〜第三話(上へ、上へ。その2)〜
時はそれから1週間が過ぎた。
2回目のチャレンジでコウヘイは見事中型免許を取得した。
しかし、その日は木曜でコウヘイが休みであるにも関わらず、俺が何らかの用事でイッチャンの家に行けなかったのだ。
コウヘイは、前回の想像どおり、合格したその日、ピカピカの免許とバイクをイッチャンに見せびらかしに行ったらしいが・・・
そのことはやはり某情報筋から俺は入手した。
時は3月中ごろであったと思う。
俺は高校1年生、まもなく春休みだ。
コウヘイが免許を取得し、しばらくしたある日、コウヘイから電話がかかってきた。
その内容は・・・
「むっちゃむかつくねん・・・ 仕事先の先輩にいきなりこかされた・・・」
とのこと。
まだバイクを見ていない俺は、とりあえずバイクを見せろと、こけたこけなかった関係無しにコウヘイをその日の晩に呼んだ。
とにかくバイクが見たかったので、コウヘイが、こかされてへこんでいようとどうだろうと俺には関係の無いことだ。
コウヘイは仕事が12時半くらいまでなので、うちの家まで来た時には1時ころになっている。
そう、思い出した。あれは水曜日の晩だ。
俺は次の日学校があったが、バイク見たさにわくわくして家でじっと待っていた。
時間は午前1時。
外で車では無いエンジン音がする・・・。
おれは自分の部屋の(二階)窓を開け、外を見た。
光り輝くヘッドライト。
真っ赤に光るテールランプ。
爽快なふけ上がりを見せるエンジン。
今まで間近で見たことが無いようなもの(気にして見ていなかっただけだと思う)が走ってくる。
今でもその時のことは深く印象に残っている。
そしてそのバイクは俺の家の前に止まった。
今となってはそんなに感じないだろうが、アイドリング中のドウドウドウ・・・という音がものすごく印象的であったのを覚えている。
その時初めて俺は、コウヘイに先を越されたことを実感することになる。
俺は家を飛び出し、コウヘイのところへ向かった。
間近でみたそいつは、400とは思えないでかさであった。
当時、RFやZZRはヨーロッパ輸出向けでもともと600ccのエンジンを積んでいた。それを当時の日本の規格に合わせるため、398ccのエンジンを積んだのだ。
もちろん、当時は大型に乗っている人間は珍しく、圧倒的に中型車が人気であったのだ。そのため、ボディーサイズは600ccクラスで、その大きさに圧倒されてしまった。
コウヘイが行った。
後ろに乗ってみるか?
俺はうなずいた。(免許を取得して1年以内は二人乗り禁止です)
コウヘイの後ろに乗り、そこから見た景色は、いままで味わったことの無いものであった。コウヘイが走り出す。
これも今では何も思わないが、バイクの加速というのは、車の比では無い。
勿論、スポーツ車の加速は速いが、背中にぐっと来る加速感と、背もたれも何も無いバイクの加速感はまったく別物である。
そして、ブレーキの制動力の強さ・・・。
バイクの乗り方なんでさっぱりわからない俺は、思うがままに前後左右に振られ、生きた心地がしなかった。
さらにコウヘイが直線でアクセルを開けた。
その加速たるやこれまたびっくりの代物で、スピードで息が出来なくなり、周りの景色はさっぱりわからなくなり、俺の脳みそは上空8万メートルくらいを浮遊していた。
へろへろになり、コウヘイのバイクから降りた俺は、原付との次元の違いに驚かされ、完全にコウヘイに突き放された気分になった。
それは・・・。
コウヘイは板前と言う仕事の基、給料もあり、社会性もある。
であるからして、免許を取っても自分の責任においてバイクをローンで購入することも出来る。
当時16歳の俺は、つまらない高校に在学中で頭も悪けりゃ金も無い。
さらには校則や両親にしばられ、好きなように生きるのは、親元を離れ、すべて自分の責任で出来るようになってからである。
そこに圧倒的な差があったのだ。
〜付録3 もの思ふ俺〜
本編でも言ったが、俺はなぜ、高校に行ったのだろうか。
”なんとなくみんなが行こうとするから”が答えである。
自分の将来を自分でしっかり見つめなさい、なんて先生は言う。
その先生たちが中学生の時、しっかり自分の将来のビジョンを捕らえていたとは思えない。
俺は他人と同じ事をするのが嫌だ。
いつも世間の流行と逆行してきたつもりだった。
みんながやってるから・・・がものすごく嫌いであった。
しかし、高校受験のとき、おれはそのみんながやってるから的考えに身を任せる事になってしまう。
将来の就職のためには学歴が必要。
その固定観念を最近の不景気は見事にぶちのめしてくれた訳だが、まだまだ学歴最優先で特に何をしたいと言う夢も希望も無く、俺は高校を受験し、入学した。
3馬鹿のうち、高校に行ったのは俺だけである。
イッチャンとコウヘイにかんして深くは言わないが、コウヘイは板前の修業に出て、今となっては自分の店を構えるまでになっている。
イッチャンも専門学校で学んだ技術を十分に発揮し、職場ではホープとして将来を期待される存在になっている。
その中に普通に高校に行き、将来の自分もまったく捕らえられていない俺がいる。
俺は本当につらかった。
今でもコウヘイやイッチャンがしっかりとした職で固定した収入があるのに対し、俺は収入も不安定で、親に迷惑ばかりかけている存在である。
それは”みんながやっているから”的考えや当時の社会事情から一歩前へ踏み出せなかった俺の大きなミスである。
俺は高校卒業後、なんとなく受けた大学に落ち、浪人するものの再度落ち。
まぁとりあえず、周りの目があるから・・・大学を受けてはいたが、社会が実力社会になり、大卒もへったくれも無くなるだろうという俺の考えがあったから、そんなに本気で大学に行く気はなかったのではあるが・・・。
その後、コンピューターの専門学校に進んだ俺は、そこでみんながやるから的な就職活動(どこでもいいから就職したい)を絶対にしたくはなかった。
進路部なんて一度も踏み入れたことが無い。
せめて若いうちに他人と違うことを成し遂げたかったのだ。
就職難でコンピュータ系の学校に行っているにも関わらず食料品販売員とか、わけのわからん仕事で納得したくなかったのだ。
こうなったら、自分で仕事をするしか無い。
日本人の大半が嫌がる社会のレールから脱線する道を俺は選んだ。
その後一年は浪人生活を送ることになるが、自分たちではじめようとした仕事や、また回りのバックアップしてくれる企業にめぐりあえた事もあり、何とか死なない程度に生活できるようにはなっているのだが、これまた超不安定。
一緒に働いてくれている同士にこころから謝りたい。頑張るからもう少し辛抱してください。
社会のレールから脱線し、周囲の人間や親に多大な迷惑をかけまくっている俺。
いつか必ずその恩は返すからな。
〜付録3 完〜
コウヘイとの差は前述したとおりである。
要はいくら頑張って免許を取っても、バイクを買う力なんて俺にはなかったのである。
しかし俺のバイク欲しさには完全に火がついてしまい、もうどうしようもなくなっていたのである。
そこから俺は”せめて免許だけでも所得作戦”を実行することになる。
まず、金。
それは、今までお年玉や小遣いをちょくちょく貯めていた分がある。それを使えば何とかなるはずだ。
次に問題なのが、親父である。
親父は今は丸くなっちまったが、非常に厳しかった、夜遅く出歩いてもだめ、でかい買い物を勝手にしてもだめ、などなど。バイクに関してはさらに厳しく、自分で社会的に責任が取れない間は言語道断。と言う感じ。
俺がバイクを手にし、乗り出すまでの間、俺の長くて遠い戦いが続くのであった。
しかし、親父は校則がどうとか言うのはまったくお構いなしではあった。
免許だけでいい、という、耳から脳みそがたれてきそうなほどの俺の説得に親父は納得し、免許を取ることを認めてくれたのである。
勿論未成年なので、教習所に入所するためには親の許可が必要であったのだ。
あと最後の問題。
時間である。
さすがに学校を休んでまで教習所に通っていては、親父に半殺し&市中引き回しの刑にされてしまう。それはさすがにまずい。
となると学級期間が勝負となる。今は3月末・・・・
そうか、春休みだ。春休みは2週間ある・・・。
俺は次の日、速攻で教習所に電話した。
「中型免許を取りたいのですが・・・」
教習所の人曰く、教習にはいろんなコースがあって、基本的には自分があいている日を選択して、半年以内に全過程をクリアすれば卒検が受けれるとのこと、さらにその後平日に運転免許試験場で学科試験を受け免許がもらえるということだった。
俺が時間が春休みしかないと伝えると、あさって入所してもらえればそこから2週間コースに参加できるので4月7日には卒業できますよ。
しかーし、
一回でも補修を受けることになったり、卒業検定に落ちたりした場合は勿論時間は延びてしまうので2週間というのはあくまでも目安です・・・と。
その2週間コースというのは、強制的に教習所の方でスケジュールを組んでくれる代物である。今は3時間であったと思うが、当時の中型二輪の実技講習は、法令で一日2時間までと決められていて、後の時間は学科に回すということだった。なので一日2時間いっぱいいっぱいで組んであるスケジュールで一回でも実技の補修を食らうと自動的に一日スライドしてしまう。おまけに卒検が当時毎週水曜日、土曜日しかなかったので一日ずれると次の検定まで待たなければいけないというスリル満点のものであった。
簡単に言うと水曜日に入所して、翌々週の水曜日に検定試験が行われるのでそれに合格すれば次の日に試験場に行くことが出来る。というわけだ。
卒業予定は4月の7日(水)春休みは4月8日まで。
9日からは何も無かったような顔をして学校に行かねばならない。
最終的に3年間学校を一度も休まなかった俺にとって、学校を休んで試験に行くなんて事は考えられなかったのである。
その背景には39度の熱を出しても学校に行かしやがった親父がいるのだが・・・。
つまり、入所から免許交付まで、何ら一つでもミスを犯すと・・・
夏休みまで免許が取れないという最悪の事態を起こすことになる。
コウヘイが一度落ちているだけあって、さすがにこいつは緊張もんだ。
大学受験より本気で取り組まないと・・・
俺は教習所にそのコースでいいから予約させてくれと頼み、(後から聞いた話、やはり春休みは学生に人気が高く、後数人で締め切りであったらしい、あぶないあぶない・・・)それまでに親父を強制的に連れて行き入所手続きをとったのであった。
とりあえず、なんの下調べも無く入所してしまったのはいいが・・・
教習所までは結構距離があり、自転車で行くと結構泣きそうなきょりである。
教習所から送迎バスがあるので、それを利用することに決めたが、俺の家の方は最後の最後に巡回するので帰りはいつも1時間くらいかかる。
おまけに悪魔の九条通り渋滞がかさむので帰りに使うならともかく、行きに使うと遅刻すること間違いなしである。
仕方ないので行きはおかんに車で送ってもらう手段を使った。
最初の日にスケジュール表をコースの人間はもらうが、おれはそれを見てビックリした・・・
朝9時の1限目〜早いときで4時、遅くて7時まで予定をぎっちり入れられていたのだ・・俺は大企業の社長になった気分だった。
おまけにくそ迷惑なのが、最後の方になるとうまく学科と実技が連携しなくなり、おまけに学科がダブってきたりするので中途半端に3時間空いていたり、下手すりゃ朝1限だけで後は全部昼からとかいうスケジュールになってしまうのだ。
乗り物がまったく無い俺にとってはこれは地獄である。
ちょっとその辺のファミレスで時間を・・・というほど金に余裕も無かったのでしかたなく一人寂しく時間をつぶすことになる・・・。
さらに今回はイッチャンやコウヘイに何も言っていない。
俺はコウヘイどころかイッチャンまでも驚かしてやろうと騙しつづける事を心に決めていた。それが裏目にでて、休み時間に相手してくれる人間がいないことを知るのは後になってからである。
もちろん、学校が休みなのは二人とも知っているので、二人には学校の講習があるなど適当なことを抜かして遊べないことを伝えていた。
ここから俺にとって最初で最後の失敗が絶対に許されない教習所生活がはじまるのであった。
〜その3へ続く〜