水の庭   celestial garden 2



クリスは案内するように、中央の水路に沿って庭園を歩き始めた。
水路は何本も絡み合うように配置され、地面に優雅な線を描いている。
木々に隠れて全てを見渡すことは出来ないが、相当の広さがあることが伺えた。
深い森の中とはとても思えない。

「特殊な場所、と仰いましたね。」
「うん。結界というか・・・閉ざされた場所だから。」
「結界、ですか。」
自分は入ってきてしまったが。
そんな心中を察するようにクリスが笑う。
「何かの拍子に綻びてしまうみたい。そうすると外の人間が入ってくる。」
・・・なんだそれは。
「それでは結界の意味を成さないのでは?」
「ふふ、確かにね。でもそうそうあることではないんだ。」
久しぶりの客だ、とクリスは言う。

無造作に裳裾をたくし上げる姿は、凛とした外見にひどく不釣合いだ。
そんな仕草のそこここがなんとも言えず愛らしい。
裾をつまみながら、子どものように両手で銀の器を抱えている。
お持ちしましょうか、という申し出は、重いわけじゃないとあっさり断られた。
言いながらもう一度大切そうに抱え直す。

「時折迷い込んでくる者は、皆まるで夢を見ているようにここを見ていくよ。」
「美しいところですからね。」
「この庭園には水の加護がある。水が豊かだろう、これが結界の力らしい。」
「どなたが造られたものなんですか?」
「この庭か? 父が、造ってくれた。」

庭園は大きな環状になっているように感じられた。
そう口に出してみると、クリスは当たりと言い、木々の生い茂る方に顔を向ける。
「あっちが庭の中心。真ん中に湖があって、その中に私たちの家がある。」
「・・・私たち?」
「母と私の家だ。」
思わず歩を止めてしまった。
なんとなく、ここに他の人間はいないように思えていた。
そして苦笑する。
初めに感じた天上云々の印象を、まだ引き摺っていたらしい。

「お母様にご挨拶申し上げてもよろしいでしょうか。」

他意はない言葉だったのだが。
クリスは一瞬だけ固まった。
すぐ、気を取り直したように元の足取り・口調に戻る。
「構わない。・・・母も喜ぶと思う。」
なんとなく含みのある言葉。
そしてクリスは、木々の奥へと続く細い通路を指し示した。



庭園の中心。静かなる湖。
水は深い藍をたたえ、鏡のように凪いでいた。
その湖上に白亜の建物が浮かんでいる。
「家」というよりも、簡素ながらどこか神殿を思わせる建物だ。
建物に向かって、細い橋が伸びている。
並んで歩くにも狭いほどの白い階。
深い水底に吸い込まれそうな頼りなさである。
「落ちないよう気を付けて。」
慣れた様子で進むクリスに、内心の不安を隠しながら続く。
浮かんでいるのか支えてあるのか、足を乗せてみると見た目より安定感はあったが。
「手摺くらいは欲しいところですね。」
「そんな幅をとったら歩く隙間がなくなってしまうだろう。」
確かにそのくらいの細い道だが、慣れないと今にも水に吸い込まれてしまいそうだ。
気を逸らしながら歩き、ようやく陸に着く。
小さな島はその建物だけでいっぱいで、玄関と橋をつなぐのに僅かな地面が見えるだけである。
太い柱の間の、重々しい白亜の扉。
だがそれは見た目に反し、クリスが軽く触れただけで音もなく開いた。

建物の中もまた白い。
外からは判らなかったが、明り取りの窓から光が差し込んでいる。
クリスはそのまま正面に進んだ。
祭壇を思わせる簡素な白い台がある。
奥の壁にはなにやら文字が刻まれていた。
クリスは、抱えていた銀の器を、丁寧にその台の上に置いた。
「・・・母は、ここに眠っている。」
呟くように発せられた言葉。
クリスはそこから数歩下がり、胸の前で手を組んで目を閉じた。
・・・ああ。そうなのか。
倣って、その隣に並び、静かに一礼する。
クリスが一度顔を上げたが、祈る仕草を確かめるとまた目を閉じた。

静謐な祈り。
それは紛れもない死者への手向けだった。


黙って建物を出た。
橋を渡り終えたあたりでクリスが呟く。
「・・・ありがとう。」
意外な言葉だった。
聖域を侵したような罪悪感に囚われていたからだ。
「お礼を言われるようなことは・・・」
「貴方の祈りは母を安らげてくれた。私にはそれが嬉しい。」
今までとは違う、温かい笑み。
そこで初めて、彼女を人間と実感したように思う。






戻。    続。

2003.3.6