水の庭   celestial garden 3



言葉はなかった。
黙って察し、祈ってくれた。
母のために。

お母様と私の大切な家。
どうしてあんなに簡単に招き入れてしまったのだろう。
ただの迷い人なのに。
どうしてだろう。
お母様に会って欲しいと思った。
騎士。お父様と同じ。
・・・不思議な人。





クリスとパーシヴァルは、とりとめもなくお互いの話をした。

パーシヴァルが騎士団の親書を届ける任についていること。
そのために初めてこの地を訪れたこと。
騎士団に戻ったら、一度故郷に帰ろうと思っていること。

クリスの父が騎士で、仕事のために長く留守にしていること。
自分も剣を学んでいたこと。
幼い頃に両親と過ごした日々。


そんなやりとりが、クリスには新鮮に感じられた。
訪れる人間は大抵、この場所やクリスのことを知りたがり、いろいろなことを問いかける。
話すのはいつもクリスの方。
クリスからのどんな話も問いかけも、別の質問になって返ってきた。
だから人と話すのが苦手になったのかもしれない。

この男とは自然に会話ができる。
苦手な自分の話も滑らかに言葉が繋げる。
気が付けば、椅子代わりの置石に腰をかけて、すっかり話し込んでしまっていた。

「それで、親書を届けに行く途中、ここに迷い込んだというわけです。」
「どのくらい遠いの?」
「届け先ですか。森を抜ければ馬で一日程度かと・・・」
「そうではなくて、さっき話してくれた村。ここからはずっと遠い?」
「さっき・・・、ああ、私の故郷のことですか。」

パーシヴァルの故郷は、辺境の小さな農村だという。
クリスが生まれたのは石畳の街。
風車のある風景や収穫祭の話は、クリスには真新しいものばかりだった。

「ここからでは近いとは言えませんね。ですが、ずっとという程遠くはありませんよ。」
「そうか。」
「興味がおありですか?」
「うん・・・一面の麦畑、見てみたい。見渡す限り黄金色なんだろう?」
「ええ、地平線の向こうまでずっと。」
「すごいな・・・想像がつかない。」
「よろしければお連れしますよ、喜んで。」

冗談と思って軽く笑うと、返された視線は思いのほか真剣だった。
強い意思のこもった茶水晶。
思わず目線を逸らし、はぐらかすように笑う。
「そうだな。いつか行けたらいいな。」
そこに投げられた、逃げを許さない口調。
唐突に。
「貴女はどうしてここにいらっしゃるのですか?」
クリスは戸惑いを隠せずに顔を背けた。
「ここは・・・私の家だから。」
「そういう意味ではありませんよ。」
背けた横顔にまっすぐな視線を感じる。
「これが貴女の望みなんですか?」
「望み・・・って、」
「ここで、お母様に祈りを捧げて、それで満足なのかと聞いているのです。」

胸の中で乾いた音がした。
不吉な音。
どうしてそんなことを言う?
お前まで。

「お母様の眠りを守ろうとするお心は、尊く清らかなものと思います。
 けれど、貴女の人生をそうして費やすことを、お母様は喜ばれるんですか?
 こうやって、どれだけの時間を独りで過ごしてこられたのです?」


――聞キタクナイ。


「貴女は何かから目を背けているように見える。これからもここに独りで・・・」
「黙れ!」
悲鳴に似た叫びが響きわたる。
パーシヴァルの息を呑む音が、聞こえた気がした。
でも止まらない。

「知った風な口をきくな!私は独りじゃないし、不幸でもない!」

後に残るのは流水の囁きだけ。


怒鳴ってからすぐに後悔した。
今までにも必ず言われたことだ。
こんなところに、なぜ独りでいるのかと。
誰だってそう言う。当たり前だ。
少し率直に言われたからといって、今更何を激することがあるというのか。
自分が滑稽に思える。
「・・・すまなかった。声を荒げたりして。」
「いえ。さしでたことを・・・申し訳ありません。」
気まずい沈黙が流れる。
クリスは大きく息をつき、もう一度、すまないと言った。
「ここで待つと、父に約束した。強制されたわけではない。私は待っていたいんだ・・・父の帰りを。」
「そう、ですか。」
何かが砕けてしまったような。
粉々になった破片はそこらじゅうに散らばって、過ぎてしまった時間を容赦なく突きつけた。

パーシヴァルはそれ以上、何も言おうとしなかった。
クリスも語ることをやめた。
いつの間にか陽が傾き始め、景色が橙色を帯び始めている。
ふいに、パーシヴァルが立ち上がった。
「・・・陽が暮れてしまいそうですね。そろそろ行かなければ。」
「あ、うん。」
クリスも立ち上がる。
気づかないうちに、石に触れていた部分はすっかり冷えてしまっていた。
パーシヴァルは来た道を戻り始めている。
歩きながら、名残を惜しむように庭園を見渡している男。
その半歩後ろに続きながら、クリスはずっと俯いていた。


独りという言葉は嫌いだ。
頭がかっとして、何も考えられなくなる。
この男の口からは聞きたくなかった。
でも、もう二度と会えないかもしれないのに。
何かを言おうとすればするほど、言葉は飲み込まれていってしまうのだった。


森の入り口に立ち、パーシヴァルは来た時と同じに一礼した。
「ありがとうございました。どうか・・・お元気で。」
別れの言葉。
踵を返そうとする男を、クリスは思わず呼び止めた。
「パ、パーシヴァル。」
初めて口にした名は変にくすぐったい。
男が驚いたように振り向く。
クリスの頬に朱が上った。
「父が帰ったら・・・約束を果たせたら、その、それからでも間に合うだろうか。」
最後かもしれない。
思ったら、そんな言葉が零れた。
「・・・麦畑を、見せて欲しいんだ。」

パーシヴァルは、しばしクリスを見つめていた。
そして、笑った。
笑ってくれた。
「ええ、喜んでお迎えにあがります。」
クリスの右手を押し戴き、その甲に口付ける。
儀礼ではなく、約束として。

「また、参ります。」
「うん。」
クリスも微笑む。
名残惜しげな視線を絡めたあと、パーシヴァルはクリスに背を向けた。
今度こそ、振り返ることなく歩き出す。
その姿が木立の向こうに消えると、クリスもまた館への道を辿り始めた。



繰り返してきたことだ。
言い聞かせるように、クリスは呟く。
今までにも迷い込んできた者はいた。
また来ると約束してくれた者もいた。
けれど、誰一人として、この庭を再び訪れはしなかった。
たぶん戻ってはこられないのだ。
結界は同じ者に対して二度と開かない。
綻びるのさえ偶然で、そうあることではないのだから。

繰り返してきたことだ。
父が帰ってくるまで、母とともに待ち続ける。
自分で決めたことなのだ。
待つことは不幸ではない。
私は孤独ではない。
歩きながら、自分に言い聞かせ続ける。
無意識のうちに、右手を大切そうに抱え込んでいることにも気づかずに。

パーシヴァルは間もなく結界を抜けるだろう。
それでいい、とクリスは思う。
この庭に変化は必要ない。
母の傍らで、静かに時を過ごしていればいい。
もしかしたら、いつか外の世界で会えるかもしれないのだ。
待つのには慣れている。
信じて待つことは、決して不幸ではないのだ。
クリスは小さく、さようなら、と呟いた。






戻。    続。

2003.3.12