秘密のこいびと
目覚めた瞬間、もやもやと重いものが胸をふさいでいた。
嫌な気分。
理由を思い出して、更に気持ちが下降する。
夢見も悪かったような気がする。内容は覚えていないが。
・ ・ ・だめだ。重い。
起きる気力も皆無。
原因は昨夜にある。
酒場の前を通りがかると、いつも通りに賑やかで。
たまに付き合ってみようか、などと思ってしまったのがいけなかった。
入り口でつい、足を止めてしまった。
聞こえてきたのが彼の名だったから。
「 ・ ・ ・ ・ ・ ・、パーシヴァル殿もなかなかのものだと聞きましたが。」
「ははは、佳い女でしょう?」
「ええ、大切にしているだけはありますね。」
「それは俺も紹介してもらわないと。」
「ではそのうちに。今度は私のローザラインも加えて頂きましょう。これは譲れませんからね。」
笑い声が続いた。
あとは耳に入らなくて。
そのままふらふらと部屋に戻って、そのままベッドに倒れこんだのだった。
・ ・ ・ローザライン。
知らない女性の名前。
私の、と言っていた。
佳い女だとも。
聞き違いかもしれないし、勘違いかもしれない。
そこまで不実な男でもない、と思う。
まさか。
でも。
胸の辺りがどんより重い。
クリスがなんとかベッドから這い出し、身支度を整えた頃、ノックが聞こえた。
気の抜けた返事にも、近侍の少年は礼儀正しく入ってくる。
「おはようございます。」
「おはよう、ルイス。」
勝手知ったる少年は、部屋のカーテンを開け、手際よく朝のお茶を淹れる。
湯気のたつカップを差し出し、クリスの手からはヘアブラシを受け取って、寝起きの髪を丁寧に梳く。
「いつもの形でよろしいですか?」
「頼む。」
破滅的不器用を自認するクリスの髪を、感心するほど器用に結い上げるのはルイスの仕事だ。
慣れた手つきで長い髪を編みこんでゆく。
時折鏡で前を確認し、そこに映る主を見て、手を一瞬止めた。
浮かない表情は、明らかに寝起きのためだけではない。
「ご気分が優れませんか、クリス様?」
「え? ・ ・ ・ああ、夢見が悪かっただけだ。」
それ以上何も言わなかったが、聡い少年のこと、それだけではないことなど気づいているに違いない。
やや躊躇って、クリスは口を開いた。
「 ・ ・ ・ ・ ・ ・ルイス、ローザラインという女性を知っているか?」
ルイスは軽く首を傾げる。
手元を気にかけながら、記憶を手繰っている様子。
「さあ、僕は知りませんけど ・ ・ ・ ・ ・ ・お探しなら調べてみましょうか?」
「あ、ううん、知らないならいい。気にしないで。」
よくできた少年は、やはりそれ以上追及しない。
釈然としない様子ながら、黙々と髪を手を動かす。
クリス様の気になさっていること。
なんだろう?
話したくないご様子なので尋ねはしないが、何か思い当てることはないかと考えてみる。
ふと、鏡の中の彼女が、ある物を見つめていることに気づく。
ガラス棚の中に大事にしまわれたオルゴール。
それが誰から贈られたものか、ルイスは知っている。
秘密の恋人。
本人は必死に隠している様子だが、半ば公認のようなもの。
ボルス卿あたりは例外として、近しい者なら薄々感づいている。
勿論、わざわざ確認するような野暮はしないが。
クリス様が無意識にあれを眺めているとき。
それは、彼との間に何か気まずいことがあったとき。
・ ・ ・ ・ ・ ・ローザライン。パーシヴァル卿。
「あ。」
なんとなく、判った。
クリスははっと目を上げた。
「どうかしたか?」
「もしかして ・ ・ ・。」
鏡の中のルイスは妙に得心のいった顔をして、唐突にくすくす笑い始めた。
「え、何?」
髪は結いあがっていたので、クリスは体ごと振り向く。
気持ちはお留守になっていながら、銀糸の編みこみは見事に左右対称、整っていた。
ルイスはこみ上げる笑いを抑えようと苦戦している。
「 ・ ・ ・、すみません、笑ったりして。」
「なに、判ったの、ルイス?」
真剣に、クリスはルイスの顔を覗き込む。
「クリス様はその女性、というか、その女性と親しい人なら心当たりがあるんですね?」
「 ・ ・ ・ ・ ・ ・うん。」
「その人に確かめてみたらよろしいんですよ。」
「 ・ ・ ・ ・ ・ ・。」
眉根を寄せる。
こんな唐突な言葉を、不審がる余裕もないご様子。
教えてあげない。悔しいから。
だって、その人のためにあんな顔をしていた。
オルゴールを見つめる、どこか切ない眼差し。
乙女の表情。
他の誰のためにも、そんな顔はなさらない。
心の中のただ一人のため。
――でも少し気の毒になって。
「大丈夫、クリス様がご心配なさっているようなことではないと思いますよ。」
「むう。」
「朝食をお持ちします。召し上がったら、探してみて下さい。」
ルイスは空になったカップを片付けた。
クリスが面白くなさそうに睨んでいるが、笑顔で受け流して部屋を出て行く。
残されたクリスは小さく溜め息をついた。
何のてらいもなく、甘い言葉を語る男。
自分から告げたことはないし、恥ずかしくてつき返してばかりだけれど。
そんなところも愛しいと言い放つ男。
余裕のある笑みを浮かべて、でも瞳は真剣で。
剣を振るうしか能のない自分を、一人の女として扱ってくれる男。
初めて全てを許した男。
寝覚めに感じた不快な感じが蘇ってくる。
悲しいような、腹立たしいような。
不快で、苛々して、落ち着かない。
初めて沸き起こる気持ちに、クリスはひどく戸惑っていた。