水の庭 celestial garden 5
石造りの街からは青い海が見えた。
大きな家に花の咲く庭。華やかなカーテンのかかる窓。
階下の物音を聞きつけて部屋を出た。
危ないからといつも叱られる階段、また駆け下りてしまう。
開けたホールには父と母の姿があった。
幼い自分はいつもあの家にいる。
傍らには父と母。
大切な大切な私の記憶。
銀の甲冑を身に着けた父は知らない人のように見える。
出かけていく前には、怖い顔をしていることも多い。
でも、クリスに気づいて笑ってくれる。
大好きなお父様。
――行って来る。
そう言って、母の手に口付ける。
嬉しそうに笑うお母様は誰よりも綺麗で。
見ている私もどきどきした。
絵本の騎士様とお姫様みたい。
憧れだった。
『お招きを請うてもよろしいですか?』
・ ・ ・ ・ ・ ・そうか、だから。
白いシーツの上、透き通るようにもっと白い母の手。
子どもの力でも、思い切り握り返したら壊れてしまいそう。
日に日に儚くなっていく母の手に、ただ触れていることしかできなかった。
涙を浮かべた母の微笑。
零れた雫が頬を伝い、ほつれた髪にすいこまれていく。
その一滴ごとに、母の目から光が失われていくようで。
どうしたらお母様の涙を止められるんだろう。
――あの方が居てくれたら、こんなに心細くはないのに・・・
泣かないで、お母様。クリスがずっと傍にいるから。
一緒にお父様の帰りを待ちましょう?
――ごめんね、クリス。ごめんなさい・・・。
お父様がお帰りになるまで、夢の中で待っていればいいの。
だから泣かないで、お母様。
――お前は母さんそっくりの美人になるぞ。
誇らしげに私を抱き上げる父。
――この子の目は貴方に似たのね。
嬉しそうに覗きこむ母。
セピア色の淡い笑顔。忘れる筈がない。
たからものだと慈しんでくれた、その手が私のたからものだから。
とーさま。かーさま。
クリスは毎日良い子にしてます。
だから帰ってきて。
一緒に、あの頃に帰ろう?
パーシヴァルははっと目を開けた。
いつの間にか眠ってしまっていた、それは良いとして。
「夢、か ・ ・ ・ ・ ・ ・?」
夢というより思い出だろうか。
銀色の髪の少女と両親らしき二人。
明らかに彼女の夢だ。
いとおしむように柔らかく綴られた風景。
一緒に彼女の想いまでもが伝わってきた。
懐かしさだけでは表現できない、切ない激しい想い。
それが押さえ込むように秘められているのを、パーシヴァルは漠然と感じた。
あれは過去ではなく思い出。
優しい記憶だけを繋ぎ合わせたもの。
抱きしめていなければ崩れてしまうことを、彼女自身も判っているのではないだろうか。
パーシヴァルは頭を振って立ち上がった。
図らずも覗き見てしまった後ろめたさとは別に。
悪夢を見たような後味の悪さが胸を離れなかった。
落ち着かない。いたたまれない。
冷たい水で顔を洗おうと、手近な水路にかがみ込む。
静かな暗い流れは、手を浸すのを一瞬躊躇わせた。
――なんだというんだ?ただの水じゃないか。
振りきるように手を伸ばす。
指先に冷たい水の感触、だが、それ以上触れるのはやはり躊躇われた。
微かな光を弾く流れ。せせらぎは心を和ませる筈のものなのに。
得体の知れない不安は次第に大きくなり、ある認識をもって弾けた。
――ここの水には魚がいない。
魚だけではない。声こそしたが、この庭には小鳥一羽、虫一匹いなかった。
いたのは彼女だけ。
冷たいものが一気に背筋を駆け上った。
結界。水の加護。
何を守っている?何から守っている?
不条理な空間。完結しない過去。
独りであることを否定しながら、縋るような目をしていた。
何を待っている?何を繋ぎとめている?
囚われているのは彼女の方?
全身を覆う冷や汗を、パーシヴァルは自覚した。
月光の庭園はもはや美しいものとは映らず、ただおぞましさを感じさせる。
ここで屈してはならない、と顔を上げた。
腰の剣を抜き、ゆっくりと前に構える。
凛とした刃を見つめ、呼吸を整えた。
集中すると、ざわついていた精神が静まり、研ぎ澄まされていくのが判る。
漠然とした恐怖など恐れるに足りない。
幾多の死線を共に駆けた刃は、確かな輝きを持って主に答えた。
彼女をここにおいてはおけない。
こみあげる衝動のままに、パーシヴァルは湖に向かって走り出した。
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2003.6.19