緑風上々
黄金の矢が東の空から世界を射る。
まだ夜も明けきらぬ草原、丘の上には二つの騎影があった。
一人は髪の長さと線の細さから女性と判る。
風になびく直刃の髪は、だんだんと白くなる光の中に銀の煌きを放った。
白馬の上から明けていく空を眺めている。
「そろそろ参りませんか、クリス様。」
傍らの騎士が馬上から声をかけた。
もっとも、普段着に剣を帯びただけの軽装なので、傍目には騎士と判らない。
それは声をかけられた方も同じ。
クリスは頷き、愛馬の馬首をめぐらした。
パーシヴァルの隣に馬を並べ、ゆっくりと歩を進める。
「いい天気だな。晴れてよかった。」
「日頃の行いの賜物ですね。」
「…誰の?」
「もちろん、貴女と私の。」
パーシヴァルはにっこりと微笑む。
「折角クリス様からお誘いがあったのですから。雨を降らせるようなことは致しませんよ。」
「 ・ ・ ・ ・ ・ ・お前が、遠乗りでもどうかと書いて寄越したんじゃないか。」
「ええ、早速お返事頂けるとは光栄の極みです。」
「気晴らしに、ちょっと出かけたくなっただけだ。」
「はい。どこへでもお供いたしますよ。」
クリスの頬がほんのり染まっている。
ふいっと前を向いてしまった銀の乙女に、パーヴァルは笑みを深めた。
新しい城に移り、クリスはよく笑うようになった。
今まで接したことのない人々に接し、個性豊かな生き方に触れて、知らずに学ぶところも多いのだろう。
同性の話し相手が多いことでも、気が休まるに違いない。
ふとしたときに見せる表情が柔らかくなった。
それでも、上に立つという立場は変わらない。
責任感が強く、全てを背負い込もうとする。
それでも立っていられるくらいに強いから。
彼女は倒れるまで、いや、倒れても進もうとする。
傍らにある者にとって、その姿がどれだけ痛々しいか。
「少し、走りますか。」
パーシヴァルが軽く手綱を緩めると、愛馬は心得てたちまち駆け出した。
四拍子の緩やかな歩調が、軽快な三拍子に変わる。
大地を蹴る一定のリズムが全身に響き渡る。
人馬一体に駆けるなど、パーシヴァルには呼吸をするように自然なことだ。
クリスはその半歩後ろをついてくる。
こんなときでもなければ、パーシヴァルがクリスの前に立つようなことはない。
公衆の面前では、お互いに立場というものを熟知している。
彼女の盾となる時は別としてだ。
もっとも、表立って庇うような行為はクリス自身が嫌がるし、戦いの場で彼女に盾が必要なことはあまりない。
むしろその背中を守ることが自分の役目、とパーシヴァルは思っている。
掛け合うように響く蹄の音。
たまには、すぐ後ろの存在感を楽しむのもいいかもしれない。
やがて、森が切れて岩場に出た。
山というほどではないが、騎乗して登るには険しい斜面だ。
回り込まなければいけないか、とクリスは歩調を緩めた。
が、パーシヴァルはむしろ速度を上げて、そのまま岩場に突っ込む。
「あ、」
パーシヴァルの手綱さばきには定評がある。
栗毛の馬は騎手の意図を完璧に酌み、巧みに岩場を駆け上がった。
あっという間に、見上げる高さの頂上まで登り詰める。
馬を軽く宥め、パーシヴァルはクリスを振り向いた。
少し得意げな笑みを浮かべて。
クリスは素直に嘆息した。
「 ・ ・ ・すごい、パーシヴァル。」
「クリス様にも出来ますよ。上ってきてください。」
「む。」
クリスは岩場を見上げる。
急というほどの斜面ではないし、高さもそれほどではない。
パーシヴァルはいとも簡単に登って見せた。
だが、クリスの馬術はあくまで騎士として学んだ範囲のものだ。
騎士団で行軍するようなときには、大人数でもあるので、できるだけ平坦で通りやすい道を選ぶ。
ゼクセンの周辺は大抵が森か草原だから、敢えて困難な道を通る必要もないのだ。
当然、岩場を馬で登るような経験は、クリスにはない。
「私には ・ ・ ・ちょっと無理かな。あっちを回るよ。」
「クリス様なら大丈夫。いらしてください。」
「でも、」
躊躇うクリスに、パーシヴァルは信頼をこめた眼差しを向けている。
「無理と思っては駄目です。馬は乗り手の気持ちを敏感に察しますから。…クリス様なら、絶対に大丈夫。」
見上げる男の笑顔は、クリスに不思議な安心感を与えた。
改めて、手綱を握りなおす。
「うん、やってみる。」
岩場の上から、パーシヴァルが声をかける。
それに合わせて、クリスは静かに呼吸を整えた。
「大きく息を吸って、吐いて」
目を閉じて深呼吸する。
「胸を張って、」
背筋を伸ばし、顎をひき。
「まっすぐ前を向いて、」
余分な力を抜いて、目を開く。
「ここへ、来てください。」
白馬はいななき、果敢に岩場を登った。
駆けるではないが、安定して危なげなく。
パーシヴァルは少しの不安と絶大な信頼をこめて、馬上の女神を見守った。
「登れた!」
頂上に着いたクリスは、嬉しそうにパーシヴァルのもとへ駆け寄った。
息を弾ませながら馬を並べ、子どものように顔を輝かせている。
パーシヴァルは、その頭をくしゃくしゃと撫でた。
「よくできました。」
普段なら怒るであろうその仕草にも、嬉しそうに笑う。
「怖かったですか?」
「ううん、楽しかった。馬に乗ってこんなことができるとは思わなかったわ。」
気持ちが高揚しているのが判る。
クリスがそんな顔をするのは、本当に久しぶりのことだ。
「パーシヴァルのおかげね。ありがとう。」
言ってから、そのパーシヴァルがあまりに優しい表情をしているので、クリスは首を傾げた。
「?なに?」
「いいえ、私はほんの少し、背中を押しただけですよ。」
クリスはまだきょとんとしている。
パーシヴァルはその頬に手を触れた。
「必要として下されば、我らの手はいつでも差し伸べられています。貴女のために。」
その一言で、クリスはパーシヴァルの意図を悟った。
「 ・ ・ ・ ・ ・ ・私はいつも、みんなを頼っている。」
「もっと頼っていいんですよ。特に私には。」
「うん。」
頬の手は、見た目より力強くて温かい。
照れも俯きもせず、クリスは頷いた。
「今度は私が先に行こう。」
「ご随意に。ですが、私の道案内では不安ですか?」
「そんなことはない。ただ…」
クリスは微笑んだ。
「パーシヴァルは、後ろにいてくれる方が安心する。」
すぐ後ろにある存在感。
背中を任せられるということ。
「 ・ ・ ・ ・ ・ ・やられた。」
パーシヴァルが呟く。
銀の乙女は、自分の投げかけた言葉に気づきもせずに歩き始めていた。
「あ、ちょっと、」
「クリス様、追い抜いてしまいますよ。」
岩場を抜けると、パーシヴァルはいきなり足を速めた。
負けじとクリスもスピードを上げる。
二頭の馬は抜きつ抜かれつ、素晴らしい速度で森を駆けた。
太陽はまだ南にかかり始めたばかり。
今日は一日よく晴れそうだ。
実は他人様に公開した初めての作品なのです。
そんなものをお祭りに出品してしまうあたり、図々しいことこの上ない奴。小心者のくせに。
2003.2.9