水の庭   celestial garden 7



温かい水の中をたゆたう。
自分の身体と外界との境界が曖昧になっていく。
甘い毒に冒されていくような感覚。
心地良さと、絡みつくような息苦しさが混ざり合う。
――・・・・・・?
考えようとする意識さえ、水に溶けていった。

重い頭の中に、情景が流れこんでくる。
直接響いてくる。



    日差しに透ける銀の髪の母娘が、石畳の町並みを歩いていく。
    手を振る人影を見つけると、幼い娘は母親の手を放して走って・・・
    ・・・父親に抱き上げられて笑いながら・・・拙い言葉を早口に並べ、留守中の・・・伝え・・・
    顔を輝かせながら・・・傍らに歩み寄る母・・・・・・抱き寄せる父に、嬉しそうに・・・綻ばせて・・・・・・



夢の続き。
断片的に、とめどなく繰り広げられる。
目を閉じているのに、耳を塞ぎたいのに、遮断できない。



    
・・・あのね、とーさまが馬に乗せてくれたの。すごく高くて、それに早いの!
    揺れてびっくりしたけど、怖くなかったよ。 とーさまが支えてくれるんだもの。
    かーさまは危ないって。大丈夫だよね、ね、とーさま
・・・・・・



もういい。
痛い。
セピアとパステルの色合いに、ちらちらとノイズが混ざる。
後ろに透けて見える闇、あれが本当の。
彼女が、クリスが閉ざしているもの。



    とーさまはどこ?どうして帰ってこないの?
    かーさま、病気なのよ。待ってるの。
    クリスじゃだめなの。とーさまじゃなきゃだめなの。
    お父様はどこ? 早く帰ってきて。お願い、おねがい、おねがいおねがい・・・。



歯車が軋む。螺子が外れていく。
からからと空しく響く音。
されさらと崩れていく影。
これ以上はいけない。彼女の心が砕けてしまう。
それとも、この痛みは俺自身のもの?

泣いてるのは、誰だ?



世界は色を狂わせながら音もなく崩れ、後にはまた闇だけが残った。







『ごめんね ごめんなさい・・・』

開かない瞼の向こうに感じたのは、先ほどの柔らかい光。
『わたしのせいなの ごめんなさい』
どこかで聞いた、儚くか細い声。
その時もごめんなさいと言っていたような気がする。
涙に震えている。
ああ、どうか泣かないで下さい。
・・・違う、こう言ったのは俺ではなかった。

『わたしが あのひとにあいたくて よんでいたから
 あのこが いてくれたのに とおくばかりをみて
 ふかすぎるかげを あのこのこころにきざんでしまった』

弱った心が愛しい人を呼ぶ。
そう、これは彼女の夢の中で聞いた声だ。
濡れた瞳は遠くを見て、決して自分を見てはくれない。
白く細い手。儚い指先。
泣いて、嘆いて、儚くなった女性。
あの時泣いていたのは、クリスの方だったのに。

閉ざされた庭で待っていた彼女。
外界を拒みながら、結界を越えてまで余所人を招く。
彼女の呼ぶ声を映すように。
父の帰りを、と言いながら、待っていたのは別のものかもしれない。
彼女が待っていたのは。

泣かないで下さい。貴女が泣くと彼女が悲しむんです。
念じた言葉が聞こえたのかは判らない。
ただ、弱々しく揺らいでいた光が、止まった。
そして広がっていく。
同時に、拡散していた感覚が急速に収束する。
身体が浮上する。
夢から覚めるように。

『・・・ どうか ・・・  ・・・・・・ 』







目を開けると。
パーシヴァルは真白い壁に囲まれた部屋に立っていた。
先程と違うのは、部屋の中心。
青く光る球体が浮かんでいるのだ。
表面を波立たせながらゆらめく球体、それは水でできていた。
巨大な水の球。
その中に無数の銀糸が揺れている。
水球の中で、クリスが胎児のようにうずくまって眠っていた。

パーシヴァルの右手、水の紋章がうずいた。
共鳴するように、クリスを包む水球が揺らめく。
そして、途方もない圧力が水球から発せられた。
身構えても後ろに押し戻されるほどの力。
明らかな敵意がこめられている。
思わず左腕で顔を庇ったパーシヴァルの前に、ゆらりと青い紋様が浮かび上がった。
水球に輝く青い紋様。
全身を圧する力、その正体を物語る紋様を、パーシヴァルは知っていた。
同時に戦慄が全身を駆け抜ける。
それは伝説にも等しき存在。
――真の水の紋章・・・!
世界の根源たる27の力の一つ。
その強大な力が、クリスを包み、護っていた。

主の眠りを乱す者に、紋章は明らかな敵意を向けている。
その圧倒的な力を、パーシヴァルはじっと見据えた。
不思議なほどに揺ぎなく。
最初の衝撃が去ると、潮が引くように心が静まっていた。
感覚が麻痺してしまったのかもしれない。
パーシヴァルの視線の先には、水に囚われた女性がいる。
クリスはじっと目を閉じたままだ。
だが、ここにいる自分の存在は確かに伝わっていると、パーシヴァルには感じられた。
夢か現か、垣間見た彼女の記憶が頭をよぎる。

彼女が待っていたのは、壊してくれる誰か。
振りほどけない過去を振り払ってくれる手だ。
愛してやまないからこそ、囚われたまま動けない。
呼んでいたのは、抗おうとする心。
夢の中で彼女もまた戦っていた。

パーシヴァルは水球に手を伸ばした。
水球が威嚇するように明滅する。
圧迫感に耐え、水の表面に触れると、感電したような痺れが走った。
クリスがわずかに身じろぎする。
目覚めてください。
強く念じながら、パーシヴァルは指先を水に浸した。
同時に、針で刺すような痛みが走る。
傷はないのに、水に触れた部分には切り裂かれるような感覚が走った。
ただの水ではない。
紋章の力が具象した水は、異物を排除しようと、侵入者の腕をぎりぎり締め付けた。
押し戻されそうになりながら、パーシヴァルはじりじりと腕を伸ばす。
肩口まで水に潜り、気が遠くなりそうな圧力に耐えながら。
水球が激しく明滅する。
手が届くまであとわずか。
揺れる銀糸の一筋に手が触れる。
クリスの静かな顔に、彼女が積み重ねてきた思いが重なった。

「貴女を、ここから連れて行きます。
 迎えに来ました。
 クリス。」

半ば倒れこむように手を伸ばし、深く水に潜りこんで。
彼女の頬に手を触れた。
その瞬間。




はじけた。







戻。    続。

2004.12.13