硝子の靴
自室の窓から月を眺める。
天が藍の帳に包まれる刻限、風が素肌に少しだけ冷たい。
足首のあたりに、さらりと布の揺れる感覚。
久しぶりに着るドレスなんぞというものは、どうも足元が心もとない。
動きにくいし、第一寒い。
・ ・ ・憧れが、なかったわけではない。
せっかくの宴、せっかくだからドレス姿をと口々にせがまれて。
男どもだけならともかく、年若い少女達にも期待の眼差しを向けられて、つい承諾してしまい。
騎士だから、似合わないからと駄々をこねながらも、いざ店へ赴けば心は躍る。
連れの男もいつになく楽しげで、自分以上に熱心に店内を見回った。
そして得意げに選んできた服。
淡い菫色のドレス。
滑らかな光沢、流れるようなマーメイドライン。
綺麗だと思った。
瞳と髪の色によくお似合いですよ、と店員にも薦められて試着する。
・ ・ ・慣れっこだったが、やはり丈が足りず、胸もきつい。
結局、同じデザインで新しく仕立ててもらうことになる。
パーティ当日に届いたそれは、頼もしい女性陣の力を借りて着付けられた。
髪を結い上げ化粧を施す器用な手。
感心しているうちに支度は万全に整えられ、完璧と太鼓判を押された。
そこら中から投げかけられる視線。――きっと、好奇の。
慣れないヒールにふらつきながら、裾を踏まないのが精一杯。
滑稽極まりない姿。
口々の賛辞と笑顔、皆が気を遣ってくれる。
判っていても、口に出してけなされれば女として悲しいから。
勿論ダンスは遠慮して、壁際の椅子に陣取る。
華やかな音楽にさざめく声。
皆がそれぞれに着飾り、楽しげに宴に集う。
そんな仲間達の姿を見るのは嬉しい。
喜ばしいことだと思う。
不快なことがあったわけではないが。
なんとなく、部屋に戻って来てしまった。
「お水を持って参りました。」
「ああ、ありがとう。」
会場から出るのに気づいたパーシヴァルは、引きとめるでもなく部屋までついてきた。
何も言わず、何も聞かず。
差し出された冷たいグラスを一気に傾ける。
ワインと熱気で火照った体に、冷たい液体は心地よく浸透した。
月の光の中に佇む恋人の姿に、思わず溜め息が漏れる。
淡い菫色を纏った女神。
結い上げられた銀糸にも、そろいのリボンと花飾り。
大きく開いた胸元には華奢な銀鎖のネックレス。
すらりと伸びる腕の先にも、上品な紫水晶が飾られている。
白さの際立つ細い肩。
滑らかに悩ましげな腰のライン。
清楚な中に漂う色香。
パンプスを脱いでしまったためにドレスの裾は引きずっているが、それすらどこか倒錯的。
自信を持って選んだドレス、ここまで着こなせる女性は他にはいまい。
支度を終えて部屋から出てきた瞬間、自室に連れ帰って閉じ込めてしまいたかった。
見せびらかすより独占したい。
なんて魅力的な姿。
案の定。
一歩外に出れば、老若男女を問わず城中の視線を釘付けにする。
ぎこちなくはにかむ仕草がまた愛らしく。
誰だって見惚れるというもの。
彼女を女神と崇拝する騎士団連中に至っては、声をかけることもできない始末。
そっちは良しとしても、なんとか近づこうとする身の程知らずが後を絶たない。
無防備に笑顔など向けてしまうものだから、牽制する方も楽ではないのだ。
そんな風で。
それなりに楽しんでいるご様子、だったのに。
特に気分が悪い訳ではあるまい。
酔うほどに飲んでもいない筈。
気づけば、ふらりと出て行く後姿。
呼び止めたときの、曇りのある表情。
理由は聞かない。
ヒールを履いた足取りの覚束ないのを口実に、堂々と腰に手を回して歩く。
これ以上、他の男の目に晒したくないのが本音。
夜風に乗って会場の音楽が聞こえてくる。
皆、飲んで踊って楽しんでいるだろう。
自分一人くらい抜けても判るまい、と思う。
靴擦れした足も痛くて、戻る気にはなれなかった。
カーペットの上、裸足の踵はひりひりしている。
「足の方は如何です?」
「ちょっと擦りむいたくらい。よくもこんな靴で踊れるものだな。」
思い浮かんだのはリリィの姿。
ふわりと広がる深紅のドレス。
彼女のヒールはクリスの倍はあった筈。
裾を踏むこともなく、たじろぐボルスの手を引いて優雅に踊っていた。
何やら悪態をつきながらではあるが、そこは揃って育ちの良い二人。
ダンスの技量も堂々たるもので、なかなか絵になっているのだ。
それに比べて私は、という思い。
・ ・ ・ ・ ・ ・起こらなかったとはいえない。
「ああいう席はやっぱり苦手だ。」
「社交界の華ともなれるお方が勿体無いことです。」
「本当にそう思うか?」
「まさか。貴女のそんなお美しい姿、そうそう人目に晒されては堪りませんよ。」
飄々。
パーシヴァルの手が腰に回される。
もう片方の手で開いたグラスを受け取り、側のテーブルに置いた。
「よくお似合いです。本当に ・ ・ ・言葉もありません。」
さっきまで散々、歯の浮く世辞を並べていたくせに。
疑うような目つき。
そんな眼差しすら挑発的に見えてしまう。
何がそんなに気がかりなのです?
これほど多くの人間を虜にしておいて。
拗ねるように、憂うように俯く姿が、どれだけ男心を煽るか知らないんですか?
「リリィとクィーン殿のお蔭だ。服はお前の見立てだし。」
「嬉しいことを仰って下さる。」
「ただ、なんとなく。」
「なんとなく?」
「 ・ ・ ・私は一人で化粧も出来ないし、髪もまとめられないし。こんな格好をする資格は、たぶんないんだろうな、と思って。」
剣に誓いを立てた自分。
これはほんの一晩、魔法をかけられた仮初めの姿。
魔法は解けるから。
そう思ったらいたたまれなくなった。
硝子の靴は砕けてしまった。
「魔法は12時まで。 ・ ・ ・ ・ ・ ・こんな姿は滑稽だ。」
滑稽どころか、ね。
どうしてここまでにぶいんだろう、この人は。
どうして気づかない?
この愛らしさ。
貴女が英雄だから気を遣っているわけではないのに。
・ ・ ・魔法にかけられたのはこちらの方。
「では、解けない魔法をかけて差し上げましょう。」
抱きしめられて軽くキスをされて。
慌てて逃げ出そうとした時には、しっかりと横抱きに抱き上げられていた。
「ちょ、パーシヴァル!」
「ご存知ですか?何故、硝子の靴は12時を過ぎても消えなかったか。」
突然なに?
そのまま首を振る。
パーシヴァルは微笑んだ。
「解けない魔法ってあるんですよ。」
ベッドの上、ぽすんと下ろされた
仰向けに両手を掴まれたまま、首筋に濡れた熱の感覚。
胸や肩が露出した服が、今更ながら恥ずかしい。
「貴女が俺にかけたでしょう?」
「ぱーし、ヴァ、る、」
耳たぶを甘噛みされて。
跳ねそうになる身体を必死に押さえる。
滑らかな絹の手触り。
その向こうの小さく震える体。
酔いとは異なる熱が、白磁の肌を覆う。
いつもと違う優雅なドレス。
・ ・ ・脱がせるのも楽しみなんて、言わぬが華。
身体が火照る。
抗えない。
リボンをほどくと流れる銀糸。
ふわりと香る甘い香り。
髪の先まで口付ける。
素肌に触れればぴくんと跳ねる体。
漏れる吐息が甘くなっていく。
いやなのに。
・ ・ ・ ・ ・ ・いや、じゃないけど。
だめだ、溶けて、しまう ・ ・ ・
冷めない熱。
溶け合う体。
心まで重ねて離さずに。
約束の印を刻む、これは誓いの儀式。
だめ、
とろ、け、て ・ ・ ・ ・ ・ ・
その体に刻み込んで、心まで縛るように。
魔法をかけて差し上げましょう。
決して解けない、とっておきの魔法を。
気がつけば夜も更けて、流れていた音楽もとうに絶えている。
月光が照らし出す宴の名残。
床に投げ出された菫色。
熱を帯びた体はだるく、頭は半分微睡みの中。
「硝子の靴、ちゃんと履いていたでしょう?」
囁かれるのは、相も変らぬ飄々とした声。
少しだけ悔しい。
馬車はかぼちゃに戻っている時間。
お伽噺と人は笑うけれど。
「失くさないで下さいね?」
「 ・ ・ ・お前もな。」
消えなかった硝子の靴。
魔法は確かにかけられた。
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栗祭り出品作品。お題は「ドレス」で裏風味を目指したらしいもの。
裏は ・ ・ ・私には難しいっす。