誓い
「結婚してください。」
見渡す限りにうねる緑の波。一面の若い麦の穂が、草原を渡る風に歌いながら揺れている。
緑の海のただ中に立って、遥かな地平を見晴るかしていた。
その視線を彼方に投げたまま、クリスは動きを止める。
言葉を発した傍らの男は、真っ直ぐな視線をクリスに注いでいた。
天球を包む大気の青と、風をも染める若い緑。
血と炎に踏みにじられながら、大地とたゆまぬ人々の努力が、蘇らせた故郷の風景。
そこに立って、パーシヴァルは愛しい人の名を呼び、簡潔にそう告げた。
視線の先の女性は、横を向いたまま静かに俯く。
今までにも何度か、遠まわしに同じことを言った。その度、話をはぐらかされた。
不器用な話の逸らし方から、無意識でないことくらい察しがつく。
俯く理由は判らない。だが、重ねた心と身体に偽りはなかった筈。
諦められるわけがない。
だから、ごまかすことができないよう、飾らずに言う。
「貴女がこの腕の中にいてくれる。それだけで幸せです。」
表情を消して俯く、その反応は少々痛い。けれども、クリスの横顔を見つめ、パーシヴァルは続けた。
「でも形にしたいんです。世界中の全ての人に、貴女は俺のものだと示したい。
俺の我侭です。貴女には俺だけの女神でいて欲しい。だから・・・。」
そこで、パーシヴァルは気づいた。俯いて風に銀糸をなびかせた、クリスの肩が小さく震えているのを。
「クリス様!?」
驚いて覗き込もうとするのを、クリスは首を激しく振って拒んだ。涙の飛沫が風に散る。
抱き寄せようとするパーシヴァルの身体を、両腕を突っ張って遠ざけた。
伸ばした手も振り払われて、パーシヴァルは半ば呆然と立ち尽くす。
――そんなにも、嫌ですか。
こみ上げるやるせなさが言葉になろうとした時、嗚咽に似た声が、小さく漏らされた。
「・・・う、して。」
消え入るような吐息と呟き。
「どうして、そんな約束ができるんだ?どうしてそんなに優しい?・・・私なんかに。」
嫌悪も拒否も含まない声だった。目の前の女性は、ただ何かに傷ついて泣いている。
パーシヴァルはもう一度手を差し伸べた。
無造作に振り回す腕を軽くいなし、手首をそっと掴むと、突っ張った肘はがくりと折れた。
銀糸が乱れて風に舞う。細い手首に回した指に、縋られるような重みがかかった。
「・・・怖いんだ。判らない。これ以上お前の存在が大きくなったら。・・・失った時、私は壊れてしまう。」
震える細い肩を、パーシヴァルは抱き寄せた。クリスも素直に身を任せる。
頭を撫でてやって、ようやく漏らされる小さな嗚咽。その声を肩に聞きながら、パーシヴァルは抱きしめる手に力をこめた。
判っていた筈なのに、唐突にさらけ出されて、その脆さを実感する。
望まないものを押し付けられ、望んだ多くを失った。自分を愛する術を知らない女神。
だから離せない。抱え込んでいたものを、そうやって今全て溶かしてしまえばいい。
触れていいのは自分だけ。腕の中で頼りなく震える姿が何より愛しく思えた。
吐息混じりに零される心の内。それは滑稽なくらいに頑なな、彼女のわだかまり。
こんな弱さを誰が知るだろう。
「信じられない、わけじゃない。判らないのは自分の方で。
だってお前は知っているだろう?白き乙女とか銀の女神だとか、そんなのはただの幻想で。
ただの女性としてなら、余計に救いようがない。汚れた手・・・料理も裁縫も何一つ出来ない。可愛げもない。それに・・・。」
際限なく紡ぐ唇に、パーシヴァルは指を押し当てた。
痛々しく濡れた瞳に笑いかけて見せる。
――彼女にとっては大きなわだかまりも、俺には些細なこと。
指を退けて、赤く腫れた目許に口付ける。唇で溢れる雫を優しく拭いとった。
瞼を開ければ、濁りのない瞳がパーシヴァルを見上げる。
こんな顔を、他の誰に見せられる?
「どうして、私なんだ?」
「貴女が貴女だからです。」
子どものような光を宿して見上げる紫水晶。銀に縁取られた至上の宝石。
誰にも渡しはしない。決して離さない。
その想いの全てを、澄んだ紫に注ぎ込む。
「貴女がどんな道を選んでも、俺は貴女と共に在ります。貴女を愛し続けます。
生涯をかけて幸せにします。あらゆるものから貴女を守ります。
俺に生きる意義があるとしたら、それは貴女だけです。」
紫が、揺れた。
「そこまで言われると、何も返す気がなくなる。」
凍てついていたものがようやく綻ぶ。
微笑んだクリスの目許は、再びうっすら潤んでいた。
そこに世界で一番美しい女神がいる。
「俺と結婚してくれますか?」
「・・・はい。」
抱きしめた腕の中の、何より愛しい女性。
遠慮がちに抱きしめ返す力が、他には何も要らないと心底思わせてくれる。
滑らかな銀糸に何度も口付けた。
「私を選んだこと、後悔しても遅いからな。」
「する筈がありませんよ。何度でも誓ってみせます。」
「お前の誓いは十分聞いた。・・・だから。」
クリスは首に回した腕を解いた。残った涙を手で拭い、顔を上げる。
「聞いて。パーシヴァル。」
銀糸をかきあげて、紫の瞳が真っ直ぐに見つめた。
「剣への誓いなどと、無粋なことは仰らないで下さいね。」
つい口を突いた照れ隠しには、軽い拳が返される。少し照れたように目を伏せて、茶化すな、と呟いた。
そのまま、右手をそっと俺の胸に添えて。
「女神に誓う前に、お前に誓おう。」
紫水晶が鮮やかに輝く。
「私クリス・ライトフェローは、生涯を、パーシヴァル・フロイラインと共に。」
凛とした光を湛えて、晴れやかに笑う。
それは全てを手に入れた瞬間。
「愛してる。」
うちのパーシィさん、何の躊躇いもなくこんな言葉を吐きます。言わせたくて書いたんですな♪
騎士なら剣への誓い?婚約は神様への誓い?と考えつつ、やはりクリスのような人なら自分と相手への誓いが一番重いだろうと。
私の書く二人は、今までも、これからも、たぶんこんな感じです。
サイト開設一周年記念で、フリー配布したものなのでした。(現在は期間外です。)
2004.2.9