央のマリア像を見上げると何とその壁面と同じ青空が広がっている。いつの間にか朝日が輝いていた。
 聖堂内は堂本印象の絵とステンドグラスが朝日を受けて光に満ちている。駐車場には列福式に参加の全国からの巡礼団のバスが来ていて、そこここで再会の歓声があがる。(次号に続く)

白血病の再発と“むぎ”
                          A.Y.I
 
今、お茶の水の順天堂医院。私の白血病は慢性でも特殊な型らしく治ることはもちろんなく、現在急性への移行期に入っているらしく、このまま何もしないでいるという訳にはいかないとのドクターの言葉、・・・やっぱり・・・。秋からの風邪っぽい症状が続いているのはおかしいとは思っていた。4年前に治療した時より更に医学は進歩したので薬も新しいのができていた。今まで飲んだ薬は肝臓、たんのうに副作用が強く出た為、この薬は6錠から始めるところ今回“とりあえず1錠から始めましょう”の言葉。また高額な薬代がかかるな・・・・。3週間飲んで2錠に増えた。白血病・・・今度再発したら何もせずに神さまの決められた命を全うしよう…そう思いましたが、2017・2・3節分の日に・・・。
 やってきました。我が家の新しい家族“むぎ”。長女が選び長女が名前を付けました。この子は“はんぱない”のです。やんちゃ、おてんば、良く食べ、よく寝て、よく遊び(やはりシーズー犬です)。
 おきている時は、常に全力疾走です。具合の悪い私をいじめるかのごとく、つい何日か前までは、夜中にヒト(私)を起こして“遊ぼう”。それが3時です。そして4:30には起床。私は寝不足。それでなくてもたった3年ほどで白血病が再発し、また抗がん剤のお世話になっているというのに・・・・。でも病気のことで落ち込んでいるヒマなど全く与えず“あそぼ?!あそぼ?!”いわゆる金魚のふん!状態。
 ゆずが亡くなり毎日泣いてばかりで何のヤル気もおきなかった私の“救世主”とでもいうのでしょうか?
 “むぎ”です。今後何度か登場するかもしれませんのでよろしくお願いします。2016・9・30生まれです。

こんにゃく物語(119)
―陽光の下で―
                                              S.M
 我が家の小さな庭の南高梅が桜前線より一足早く咲きほこっている。もう春!!・・・・、股関節の手術をして、早くも6年近く、中々痛みは回復しないので庭で遊ぶ機会も少なくなったが、4時間のデイケアの車の中の友人が、ボタンの芽のふくらみをすばやく見つけて「随分ボタンがあるのネ」とほめて下さった。植えつけてから10年以上たって、体の不調と共に赤、桃、白、黄、特に黄色のボタンは植木屋さんも珍しいとほめたくれたものであったが、私の体調のゆえで手入れが行き届かず、硝子戸の中からだれに云うともなくボタンに「面倒見られなくてごめん」とつぶやいている。
 今日、東日本大震災。原発事故6年!被災者の方々は本当に多くの悩みを抱えて生きていられると思うに、陽光まぶしい小さな庭の春の息吹をぼんやり眺めていると、ふと何か申し訳ない気になる。私に出来る支援はないだろうかと思う・・・・。ふと♪花は咲く花は咲く♪のテーマ音楽が流れる。被災者の方々の心に花がポっと咲くのを、心ある人々は支援を・・・・。それなのに時の政府は原発再稼働を次々とやり、私は逆行する政権にふんがいしている。美しい花々を送りたいと思う。

(「智も手も」No351 2017年3月号  3月26日発行より)


教会報「智も手も」抜粋記事     No350      ’17年1・2月号より
    司祭の言葉 (まとめ版)はこちらです

                            写真や図は省略してあります。
自分の愚かさゆえに
                                     司祭 藤田 薫
 
困った時に助けられる体験ばかりは豊かにあります。それを告白すれば本が何冊も書けてしまうと思います。今回は自動車関係に限定して告白します。それでも詳しく描写すると長くなるのでダイジェストにします。
 ずいぶん前の事、自分の車のキーが紛失したため、スペアキーを使っていました。そもそもよく物を無くします。信号待ちをしていると、運転席の窓をコンコン叩く高齢者の姿が。こんな道路のど真ん中でこんなことをしてくるとは認知症の高齢者ではと、厄介そうだなと思いました。仕方なく窓を開けるとその人の手に私の車のキーが…「後ろを走っていたら、この車のトランクにキーが刺したままになっていました」と、その方は信号待ちを見計らって、自分の車から駆け下りてキーを抜いて渡しに来てくれたのでした。その親切に感謝の気持ちと自分のボケぶりに恥ずかしくなり死にたくなりました。
 また随分後の別の時、給油後しばらく走っていると、信号待ち中、また高齢者の方が窓を叩き、「給油口開けっ放しだったので、外の蓋を閉めておきました」と。セルフのガソリンスタンドで蓋を閉めずに、中の栓を置いたまま出て来ていたのでした。感謝とともに心の中で自分を罵りました。
 こういうことは、他にも何度もあり、親切な他のドライバーの方々のおかげで事なきを得ました。その度に自分を罵りましたが、どんなに罵っても同じような過失が治りません。(今の車は栓に紐が着いていて離れないようになっているので、置き忘れることはありませんが・・)
 またある時、荒涼とした人気のない、民家も周囲にないような場所で車がパンクした時(現在ならば自力でタイヤの交換が可能であり、かつ今の車はそういう場合交換せず応急処置が可能なので、こういう話にはならない)、4つあるナットのうち2つまでは外せたものの、3つめが強固でびくともせず、途方に暮れ(こういうことに対応可能なサポートもしてなかったこともあり)、そのうちだんだん考えるのをやめ、やがて天にすべてをゆだねました。何十台もの車が通り過ぎていった後、やがて一台の車が止まりました。50歳代くらいの男性と、70歳代くらいの男性が下りて来ました。若い方の男性が苦闘の末なんとか3つ目を外すことに成功。しかし、4つ目は固定されているがごとく・・。それでは自分がと年配の方のほうも「う〜ん、う〜ん」と顔を真っ赤にして頑張って挑戦してくれたが、もちろんびくともしません。それ以上頑張られると健康上危険なことになりかねないので止めました。3人で途方にくれていました。どのくらい途方にくれていたかよく覚えていませんでしたが、日は暮れかけていました。目の前には、廃品回収置き場があり、人の気配はなかったのですが、やがてそこに廃品を積んだトラックが入ろうとしてきました。若い方の男性がそのトラックの前に走って行き、そのトラックを止めました。そのトラックから大柄のインド人とおぼしき人(そうでなければバングラディシュかパキスタンか)がおりて来ました。この状況を打破できる真打登場と私の目には映りました。4つ目のナットは一瞬で外れました。「ヤッター」とみんな喜んでいました。
いずれも、自分がちゃんとしっかりしていたなら起きなかったエピソードです。
 そもそも、私のように不注意な人間が今まで誰かを死傷させるような事故を起こしていないのは奇跡ではないかと思えます。
 しかし自分が愚かなことをよくやらかす割に、人が愚かなことをやらかすと冷ややかな反応をして見下すことが多いです。(その手のエピソードで本が何冊も書けそうです)しかし、そのようなやつである私がこのように助けられてばかりいます。してもらっていないのなら、してもらっていないから出来ないと言い訳ができますが、してもらっている以上言い訳はできません。神様がニヤリと笑いながらウインクをしているようです。

みことばクラス
クリスマスのげき
                                     4年生 M.A
 
私はクリスマスのげきでマリア様をやりました。
マリア様をやってみてマリア様のきもちがわかった気がしました。

クリスマスこどもミサの思い出
                                            S.Y
 
クリスマスこどもミサでは、聖劇でヨセフ様の役をやりました。ヨセフ様の役は楽しかったです。
 マリア様役の女の子と一緒に声を合わせてセリフを言う場面は難しかったけれども、なんとかできました。
 ミサの後にみんなで遊びました。陣地取りゲームなどをしました。楽しかったです。クリスマスプレゼントももらいました。中に入っていたお菓子はおいしかったです。
 次はイースターが楽しみです。


「教会で初詣」に留守番ご協力
いただきました皆様、有難うございました。
                              教会留守番活動世話役 S.K
 
智も手も12月号でご案内いたしました「教会でも初詣」を実施いたしましたが、ほぼ毎日何人かの方が初詣に教会を訪問してくださいました。 
 今回、ご協力いただきました方々のご感想を生かして、次回からはさらに認知度をあげ、「初詣は神社だけでなく、教会でも出来るのですよ」を広めていければいいと願っています。
 希望者はローソクを灯してお祈りできました。
 当教会の留守番ボランティア活動は、初詣以外でも、平日の水曜日、木曜日、金曜日の午後1時から午後4時まで、教会の鍵を開けて留守番をしていただく活動です。詳細は教会玄関ホール壁にございます。
 ご協力いただけます方は、申出書がホールにございますので、お名前、連絡先などをご記入くださいまして、お渡しいただければありがたいです。
 どうぞよろしくお願い申し上げます。


短信テモテ
☆信徒会館への引越し 12月18日(日)
 
ミサ後、信徒全員参加の協力で引越し大作業が行われた。マザーハウスから数名の方が引越のプロとして、大型家具の運び出し設置等で参加。
教会委員長号令のもと、ワイワイガヤガヤ大騒ぎの嬉しくも楽しい(?)引越しとなる。
「注」マザーハウスは、罪を犯してしまった方々に寄り添い活動をしている特定非営利活動法人。

☆クリスマス・イブのミサ24日 19時
ミサ後パーテイー。
 準備してくださった方々に感謝。

☆クリスマス深夜ミサ 午前0時
 
数十年ぶりの深夜ミサ。聖夜、蝋燭の炎がハートに・・・。ミサ後の小さな茶話会で一息。

☆子供のクリスマスミサ 13時
 
主日のミサが10時より、その後例年の通り子供達のミサが行われた。ミサ後は聖劇、そしてゲーム等、ワーワー大はしゃぎ(2頁参照)。佐藤智宏神父が途中参加、神父の背中を借りての馬跳びに子供達も神父も汗びっしょり。

☆元旦深夜のミサ 午前0時
 
大晦日の節目の深夜、前年の感謝と新年の歩みへのミサが、十数人の方の参加で奉げられた。

☆元旦ミサ1月1日(日) 11時
 
神の母聖マリアの祭日、新年を祈願しての初詣ミサ。年頭の説教は第50回世界平和の日教皇メッセージ「非暴力、平和を実現するための政治体制」の内容をわかり易く解説をしていただく。普段の日曜と同様の参加者であった。

☆信徒会館祝別式 1月15日(日)
 
ミサ後の祝別式。

☆信徒総会 1月22日(日)
 
ミサ後定例信徒総会。50名程の参加で滞りなく前年度報告が承認され、次年度へと引き継がれた。

☆掃除ロボットの活躍
 
広くなった聖堂、玄関、元図書室をボタン一つでお掃除してくれる。便利な世の中になった。

ルルドの聖母の建立について
                                  呼び掛け人 S.T
 
この度信徒会館の庭の一隅にルルドの聖母像を信徒有志によって建立することが決まりました。信徒の皆様の善意やお祈り、知恵や専門的知識、技術など様々な分野でご協力ご助力をいただきながら進めて参りたいと念願しておりますので、この趣旨に賛同の方は酒井までご連絡を下さるか、お聖堂入口前に設置してありますルルドの聖母像建立の献金箱にお名前を記入したメモを投入して下さるようお願い致します。後日設計図や施工方法、工事費用等について準備が整い次第再度説明会を開催しますので、ご参集下さいますよう重ねてお願い致します。

三年目
                                           L.M.Y 
 
洗礼の秘跡を受けてもうすぐ3年になります。もう3年も経つのかなと思うばかりです。生きてきて、本当に生ききれたというか無駄が無かったと思えます。沢山罪も犯してしまったのですが、ゆるしの秘跡で心がゆるされ安らぎを覚えたりと本当にいい3年間を過ごせました。
 何はともあれ、心の荷を降ろすこと、休みたい時に休める教会という場所を与えられたことで、主日以外の日も一生懸命に働いたり、休んだり、又遊んだりして来られました。胸の痛いのを解放し、いやしが与えられるのには、教会へ行き、平日には自分に出来る事をがんばるというサイクルが良かったのだと思います。休みと仕事(労働)は自分の良いテンポとなり心のビート・リズムとなって感情に弾力が出てきたと思います。
 過去、胸にしまい込んでしまった重荷を降ろすのは容易ではないけれど、少しずつ降ろしていきたいと思います。

感銘を受けた短歌作品
                                         K.T
 
今は亡きK.Sさんが長らく会長をなさっていた精神障がい者家族会「親和会」があり、私もその会員です。
その会員さんの中に、N.Eさんという方がいらっしゃいます。四国のご出身で、お父様は高浜虚子のお弟子さんでした。お名前は、お父様が「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」というイエスの最後のことばから取って名付けられたのだそうです。
 熱心なプロテスタントの信者さんで、よく短歌をお詠みになりますが、その作品に私はいつも深い感銘を受けています。ご子息は障がい者ですがやはり歌をお詠みになり、一昨年「大西民子賞」を受賞されました。
ご本人のご了承をいただきましたので、Eさんの作品を皆さまにもぜひ味わっていただきたいと思い、ご紹介します。
*    *    *
禍(わざわ)ひといふ禍(わざわ)ひは初めより
         神の御手なる創造の玉

時に追はれ時に流され時に泣く
       人はなにゆえ時の奴隷ぞ

朝な夕な歌詠む吾子の姿見て
      われもまた同じ道を歩まむ

受賞せし吾子は障りの中に在り
        命の限り歌を詠みたる

ほめ言葉受けし君の背丸まりて
      白きハンカチ握りしめをり

貧しくも尊しと思ふ一日よ
      母の好みしコスモスの咲く


それは突然やってきた
                          A.Y.I
 
1月18日(水曜日)夕方、思いもしない事が現実に起こってしまった。以前このコーナーにも載せていただいた、我が家のアイドル、シーズー犬の“ゆず”がたった2時間で神様のもとに旅立ってしまったのだ。
 夕方、きっかり5時になると時計を見ながら私達の顔を見る。それがWごはんだよ“の合図。その日も5時少し前に仕度をして“ゆず、ごはんよ。今日は(乾燥の)マグロだよ”と。しかし一向に食べない。食べないどころか横になってしまい急に呼吸が荒くなったのだ。これはおかしいと思ったものの行きつけの病院は定休日。トリミング等をお願いしている近所のペットスパの方に聞いてみると“ララガーデンの病院は遅くまでやってるから行ってみたら?”と云われ、毛布にくるんで夫と連れて行った。行く途中車の中、私が抱いていると更に苦しそうにした。
 検査の結果“かなり危ないです”と。“なんで?さっきまで元気に動きまわっていたのに。何で?”治療を待つしかない時間の長く感じる事。必死に神さまに祈っていた。“肺に水がたまりそれを吐かせたら血が混じっていて、多分心臓の総合弁に何らかの異常がある・・・・”と。“心臓!?”今まで2週間に1度アレルギーの為に通院していたが、言われた事は全くないのに・・・・。なぜ!?
 病院に着いて約1時間半後の19時18分、天国に召されたのだった。30分間ドクターが必死に心臓マッサージをしてくれて何とか戻ってとの思いも届かず。でも意識のあるうちに“ゆず・・・・”と声をかけると夫と私の顔をしっかり目を開けて見た。何か言いたげに。きっと“ごめんね”か“パパ、ママ、バイバイ”か“ありがとう”なのか?そのどれだかだと思う。そして目を閉じた。泣きながら、マッサージをして下さるドクターに私達は、“先生、もう戻らないなら充分です。後は早くやすらかに眠って欲しいです”と。
 酸素吸入もいろいろな管も外され、呼吸は止まった。わずか8年3ヶ月の命。しかしあの子は人が好きで人に好かれておとなしくて全く吠えることもなく・・・・いい子すぎたのかな?言葉の伝わらないもどかしさ。
 まだ気持ちの整理がつかず、何をやっているのだろう・・・・という事が始終おきる。少しだけ神さまをうらんだりもした。でも今は神さまのもと、天国で自由気ままに走り回る姿を思い浮かべようと思う。“ゆず、ありがとう。愛してるよ” 

こんにゃく物語(118)
―南枝向日(なんしこうじつ)―
                                         S.M
 
身体のあちこちが痛んで、つらい冬ですが、「2月」はもう春の予感がして、心が少しづつ浮きたってきます。皆さまお元気で冬をのりきられましたでしょうか? 2月の私の計画表はデイケア1週2回で1回4時間、ヘルパー3回、他に医者通いに、等々結構いそがしいのですが、本当に有り難い事に、同じ地区のDさんが、テニスの帰りだからとおっしゃって、だいたい水曜日おいそがしいのにお寄り下さり、教会の方々のお元気な御様子を教えて下さり、私は暖かくなったら、もっと教会に行ける様、心待ちにしています。本当にコトコトと希望が湧いてくるのは、皆様方の活躍ぶりです。最近お聞きしたことでは、幾人かの方が春日部のイオンで、遠藤周作氏の「沈黙」をご覧になっていられたとうらやましいお話でした。
 私も上野の科学博物館の「ラスコー展」に行きたいなぁと思ってはいますが身体との相談です。それにTさんに教わってアイパットの使い方、加齢と共に忘れかけてしまって!・・・早く春よ来い! それに「古代歴史文化賞」大賞受賞田中史生さんの本を読みたい!
―神父様はじめ皆様元気で!―
ご降誕おめでとうございます!
                     

(「智も手も」No350 2017年1・2月号  2月26日発行より)



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