正義と勝利の座談会

第2部


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<71>
出席者:秋谷会長、杉山青年部長、弓谷男子部長、西 東京男子部長、後藤関東男子部長、小谷第2総東京男子部長

後藤 極悪の日顕一派の連中が、またもや裁判で鉄槌を下されたな!
弓谷 その通りだ。2日、東京高裁が、デマを撒き散らした日顕直属の檀徒らに100万円の賠償命令を下した1審判決を支持。改めて檀徒らを断罪した。

小谷 この連中は、凶悪な恐喝事件を起こした山崎正友とも関係が深いといわれている。
杉山 そうだろうな。でなければ、あんな違法行為は、しないよ。また、やれないよ(笑)。
弓谷 山崎は、この連中の総会で挨拶したほどの顔なじみ≠セ。それに、断罪された檀徒は山崎のカバン持ち≠やっていたという男だ。
杉山 まさに「昵懇(じっこん)の仲」だな。

後藤 この事件があったのは平成12年。
 檀徒らが事実無根の悪辣なデマをビラやインターネットで垂れ流し、公明党の名誉を毀損する事件を起こした。
小谷 そういえば、あの頃、日顕も、さんざん学会や公明党の悪口を言ったり、この檀徒連中をけしかけていたな。
西  そうそう。この檀徒どもは、この翌年に行われた参院選に自分たちの候補者まで出した。日顕も坊主たちに応援しろ≠ニハッパをかけた。だが予想通り、見事に落選(大笑)。
弓谷 結局、全部、背後には日顕がいた。あの妬みで真っ黒焦げのクソ坊主がいた。
杉山 盗座*郎の日顕! どこまで陰険な悪党か!
後藤 とにかく、このデマ事件で公明党は、檀徒らを名誉毀損で提訴した。
 そして昨年11月、東京地裁が檀徒らに対して100万円の損害賠償を命令。さらに今月2日、東京高裁も1審判決を全面的に支持し、改めて檀徒らを断罪したんだ。
杉山 またまた檀徒の違法行為で断罪だ。また日顕一派は「断罪記録を更新」した(大笑)。
弓谷 日顕のやつ、これでまた一段と追い込まれたな。

小谷 もともと今回のデマ事件の発端は、新潟県で白川勝彦元代議士の秘書が逮捕された「交通違反のもみ消し事件」(平成12年3月)だった。
西  地元の新聞やテレビなどマスコミでも大々的に報道された事件だったな。
後藤 結局、この「もみ消し事件」で白川氏の評判はガタ落ち。平成12年の衆院選、同13年の参院選、昨年の衆院選と「3回連続」で落選したほどだ。
小谷 ところが、この「もみ消し事件」について、日顕宗の檀徒らは、あたかも公明党や学会が仕組んだ謀略≠ナあるかのように騒ぎ立てたんだ。
秋谷 バカバカしい。これは刑事事件だ。学会が関与などできるわけがない(笑)。
 日顕一派というのは、こういうデマを流すんだ。どこまで悪辣か。
杉山 一派の具体的なやり口は、こうだった。「もみ消し事件」が発覚した直後、ダミー団体の名前で学会と公明党を中傷するウソ八百のデマビラを撒き散らした。
後藤 僕も見た。「緊急報道 白川代議士秘書逮捕の謀略」だの「狙いは自・公#癆サの白川氏潰しか?」だの、メチャクチャな見出しを並べて、狂ったように大騒ぎしていたな。
弓谷 あまりにも事実無根の狂態に裁判所も厳しかった。
 1審の東京地裁の判決では「交通違反もみ消し事件については、関係者(=白川の元秘書ら)は、事実関係を認め、有罪の判決が確定しており、交通違反もみ消し事件は真実に存在し、逮捕の理由も認められる」と一刀両断だった。
西  当たり前だ。バカバカしい。
秋谷 もみ消しに関わった当事者が罪を認めていた。そこで「おしまい」じゃないか。
杉山 さらに同判決では(被告は)交通違反もみ消し事件について原告(=公明党)が関与したことについて客観的な確証を得ていなかった」と断じた。
西  この檀徒らが何の根拠もなく「デマを捏造した」「公明党に濡れ衣を着せた」と結論づけたわけだ。
後藤 当然も当然だ。

弓谷 さらにまた裁判では、このデマビラが日顕宗の寺院などを通じて、大量に撒かれた事実も問題になった。
小谷 その通りだ。デマビラは20万枚も印刷されたが、そのうち約13万枚が、日顕宗も寺院関係者らに渡っていたことが判明した。
 1審判決も(デマビラが)組織的に広く配布された」と認定している通りだ。
西  完全に宗門ぐるみで動いていたことが、裁判でハッキリしたわけだ。
弓谷 それに1審判決では(デマビラ配布が)衆議院総選挙を直前に控えた時期に行われた」と、その狙いも鋭く喝破していたな。
秋谷 大変な問題だ。公式の法廷の場で「選挙狙いのデマビラ」と断定されたんだ。民主主義を破壊する恐るべき暴挙だ。

弓谷 それにビラばかりじゃない。この檀徒どもは、同じデマをインターネットのホームページ上に、2年以上にもわたって臆面もなく掲載していた。
西  インターネット上のデマは、あっという間に広がっていく。一度広まったら、止めることは、ほとんど不可能だ。
 これはデマビラ以上に悪質じゃないか。
小谷 裁判所も当然、この点を重視。1審の判決はデマが「インターネットに長期間掲載されていたことが原告(=公明党)に与えた影響は、大きい」と厳しく糾弾している。
西  鋭い判決だ。あくどいやり口に対する厳しい断罪だ。
後藤 とにかく、今回の高裁判決も1審判決を全面的に支持。
 檀徒連中らの一切の主張についても「いずれも採用することができない」と厳しく退けた。
小谷 また高裁判決では、この檀徒連中のダミー団体について「学会や非控訴人(=公明党)を批判するビラの作成、配布などの活動をしている団体」と明確に認定していたな。
弓谷 まさに裁判所公認≠フデマビラ団体か!(笑)
西  まあ、この檀徒グループというのは、これまで何度も選挙狙いの謀略行為を繰り返しては、裁判で断罪されてきた。
 謀略を仕掛けては大失敗の負け犬グループ≠セ(爆笑)。

後藤 確かに、この檀徒一派は、断罪されてばっかりだな。
 平成13年の参院選の直前にも、この連中が学会を中傷する別の違法ビラをバラ撒いたじゃないか。
杉山 その通りだ。この事件では、学会が宗門らを提訴。裁判の結果、東京地裁は昨年2月、宗門と檀徒らに対して100万円の賠償命令を下した。
弓谷 ビラ配布は「日蓮正宗の活動に密接に関連するもの」「日蓮正宗の事業の執行」等と、宗門の責任を明確に認定した。
小谷 実に厳しい判決だった。デマビラの配布が「日顕宗の事業の執行」と裁判所から認定されたんだからな(大笑)。
西  その「教団」の責任者は日顕だ。
 当然、日顕の責任は重大だ。

(2004. 9. 7. 聖教新聞)

 

<72>
出席者:秋谷会長、杉山青年部長、弓谷男子部長、西 東京男子部長、後藤関東男子部長、小谷第2総東京男子部長

小谷 前回は、日顕直属の謀略檀徒が、悪辣なデマビラ事件で2度も断罪された話だった。

後藤 それにまた、今回のデマビラをめぐっては、別の裁判でも一昨年12月、ビラを配布した日顕宗の坊主・近山智秀(大阪・岸和田市、平等寺)らが大阪地裁堺支部から断罪。60万円の賠償命令を下されている。
西  その後、近山は最高裁への上告を断念。近山と檀徒の完全敗訴が確定したんだ。
杉山 この裁判でも、日顕一派がビラを撒いた目的は選挙狙いの謀略≠ニ認定されたな。
弓谷 その通りだ。
 判決でも「衆議院選挙に向け、原告(=公明党)の勢力伸長を阻止するための一種の事前運動」「極めて悪意に満ちたもの」と厳しく粉砕している。
小谷 「極めて悪意に満ちたもの」だ。どれだけあくどい連中か!
弓谷 しかも、この違法な悪党連中に、いちばん肩入れしているのが日顕だ。
杉山 その通りだ。法華講の中でも、日顕が、この檀徒連中を特別に重用しているのは有名だ。
 だいたい、この檀徒グループは機関紙を出しているが、その題字を書いているのも日顕だ。
西  それだけじゃない。昨年は、日顕自らが、その檀徒一派に対して「大きくなってもらいたい」「毎日、祈るから、頑張ってもらいたい」なんて激励≠オていたという話だ(爆笑)。
弓谷 あの丑寅勤行をしょっちゅうサボっている日顕が「毎日、祈る」というんだ(笑)。相当、肩入れしているということだな。
杉山 今の宗門は皆、面従腹背で日顕には全然、味方がいない。その中で必死に自分にシッポを振ってくれるんだ。日顕は大喜びだろうよ(大笑)。
後藤 おまけに、この檀徒一派には、あの極悪ペテン師の山崎正友が絡んでいる。
 山崎にしてみれば、日顕を手玉に取り、この檀徒一派も手玉に取りたい。それで両方から旨い汁を吸いたい――あいつの常套手段だ(大笑)。
秋谷 そして最後は結局、大失敗だ(笑)。結末は目に見えている(大笑)。

小谷 それにしても、違法行為ばかりの檀徒一派に「大きくなってもらいたい」か(笑)。日顕はもう完全に狂っちゃったな(大笑)。
後藤 前回も話が出たが、裁判所はビラ配布は日顕宗の活動に密接に関連するもの≠ニハッキリ認めている。どっかのおかしな檀徒の個人的な行為なんかじゃない。「日顕宗の活動に密接に関連するもの」だよ(笑)。
西  それで檀徒らとともに、宗門自体に対して100万円の損害賠償が命令された。
杉山 日顕は宗門の管長であり、代表役員だ。「道義的責任」はもちろん法的な「監督責任」も重大すぎるほど重大だ。

小谷 とにかく、いまだに日顕は何のお詫びも謝罪もしていない。これは今後、徹底して追及すべきだ。
後藤 その通りだ。明らかに全部、日顕のやつの責任じゃないか。
 しかも、日顕本人も自分が首謀したデマ事件で2度も裁判で断罪されている。一宗の代表役員が2度も最高裁で断罪だよ。どれだけ狂っているか。腐っているか。
秋谷 日顕は、この2件の敗訴についても、管長として坊主や檀徒に謝罪すべきだ。退座すべきだ。自分が首謀≠オたデマ事件じゃないか。
弓谷 その通りだよ。学会に対しても、さんざん迷惑をかけてきた。これも明確に謝罪すべきじゃないか。それもできないなら「社会人失格」だ。いや「人間失格」だ。
杉山 日顕は宗内にも法華講にも申しわけありません≠ニ謝罪する義務がある(笑)。

後藤 まったくだ。だいたい、日顕は、こういう、おかしな檀徒を厳重に処分する義務がある。
 日顕宗は今年3月に、宗規を変更したばっかりだ。「信徒の処分」についても、これまでの「訓告」「戒告」「権利停止」「除名」の4段階から、一番重い「除名」処分だけにした。
西  そうだったな。(信徒の除名について)特別な事情があるときは、総監が直接除名できる≠謔、になっている。
小谷 信徒が違法ビラを撒いて、裁判で断罪された。誰が見たって「特別な事情」だろう(大笑)。
弓谷 日顕は早速、宗規に照らして、ビラを撒いた謀略一派を処分するべきだ。
後藤 そして、その次は、最高裁で2度も敗訴した日顕が永久に「除名」だ(笑、拍手)。
杉山 いずれにしても今後、我々は日顕本人と子分が断罪されたことについて、社会的、道義的な責任を徹底して、厳しく追及していく。
西  大賛成だ。日本は民主主義国家だ。日顕みたいに威張り腐った極悪のクソ坊主が、ふんぞり返っていられるような封建時代じゃないんだ(笑)。
弓谷 日顕宗の反社会的行動の行き着いた先が今や「最高裁での7回の断罪」じゃないか。それも、たった2年余りで、だ。
後藤 どうみたって日顕の責任は重大だ。
小谷 狂気じみた檀徒一派のせいで、日顕も、とんだことになるな(大笑)。
秋谷 いかに日顕が狂っているか。
 御聖訓には「悪法を以(もっ)て人を地獄にをとさん邪師(じゃし)をみながら責(せ)め顕(あら)はさずば返って仏法の中の怨(あだ)なるべし」と仰せであられる。
 こんな時代遅れの化け物坊主の日顕を、我々は一刻も早く、21世紀の日本から叩き出していこうじゃないか。

(2004. 9. 8. 聖教新聞)

 

<73>
出席者:秋谷会長、杉山青年部長、弓谷男子部長、西 東京男子部長、後藤関東男子部長、小谷第2総東京男子部長

杉山 以前も話題になったが、今、日顕は「除名」が怖くて怖くて仕方がない。宗門の歴代法主から、自分が抹消される。それを一番、恐れている。
小谷 日顕に反感を持つ派閥から新法主が誕生したら、日顕は即刻、除歴される=Bそんな声も聞こえてくるな。
西  だから日顕は、何が何でも法主にしがみつきたい。それで先月も、自分の派閥の坊主だけを集めて引き締めをはかった。完全に「血眼」になっている。
弓谷 それどころか、また日顕は、山崎正友に近づいている。すがりついている(笑)。
秋谷 学会は勝った。宗門は、完全に崩壊に向かっている。醜い派閥争いが始まっている。
後藤 だいたい、どこの宗教、宗派に、恐喝事件で懲役刑になった男を師匠≠ノする法主がいるんだ。誰だって狂っているのが分かるよ(爆笑)。

弓谷 極悪ペテン師の山崎にしてみれば「日顕を手なずけることなんか、お茶の子さいさいだ」と思ってる。ゲラゲラ笑っているよ。
杉山 そうだろうな。とにかく「坊主を手玉にとる」。第1次宗門事件の時も、そうだったじゃないか。
西  若手坊主を酒と女で手なずけたり、日達法主の側近の光久にマージャンで近づいたり。坊主連中を金漬け、遊び漬けにして手玉に取った。
秋谷 昭和50年頃からだった。山崎は学会に全く内緒で宗門に出入りするようになった。目的は金儲けだ。
 そのために、うまく宗門を手なずけ、学会を脅し、宗門と学会を離間させようとした。日達法主にまで取り入っていった。
杉山 陰では、山崎は坊主を操ることにかけては、オレの右に出る者はない∞法主といえども、しょせん坊主は金よ≠ニ言い放っていた。
 第1次宗門事件は、宗門に狙いを定めた山崎の謀略通りに進んでいった。
弓谷 だが「悪銭身につかず」だ。金に目が眩んだ山崎は、自分で始めた冷凍食品会社が大失敗して借金地獄になった。それで恐喝事件を起こすハメになる。
小谷 あっという間に悪の正体が知れ渡った。誰も相手にしなくなった。もちろん、坊主たちも山崎から、どんどん離れていった。
西  山崎と親しかった正信会の中心者も山崎というのはトランプの七並べのババだ。最後まで持っていた者が負ける≠ニ吐き捨てていたほどだ(大笑)。

後藤 ところが、この山崎に、まだ誑し込まれている坊主がいた。それが日顕だ(笑)。
西  どれほど日顕が、池田先生と学会に守っていただいたか。寺も学会に356ヵ寺も供養してもらった。すべて先生と学会のおかげで、宗門も興隆していった。
杉山 ところが日顕は金を持ちすぎて狂っていった。1千万人もの信者に尊敬され、宗内からも慕われていた池田先生が妬ましくなった。
弓谷 そして、だんだんと山崎の虜になっていった。それが、あの「C作戦」だった。今になって、その構図が、よく分かってきたな。
西  だいたい山崎ほど、日顕を罵ってきたやつもいない。週刊誌でも罵詈雑言の限りを投げつけていたじゃないか。
小谷 「法主にふさわしくない野心家であり、乱れた生活」「宗内で一、二を争う遊とう児」「独裁者」「信仰心のうすい、功利主義の権化」「私生活はゼニゲバであり、遊興以外の何ものでもない」等々、メチャクチャだ(笑)。
後藤 それに、日顕に「相承がない」と言い出したのも山崎だ。
 「日達上人の亡くなられた後のドサクサまぎれに、阿部日顕が、『俺がなる』といっただけで決まってしまった」「手続き無視で誕生した現法主」「相伝をいつわって登座」「法主僭称(せんしょう)」。これまた、さんざん週刊誌で書き立てた。
西  頭にきた日顕も、山崎を「地獄へ何回堕ちても足りないほどの罪が存する」と言っていた(大笑)。「あんたは大ウソつきだ」と言って、大石寺の出入りまで禁止していた。
小谷 ところが結局、「C作戦」をはじめると、小心者の日顕は不安になった。それで山崎に「あの時はウソつきと言って悪かった。勘弁してください」なんて、手の平を返して謝罪したんだよ。
弓谷 山崎は獲物が引っかかって大喜び(笑)。
 日顕の「勘弁してください」との伝言に「それは本当か」と大はしゃぎだった(爆笑)。
 それからは日顕に「一段と高いお立場」だの、「人格高潔なお方」だのと歯の浮くようなゴマをすりだした(笑)。
秋谷 キツネとタヌキの悪党の化かし合いが始まった(大笑)。

杉山 山崎が日顕を騙す時のパターンは決まり切っている。
 平成5年以降、山崎は分かっているだけでも5回、日顕に手紙を送っているが、その中身を見れば一目瞭然だよ。
弓谷 その通りだ。まず山崎は、大袈裟な「作戦」だとか何だとか、もったいぶって大風呂敷を広げる。
西  そうそう。できもしないのに日顕を守る大包囲網をつくる≠ニか何とか大ボラを吹く。
後藤 同時に、日顕の弱みに深く付け込む。
 「C作戦」の大失敗や「相承詐称疑惑」等々――日顕が抱えている事件や問題を数え上げた上で、いかにも山崎以外には解決できないように自分を売り込む。
小谷 そこに、小心者、臆病者の日顕が、まんまと飛びつく。手放しで山崎を頼る、という寸法だ(大笑)。
杉山 あの日顕の「C作戦」も、もともとは山崎の学会陥れの作戦が下敷きじゃないか。
後藤 その通りだ。日顕は平成2年暮れ、C作戦をやる際に学会を切れば20万人が、宗門に流れてくる≠ニ大見得を切っていた。
 この「20万」という数字も、もとはといえば、山崎が日顕に焚きつけた数字だ。
西  実は、山崎は昭和54年に、日顕に学会への攻撃を直接、煽っていた。
杉山 そこで山崎は、こんなことを日顕に吹き込んでいた。
 学会を攻撃すれば、檀徒は15万人から20万人になる≠ニハッキリ煽っていた。
小谷 日顕は、この山崎の謀略を下敷きにした。
 それで「20万人、来ればいい」なんていう捨てゼリフが出てきたんだよ。
弓谷 全部、山崎の入れ知恵≠カゃないか(笑)。
杉山 悩乱した日顕は、この山崎の愚劣な指南≠、そのまんま強行した。
 その結果、宗門は完全に滅亡の坂を転げ落ちたんだ。
 学会のおかげで世界的な大教団だったのが、たった10数年で98%もの信者が呆れて捨て去っていった(笑)。
秋谷 それもこれも、恐喝で実刑を受けた男に日顕が信伏随従(しんぷくずいじゅう)≠オたからだ。滅びるのは当然だ。

(2004. 9. 9. 聖教新聞)

 

<74>
出席者:秋谷会長、杉山青年部長、弓谷男子部長、西 東京男子部長、後藤関東男子部長、小谷第2総東京男子部長

弓谷 前回は「ニセ法主」の日顕が、いかに山崎正友に誑し込まれてきたかが暴かれた。
杉山 そういえば、昔、「四月会」というのもあったな。もう、すっかり忘れ去られた団体だが(笑)。
秋谷 平成5年に8党連立政権ができて、公明党が与党入りした翌年に出てきた。
 はじめから選挙狙いの謀略の正体はミエミエだった。
 それで、さんざんデマを撒き散らしたが、結局は崩壊、壊滅してしまった(笑)。
杉山 これまた裏で恐喝事件を起こした山崎が糸を引いていた。それが正体だ。

弓谷 山崎は平成6年の9月27日、当時、衆議院議員だった白川勝彦と密談した後、日顕に手紙を出している。
 これからの国会活動と、四月会や、マスコミ活動をしっかりと支えるために、情報センターを設けることについても話し合いをしている≠ニ書いていた。
杉山 山崎の常套手段だな。政治家を利用し、いかにも大物ぶってデマ騒ぎを焚き付ける。そして金をふんだくる。あいつの使い古した手口だよ。
西  この見えすいた手に、またもや日顕は乗せられた(大笑)。
小谷 この平成6年当時といえば、あの陰湿な「C作戦」の大失敗が、誰の目にも明らかになっていた時期だ。
後藤 学会は微動だにせず大発展。その一方で、宗門は破滅の坂を転げ落ちていた。
西  日顕は完全に追い詰められていた。
 まさしく焦り切っていた。
杉山 山崎は、そういう日顕の動揺を見透かして手紙を送りつけたんだ。弱みに付け入る。大袈裟な作戦に乗らせて、金儲けを狙う――いつもの山崎の魂胆だよ。
弓谷 だが結局、山崎と結託すると、あとが大変だ(笑)。
後藤 今や日顕宗は、裁判でも断罪続き。わずか2年余りで最高裁から7回の断罪だ(笑)。
 また日顕は赤っ恥をかいたわけだ(大笑)。

小谷 四月会も、わずか数年で解散、滅亡。四月会が応援していた議員も、ことごとく落選した。有名な事実だ。
西  とにかく、第1次宗門事件といい、四月会といい、山崎というやつは、自分の作戦を大きく見せるために、いろんな連中の名前を利用する。
 いかにも自分のところに、大物や大勢の仲間が集っているかのように大ボラを吹く(大笑)。
小谷 バカバカしい。
 だいたい、恐喝事件を起こした山崎なんかに仲間がつくわけがない(笑)。
 山崎に長年使われた、ブラックジャーナリストの内藤国夫も、死ぬ前にはもう山崎はコリゴリだ≠ニウンザリしていた(大笑)。
弓谷 だが、日顕はコロリと騙される(大笑)。
 山崎は、平成5年の日顕宛の手紙でも、週刊誌の「元公明党議員の体験座談会」が効くなどと吹き込んだ。
 「今後、こうした人達や、元学会幹部に証言をしていただく」とか、宗門は学会員を「正宗信者に改宗=vさせよとか、さんざん絵空事を並べて焚きつけていた。
後藤 大ウソも大ウソ。
 山崎が広げた大風呂敷の中で、うまく事が運んだことがあったか? 何一つ、ないじゃないか(大笑)。
小谷 その通りだ。全部、日顕を騙すためのペテンだよ(笑)。

杉山 山崎と付き合うと、皆、おかしくなる。「日顕宗と身延との野合」も、そうだ。
西  日顕に「身延との野合」を入れ知恵したのは山崎だ。
 山崎が日顕宛の手紙で「他宗にも行動をおこさせるべく、根まわし工作中です」等と書いていることでも明白だ。
小谷 身延の坊主までが、明確に証言している。
 その坊主は、日顕の腰ぎんちゃくの小川只道から、こんな話を聞いたそうだ。
 山崎は日顕に、いつでも会える。日顕と「直」の人だ≠ニ。日顕と山崎が何度も会っている証拠だ。
後藤 恐喝事件を起こしたペテン師と「ニセ法主」が本山で密談だよ。いったい、どういう宗教だ(大笑)。
弓谷 平成7年6月6日、後に身延の管長になる、池上本門寺の貫主(かんず)が大石寺に行っている。日顕宗と身延は、どんどん接近していった。
杉山 実は、この同じ日に山崎は日顕と大石寺で密談していた。山崎が自分で白状≠オている(大笑)。
後藤 日顕は山崎の口車に、どんどん乗っていった。
 しかも、当時は山崎のやつ、あっちこっちの身延の坊主のところを回っては大石寺を締め上げろ∞大御本尊偽作論も本腰を入れて掘り下げろ≠ニ焚き付けていた(笑)。
西  身延を焚き付け、日顕を焚き付け、その間に自分が入って、いい立場を握る。両方から旨い汁を吸う。そんなの、とっくに見透かされてるよ(大笑)。
杉山 まあ、日顕本人が、昭和53年2月に大御本尊は偽物(にせもの)≠ニハッキリ明言している。もともと身延とはウマが合うんだ(笑)。
弓谷 山崎と身延の蜜月ぶりは有名だ。橋渡し役≠ニ言われる中島光民という身延の坊主が、山崎とのドス黒い関係を自分で暴露していたほどだ。
杉山 この中島というのは、山崎を通じて「四月会」などにも首を突っ込んでいた坊主だな。
小谷 山崎は、平成9年にも山梨で、身延の坊主を相手に講演していた。
 その夜には、下部温泉に一泊し、身延の坊主らと一席を設け、大物気取りで、はしゃいでいた。
弓谷 さらに、その翌日には身延の坊主が大挙して「大石寺詣で」をしている。
杉山 身延の坊主も今までは学会がいたのでダメだったが、今は自由に往来できるようになった≠ネどと言っていたっけな。

秋谷 いずれにせよ、山崎の描いた作戦は、全部が全部、失敗していく。
 この身延との野合だって、結局、脱講に拍車をかけただけだ(笑)。
 宗門が完全に邪教と化した事実を満天下に晒しただけだ。
弓谷 結局、山崎に付け込まれ、魅入られたものは、個人、団体を問わず、必ず滅亡する。
 宗門しかり、政治家しかり、だ。根こそぎ奪われ、没落していく。山崎が「奪命魔(だつみょうま)」だからだ。
杉山 何を言おうが、日顕は目先しか見えないバカだし、周りの意見も聞かないから、これからも山崎に誑し込まれていくだろう。そして、関われば関わるほど大失敗し、自分の首を絞め、奈落の底に沈んでいく。
弓谷 ドイツの哲人が「愚か者は、どうして愚か者なのか。何度も同じ手に引っかかるからだ」と言っていた通りだな(大笑)。

(2004. 9.10. 聖教新聞)

 

<75>
出席者:秋谷会長、原田副理事長、中島関東長、野村北海道長、松原中部長、弓谷男子部長

弓谷 もうすぐ、秋のお彼岸。全国各地の学会の墓園も、にぎやかになりますね。
秋谷 この夏も、お盆の時期だけで40万人以上もの人々が訪れています。広宣流布の大闘争の途上で亡くなられた方々へ、心から追善回向し、信心の決意を新たにする同志の姿が多くありました。
原田 学会関連の墓園、納骨堂は現在、全国に16あります。
 これまで来園者は、のべ2700万人にのぼります。
弓谷 2700万人! 日本の人口の5分の1以上ですね。
野村 北海道・厚田村の「戸田記念墓地公園」では、お盆の時期になると連日1万人が訪れます。
中島 すごい! 墓園が地元の名所になるはずだ。
松原 中部でも、三重県・白川町に「中部池田記念墓地公園」があります。
 空気もきれい、墓園もきれい。墓参者は皆「花々といい、芝生といい、いつ来ても本当に美しい」と、口々に喜んでおられる。
中島 信心していない親せきの方々も「『墓地』というよりも、文字通りの『公園』だ」とビックリしている。
野村 私の長年の友人も言っていた。
 「お墓というと幽霊が出るとか言うが、学会の墓園では出そうにない」(大笑)。
 そして「きれいな鳥が飛んでいたり、色とりどりの花が咲いていたり。まるで楽園だ。お化けどころか、妖精でも遊んでいそうだ」と絶讃していた。
松原 日顕宗の墓なら、どこも不気味で、それこそ幽霊でも出てきそうだがな(大笑)。
中島 日顕といえば「幽霊話」(笑)。幽霊は、日顕の友達みたいなものだからな(大笑)。

原田 じっさい学会の墓園は、学会員はもちろん、幼稚園や老人ホームなどの遠足、見学等々でも、にぎわっています。
中島 茨城県の「ひたち平和記念墓地公園」(七会村)では、敷地内のレストランも自慢の一つです。学会員ではない地元の名士の方々が法事を行ったり、高校の同窓会を開く人までいる。
弓谷 へぇーっ、同窓会!?
秋谷 普通だったら、墓地で同窓会なんて、できない(笑)。
 しかし学会の墓園は明るくて、きれいだ。陰険な坊主もいないし、全然、湿っぽくない(大笑)。だから、同窓会も開ける。
中島 多くの墓参の人が「お墓の概念が根本から引っくり返った。ここだったら、私も入りたい」(笑)と言っていましたね。
弓谷 それに学会の墓園といえば、桜の名所ばかりだ。

野村 我が北海道の戸田墓園は、8000本の桜が咲き誇る。5月に桜が満開になると、花見客で一杯になる。
 北海道新聞が特集した「行ってみたい道央の桜の名所」にも選ばれています。
原田 「沖縄平和記念墓地公園」(本部町)も桜の名所で有名です。「桜墓園」の愛称で親しまれている。
弓谷 沖縄では、緋寒桜(ひかんざくら)というピンク色の桜が1月から2月にかけて咲く。日本一早い桜で、満開の時期になると、墓園に続く道が「桜のトンネル」になります。
 青い海も見える。桜やブーゲンビリアなど70種類もの桜が咲き薫る。
松原 桜といえば「富士桜自然墓地公園」(静岡県富士宮市)も有名だ。
 春になると8000本の桜が咲き薫り、地元はもちろん、県外からも大勢の人が訪れる。
秋谷 以前は、大石寺の桜が有名だったが、日顕が嫉妬に狂って、桜を大量に切り倒してしまった。それからは、もっぱら富士桜墓園のほうに人気が集中しているそうだ(笑)。
弓谷 日顕は学会を切り捨てた後、総坊前の広場にあった桜など280本もの桜の木をバッサリ切り倒してしまった。
 まさに桜の虐殺≠セった。
中島 「富士桜の会」の井出虎男会長も、こう言われていた。
 「以前は、『桜を見るなら大石寺の池田山』と人にも勧めていました。しかし今では、富士桜墓園の桜を勧めている。手入れも完璧で、本当に見事だ」と称賛されていた。
松原 それに、こうも言われていた。
 「学会が管理している桜は、手入れが行き届いていますが、宗門が管理している敷地は病気の桜ばかり。今や、どこが宗門の管理している土地で、どこが学会の管理している土地か、桜を見れば一目瞭然です」と(笑)。
弓谷 大石寺を観光ツアーで訪れた客でさえ「身延の桜のほうが立派だ」と呆れ返っていたほどだからな(笑)。
秋谷 桜を大事にした学会の墓園は多くの人に親しまれ、にぎわっている。
 桜を虐殺≠オた大石寺は、地元の人々からも嫌われ、人が寄りつかない。
 これもまた、日顕の嫉妬が招いた現実だ。
原田 その狂った正体が象徴的に表れたのが、あの大石寺の遺骨の「大量不法投棄」事件だった。
弓谷 大石寺では、遺族から預かった遺骨を使い古しの米袋などに詰め込んで、境内の空き地にゴミ同然に捨てていたんだ。
松原 あれには、驚いたな。いや、皆が怒った。
 桜の虐殺≠ニいい、遺骨のゴミ扱い≠ニいい、まったく前代未聞の残虐な寺だよ、大石寺は。
野村 不法投棄事件では、裁判所が、大石寺の遺骨の取り扱いについて国民の宗教的感情、社会通念に適合しない≠ニまで糾弾。大石寺に対して合計200万円の賠償金支払いを命じた。
弓谷 その判決が昨年12月には最高裁で確定した。
原田 大石寺の責任者は日顕だ。日顕の責任は余りに重い。
 この一事をもってしても、日顕は全信徒に謝罪し、即刻、退座すべきだ。

(2004. 9.11. 聖教新聞)

 

<76>
出席者:秋谷会長、原田副理事長、野村北海道長、中島関東長、松原中部長、弓谷男子部長

中島 先日、学会の墓園の話が出た。世界にも我らの同志の墓園がありますね。
原田 その通りです。アメリカではロサンゼルス近郊のローズヒルズ・メモリアルパーク内にアメリカSGI墓園「永遠のオアシス」がある。
 1000基のお墓があり、毎年「諸精霊追善法要」を営んでいます。
弓谷 韓国SGIでも、第1号の墓園となる「平和公園」が今年の5月に着工した。2006年の開園に向けて、着々と準備が進められていますね。
秋谷 どれほど韓国の同志が待ち望んでいたか。首都ソウルから南東へ車で1時間。自然の豊かな、山紫水明の景勝の地のようだ。
野村 素晴らしい。ぜひ行ってみたいですね!
原田 韓国の墓園は敷地面積が30万平方メートル。納骨堂施設は地上4階、地下1階の堂々たるもので、納骨数3万の墓園となる予定です。
松原 それにアメリカでは、全米最大規模のアーリントン国立墓地で、学会の八葉蓮華のマークを墓石に刻むことが承認されました。
弓谷 その通りです。アーリントン国立墓地では、仏教徒の場合、どの宗派でも「法輪(ほうりん)」しか刻めなかった。
 それが今年6月、学会の八葉蓮華が公式な紋章として、使用を認可されたんだ。
中島 つまり仏教徒は今後は「法輪」か「八葉蓮華」か、どちらかを選べることになったわけだ。
野村 日顕宗のマークなんか眼中にない。ここでも日顕宗が大敗北だな(大笑)。
原田 日本でも、来年には「九州メモリアルパーク」(九州池田記念墓地公園=大分県天瀬町)が完成する。
秋谷 開園に際しては、九州の全同志の名前を埋納し、永久保管することも決まっています。まさしく九州の広宣流布の発展と同志の福徳を象徴する「宝処(ほうしょ)」の墓園だ。

弓谷 ところで前回、話に出たように、学会の墓園、納骨堂は全国で16ヵ所にある。
 すでに墓地がある人も多いでしょうが、新入会員や、まだ墓地を持っていない人もいる。「これから墓地が必要だ」という人は、どうすればいいですか。
原田 まだ募集しているところがありますから、大丈夫です。
 それに墓地だけでなく納骨堂の使用も受け付けています。
弓谷 墓地や納骨堂を申し込むには、どこに連絡すればいいですか? 学会の会館ですか?
原田 問い合わせは、希望する墓園に直接、連絡していただきます。
 各墓園とも火曜日が休園日です。電話での受付は、火曜日を除く午前9時から午後5時まで。ただし関西と九州の納骨堂は午前10時から午後4時まで、となっています。
弓谷 ああ、そうですか。じゃあ、たとえば僕が墓地を希望する場合は、自分で墓園に直接、電話で申し込むわけですね。
原田 その通りです。
中島 それに納骨といえば、これまでは、会館で「遺骨の一時預かり」を受け付けていた。それが今後は「永久収蔵納骨堂」「長期収蔵型納骨堂」で預かるんでしたね。
原田 その通り。納骨堂が整備された地域から、今後は「一時預かり」は受け付けないことになりました。
 しかし、そうは言っても、お墓が買えない。身寄りがない――そういった方々も多い。それらの方々の要望に応えたのが「永久収蔵納骨堂」です。
松原 確かに、他宗の寺などを調べると、納骨堂の永代供養料は30万円から70万円が相場のようだ。それに比べて学会の墓園の永久収蔵納骨堂は5万円以上。それで永久に預かってくれます。
弓谷 本当に学会は有り難い。
 広宣流布に戦い抜いた人は、同志とともに、まさに「生死不二(しょうじふに)」の福徳に包まれた人生を送っていける。その象徴ですね。
秋谷 とにかく墓園や納骨施設については、皆さんの関心が高い。今後とも、学会本部として、会員のさまざまな要望に応えながら、墓園、納骨施設の整備に取り組んでまいりたい。

松原 ところで最近、学会をデマで中傷した雑誌が、学会に公式に謝罪したな。
弓谷 その通りです。学会中傷のデマ記事を掲載した経済誌『週刊ダイヤモンド』が学会側の2度の厳重抗議に対して、9月11日号で謝罪・訂正記事を掲載。
 さらに発行元のダイヤモンド社の高塚猛社長も公式に謝罪を表明した。
原田 社長は「弊社発行の週刊ダイヤモンド8月7日号におきまして、未確認による不正確な表現・数字があり、貴会に対しまして大変ご迷惑を、おかけしましたことを心からお詫び申し上げます」と陳謝した。
松原 それだけ悪質な記事だったということだ。
弓谷 たとえば宗教法人は収支計算書の作成義務すらない≠ネんて書いていた(笑)。まるで学会が収支計算書を作っていないかのようなウソを書いていた。
原田 何いってんだ。
 宗教法人法には厳然と「収支計算書を作成する義務」が定められている。学会に限らず、どの宗教法人も収支計算書を作ることになっている。
 当然、学会も収支計算書の作成も含め、経理は厳格に行っている。
中島 この収支計算書の件については、昨年8月に同じようなデマを載せた雑誌『週刊金曜日』が、すでに訂正記事を出している。
弓谷 一事が万事だ。同じような基本的な間違いだけで20ヵ所以上もある。いかに、いい加減なデマ記事だったか。
秋谷 戸田先生は「信なき言論は煙のごとし」と宣言された。
 確固たる信念、信条のない「言論の暴力」とは、断固、戦え! これが戸田先生の叫びである。
 もちろん、中立・公正な「批判」ならば、いい。だが、悪意のデマ、中傷は断じて許さない。

弓谷 デマといえば先日、アメリカの経済誌『フォーブス』(9月6日号)が事実無根のデマで学会を中傷した。
野村 学会やアメリカSGI、それにアメリカ創価大学等について、ウソ八百の記事を並べ立てたんだ。
中島 アメリカの経済誌が、いったい何で学会の中傷記事なんて載せたんだ?(笑)
弓谷 まったくだ。しかも記事の中身が悪辣千万。
 既に全ての裁判で「名誉毀損にあたる」と明確に断罪された「東村山デマ事件」を蒸し返していた。あたかも学会が、東京・東村山の元市議の転落死に関与しているかのように書いていた。
松原 バカバカしい!
 あの事件では、デマを掲載した『週刊現代』に200万円の賠償と謝罪広告の掲載が命令されている。また同様のデマで『週刊新潮』にも200万円の賠償命令が下っている。
野村 日本のマスコミ界でも知らない人は、いない。有名な事実だ。
原田 それに問題の『フォーブス』の記事は、元市議の娘もコメントを載せているが、この娘も学会との全ての裁判で全面敗訴している。
弓谷 その通りだ。その娘は、自分が発刊しているデマのチラシでも、200万円の賠償を命じられ、学会への謝罪広告も掲載している。
秋谷 アメリカの雑誌とはいえ、全く事実無根のウソだらけの記事だ。学会、アメリカSGI、アメリカ創価大学の代理人であるバリー・B・ラングバーグ弁護士は先月27日、同誌の発行者らに文書で厳重抗議を行った。
原田 抗議書では、基本的な事実関係すら全くデタラメな記事の欠陥を厳しく指摘している。
 さらにまた、抗議書と秋谷会長の抗議文を同誌に掲載するよう強く要求。会長の抗議文については、すでに、その一部が掲載された。
秋谷 さっきも話が出た通り、日本の経済誌も謝罪した。今後とも、あくどいデマに対しては、法的措置も含めて、断固たる姿勢で臨む。手厳しく対処する。ハッキリ言っておく。

(2004. 9.14. 聖教新聞)

 

<77>
出席者:秋谷会長、原田副理事長、中島関東長、野村北海道長、松原中部長、弓谷男子部長

弓谷 今月8日、池田先生がロシア、当時はソ連を初訪問されてから30周年を迎えました。
原田 あの池田先生の訪ソが、今になってみて、どれほど画期的、歴史的なものであったか。何しろ米ソ冷戦の一番厳しい時代だった。何よりも「核の脅威」が広がっていた。
松原 しかし日本から見ると、ソ連は鉄のカーテンの国∞怖い国≠ニいう印象が皆にあった。政治家も日本の将来を考えて本気で行動する人間がいなかった。
秋谷 だからこそ、池田先生は行動された。
 当時の状況を知る識者は、先生の先見性を異口同音に讃えている。
中島 先日の聖教新聞(9月8日付)でも報じられていたが、当時、在日ソ連大使館の参事官だったクズネツォフ氏も、こう語っていた。
 「あの難しい時期に、あれだけの短期間に、民間レベルで、ソ連と中国の両国首脳と会えるような人物は、日本のみならず、どこを探しても見つからなかったと言えるでしょう」「30年前の池田会長の『第一歩』が、表には見えない『種』となり、『根』となって、両国民の心に大きく花開いてきた」と。
野村 まさしく、21世紀を見据えての「平和」と「文化」と「教育」の行動が開始されたわけだ。先生は中国もソ連も日本の隣国であり、友情を結ばなくては、日本とアジアの平和、安定はない≠ニいう強い信念だった。
秋谷 何しろ、日本は目先のことしか考えない。「宗教者が、なぜ共産主義の中国、ソ連に行くのか」等々、それはそれは執拗な、また悪意の中傷があった。
中島 宗門の愚劣な坊主連中もどうして折伏できない国に行くのか≠ネんて言ってたな(大笑)。
原田 内外ともに無理解の壁。中傷の嵐。どこにも味方はいなかった。その中を先生は、日本のため、世界平和のために敢然と道を開かれたのです。
秋谷 重大な歴史だ。先生の初訪ソの歴史については、また改めて語り合いたいと思う。

松原 さらにまた、先生が訪ソされた74年の年末には、学会と日本共産党との間に「創共協定」が結ばれた。これも「宗教と共産主義の共存」という、文明史的意義の上から結ばれたものだった。
中島 するとまた、それを面白く思わない勢力が陰湿に妬みはじめた。「学会は共産党と手を結ぶんじゃないか」と邪推し、反発しだした。
秋谷 実は、あのデマスキャンダルを書いた「月刊ペン事件」も、こうした当時の動きの中で起こったことだ。
 『月刊ペン』が学会批判のキャンペーンを始めたのは75年。時期的には先生の訪中、訪ソ、そして「創共協定」が表面化した直後のことだった。
野村 その通りだ。そのことは「月刊ペン事件」の裁判の判決にも、ハッキリ書かれている。
 「被告人(=『月刊ペン』編集長の隈部大蔵)は、昭和50年8月ころ、当時表面化した創価学会と日本共産党との間のいわゆる創共協定に対し、教義上の立場から疑問をつのらせ、『月刊ペン』誌に創価学会批判記事を掲載することを企画し」(東京地裁、昭和58年6月10日)等とある。
中島 一目瞭然だ。謀略の舞台裏が、明らかじゃないか。
 要するに「月刊ペン事件」の本質とは「嫉妬」と「怨念」の輩が仕組んだデマ事件、政治的な謀略事件だったということだ。

松原 『月刊ペン』というのは、もうとっくに廃刊になったが、右翼絡み、総会屋絡みの3流雑誌だった。どっかを脅したり、因縁をつけては、商売をするという手口だった。それに隈部は「大乗教団」という宗教団体の幹部だった。判決に「教義上の立場から」とあるのは、そのためだ。
秋谷 あまりにも、ひどい事実無根の中傷記事だったので、学会側はデマを書いた隈部を名誉毀損で刑事告訴。隈部は逮捕され、勾留されている。
原田 どれほどインチキな作り話だったか。
 何しろ判決でも隈部は当時、仲間のライターから「ネタ元の人間も、タレ込んだ人間も、素性が怪しい。要注意人物だ」「記事は載せないほうがいい」と忠告を受けていた≠ニ明確に認定されているほどだ。
弓谷 その上で判決はデマ記事の作成にあたっては「具体的にも一層の慎重さが必要な状況にあったと考えられる」と結論している。
中島 にもかかわらず隈部はデマ記事を書いた。それほど根深く嫉妬に狂い、金儲けに狂っていたということだ。
弓谷 当然、裁判で隈部は厳しく断罪された。最終的に罰金20万円の有罪判決が下された。これは当時としては最高額の罰金刑だ。
原田 しかも隈部は、池田名誉会長をはじめ学会に「詫び状」まで書いている。
 「(『月刊ペン』の記事には)事実の確認に手落ちがあり思いちがいがありました」「行過ぎのあったことに対しては、率直に遺憾の意を表明致します」とハッキリと謝罪している。
松原 それだけじゃない。この『月刊ペン』のデマを利用して、学会攻撃を目論んだ、極悪ペテン師の山崎正友。こいつの謀略も大失敗したことは、ご存じの通りだ。
中島 あんなデマに飛びついたからだ。
野村 何しろ山崎のウソは、作り話ばっかりだから「いつ」「どこで」「誰が見たんだ」と厳しく追及すると、すぐウソとバレる。
 結局、法廷で山崎らはウソをついた≠ニ20回以上も断罪されて、赤っ恥をかいた。
原田 そして山崎は、自分の犯した恐喝事件で懲役3年の実刑判決を受けて服役。商売道具にしていた、弁護士の資格もなくし、完全に社会の落後者となり、今では日顕のところぐらいしか出入りできない(笑)。
弓谷 それに山崎は、自分の汚らわしい不倫事件まで発覚して、断罪されたほか、今年3月には、デマ記事などで2度も断罪され、今なお20数件もの裁判を抱え「裁判地獄」でのたうち回っている。
秋谷 先生の偉大な民間外交への嫉妬に端を発した「月刊ペン事件」だった。結果から見て、あのデマ事件が、いかに政治的な謀略事件だったか。山崎が関わったことで、その真相、内幕が、一段と浮き彫りになったと言える。
原田 仏法上も「猶多怨嫉(ゆたおんしつ)」「悪口罵詈(あっくめり)」と経文にある通り、偉大な発展をすればするほど、謀略と戦わなければならない。また戦い勝ってこそ偉大な前進がある。
秋谷 先生と会談され、対談集の準備も進められている、アルゼンチンの人権活動家のエスキベル博士(ノーベル平和賞受賞者)は、こう喝破している。迫害こそ正義の証である≠ニ。
 事実無根のデマの嵐こそ、真実の「正義の人」である何よりの証だ。

(2004. 9.15. 聖教新聞)

 

<78>
出席者:秋谷会長、青木理事長、高柳婦人部長、杉山青年部長、弓谷男子部長、館野女子部長

青木 我々が支援している公明党は、統一外地方選挙で102ヵ月連続の完全勝利を果たしている(本年8月現在)。
 今月12日に行われた、愛知県の岡崎市議選、大阪府の和泉市議選も、見事「全員当選」だった。
秋谷 支援してくださった皆さま、本当に、ご苦労さまです。当選した議員は、支持者の大恩を断じて忘れてはならない。絶対に初心を貫いてもらいたい。
高柳 特に公明党は、どんどん女性の声を聞いてもらいたい。新しい政治の流れを作ってもらいたい。
杉山 一方で、あの共産党は、ますますボロボロだ。岡崎市では、前回に比べて2500票以上も票を減らした。
弓谷 和泉市では、今回の選挙で候補者を一人減らして1議席減。得票数でも結局、3000票も減った。
杉山 共産党は、この7月の参院選でも大惨敗。改選の15議席が、たったの4議席にまで減ってしまった。この、すさまじい退潮は、国政選挙だけじゃない。地方選挙でも、あっちこっちで負けっ放し。完全に足元から弱り切っている。
館野 あのデマ宣伝! 独善! 陰険な密室主義! 市民から嫌われるのも当然よ。

弓谷 デマといえば、裁判所からも名誉毀損で断罪が確定した、デマ坊主の日顕だ(笑)。
杉山 実は先月26日、大石寺の大講堂に全国の坊主が集まった。そこでも日顕は、とんでもない発言をした。
青木 裁判が負け続きで、イライラしているんだろう(笑)。今度は一体、何を言い出したんだ?
弓谷 この日、日顕は3時間も下らない説法≠やった。そのなかで「山崎正友は、学会とケンカして、その後、宗門の信徒となって、学会対策の陰で、急先鋒に立ってやっている」などと、さんざん山崎を持ち上げたんだ(爆笑)。
青木 バカなやつだ。どうだ、オレは、こんなやつを裏で使ってんだ≠ニ坊主たちに自慢したつもりなんだろう(大笑)。
杉山 何いってんだ。凶悪な恐喝事件を起こして懲役3年。しかも、さんざん宗門を引っかき回してきたペテン師じゃないか(大笑)。
青木 坊主たちも、さぞ呆れ果てたろうな。
高柳 しかも「山崎正友は宗門の信徒」宗門は山崎を陰で使っている≠ニ明言しちゃったんですからね。
弓谷 重大な発言だ。日顕本人が初めて公式の場で宗門は山崎と結託している≠ニ認めたんだ。
秋谷 宗門が、それほど狂い、腐りきってしまったという証拠だ。
 日蓮大聖人、日興上人が、この下劣さ、大謗法を、どれほどお怒りか。
 日顕は自分が首謀したデマ事件で、最高裁で2度、断罪された。山崎には凶悪な恐喝事件で懲役3年の実刑判決が下った。
 その極悪人二人の結託が(笑)、とうとう白日の下に晒されたんだ。
杉山 しかも「日顕の口から」だ(大笑)。

青木 ここまで日顕が狂ったのも、学会を切った「仏罰」だ。
 日顕のやつは悩乱した揚げ句、真っ先に自分をニセ法主だ≠ニ罵倒した山崎に頭を下げたんだからな。
杉山 その通りだ。山崎は週刊誌で、日顕を、さんざん罵った。「法主にふさわしくない野心家であり、乱れた生活」「相伝をいつわって登座」「独裁者」「宗門で一、二を争う遊とう児」「ゼニゲバ」云々と、さんざん罵詈雑言を浴びせかけていた。
青木 頭にきた日顕も、「あんたは大ウソつきだ」と山崎本人を怒鳴りつけて、大石寺の出入りまで禁止した。
 「(山崎は)地獄へ何回堕ちても足りないほどの罪が存する」と怒り狂っていた(大笑)。
杉山 ところが、臆病者の日顕は「C作戦」を始めた途端、不安になった。それでコロッと態度をひるがえして、山崎に泣きついた。
 「あの時はウソつきと言って悪かった。勘弁してください」なんて言って、あれだけ自分をバカにした山崎に「ひれ伏した」んだ。
秋谷 以来13年間、ずっと「山崎が師匠。日顕が弟子」だ(笑)。
 日顕は、山崎の言いなりになって、バカげた謀略に血眼になってきた。
青木 ところが全部、大失敗(笑)。宗門の公称信者数は約1800万人から、たったの28万人に激減。しかも、この数だって大幅な水増しだ(笑)。実質は、せいぜい数万人しかいない。
弓谷 そのうえ、日顕一派は最高裁から7度も断罪された。日顕本人も、最高裁で悪辣なデマが断罪され、2度も賠償命令を食らった(笑)。
杉山 これだけ生き恥を晒しても、日顕は法主を辞めない。いや、辞められない。
弓谷 今、日顕が辞めたら、日顕に恨みを抱く別の派閥の坊主から、何をされるか分からない。「ニセ法主」の正体をバラされて「除歴」(=歴代法主からの削除)されてしまうからだ。
館野 まさに「進むも地獄、退くも地獄」ね(笑)。

青木 それにしても、あんな大ウソつきの恐喝男を「用心棒」に使うバカが、どこにいるんだ?
弓谷 山崎は山崎で、さぞビックリしただろうな(大笑)。
 「あの野郎! ベラベラしゃべりやがって!」って、カンカンに怒ってるんじゃないか(爆笑)。
杉山 間違いない(笑)。
 山崎というやつは、以前、あいつと長年の「仲間」だった内藤国夫も言っていたように「表に出られない人間」だ(笑)。
 ドブネズミみたいに、陰でコソコソ動き回って、卑しく獲物を漁る。そういうやつだ。
弓谷 山崎も山崎でオレは表に出ない。裏で実権を握るんだ≠ニ言い放ってきた。表に出たり、自分の動きが暴かれることを極端に警戒し、怯えきってきたやつだ。
 自分が日顕に書いた手紙の中でも宗門とは関係なく動いていることにしてもらいたい≠ニ念を押していたほどだ。
青木 それが、あろうことか、味方のはずの日顕の口からバラされちゃったんだからな(大笑)。
高柳 まったく日顕も愚かね。そんなの公言しちゃったら「陰で使っている」ことにならないじゃないの(爆笑)。

秋谷 日顕というのは、そういう男だ。とにかく黙っていられない(笑)。臆病だから、わざわざ言わなくてもいいことまで、自分でしゃべってしまう。いつだって、そうじゃないか。
弓谷 それほど追い詰められているということだ。その証拠に説法では、ほかにも意味不明なことを口走っていた。
 「日記だって後から作れる。文章を作ったり、この日だ、この日だ、とすればそれでいいんだから。しかも、徹底的にインクの色とか、紙なんか、いろいろ・・・・」などと、喚(わめ)いていたようだ。
杉山 いったい何が言いたいんだ、あいつは?(爆笑)
青木 しかし、3時間もダラダラ話して「シアトル事件」「芸者写真事件」の話は一切なし、か。
杉山 坊主や法華講が聞きたいのは「シアトル事件」と「芸者写真事件」。この二つだよ。
 話すんだったら、この二つの事件について話せばいいじゃないか。
弓谷 その通りだ。肝心の急所についてはダンマリ。言わなくてもいい「山崎との結託」やら「インクの色や紙」の話は、グダグダ。
青木 これじゃあ、聞かされる坊主たちも、たまったものじゃないな。
 みな、怒っていることだろう。シアトルや芸者の話をしたくないから、わざわざ下らない長話で、ごまかしたんじゃないか≠チてな(大笑)。

(2004. 9.16. 聖教新聞)

 

<79>
出席者:秋谷会長、鈴木副会長、江藤副会長、杉山青年部長、弓谷男子部長

杉山 先日、池田先生のソ連初訪問(昭和49年9月)について話が出ましたが、当時の模様を、もう少し詳しく教えてほしいという声が届いています。
秋谷 大切な歴史です。そこで今回は当時の経緯に詳しい鈴木副会長、江藤副会長に来てもらった。
鈴木、江藤 よろしく、お願いします。

秋谷 実は、ソ連からは、昭和30年代に、学会に招へいの話がありました。池田先生より「青年部の代表が行ってはどうか」とのご提案をいただき、1963(昭和38)年9月に、当時、青年部長であった私と代表が、学会幹部として初めてソ連に行かせていただいたのです。
 招へい元はソ連の「今日のアジア・アフリカ」編集局で、10日間にわたって、モスクワ、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)、キエフ(現・ウクライナの首都)、トビリシ(現・グルジアの首都)などを回らせていただいた。
 すでに、そのころから先生は、ソ連との交流に心を砕かれておられたのです。
杉山 将来を考え、手を打たれたわけですね。
秋谷 そうです。その11年後に先生の訪ソが実現しました。
鈴木 しかし、当時でも日本でソ連といえば「怖い国」「一番嫌いな国」という印象が強かった。
 それだけに手に入る情報も、ほとんどなかった。むしろ反ソ連≠フ立場からの資料が多かった。とにかく実情、実態が掴めない。それほど日本とソ連は疎遠でした。
江藤 実は、宗教の指導者が来るというので、ソ連側も、かなり不安だったようです。ソ連側の受け入れ責任者を務めたコワレンコ氏(元ソ連共産党中央委員会国際部副部長)も証言している。
 「ソ連共産党指導部、共産主義者は、池田先生、創価学会代表団のソ連訪問を、はじめ歓迎しなかった」「指導部は、創価学会について正しい情報を持っていなかったからです」と当時の事情を明らかにしている。
弓谷 すると、どういう経緯、契機で、ソ連への訪問が実現したのか。先生の中国訪問については、よく知られていますが、訪ソの歴史は、あまり知りません。
 その点から、お願いします。
鈴木 分かりました。直接の発端は、初訪ソの前年である1973年の12月7日のことです。
 池田先生は、ソ連科学アカデミー会員のナロチニツキー氏、準会員のキム氏を創価大学に迎えて会談されました。
江藤 ちょうど、その月から、東京の後楽園競技場(当時)で「大シベリア展」が開催されたんです。シベリアで発掘されたマンモスの完全骨格と剥製が、ソ連国外で初めて公開されるという展示会でした。
杉山 そうでしたね。私は小学生でしたが(笑)、マスコミでも大変、話題になったのを覚えています。
江藤 主催は、大シベリア博委員会と毎日新聞社でした。展示の成功のために、池田先生のリーダーシップにより、創価学会としても協力した。
 そのことが機縁となって、先生とナロチニツキー氏、キム氏の会談になったんです。

江藤 この会談でナロチニツキー氏とキム氏から「ぜひ、モスクワにお越しください」と、ここで初めて、訪ソの要請があったのです。
鈴木 ところが、その後、ソ連からは正式な招待状が、すぐには届かない。
 考えてみれば、創価学会は宗教団体。ソ連は共産主義国。しかも先生は、当時、ソ連と敵対関係にあった中国の国連参加、日中国交回復を提言しておられる。
 コワレンコ氏がソ連の指導部は学会について正しい情報を持っていなかった≠ニ述懐しているのも、そのあたりのソ連の空気を指して言ったのでしょう。
江藤 結局、翌年(1974年)になって、モスクワ大学の招へいというかたちで、訪ソが決定したのです。
杉山 何から何まで困難を極めていたのですね。
 今からは、想像もつきません。
鈴木 訪ソは決定したが、さっきも言ったように、我々は正直、不安でした。
 そんな折、池田先生から、私ども随行メンバーに「世界平和のために行くのです。しっかり祈って」と伝言を、いただいたんです。
 「世界平和のために」。どれほど先生が、断固たる決意でいらっしゃったか。皆が勇気百倍でした。
弓谷 先生は出発の前日の夜には、新宿区の大願寺を訪れられていますね。
秋谷 大願寺は1972年3月に、池田先生が発願主となって寄進された寺です。できて間もないころだった。
鈴木 当時の大願寺には、今は池袋の法道院にいる早瀬日如がいた。学会本部のある新宿区の寺ということで、先生が、どんなに大切にし、真心を尽くされたか。
 ソ連への出発の直前まで、直接、足を運ばれたという一事をしても、よく分かるでしょう。
杉山 そして今、現実にロシアにも妙法を持ったメンバーが、モスクワはじめ各地で喜々として社会の中で活躍している。
 この現実を考えると、どれほどの意義があったか、深く実感します。
秋谷 池田先生こそ、日蓮大聖人の御遺命通りに仏法を弘められた大功労者です。本当に全宗門の、全末寺の大恩人であられた。
 それを日顕は嫉妬に狂い、裏切り、切ってきた。どれほど極悪人か!
 血の通った人間にできることでは、到底ない。
鈴木 池田先生は74年9月8日午前11時過ぎ、羽田空港からソ連へ出発されました。この日は日曜日でした。
 モスクワのツェレメチェボ空港に第一歩をしるされたのは、同日午後3時12分(日本時間同9時12分)。東京もモスクワも、素晴らしい晴天でした。
秋谷 歴史的な瞬間だった。
 先生は10日間の訪問で、当時のコスイギン首相をはじめ、ノーベル文学賞作家のショーロホフ氏、モスクワ大学のホフロフ総長など、各界のリーダーと次々と会見し、深い友情を結ばれた。冷戦の「鉄の扉」を開いた、まさしく人間外交の真髄だった。

江藤 超過密スケジュールでの行動でした。文化省、教育省、ソ連科学アカデミー、ソ連対外友好文化交流団体連合会等々を訪問。主なものだけでも20数回もの要人との会談、協議を重ねられました。
鈴木 さらに先生は、行く先々で学生と懇談したり、地元の記者のインタビューに応えるなど、それこそ寸刻、寸秒を惜しんで動かれました。
 申し訳ないことに、随行メンバーと、ソ連側の担当者が、先生の宿泊される部屋に集まり、深夜まで打ち合わせをさせていただくことが、たびたびでした。先生にも、奥様にも、ずいぶん御迷惑をおかけしてしまいました。
江藤 モスクワ大学と創価大学の交流が決まったのも、この時でした。
 まさに、この初訪ソで、日ソ両国間の文化・学術交流の扉が本格的に開かれたのです。
鈴木 とにかく先生のエネルギッシュな行動に、ソ連の要人たちも驚き、盛大に歓迎してくれました。ソ連の方々が私ども随行メンバーにも、とにかく「食べろ、食べろ」と出してくれる(笑)。
 おかげで私も、数`も太ってしまったくらいです(大笑)。
杉山 モスクワ大学のトローピン教授は、先生の初訪ソを、ロシア革命を描いたジョン・リードの不朽の名作『世界をゆるがした十日間』になぞらえていましたね。
 「短い滞在だったが、これは世界を揺るがした十日間≠セった」と。
鈴木 ソ連の心ある方々にとって、それが実感だったのでしょう。何しろ日本とソ連の間には、政府間の文化交流の協定すら結ばれていなかった時代です。
江藤 当時、在日ソ連大使館の参事官として、先生の初訪ソに協力してくださった、クズネツォフ氏(元ロシア外務省アジア太平洋局長)も証言しています。
 「創価学会を母体とした創価大学や民主音楽協会は、わが国との文化・学術交流に積極的に関わり、両国の関係の進展を促してきました」
 「そしてそれが、国際関係が緊迫した際に、ソ連・ロシアと日本との衝突を回避する役割を幾度となく果たしたのです」と語っておられる通りです。
秋谷 後で触れるが、これほどの大偉業を、日本は「島国根性」だから妬(ねた)んでばかりだった(笑)。
 「木を見て森を見ない」というか。深い哲学も、信念もないから、狭量で、偉大な真実が見えない。それが今の世界の中で、経済は注目されるが、本心では信頼されない日本の現実の姿になっている。

(2004. 9.17. 聖教新聞)

 

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出席者:秋谷会長、鈴木副会長、江藤副会長、杉山青年部長、弓谷男子部長

弓谷 池田先生の第1次訪ソ(1974年9月)の圧巻が、コスイギン首相との会見ですね。
鈴木 当初、首相との会見は、予定になかったのです。
 しかし、訪ソ中の先生の平和への行動、友好への信念を通して、ソ連側の認識が、みるみるうちに変わっていった。そして急遽、日程の最終日に、首相との会見が実現したのです。
杉山 そうだったんですか。ソ連側も、ずっと見ていたんですね。
江藤 何よりも、コスイギン首相自身の強い要望があったと、後で聞きました。
鈴木 1時間半にもわたる、本当に素晴らしい会見でした。
 首相が「あなたの根本的なイデオロギーは何ですか」と尋ねる。
 先生は即座に「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です」。
 すると首相は「この原則を高く評価します。この思想を私たちソ連も実現すべきです」と。
秋谷 会見の模様は、私も詳しく聞いている。
 ――ソ連側はコスイギン首相をはじめ、政府と党の首脳が、ズラリと席についている。
 ところが先生は、終始、泰然、悠然としておられる。ソ連側の質問、問いかけにも電光石火で鮮やかに切り返していかれる。まるで火花を散らすような、やり取りの連続。先生のスピード、頭脳の回転の早さ、当意即妙(とういそくみょう)の対話に、ソ連側も思わず感嘆の声を上げていた――と。
鈴木 その通りです。そして先生は、この3ヵ月前に訪問した中国の印象を率直に語った。
 中国で先生は、主にソ連からの核攻撃に備えた、巨大な地下防空壕を視察され、中ソの緊張関係を実感された。
 そこで「中国はソ連の出方を気にしています。ソ連は中国を攻めるつもりがあるのですか」と質(ただ)した。
 首相は「ソ連は中国を攻撃するつもりも、孤立化させるつもりもありません」。
 さらに先生は「それを中国の首脳に、そのまま伝えてよろしいですか」と確認。首相から「結構です」と明確な回答を引き出したのです。

江藤 先生は、その3ヵ月後の74年12月、再度、中国を訪問。
 コスイギン首相の言葉を直接、中国のケ小平副首相(当時)に伝えておられます。あの中ソ間の危機の時代にです。
秋谷 コスイギン首相は会見の終わりに、先生に、こう語ったそうだ。
 池田会長のおっしゃられたことに厚くお礼を申します。会長が提起した問題を考えていきます。重要な友人の言葉です。どんな障害が生じても会長がいる限り、ソ日の友好は崩れないでしょう。私は会長に会えてよかった≠ニ語っておられた。
弓谷 首相は自宅に戻ってからも令嬢に「今日は非凡で、非常に興味深い日本人に会ってきた。大変複雑な問題に触れながらも、話がすっきりできて、うれしかった」。このように語っていたと、うかがっています。
鈴木 その通りです。先生は第2次訪ソ(75年5月)の際もコスイギン首相と再会を果たされました。そして第3次訪ソ(81年5月)の折、首相令嬢のグビシャーニ女史とも会見なさっています。首相が亡くなった直後でした。
江藤 グビシャーニ女史は、首相を偲んでの先生の訪問に「嬉しい、大変に嬉しい」と心から喜んでおられました。
 どれほど父が池田先生を尊敬していたか。どれほど先生に会いたがっていたか。私には、よく分かります≠ニ、涙を浮かべながら語っておられた。
 そして家族全員で相談し、父の遺品を、ぜひ先生に、お贈りしたい≠ニ申し出られたのです。
鈴木 それが首相の肖像のあしらわれた、クリスタル製の花びんです。首相が60歳の時に社会主義労働英雄≠ニして贈られた貴重な品です。
秋谷 大切な記録として、東京牧口記念会館(八王子市)に展示されています。

江藤 その後、池田先生は、ソ連、ロシアの時代を通じて計6度にもわたって訪問。歴代首相をはじめ、ゴルバチョフ大統領、モスクワ大学の歴代総長などと対談を重ねてこられています。
秋谷 コワレンコ氏(元ソ連共産党中央委員会国際部副部長)は、こう証言している。
 「(池田名誉会長は)ソビエト時代の3人の首相、コスイギン、チーホノフ、ルイシコフ氏とも会見をされており、もちろん、3人の歴代首相と対話を行った日本人はいない」と明言している通りだ。
弓谷 特に90年のゴルバチョフ元大統領との会見は、電撃的でした。あの会見で、ソ連の国家元首の史上初めての訪日の意向が表明されたのですから。
秋谷 私も日本で、NHKの午後7時のニュースで見た(笑)。当時、いつゴルバチョフ大統領が訪日するかが、日本でも注目されていた時だった。
鈴木 会見の終了後、重大なニュースなので、先生自ら日本の報道陣への記者会見に望まれ、その内容を説明されたのです。
江藤 実は、先生と大統領が会見した前々日、当時の桜内義雄衆議院議長が大統領と会見したのです。ところが、北方領土問題で決裂し、大統領の訪日については白紙に戻りかけてしまった。
杉山 その時の模様は、長岡大学教授の中澤孝之氏の著書『ゴルバチョフと池田大作』にも詳しく書かれていますね。
鈴木 中澤教授は、時事通信社のモスクワ支局長などを歴任された方だ。日本でも有数のソ連、ロシア通の方です。
弓谷 中澤教授の本によると、大統領と桜内議長の会見に同行した、当時の駐ソ大使の枝村純郎氏も、頭を抱えたそうだ。
 「ゴルバチョフは、日本側が領土問題しか取り上げないのであれば、両国政府間で協議されていた訪日は再検討せざるを得ないと言い出した」と枝村氏は述懐している。
 それほど深刻な事態だった。

鈴木 ところが、その2日後、先生が大統領と初会見された。そして、大統領は「できれば、来年春、桜の咲くころに日本を訪問したい」という意向を先生に明かしたのです。
 大統領が訪日の時期を明言したのは、これが最初のことでした。
秋谷 まさに歴史的なビッグニュースだった。翌日の新聞各紙も1面トップで「ゴ大統領、来春訪日を明言」(読売新聞)、「ソ連大統領、来春訪日を明言」(朝日新聞)等と大々的に報道した。
 皆が驚き、また安堵した。
杉山 枝村氏も、当時の心境を「予想外の朗報」「正直、ほっとしました」と自著などに綴っていますね。
江藤 実は、会見の前日だったと思いますが、先生と同じ宿舎に泊まっていた桜内議長から、ご挨拶したいという申し出がありました。しかし、先生が議長を訪問し民間の立場ですけれども、明日、ゴルバチョフ大統領との会見に臨んでまいります≠ニ礼儀を尽くされたのです。
杉山 ああ、そういうことがあったのですか。

弓谷 先生とゴルバチョフ氏は、これまでに8度、会見されています。
 私も93年、創価大学4年生の時に、創大記念講堂で行われた、ゴルバチョフ氏の名誉学位就任の記念講演会に参加させていただきました。光栄にも、その際、私からゴルバチョフ氏に「創価友誼(ゆうぎ)之証」を贈呈させていただきました。
江藤 先生とゴルバチョフ氏の対談集である『二十世紀の精神の教訓』も、日本語、ロシア語のほか、ドイツ語、フランス語、イタリア語、韓国語、中国語の7言語に翻訳・出版され、大反響を呼んでいます。
鈴木 本当に深い友情を結んでおられる。
 それを妬んで、ゴルバチョフ氏と会うために、あろうことか「学会が数十億円もの金を使っている」などと、デマで中傷したバカな売文屋もいたな。
秋谷 バカバカしい! そんな大金、どこから出せるんだ。
 もし「金を出した」のなら、税務署が克明に調べている。
 そもそも学会は、何によらず、お金を出す場合は、宗教法人法、学会規則に則り、責任役員会の議決や所定の手続きをきちんと踏まなければ、できないことになっている。そんなことも知らないのか(笑)。
弓谷 だいたい「金で買った」と言うんだったら「いつ」「どこで」「誰が」「誰に」「いくら払った」のか。具体的に事実と証拠をハッキリ挙げて書くべきだ。それが何一つ、ないじゃないか。それこそデマの証拠だ。
杉山 当時、学会の広報室が抗議したら、全く何も言わなくなった(笑)。本当に愚劣だ。
弓谷 だいたい学会には何も取材していない。事実の確認もしない。こんなの、狂気の沙汰だ。日本の恥だ。
江藤 ゴルバチョフ氏も、こういう類のデマには、本当に怒っておられた。失礼千万な話だ。
弓谷 ドイツの詩人ハイネは、こう喝破している。「人間が偉大になればなるほど、中傷の矢に当たりやすくなる。小人には中傷の矢さえ当たらない」
 まさに日本の嫉妬社会のことじゃないか。

(2004. 9.18. 聖教新聞)