カスミソウ
そろそろ昼時だな。
今のところは順調だ。
石畳の上を歩きながら、クリスは一日の予定を確認していた。
ブラス城に詰めて、今日で一ヶ月になる。
期間としては珍しいものではない。
仕官すれば年単位で故郷を離れる者が殆どで、騎士団が第二の家となってしまうものだ。
クリスにとっても、以前はそうだった。
結婚して子どもを持つまでは。
今、幼い一人娘は、クリスの生家で両親の帰りを待っている。
幼い頃のクリスと同じく、忠実な執事と一緒に。
仕方ないとは思う。
父親はゼクセン屈指の騎士であり、母親であるクリスに至っては騎士団長なのだから。
できるだけ一緒にいられるように、時間を見つけては少しでも家に顔を出すように心がけてきた。
しかし、それにも限界がある。
今日で一ヶ月。
たったそれだけの期間が、いつになく長く感じられた。
執務室に帰って、残っていた書類を決裁したら昼食にしよう。
午後に着く予定の報告次第で、今晩は遅くなるかもしれない。
昼休みは短くとって、早いうちにできることから片付けてしまわなければ。
予定通り明日には帰れるように。
…良い子にしてるかな。
「かあさまー、おかあさまー。」
ちょうど思い浮かべていた声が聞こえて、クリスは顔を上げた。
振り返ろうとして、はたと気づく。
その声の主、ビネ・デル・ゼクセの実家に預けている娘が、ブラス城にいる筈はない。
気のせいか、私も親ばかだな……と、クリスが苦笑しかけた時。
「お・か・あ・さ・まあーっ!」
ようやく振り向いたクリスの視線の先に、いる筈のない娘が笑顔で手を振っていた。
もう片方の手をつないで、傍らに立っているのは馴染みの深い執事の顔。
申し訳なさそうに佇んでいる。
執事の手をもどかしげに引っ張る娘・リデルに、クリスは小走りに駆け寄った。
「リデル!」
「かあさま、来ちゃった。」
「どうしたの。明日には帰るって言っておいたのに。」
「あのね、かあさまのお迎えしたかったの。今日会いたかったの。」
満面の笑顔で、リデルは母親に抱きついた。
まだクリスの腰にも届かない背丈なので、足にまとわりつくような格好になる。
その髪をくしゃくしゃと撫でながら、クリスは遅れて歩み寄ってくる執事に顔を向けた。
頭を下げようとする老執事を苦笑で制する。
そのやりとりに、リデルは少しばつが悪そうに、クリスを見上げた。
「じいを叱らないでね。リデルが頼んだの。」
判っているわと答えてから、執事に向かっては、手間をかけてすまないと謝った。
困り顔の執事を泣き落とす娘の姿が目に浮かぶようだ。
天真爛漫なだけに、おねだりと涙には誰もが弱い。
執事は頭を下げたあと、立派にお留守番なさっていたのですよ、とフォローした。
苦笑交じりに眉根を寄せる母親に、リデルは懸命に主張する。
「ずっといい子にしてたのよ。ほんと、ほんとよ。」
「それで最後の最後に我慢できなくなっちゃったのね。」
「…だって……。」
「判った。ごめんね、寂しい思いをさせて。」
いつでも傍にいられないことを、申し訳ないと思っている。
クリスはしゃがみこんで娘を抱きしめた。
無粋な甲冑の硬さにもどかしさを感じながら、優しく抱く。
慣れっこのリデルは全く気にせず、クリスの首にぎゅっと抱きついた。
「お仕事してるかあさま、好き。とうさまも。かっこいいもの。」
「ありがとう、リデル。」
「おとうさまにも会える?」
「んん……たぶん。」
たぶんどころか。
娘が来ていると知れば、何を置いても駆けつけてくるに違いない。
しかし、パーシヴァルはあと5日ほど騎士団を離れられないのだ。
そこで娘の顔を見たら、今日にも帰ると言い出しかねない。
クリスが躊躇っていると、リデルはぴょこんと頭を上げた。
そして身を翻す。
「サロメおじさまだ!」
通りかかったところを見つけたらしい。
リデルは大きく手を振って駆けていく。
その先に、顔までは見えないが、見間違えようのない立ち姿があった。
大方、サロメは籠絡されて、パーシヴァルの居場所を教えてしまうに違いない。
クリスはため息をついて、黙って控える執事を顧みた。
「近くに宿をお願い。私とリデルとじいの分。」
「旦那様の分はよろしいんですか?」
「泊まると言ってもだめ。仕事があるんだから。
……今日はだめだけど、一応、もう一人泊まれる部屋を。」
「かしこまりました。」
「かあさまー、おじさまが連れて行ってくれるって!」
嬉しそうなリデルの声が聞こえる。
遠くて見えないが、傍らのサロメの表情が浮かぶようだ。
クリスは了解の合図に手を振る。
「……もう、みんな甘いんだから。」
自分も含めて、ね。
クリスの内心を察して、執事も微笑した。
サロメに限らず、騎士団の面々に、小さなお姫様に逆らえる人物はいない。
遠くから、はちきれそうに尾を振る仔犬のように、リデルが呼んでいる。
執事は静かに一礼した。
「では、行って参ります。」
「うん、お願い。今晩のレストランは私が予約しておくから。
…4人分、で足りるかしらね。」
執事の礼を背中に受けながら、クリスは娘のもとへ急いだ。
仕事を片付け、夫と娘を宥めて、平和に帰る方法を考えながら。

娘の名前はリデルです!個人的に思い入れがあって大好きな名前なのです。(以前ちらりと紹介したことも♪)
これ、収穫祭に書きたかったのですが、パークリっぽくないので没にしたものです。
箱入りになっているうちにデータが消えてしまったので1から書きましたが;
パーシィ・クリス夫妻は、娘が生まれてしばらくはイクセで子育てしていましたが、
二人が仕事に戻ってからはビネ・デル・ゼクセのライトフェロー家に移った設定です。
因みに、この夜は家族水いらずではなく、リデル嬢を囲む会に。アイドルですから(笑)。
霞草【Baby's breath】、花言葉は「切なる喜び」「清い心」「無邪気」・・・だそうです。
2006.1.7