< 座談会 >

栄光の学会創立75周年

第2部


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<11>
出席者:青木理事長、原田副理事長、谷川総東京長、杉山青年部長、弓谷男子部長

悪党は自滅する

青木 御聖訓には「どしうち(同志打)出来(しゅったい)すべし」「ただどしうちばかりなりけり」と仰せであられる。
 その通り、悪党は「自滅」する。仲間同士が分裂し、いがみあい、ともどもに滅びていく。
原田 その通りだ。日蓮大聖人の一門を迫害し抜いた平左衛門尉頼綱(へいのさえもんのじょうよりつな)。長男の密告で二男もろとも滅ぼされた。長男も、後に佐渡に流罪。一族もろとも凄惨な最期を遂げた。
青木 「自界叛逆(じかいほんぎゃく)」の厳罰(げんばち)だ。
谷川 今、あの日顕宗も同じ姿になってきた。あっちこっちの末寺で、坊主と檀徒が、檀徒と檀徒が、いがみあっている。いよいよ四分五裂(しぶんごれつ)だ。
杉山 これも全部、日顕の独裁が招いた結果だ。
 皆、心はとっくに日顕から離れている。
 ただ、昔っからの檀家というだけで、惰性で宗門についているだけだ。
弓谷 そのなかで、独裁者の日顕に必死に取り入ろうと狙っている、珍しい連中がいる。
杉山 理境坊(坊主=小川只道)の檀徒の一派だ。
原田 問題ばかり起こして、宗門の中でも鼻つまみ者扱い、異端者扱いされている一派だな(笑い)。
弓谷 その通りだ。日顕に取り入って、宗門の乗っ取りを狙っている。「あそこは、昔の妙信講みたいに、必ず宗門から独立する」「日顕だけにゴマをすって、ほかの坊主をバカにしている」と陰口ばかり叩かれている。

縄張りを拡大!?

杉山 この檀徒一派は、もともと東京・池袋の法道院の所属だった。ところが、坊主とゴタゴタばかり起こした揚げ句、理境坊に鞍替えした。
弓谷 法道院といえば、このあいだ総監になった早川日如がいる寺だ。
 親父の早瀬日慈の時代から、この一派はいざこざ続き。早瀬一族とは「不倶戴天(ふぐたいてん)の敵」「犬猿の仲」だ。
青木 有名だ。もしも早瀬が法主になったら、真っ先にブッ潰される連中だよ(爆笑)。
原田 だから、よけいに焦っている。今のうちに日顕に取り入って、宗門を牛耳ろう、足場を完全に固めておこうと血眼だ。
杉山 そのようだ。
 そのために、最近では折伏の応援≠ニか何とか言って、あっちこっちの末寺にまで、ウロウロと出入りしているようだ。
原田 宗門内の坊主も、法華講も、怒っているよ。「なんだ、理境坊所属なのに、縄張りを広げようという魂胆か」「いい気になりやがって!」と、鬼のような形相だ(笑い)。
弓谷 しかも、連中が行ったところで、何の役にも立たない。もちろん、折伏なんか、全然できない。結果は、さんざんだ。
杉山 連中にとっては、折伏できようが、できまいが、どうでもいいんだよ。
 目的は、あくまでも「縄張り」を広げることだ。宗門の乗っ取り工作をコッソリと進めることだからだ。
原田 それにしても、あんな連中の手を借りる寺が、よくあるもんだ。よっぽど「落ち目」の寺なんだろうな(笑い)。
杉山 その一つが、青森市の専妙寺だ。
谷川 あの「密漁ダイバー」沼田凡道の寺だ。仕事そっちのけで、しょっちゅう海に潜っては、ウニやアワビを密猟していた坊主の寺だ(笑い)。
弓谷 地元では、沼田の下劣な正体が知れ渡っている。法華講も続々と脱講している。
青木 それで沼田のやつ、とうとう鼻つまみ者の檀徒一派にすがりついたわけか(笑い)。それで、応援してもらった結果は、どうだったんだ?
弓谷 案の定、ものの見事に大失敗だった(爆笑)。ただの一人も折伏できず、恥だけ晒して、スゴスゴ引き上げていった(大笑い)。
谷川 当たり前だ。あんな無法者の集団、誰が口車に乗せられるものか(大笑い)。

無法者の集団

弓谷 何しろ、選挙の妨害狙いのデマ事件で、最高裁から断罪された男までいる。そういう集団だよ。
杉山 檀徒二人が平成12年4月ごろ、事実無根のデマで公明党と学会を中傷するビラを作成して配った事件だ。インターネット上のホームページにも載せて騒ぎ立てた。
谷川 裁判では、1審、2審に続いて最高裁も檀徒らを厳しく断罪。「賠償金100万円の支払い命令」が確定した。
弓谷 それに、この檀徒の一人には、学会を中傷する別の違法ビラ事件でも、100万円の賠償命令が下っている。
杉山 それだけじゃない。平成13年の参院選の時には、勝てるわけもないのに、日顕にゴマをすって、一派の人間が二人も立候補した(笑い)。
弓谷 当然、大惨敗。そのうえ「公職選挙法違反」の事件まで起こして、刑事告発された。
青木 他人の選挙の妨害を狙って、デマビラ、違法ビラで2度も断罪。自分たちが選挙に出ても、平気で違反をやる。ほかの寺の法華講や坊主から毛嫌いされるはずだ。
谷川 しかも、だ。あの極悪ペテン師の山崎正友も、この檀徒グループとグルだ。所属も同じ理境坊だ。山崎が自分で白状している。
青木 それにしても、法道院というのは、昔から早瀬一派の根城だ。その法道院の乗っ取りを図った連中だ。
 そこに、宗門の乗っ取りを狙ってきた山崎が組んだ――狙いは誰が見たって、ハッキリしているじゃないか。
原田 その宗門乗っ取り作戦が、いよいよ本格的に動きだしたということだ。
 日顕に取り入り、手玉に取る。手はじめに、法華講を牛耳り、全国の末寺にも縄張りを広げる。
杉山 宗内でも「とうとう動きはじめたな」と専らの噂だ。
青木 いや、だいたい日顕自体が法主を詐称して、宗門を乗っ取った男じゃないか。「還著於本人(げんちゃくおほんにん)」だ。今度は日顕が乗っ取られる番だ(大笑い)。

(2005. 7.14. 聖教新聞)

 

<12>
出席者:秋谷会長、青木理事長、萩本第2総東京長、松原中部長、田村九州長

日顕一派も熟読

青木 この座談会には連日、多くの声をいただく。今回は、その一端を紹介したい。
萩本 それがいい。大賛成だ。あっちこっちのマスコミも、日顕一派も(笑い)、一段と注目しているようだから。
秋谷 とくに「日顕の正体、坊主の実態、山崎正友らの悪辣ぶりが、よく分かった」という声は、毎日のようにある。法華講からもある(大笑い)。
田村 先日も会館で会った壮年部員が言っていた。
 「こんなに坊主が悪かったとは! 座談会を読んで、あくどさが、よく分かった。絶対に許せない」と激怒していた。
萩本 そういえば最近の日顕一派の機関紙にも聖教の座談会を精読しよう≠ニ書いてあったようだな(笑い)。
秋谷 なんだ、宣伝してくれているのか(爆笑)。
青木 もちろん日顕一派だけじゃない。聖教新聞の「正義の言論」を、今や各界の識者が称賛している。
萩本 中国・武漢大学の虞崇勝教授は聖教新聞には邪悪と戦う気概がある≠ニ語っておられた。
松原 ハーバード大学のクイーン博士も学会は社会悪と戦っている∞不正を正す確信と実践に共感する≠ニ話されていた。
青木 東京の婦人部の方が言っていた。
 「先日の座談会に社会的次元と仏法的次元とは違う。極悪との戦いは仏法の次元からの怒りであり、破折である≠ニありました。胸がすく思いです。第一線の婦人部員が喜んでいます。
 だいたい悪と戦わない人に限って良識人ぶって人権≠セの何だのと的はずれの批判をしたがる。現場の婦人部員から見たら、バカバカしい限りですよ」と大笑いしていた。
松原 まったく同感だ。私のところにも、いろいろ来る。
 「あの山崎正友は最近、何をしてんのか。欲に狂って学会を乗っ取ろうとした。もっともっと弾劾するべきだ」。こういう声もあった。
青木 それにデマに対して、一貫して糾弾し続けてきた点も、共感を呼んでいる。
萩本 その通りだ。「日本ほど言論の暴力が横行している国はない。そのなかで聖教新聞は、ハッキリとデマを叩き斬っている。他の新聞にはない」という声があった。
松原 「私も雑誌に事実無根の記事を書かれた。あんな雑誌は廃刊すべきだ。
 泣き寝入りしたくはないが、お金がなくて裁判が起こせない。悔しく思っている時に、聖教の座談会を読んだ。まさに我が意を得たりだ。もっと、もっとデマ雑誌を叩いてもらいたい」。こういう声もあった。
秋谷 それが市民の声だ。怒りだ。

恩知らずを叩け

青木 しかし、なんと言っても、いちばん多いのは「宗教弾圧の政治家! 恩知らずの元議員! もっと手厳しく糾弾してほしい」という声だ。
萩本 最近も「まだまだ生ぬるい!」という声が殺到している。
松原 当たり前だ! われわれ支持者は、どこよりも、だれよりも、真剣に、懸命に応援している。我々には、党に対して厳しく言う権利がある。
 まして、恩を仇で返すやつを弾劾するのは当然だ。許せるわけがない。
田村 「竹入のやつが裏切った時は、正直いってビックリしたが、今ではみな、賢くなった。鋭くなった。議員OBを見る目も厳しくなった。もう騙されない」。こういう声が九州でもあった。
青木 それに「竹入の学歴詐称が発覚してから、もう7年たつ。だが、いまだに竹入の学歴詐称を初めて知った≠ニいう人がいる。
 悪いやつは、何べんでも繰り返して糾弾し続けることだ。そうでないと、後世への戒めにならない。歴史に残らない」。こんな声もあった。
秋谷 御聖訓に「始中終(しちゅうじゅう)すてずして」と仰せのように、戦いに「中途半端」は禁物だ。攻め続けることだ。真実を叫び続けることだ。本当に戦っている人は、よく分かっている。鋭い。
青木 議員といえば「議員は現場第一で戦え」と語り合ったあとに「うちの議員は頑張っているから、ほめてやってほしい」という声もあった(笑い)。
萩本 東京の昭島市の読者からは、こうあった。
 「うちの市議はフットワークが軽い。本当に、よく現場を回る。議員OBも、個人折伏、新聞啓蒙で結果を出していて、みな喜んでいる」と誉めていた。
青木 埼玉県入間市の読者からも「私は学会員ではないが、公明党の議員は、よく現場を回ってくれている。地震の時なんかも大丈夫ですかと電話をくれた」とあった。
松原 そういう声があると、ホッとするな(笑い、拍手)。

支持者の視線

秋谷 それに議員の家族、議員OBの家族。これにも、いろいろな声がある。
萩本 最近も、こんな声があった。
 「『議員の家族は学会活動で頑張れ』と座談会にあった。日ごろ自分が思っていたことなので、胸のつかえがとれた思いです。
 かつて議員OBの家族に会合に出て下さいと声をかけたが出てくれなかった。とんでもないことです。『あのバカ女房は昔から4年に1回しか顔を見ない』と怒っている人もいます」という声があった。
松原 もちろん、しっかりやっている人もいる。
 愛知でも議員OBの夫人が今年も折伏を実らせた。その二人の娘さんも個人折伏を達成した。
田村 九州にも、弘教を実らせた現職国会議員の夫人がいる。
青木 だが、なかには地元の怒りを買っているのがいる。現場の「荷物」「悩みのタネ」「厄介者」がいる。
 議員OBや、その家族が、会合にも出ない。財務もやらない。折伏や新聞啓蒙、支援の活動さえ、まともにやらない――そんなのが、残念ながら、まだいるようだ。
松原 時代が違うんだ。絶対に許すな!
青木 とにかく、坊主、ペテン師、デマのマスコミ、恩知らずの議員や元議員‥‥この座談会では、遠慮会釈なく、悪を斬り、恩知らずを斬ってきた。だからこそ、読者の共感を得ているんだ。
秋谷 それにまた、厳しく言ったおかげで、目が覚めて、堕落、地獄行きから救われた者も多い。この点が重要だ。
 仏法には、すべて意味がある。「ムダ」は、ない。これからも我々は、読者の要望に応えて、大いに語っていこうじゃないか。

(2005. 7.15. 聖教新聞)

 

<13>
出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、杉山青年部長、弓谷男子部長

最期には報いが

弓谷 この座談会では「票狙い」「選挙狙い」のデマを厳しく糾弾してきた。
秋谷 社会のため、未来のための大事な選挙だ。それをデマで汚(けが)す。ウソで騙(だま)す。卑劣な連中だ。
杉山 しかし、どこまでいっても「デマはデマ」だ。やがては正体を見抜かれ、デマを吐いた連中が逆に厳しい報いを受けている。
原田 その通りだ。選挙のたびに薄汚いデマビラを撒いた日顕一派! 裁判で3度も断罪された。
青木 今じゃ、手も足も出ない。この間の都議選でも、ただの一枚も撒けなかった(爆笑)。
弓谷 あの共産党。他人の悪口ばかり、ビラばっかり。それで今回の都議選でも、また2議席減った。
杉山 どのマスコミも「共産敗北」「退潮止まらず」と報道していた。ところが、共産党だけは負けを認めない(笑い)。
弓谷 志位委員長なんか記者会見で「重要な成果」って虚勢を張ってたな(大笑い)。
青木 そうか。本当は「もっと減る」と思っていたんだな(爆笑)。
杉山 そういえば、不破議長も最近、全く姿を見せない。6月以降、一度も表に出てこない。
弓谷 どこで何をしているのか。都議選の応援も全然やらなかった。
杉山 僕の友人が「どうあがいても負け戦(いくさ)だから、さっさと逃げ出したのか」って笑ってたよ(笑い)。
青木 とうとう選挙結果すら誰も責任を取らない党になっちゃったな(大笑い)。
秋谷 とにかくウソは怖い。最後は全部、自分に跳ね返ってくる。
 「ウソをつこう」「他人を騙そう」という心が、自分自身の生命を腐らせ、破壊していく。やがては信用をなくし、誰からも相手にされなくなって滅んでいく。

国会でデマ発言

青木 とくに政治家のくせに平然とウソをつく。デマを吐く。最低だ!
原田 つい先日も、国会議員がウソもウソも大ウソの大暴言を吐いて大問題になったな。
弓谷 千葉県選出の代議士だ。今月8日、衆議院の倫理選挙特別委員会で、悪辣なデマで公明党と支持団体を中傷した。
 「公明党の支持団体の方々の住民票が東京都に移されている疑念がある」などと言い放った。
杉山 学会が都議選のために住民票を移動していたと言わんばかりだった。
青木 バカバカしい!
 だったら「いつ」「何人」移動したんだ。「どこからどこへ」移したんだ。具体的に名前を言え。会ったことがあるのか。
秋谷 公党と支持団体を侮辱したんだ。全てを明確にするべきだ。こんなデマを、あろうことか国会の場で言ったんだ。重大な「宗教弾圧」だ。絶対に許さぬ! 許されることではない。
原田 その通りだ。それができないならば、真っ赤なウソだ。ウソならば、天下に詫びろ!
杉山 当然、公明党は直ちに、この議員に厳重抗議。公式謝罪と発言の議事録削除を求めた。
 また自民党とともに、この議員の懲罰動議を衆院に提出した。
秋谷 当然だ。政治家は政治家同士、政党は政党同士で批判し合えばいい。
 それを、政治家が他党の支持団体を攻撃する。それも、ありもしないウソ八百のデマで一方的に攻撃する。卑劣千万だ。断じて放置してはならない。公明党は徹底的に追及すべきだ。

懲罰動議男

杉山 そもそも、この議員は「暴言男」で有名だ。これまで何度も国会で暴言を吐いてきた。過去5年間で何と3回も懲罰動議を出されている。
弓谷 今回で4回目だ。国会じゃ懲罰動議男≠ニ呼ばれているそうだ(大笑い)。
杉山 要するに「目立ちたがり」だ。
弓谷 マスコミの取材にも「僕は15分程度質問する時も、20、30時間は勉強している」なんて自慢していた。
青木 そんなに勉強して、こんなウソ八百の質問しかできないのか(笑い)。
秋谷 いまだに住民移動♂]々のデマを言う議員がいたと聞いて驚いたが、そういう男か(大笑い)。

40年前からの嘘

原田 この種のデマは、昔から選挙のたびに出てきた。全部が全部「事実無根」とハッキリしているじゃないか。
杉山 その通りだ。公明党が、まだ「公明政治連盟」だった時にもあった。
 1964年(昭和39年)4月、当時の社会党の代議士だった島上善五郎という男だ。国会で学会が選挙対策で集団移動している≠ネどと大ウソを流した。
弓谷 この島上はアパートの一部屋に100人も200人も移動した≠ネどと言い放っていた。
秋谷 バカバカしい(爆笑)。そんなことをしたら、選挙管理委員会がつくる「選挙人名簿」等にも厳然と記録が残るはずじゃないか。
原田 結局、国会議員のくせに「証拠」も「証人」も何一つ出さない。
 裏付け調査も一切なし。
弓谷 当然、公政連の議員が直ちに島上を問いただした。すると島上はウソを認め、発言を撤回した。
杉山 これが住民移動♂]々のデマについて、現在のところ活字で確認できる、最初のケースだ。
青木 はじめっから、まったく事実無根のデマだった。よく分かるな!

(2005. 7.16. 聖教新聞)

 

<14>
出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、杉山青年部長、弓谷男子部長

国民をナメるな

杉山 現職の国会議員が最近、またもや住民移動♂]々の悪辣なデマを放言した。前回は、そのことについて語り合った。
弓谷 僕の新聞記者の友人も怒っていた。
 「国会議員には何人も秘書がいる。立法調査費とか、文書通信交通滞在費とか、いろんな名目で多額の手当までもらっている。
 そのくせ、素人でも、ちょっと調べれば分かるウソをつく。要するに議会をナメている。国民をナメている」と憤慨していた。
青木 当たり前だ。昭和39年に証明済みのデマだよ。
 「十年一日」どころか「四十年一日」だ。
杉山 その通りだ。
 前回も話したが、昭和39年4月、当時の社会党の代議士だった島上善五郎が国会で学会が選挙対策で集団移動している≠ネどと大ウソを言い放った。
弓谷 「証拠」も「証言」も「証人」もない。ないない尽くしのデマだった。
 当時の公明政治連盟の議員が島上を問いただした。すると島上はウソを認め、発言を撤回した。
青木 今回、国会でデマを蒸し返した議員は、そんなことも知らないのか。
 ちゃんと聖教新聞を読んだらどうだ(笑い)。
原田 当時、公政連は昭和38年の統一地方選挙で大勝利した。翌年5月、公明党の結党と衆議院進出を発表した。
 そういう時期に住民移動♂]々のデマが突然、出てきた。
秋谷 これが「嫉妬(しっと)」の怖さだ。悪辣なデマを流す輩が必ず出てくる。方程式だ。
杉山 フランスの思想家パスカルも「妬みと憎しみは虚偽と中傷を用いる」と喝破している。まさに、その通りだ。

時の首相も否定

弓谷 昭和43年9月にも、当時の自治大臣が公明党の支持者が集団移動≠ニ暴言を吐いた。
青木 公明党の議員が、ただちに猛抗議。
 すると大臣は根拠は何もない。今後、根拠のない発言は慎む≠ニ謝った。
杉山 昭和58年12月の衆院選の最中にも、代議士が住民移動♂]々と中傷した。
 これも公明党が厳重抗議すると無責任な言動だった≠ニ明確に謝罪した。
原田 当たり前だ。
 当時の中曽根首相すらも国会で「公明党が、いやしくも、そのような不正行為、集団移動をやる、選挙目当てのそのようなことをやるとは思っておりません」と答えていた。議事録にも明確に残っている。
弓谷 それに、あの「朝日新聞」も、調査した結果、真っ赤なウソだと結論して陳謝している。
原田 有名な話だ。
弓谷 「朝日新聞」徳島版が平成5年7月20日付で徳島県内の創価学会員の住民票が、東京都議選のために大量に異動されている≠ネんて書いた。
杉山 学会は、ただちに厳重抗議。「朝日新聞」は綿密な裏付け取材を行い、翌日付で陳謝した。
 「うわさのような事実はありませんでした。十分な裏付け取材をせず、掲載したことで、関係者並びに読者にご迷惑をおかけしました。おわびします」と明確に謝罪した。
弓谷 一昨年4月の統一地方選の直前にも、鹿児島県で公明党が住民移動≠ニデマを流した議員がいた。
杉山 公明党が、ただちに厳重に抗議すると、その議員が所属する党の県連が公明党に謝罪した。
 地方紙にも「『結果的に公明党に迷惑をかけたことについて、おわびしたい』と釈明した」とハッキリ出ていた。
弓谷 雑誌も謝罪した。
 一昨年の7月、経済誌がコラムの中で衆議院と参議院の同日選挙では、公明党は、お得意の住民票の異動ができない♂]々と中傷した。
杉山 この経済誌も当然「完全な誤り」と認めた。
 「訂正とお詫び」を掲載。「記述を削除します」とハッキリと謝罪した。
原田 発言した政治家も陳謝。新聞も雑誌も謝った。
秋谷 住民移動♂]々のデマは、騒ぐたんびに「事実無根」と一段とハッキリしている。
青木 それを、いまだに流すやつがいる。しかも国会議員だ。言語道断だ!

直ちに謝罪せよ

原田 だいたい、実際に住民票を移動しているのは「公明党以外」だよ(笑い)。何度もニュースになっているじゃないか。
杉山 一昨年の横浜市議選では、落選した女性候補が住民票を不正に移動していた。自分と夫、子ども二人の住民票を、実際には住んでいないアパートに移して投票していた。
弓谷 新聞でも報道された。この候補者は横浜簡裁から罰金50万円を命じられている。
杉山 平成12年の秋田県稲川町(当時)議選でも、町職員が住民票を不正に移動して投票。その後、「罰金50万円」と「公民権停止5年」の命令を受けた。
青木 たった一人や数人、住民移動しただけでもバレる。裁判で厳しく裁かれ、マスコミでも報道されるんだ。
 かりに、どこかの組織が大々的に住民移動なんかやったら、すぐに大問題だ。大ニュースだ。
原田 ましてや都議選や国政選挙で、当落を決めるのは何千、何万票単位だ。要するに現実を知らない。それでいてデマを言う。権力の傲慢(ごうまん)だ。
秋谷 いずれにしても「政治家のウソ」は社会を狂わせる。民主主義を破壊する。絶対に見過ごしてはならない。
 公明党は徹底的に追及すべきだ。
杉山 デマを吐いた議員が、これからどうするか。発言を議事録から削除するのか。公明党、支持者に詫びるのか。
 青年部は厳しく見ていく。

(2005. 7.18. 聖教新聞)

 

<15> ニセ法主の卑劣な謀略「C作戦」から15年 @
出席者:青木理事長、竹入副会長、西 東京男子部長、渡辺慈済住職、小板橋明英住職、能勢宝道住職

竹入 あの日顕の陰険、卑劣な「C作戦」の謀議から15年がたった。
西 日顕のやつは、今では身体もガタガタだ。見栄っ張りのあいつは、人前では虚勢を張っているが(笑い)、陰ではコッソリ車イスを使っている。有名な話だ。
青木 とにかく聖職者が、最大に大事にすべき信徒を大弾圧し、切り捨てるという前代未聞の大悪事だった。永遠に日顕を許すな!
竹入 日顕の悪逆の歴史を後世に留めるために、日蓮正宗改革同盟の渡辺慈済住職(神奈川・大経寺)、憂宗護法同盟の小板橋明英住職(京都・能栄寺)、能勢宝道住職(千葉・立宗寺)に参加してもらいました。

日顕本人が命名

西 平成2年暮れに日顕は突然、池田先生を「法華講総講頭」から一方的に罷免。
 翌年の11月には学会に対して「破門通告書」なる文書を送りつけてきた。
渡辺 学会を利用するだけ利用し、供養を取るだけ取って切り捨てた。
 まさに極悪非道! 冷酷無比! 断じて許せない。
青木 仏教史上、前代未聞の「法主による信徒弾圧」だった。
小板橋 それも、わざわざ日顕本人が「C作戦」なんていう名前までつけて、作戦を練っていた。
能勢 僧侶が信徒を切り捨てる作戦を練るなんて、我々も「まさか」と思った。絶対に、あり得ないことだ。
竹入 日顕のやつは平成3年7月には、大石寺への参詣をエサに檀徒づくりを開始。学会員の切り崩しを始めた。
青木 つまり学会員を「登山停止」にした。
 長年、行われてきた学会による登山会を一方的に取りやめて「学会を脱会して、寺に所属しない人間は参詣できない」と言い始めた。
西 わざわざ一般の新聞に創価学会の皆様へ 登山の方式が変わったから注意を≠ネんていう広告まで出したんだ。
竹入 しかし、それも見事に大失敗(大笑い)。そんな広告を出したもんだから、かえって大石寺への登山者が一気に大激減してしまった。

信徒弾圧の道具

西 それに、その年の11月、日顕宗は学会員への御本尊下付(かふ)の停止を通告してきた。
青木 つまり「御本尊がほしいのなら学会をやめろ」というわけだ。卑劣千万のやり口だった。
渡辺 御本尊の信徒弾圧の道具に使う。なんたる狂気か! なんたる大謗法(ほうぼう)か!
竹入 しかし今から思えば、かえってよかった。だいたい、あのハレンチ坊主の日顕の本尊なんか、汚らわしくて誰も拝めない(笑い)。
青木 やがて学会は日寛上人が書写された御本尊を授与するようになった。
 みんなが「ニセ法主の日顕なんかと何の関係もない。日寛上人の御本尊で本当によかった」と大喜びだ。
渡辺 だいたい宗門の檀家には信心がない。御本尊に題目を唱えることもないし、御本尊を根本に仏法を弘めてもいない。
 しかし学会の人は信仰の根本として御本尊を拝している。法華講とは天地雲泥だ。
能勢 まったく同感ですね。
渡辺 私がお仕えした堀日亨上人は、こう話されていた。
 「御本尊様も本当に日の目を見たのは、学会が出現してからだ。学会のお陰で御本尊様の本当の力が出るようになったことは誠にありがたい。
 檀家が御本尊様を書いてもらいたいと頼みに来るが、私は、広宣流布のための御本尊様なら書写するが、御供養をいくら出すからいただきたいというのなら一切書かない」と明言されていました。
小板橋 まったく、その通りだ。

積立金も崩す

西 結局、卑劣な「C作戦」のおかげで、いちばん追い込まれ、いちばん困ったのは誰か。当の日顕本人だ(笑い)。
青木 かたや学会は一切に大勝利。
 創価の正義の連帯は、世界190ヵ国・地域にまで広がっている。
西 日顕宗は何ヵ国だ(爆笑)。日顕が正しいのなら、もっともっと宗門は広まっているはずじゃないか(大笑い)。この一点だけでも、正邪は明確だ。
能勢 今の宗門を見るがいい。「世界広布」どころか、学会と一緒だったころと比べて信徒は2%にまで激減。末寺も経済的に苦しい寺だらけだ。
竹入 今や大石寺からの援助がないとやっていけない「困窮寺院」が末寺の3分の1にまでなっているという話だ。
小板橋 とうとう最近では、寺の「永代積立金」まで取り崩すところも出てきた。
能勢 この永代積立金というのは、ずっと保管しておかなければならない積立金だ。
 その積立金を勝手に取り崩すというのは尋常じゃないよ。相当、経済的に逼迫(ひっぱく)している証拠だ。
渡辺 みなが「こんなはずじゃなかった。学会と一緒のころが懐かしい。日顕がC作戦なんか、やったからだ」と怒っていますよ。

宗門に将来なし

小板橋 日顕宗の将来は、正信会の連中を見れば、よく分かる。
竹入 その通りだ。かつては正信会の寺も、行事があれば200人くらい来ていた。それが今じゃあ5、10人。閑古鳥が鳴いてる寺ばかりじゃないか。
小板橋 正信会が学会に弓を引いたのは25年前のことだ。日顕宗の寺も、あと10年もすれば正信会と同じようになるよ。
西 大石寺に行く法華講員も年々、減っている。法華講の夏期講習だって参加者は減っている。だから、同じ人間が2回も3回も行くハメになっている。
青木 夏の暑い中で、あの下らない、つまらない日顕の話を聞きに行くんだからな。ご苦労さんだよ(笑い)。
能勢 だから、居眠りする法華講員ばかりなんだ。
 日顕の話を短くしたら、少しは参加者が増える(笑い)。
小板橋 いや、短くするだけじゃダメだ。日顕の話なんか、なくしたほうがいい(大笑い)。

(2005. 7.19. 聖教新聞)

 

<16> ニセ法主の卑劣な謀略「C作戦」から15年 A
出席者:青木理事長、竹入副会長、西 東京男子部長、渡辺慈済住職、小板橋明英住職、能勢宝道住職

初めから大失敗

渡辺 今から15年前の平成2年7月16日、日顕らは東京都文京区の西片にあった大石寺東京出張所で「C作戦」の謀議を行った。
西 あの「陰の法主」といわれた河辺慈篤のメモによれば、集まったのは、日顕を中心に総監の藤本日潤、庶務部長の早瀬義寛、渉外部長の秋元広学。
 それに大石寺主任理事の八木信瑩、北海道大布教区長の河辺慈篤、海外部主任の関快道の7人だった。
小板橋 翌日17日には、学会と宗門との「連絡会議」が予定されていた。
 その場で、藤本が学会を攻撃する書類が入った茶封筒を突きつけることになっていた。
 学会攻撃のシナリオは、そこまでできあがっていた。
青木 ところが実際の連絡会議では、秋谷会長をはじめ学会側が、坊主たちの堕落した姿を憂い、綱紀粛正を厳しく求めた。
竹入 驚いた坊主たちは、なすすべなし(笑い)。藤本はオロオロして、用意した封筒を渡せずじまい(大笑い)。作戦は初動段階で失敗してしまった。
青木 もちろん学会は、この時点でC作戦など知る由もない。
 あまりにも腐敗した宗門の現状があった。そこで広宣流布を願う真心から、毅然たる態度で臨んだだけだ。
小板橋 しかし結果として、それが秘密裏に進められていたC作戦の機先(きせん)を制することになった。
青木 まさに御仏意(ごぶっち)だった。日蓮大聖人のお計らいとしか思えません。

異常な疑心暗鬼

能勢 驚いた日顕の周辺は、大騒ぎだったという。
小板橋 翌日の18日には、今度は大石寺の大書院に西片会議と同じメンバーを集めた。宗内の綱紀粛正を強気で迫る学会の姿勢にC作戦遂行に慎重論が出始めた。
渡辺 おそらく、予想以上に厳しく追及されたもんだから、謀議がバレたと思ったのだろう(笑い)。
能勢 河辺のメモによれば、18日の本山での会議では、盗聴を恐れるあまり、会場まで二転三転したという(大笑い)。
小板橋 結局、大石寺の大書院になり、盗聴を防ぐために障子をすべて開け放って会議が行われたんだ。
竹入 日顕は、誰も信用できない。坊主も信用していない。誰が敵で誰が味方か分からない。疑心暗鬼だったんだな。
能勢 疑心暗鬼ぶりは、謀議のメンバーを見ても言える。本来なら、当時の海外部長の前川慈肇や教学部長の大村寿顕も呼ばれていいはずだった。
西 だが前川、大村は呼ばれていない。
小板橋 前川や大村を呼ぶと、学会に情報が漏れるとでも疑ったんだろう(笑い)。
渡辺 とくに前川は日顕から嫌われていた(笑い)。
小板橋 日顕というのは本当に疑い深い。怒った時以外は、滅多に本心を出さない(笑い)。心の底から信用している人間は、だれ一人としていなかったんじゃないか。
能勢 実は、謀議に呼ばれた秋元も疑われていた(笑い)。
 C作戦の情報についても日顕は「秋元が怪しい」と疑っていたという話だ。

汚い手口

竹入 呼ばない人間にも疑いの目を向ける。呼んだ人間も犯人扱い。恐ろしい「恐怖政治」だ。恐ろしくて口もきけない。
小板橋 まったく、その通り。
 私にも、こんな経験がある。日顕は平成2年暮れに名誉会長を法華講総講頭から罷免し、C作戦を決行した。
 その直後の平成3年1月に大石寺で支院長の集まりがあった。
 日顕は支院長連中の間をウロウロしながら「小板橋君はいるかな」「大橋君(故・大橋正淳氏)はいるかな」と言っていた。
 結局、私と大橋さん2人だけが残された。
渡辺 日顕らしいやり方だ(笑い)。あの男は、必ず、何か別の用事があるかっこうにして、呼び出すんだ。
小板橋 そこで日顕は私に、こう言った。「お前は、ワシが気が短いと言ったんだってな!」と突然、怒鳴り散らしたんだ。
西 何言ってんだ。日顕が気が短いのは、誰だって知ってる。有名じゃないか(笑い)。
小板橋 だいたい、突然の「総講頭罷免」だった。何が起きたのかサッパリ分からなかった。まさかC作戦の謀略があるなんて夢にも思っていなかった。
 しかも教区の集まりで末寺の住職から「何が起きたのか」と説明を求められた。
 よく分からなかったので「まあ、あの人も気が短いですからね」とポロッと言ってしまった(笑い)。
竹入 それを日顕は誰かに密告させたんだな。あの年末年始、日顕は、あっちこっちの坊主の言動に細かく監視の目を光らせていたんだ。
能勢 それで小板橋さんと大橋さんに目を付けた。
小板橋 あの時、日顕は、われわれ二人に、支院長を「辞めたほうが、いいんじゃないか」と言ってきた。
 「辞めろ」と言わない。「辞めたほうがいい」とだけ言ってきたんだ。
能勢 日顕らしい言い草だ。自分の手を汚さないように人を切り捨てる。汚い手口だ。

離脱者が続出

小板橋 日顕と比べたら、気が長いほうの私でも、さすがにカチンときた。「意地でも辞めるものか」と思った(笑い)。その場は、殊勝な顔をして「頑張ります」と言って帰ってきた。
西 その後、1年間以上も我慢して(笑い)、平成4年7月に離脱したんですね。
小板橋 そうです(笑い)。
渡辺 平成4年には宗門から離脱する僧侶が相次いで、日顕はカッカしていた。
 小板橋さんが離脱した後の7月18日、日顕に大石寺で会った時だ。日顕は私に向かって「離脱したければ、いつでもしろ!」と、ものすごい剣幕で怒鳴ってきたんだ。いきなりだった。
小板橋 そうやって、すぐに怒鳴るんだ、日顕は(笑い)。
渡辺 怒鳴るだけ怒鳴ると、席を蹴るようにして、部屋を出て行ってしまった。とりつくしまもなかった。
 私が離脱する一つのきっかけになった事件だ。
青木 「離脱したければ、いつでもしろ」か。これが法主の発言だよ。離脱が続いたのも無理もない(笑い)。

怯えるニセ法主

渡辺 日顕の疑心暗鬼ぶりは「総講頭罷免」を決めた平成2年12月27日の臨時宗会をみても、よく分かる。
能勢 日顕は、宗会に参加する宗会議員にも直前まで知らせなかった。寺にファックスが送られたのは宗会の二日前だったという。
 しかも内容も議題も一切、秘密。宗会が始まるまで、宗会議員も宗務院の職員も、何を話し合うのか知らされないという異常さだった。
 宗会議員ですら、こうなんだ。末寺にいた私なんか、知る由もなかった。
小板橋 日顕の疑心暗鬼は、今も続いている。
 何しろ「相承疑惑」のニセ法主なんだ。「いつか相承の秘密がバラされるんじゃないか」「側にいる坊主が裏切るんじゃないか」と、怯えきってビクビクしているはずだ。

(2005. 7.20. 聖教新聞)

 

<17> ニセ法主の卑劣な謀略「C作戦」から15年 B
出席者:青木理事長、竹入副会長、西 東京男子部長、渡辺慈済住職、小板橋明英住職、能勢宝道住職

西 ところで、マスコミの世論調査によると、公明党の支持率が上がっている。
青木 立派じゃないか。これも偉大な支持者のお陰だよ。
西 毎日新聞の調査では、公明党の政党支持率6%(前回より2ポイント増)だった。
 時事通信の調査でも公明党の支持率は5.1%(前回より1.8ポイント増)だ。
青木 公明党は国民の期待に応えてもらいたい。一致団結して、堂々と実績を残してもらいたい。
竹入 その通りだ。

「僧の道」を外す

渡辺 それにしても宗門は、どれほど学会に大恩があるか。その大恩ある学会を日顕は「C作戦」という大暴挙で切り捨てた。恩を仇で返した。
 絶対に許せない忘恩、不知恩だ。
竹入 しかも日顕のやつは、切り捨てた後になっても、大恩ある学会を攻撃している。
渡辺 そもそも戦後まもないころは、末寺も、わずかだった。
 私のお仕えした堀日亨上人も、末寺の建立については、自分の時代には夢として諦めざるを得ないと言われていた。
小板橋 末寺の建立は、当時の宗門人共通の思いだった。夢だった。その夢を実現してくださったのが学会だ。
渡辺 どれほど学会が有り難かったか。当時を知る宗内の人間なら、誰だって、懐かしく思っている。
西 事実をみれば明快です。昭和28年以降に学会が寄進した末寺は海外4ヵ寺を含めて356ヵ寺だ。
渡辺 とくに池田先生の会長就任(昭和35年5月)以降だけでも320ヵ寺だ。
 まさしく名誉会長以上の宗門外護の大功労者は、おられない。
小板橋 この名誉会長の恩を知り、恩を報じていくのが人間の道であり、僧の道ではないか!
渡辺 その通りです。
 昭和20年代、30年代は学会だって大変だった。本来ならば学会の会館を先に建てたかったはずだ。
 それを会館よりも優先して寺院を建立、寄進してくださった。どれほどの大恩があるか。計り知れません。
能勢 恩を知らない。それどころか、学会が寄進した寺に居座りながら、学会を批判している連中ばかりじゃないか。
西 学会が謗法だというのなら、謗法が寄進した寺も、そこにいる坊主も供養も謗法じゃないか(笑い)。
竹入 その通りだ。文句があるなら、寺を返してから、ものを言え!
渡辺 人間としての節操が少しでもあるなら、まず寺から出て行くべきだ。
西 出て行かないのは乞食坊主であり、恩知らずの畜生坊主だ。
能勢 しかも日顕のC作戦のせいで、今の宗門では寺が増える見込みがない。いまだに住職になれない坊主が大勢いる。
 だから宗内の教師、所化たちが「次は誰が死ぬのか」「誰が日顕に逆らっているか」なんて話している(笑い)。
渡辺 日顕に逆らえば住職をクビになる。そうすれば、住職のイスが一つ空くからだ。
竹入 坊主が「誰が死ぬか」「誰がクビになるか」を待っている。空恐ろしい世界だ。
西 日蓮大聖人は不知恩の輩は悪道に堕ちる≠ニ厳然と仰せだ。日顕宗は、その通りの地獄絵図だ。

根本は嫉妬

青木 学会が建ててやったのは、末寺だけじゃない。大石寺にある建物だって、ほとんどが学会の寄進じゃないか。
竹入 その通りです。たくさんある。
 正本堂、大客殿、大講堂、奉安殿、大坊、大化城、旧六壷、典礼院、東之坊、妙遠坊、妙泉坊、妙住坊、常灯坊、常来坊、総門、対山坊、経蔵、衛一坊、衛二坊、衛三坊、衛四坊、衛五坊、一之坊、二之坊、三之坊、四之坊、五之坊、総一坊、総二坊――こんなにある。日顕が破壊したものもあるが。
西 修繕費用や建設資金の一部を供養したものもある。
 五重塔、南之坊、浄蓮坊、蓮成坊、蓮東坊、本住坊、百貫坊、久成坊、本境坊、観行坊、了性坊、寂日坊、御影堂、理境坊だ。
竹入 どれほど莫大な供養をしたか。天文学的数字だ。

破壊法主

西 日顕のやつは、あの正本堂まで壊した。
能勢 正本堂を壊した跡地に建てたのが、宗内でも不評の奉安堂だ。
青木 「安普請のガランドウ」と専らの評判だな(笑い)。
西 そういえば、日顕は、奉安堂の竣工式に、大名家の末裔(まつえい)などを呼んで悦に入っていたっけな。
青木 まさに「京なめり」(笑い)。あの卑しい日顕が考えそうなことだ。
能勢 あれも全部、名誉会長への嫉妬ですよ、嫉妬(笑い)。
 正本堂が建立された時は、学会の力で世界中から来賓が来た。日顕の頭には、その時の荘厳なイメージが焼き付いて離れない。
 それで必死になって、大名の子孫なんか呼んだんだよ。
西 「日顕の魂胆なんて、見え透いている。大名の子孫を何人呼んだって、日顕の氏素性(うじすじょう)や下劣な品性とは何の関係もない」とゲラゲラ笑われている(大笑い)。
渡辺 それにしても日顕は、正本堂、大客殿、大化城、六壷‥‥建物とみれば壊している。とにかく建物を壊したい。衝動を抑えきれない。
能勢 日顕には、何の展望も未来図もない。ただ壊しているだけだ(笑い)。
 大石寺周辺の法華講員すらも「なんで、こんなに壊すのか。本当に、もったいない」と驚いていたほどだ。
竹入 「また壊すのか。本当に壊すのが好きな法主だ」と言っていた法華講員もいた(笑い)。
西 最近も日顕のやつは、大石寺にシャワー室か何かを作っているという話だ。
青木 それにしても日顕は、日達法主時代にできた建物を次から次に破壊した。
 歴代法主の中でも、これほど建物を壊した法主は、ほかにはいないだろう。
渡辺 いない、いない(笑い)。
竹入 宗門もブッ壊しちゃった(笑い)。
能勢 いったい、どこまで壊し続けるのか。
小板橋 まあ、最後は自分を壊して終わりだよ(大笑い)。

(2005. 7.21. 聖教新聞)

 

<18> ニセ法主の卑劣な謀略「C作戦」から15年 C
出席者:青木理事長、竹入副会長、西 東京男子部長、渡辺慈済住職、小板橋明英住職、能勢宝道住職

登座直後に準備

渡辺 広布破壊を狙った、日顕の「C作戦」は表向きは平成2年から始まった。
 しかし学会を切るという日顕の陰謀は、実は、あの男が法主になった(昭和54年7月)直後から始まっている。
西 そんな前から、ですか。
小板橋 確かに日顕は登座直後から、坊さん主導の宗内運営を考えていた。自分の言いなりになる宗門にしようと考えていた。これは間違いない。
渡辺 その通り。C作戦の首謀者の一人である河辺慈篤を東京に呼び寄せた時から、始まっていたんです。
能勢 河辺が徳島の敬台寺から東京の妙因寺(江東区)に来たのは昭和55年6月だ。
 当時、宗内の多くが「なんで河辺が東京に行くんだ」と驚いていた。
渡辺 日顕本人が河辺はワシの懐刀だ。彼は飛行機が嫌いだし、徳島は遠くて不便だから、わざわざ東京に呼んだんだ≠ニ言っていた。
竹入 河辺は東京に来てからは、寺のことは、ほとんど何もしていなかった。何やら怪しい調査ばかりやっていた。今から思えば、学会攻撃の準備だった。
渡辺 しかし学会と戦うには河辺一人だけだと難しい。それで日顕は翌昭和56年8月、光久諦顕氏(日康)を東京の妙縁寺(墨田区)の住職にした。
 河辺と一緒に学会のあら探しをさせたんだ。
能勢 光久は、河辺と仲が悪い。もともと一緒に仕事するような仲じゃない。
渡辺 ところが、光久が東京に来てからは、何かにつけて二人が一緒にいることが多くなった。当時は「あの二人が、なぜだ?」と疑問に思っていた。
 これも学会を攻撃するための準備だったにちがいない。
西 当時は正信会の坊主が騒いでいたころですね。
能勢 日顕の相承疑惑のせいで、正信会系の二百数十人が日顕に反旗を翻していた。これを押さえられるのは宗内では河辺しかいなかった。
渡辺 そこで日顕は河辺を使って、学会と正信会を戦わせた。いつかは学会を切るつもりで、そうさせたんだ。
竹入 本当に悪いやつだな! どこまで腹黒い坊主か!
小板橋 河辺は東京に来た直後、何人かの人間に言っていた。「これから先、何が起こるか分からないけど、女性問題だけは注意したほうがいい」と言ったんだ。
西 つまり学会を攻撃すれば必ず坊主の素行が問題になる。河辺は、そこを気にしていたんだな。
渡辺 それに私に「お父さんの日記を持っていないか。メモでも何でもいい」と何度も聞いていた。
 私の父、渡辺慈海師(日容)は、昭和18年に宗門が神札を受けた時の当事者だ。
能勢 宗門が学会と戦うことになれば、宗門は神札問題でやりこめられる。この歴史の事実を言われたら、ぐうの音も出ない。
小板橋 それで河辺は、何か反論できるものがないかと、資料を探していたんだな。

日顕本人が白状

竹入 それ以降も、日顕が学会を攻撃しようとしている様子はありましたか?
渡辺 ある。日顕が謀議を始める前年の平成元年4月のことだ。東京都渋谷区にある日顕が作った私塾「富士学林大学科」(法教院)の授業の休憩の時だった。日顕は私に、こう話しかけてきた。
 「慈済房、お前は学会と対決した経験者だ。万が一、学会と戦う時代になったら、その時は、お前も戦ってくれよ」と言ったんだ。
西 重大な証言ですね。
渡辺 ビックリして私が「学会とは僧俗和合でいくんじゃないんですか。そんなことあるんですか」と言った。
 日顕はオロオロして「いや、ないない。その話は、なかったことにしてくれ」と慌てて打ち消したんだ。
小板橋 その頃から明確に学会と戦う人間を探していたんだ。
能勢 平成元年秋に、やっぱり富士学林の閉講式があった。その時に日顕は、いきなり、こう言った。
 「いいかお前ら、よく聞け。ワシはやる時はやるんだ。皆で攻めるんだ」なんて突然、喚きだしたんだ。
 当時は全く意味が分からなかったがね(笑い)。
小板橋 すぐ頭に血が上って、自分から口走ってしまう(笑い)。
竹入 平成3年3月5日、改革同盟の工藤玄英さん(東京・大宝寺)と故・大橋正淳さんが大石寺で日顕に会った。その時、日顕は、こう言っていた。
 「とっさに思いついてやったことじゃない。5、6年も前から考えに考え抜いてきたんだ。夜、寝られない日もあった」と白状していた。

大敗北の末路

青木 いずれにしても、ずっと前から日顕は河辺を使って、学会を攻撃しようと企んでいた。
竹入 だが、その日顕の「C作戦」も完全に失敗に終わった。そのうえ日顕は最高裁で2度も断罪。さらに「シアトル事件」の裁判、「芸者写真」裁判でも大敗北した。
青木 心の中では「こんなはずじゃなかった」と悔やんでいるよ。
小板橋 大失敗だったから、謀略の中心人物だった河辺への視線は冷たかった。
能勢 C作戦が決行された後の平成4年のことだ。大石寺の大客殿で行事があったが、私は喫煙所で休んでいた。そこに河辺もいた。
 私が「行事に行かないんですか」と言うと河辺は「いいんだ。オレは、いいんだ」と言っていた。
小板橋 つまり行事に出たくなかったわけだ。
 だいたい当時、河辺は、宗門を没落させる作戦を首謀した人間として白眼視されていた。
渡辺 だから行きたくなかったんだ。
青木 結局、河辺も日顕に使われるだけ使われて、平成14年に病気で身体をボロボロにして死んだ。最期は完全に敗北の姿だった。

(2005. 7.22. 聖教新聞)

 

<19> ニセ法主の卑劣な謀略「C作戦」から15年 D
出席者:青木理事長、竹入副会長、西 東京男子部長、渡辺慈済住職、小板橋明英住職、能勢宝道住職

日顕自ら白状

竹入 前回も話に出たが「C作戦」の謀議が行われたのは平成2年7月。
 「C作戦」という名前が初めて表面化したのは翌年の平成3年1月のことだ。
西 当時、宗門の海外部にいた福田毅道という坊主が、SGI(創価学会インタナショナル)の幹部あてにFAXを送ってきた。そこに、こう書いてあった。
 「例の昨年7月末に頓挫したC作戦の案文を夜間一人切りでワープロで清書しつつ、この海外部の事務室で1時間以上、涙を流し、泣きました」とハッキリあった。
渡辺 その後、同年3月5日には改革同盟の工藤玄英さん、故・大橋正淳さんが日顕に会った。その時に工藤さんらに「C作戦を知っているか」と問いつめられた日顕が自ら白状してしまった。
小板橋 なんと日顕は「ああ、知っていたよ。あの野郎の首をカットするという意味だよ」と言い放ち、右手で空に「C・U・T」と書いてみせた、というんだ。
青木 仮にも坊主が、お世話になった信徒を切り捨てる。なんたる冷酷! 冷血! 非常識!
 到底、人間の血が通っているとは思えぬ所業だ。

狂気の作戦内容

西 平成4年には、C作戦の内容の全貌(ぜんぼう)までが明らかになりましたね。
能勢 そうそう。
 あれは、福田毅道が当時、群馬の寺にいた坊主にFAXしようとしたんだ。ところが番号を間違えて別の寺にFAXしてしまった(笑い)。
 そして、その間違いFAXを受け取った坊主が「こんなのが来たよ」と、あっちこっちに言い触らした(爆笑)。それで全貌が明らかになったんだ。
竹入 あの作戦の内容が、またあくどい。
 そこには《第1段階》として、臨時の宗会で宗規を改正し、名誉会長を総講頭から罷免することが書かれていた。
西 作戦文書では平成2年7月に決行することになっていたが、頓挫(とんざ)して12月まで延期されたんだ。
竹入 《第2段階》では、各末寺で僧侶を敬うことを義務づける法話を一斉にやると出ていた。
西 《第3段階》が、もっとも悪辣(あくらつ)だ。
 まずマスコミを使って、学会と宗門が無関係であることを通知する。学会員には宗門をとるか学会をとるかを選ばせる。そうすれば数日を経ずして10万人から20万人の学会員が末寺に信徒登録のために殺到する、なんて書かれていた。
青木 もちろん「10万人」も「20万人」も全くの妄想、絵空事だった(笑い)。
 確かに、あの後、多くの学会員が寺に殺到したが、それは「信徒登録のため」なんかじゃなかった。「どういうことだ!」と坊主に詰め寄るためだった(大笑い)。
竹入 作戦文書には、作戦遂行に際して考えなければならないこととして「学会員の中には、ノイローゼ状態に陥り、自殺・一家心中等の不幸が起きる可能性がある」などと、平然と書いてあった。
小板橋 信徒の幸せを祈り、願うべき僧侶が、何たる言い草だ!
渡辺 それでも宗門は、作戦を決行した。
 まさに「破和合僧」の重罪だ。文字通り「奪命者」の所業だ。奪命者とは魔の異名だ。日顕が仏法を破壊する魔である何よりの証拠だ。

無様な言い訳

能勢 やがて平成6年1月に出た河辺のメモでは、作戦の首謀者が日顕であったこと、しかも日顕が、いちばんの強硬派だったことが発覚した。
西 そういえば、日顕宗は、いまだに「C作戦は、なかった」と言い張っている。それどころか「昭和50年代から学会のほうが宗門と別れたがっていた」なんて言っているやつもいる(笑い)。
竹入 日顕が言わせているんだろ(大笑い)。
小板橋 何を言うか。学会が別れるつもりだったのなら、なぜ、あれだけの寺を寄進してくれたんだ。なぜ、あれだけ供養をし、あれだけの登山をしてくれたのか。
 バカも休み休み言え、だ。
青木 その通りだ。日顕がC作戦を仕掛けてきた時だって、学会は200ヵ寺もの寺院を寄進していた最中じゃないか。
能勢 C作戦は、あまりに悪辣であり、仏法上も言い訳のしようがないほどの重罪だ。だから、ウソをついてでも否定したがるんだ。

本当のウソつき

青木 だいたいC作戦については、日顕本人の言い分からして、コロコロ変わっているじゃないか。
西 まったくです。日顕は、公の場ではシラを切り通していた。
 平成4年11月29日には、大阪の寺でC作戦の事実は全くございません≠ニ言い放った。
竹入 平成5年1月6日、末寺坊主の初登山では、こう言った。
 「『C作戦』などということを、考えたこともなければ、実行したこともありません」
 「初めから『C作戦』というような計画を立て、学会をどうこうするという考え方は全くなかったということを、この際、はっきり申し上げておきます」(大笑い)。
能勢 ところが、さっきも言ったように、翌平成6年の正月にはC作戦の謀議を克明に記録した河辺メモが発覚。
 その直後の1月6日、日顕は「Cという言葉が、あるいは出たかもしれない」と、突然、言い出した(大笑い)。
青木 本当に大ウソつきだ。だから自分のデマで最高裁から2度も断罪されたんだ(笑い)。
竹入 そして平成11年12月19日。日顕は、ついに作戦決行の決断をしたのは自分だと認めた。
 日顕は、こう言った。
 ですから、私が、あの平成2年において、ある決断をしました。そして、その第一歩として行ったことが宗会を招集して「宗規」の改正をするということでした。これが大変大きな意味を持っていたわけでもあり、ここが根本的なことでした≠ニハッキリ白状した。
青木 まさにC作戦の第一段階を決行したのは日顕本人だった。前々から皆が分かっていたが、とうとう本人の口で認めてしまった。
小板橋 この日は自分の誕生日だったから、気持ちよくなったんじゃないのか(笑い)。まったく愚かだ。

宗内の噂

能勢 誕生日といえば、日顕は今年の自分の誕生日の前に法主の座を譲るんじゃないか、という噂が流れている。
竹入 もうじき総監の早瀬日如に代わる≠ニいう話も出ているようだ(笑い)。

(2005. 7.23. 聖教新聞)

 

<20> ニセ法主の卑劣な謀略「C作戦」から15年 E
出席者:青木理事長、竹入副会長、西 東京男子部長、渡辺慈済住職、小板橋明英住職、能勢宝道住職

青木 「C作戦」を謀議した日顕は「少し脅せば、学会はひれ伏すだろう」と思い込んでいたフシがある。
竹入 日顕のやつは「学会は、法主の言うことは何でも聞く」と思い上がっていたんだよ。

幼稚な子ども

青木 昭和57年3月22日、大阪の長居陸上競技場で関西青年平和文化祭が行われた時も、そうだった。
小板橋 あの文化祭には私も招待していただき出席した。本当に素晴らしい文化祭だった。
青木 文化祭には日顕も参加していた。ところが終了後、突然、日顕が池田先生と秋谷会長に「すぐ登山しろ」と頭ごなしに命令したんだ。
小板橋 本当に気が短い(笑い)。たいした用事もないのに、すぐ呼びつける。
竹入 先生は、その後、京都、滋賀を訪問される予定だった。地元の同志も、先生を待っていた。
青木 それを急きょ、予定を変更して日顕がいる大石寺に向かわれた。
小板橋 日顕は、文化祭で「なぜ『御法主上人』と言わなかったのか」と怒り狂っていたんだ。
西 そんなくだらないことで、忙しい池田先生を呼びつけたんだ。どこまで思い上がったバカ坊主か!
渡辺 日顕は、自分が一番偉いと思い込んでいる。
 思い通りにならないと、すぐキレる。要するに「子供」だ。「幼稚」なんだ。
能勢 C作戦を謀議した時も「ちょっと脅せば、学会はワシにひれ伏す。おとなしくワシに従う」と思っていた。
竹入 だが、学会は微動だにしなかった。
青木 宗教は人間のためにある。宗教のために人間があるのではない――池田先生とともに、日蓮大聖人の教えの通りに戦っている我々には、この真理が、よく分かっていた。深く、正しく、鋭く仏法を理解していた。
竹入 だから日興上人の「時の貫主(かんず)為(た)りと雖(いえど)も仏法に相違(そうい)して己義(こぎ)を構(かま)えば之(これ)を用(もち)う可(べ)からざる事」との御遺誡(ごゆいかい)のままに、学会は「法主の狂乱」に立ち向かった。
 だからこそ日顕の目論見は、即座に失敗した。
青木 学会は勝った。大勝利した。大聖人が広宣流布のために学会を守ってくださったんだ。
渡辺 一方で日顕は今や、除歴に怯えるニセ法主≠ニして日本全国で有名になってしまった(笑い)。みっともない話だ。
小板橋 哀れだな。
 宗門が広宣流布を阻む邪教に成り下がったのも、すべて、あの日顕の責任だ。

文化祭の裏で

渡辺 文化祭といえばC作戦の謀議があった後の平成2年9月、大石寺開創700年を慶祝する文化祭が大石寺の大客殿前広場で開催された。
青木 まさか裏で、日顕が卑劣な謀略を企んでいるなど全く知らない学会は、真心から開創700年を祝おうと真剣だった。
 静岡県の青年部を中心に全力で準備に当たった。
竹入 しかし、そんな真心の文化祭の裏でC作戦は着々と進んでいた。
 あの時の大石寺には、いやな雰囲気が漂っていた。坊主たちは、黙々と準備に当たる青年部メンバーを、まるで敵を見るような陰険な目で見ていた。労(ねぎら)いの言葉も何一つない。ただ冷たい目で睥睨(へいげい)するだけだった。
青木 それだけじゃない。「設営の音がうるさい」「合唱のアクセントがおかしい」などと、何かにつけてクレームをつけた。傲慢極まる態度だった。
渡辺 それでも、学会は、腐敗した宗門の圧迫を吹き飛ばすような、素晴らしい慶祝文化祭にしてくださった。これは、誰が何と言っても変わらない事実だ。

日顕の誤算

能勢 日顕は「20万人が宗門につけばいい」とソロバンを弾いていた。何の根拠もなく、単純に思いこんでいた。
青木 まさに「取らぬタヌキの皮算用」だったな(笑い)。
渡辺 日顕は、学会を退転した連中にも期待していた。退転者の福島源次郎やら何やら、かなり期待していたようだ。
能勢 福島は、学会から宗門に移った時に「もっと人がついてくるはずだった」と思っていた(笑い)。
竹入 あいつは法華講出身で、学会に土下座せんばかりに頼み込んで、学会に入ってきた。学会に入ってからも、さんざん迷惑をかけたやつだ。ついていく人間なんて、いるわけがない。
青木 日顕は、ここでも計算が狂った(笑い)。
能勢 結局、20万人なんて、まったくの妄想だった。
 宗門では「一人が一人折伏して倍増させよう」なんて言っていたが、できるわけがない(笑い)。だいたい信心がないんだから。
竹入 今や法華講は実質、数万人といわれている。夏期講習会の登山者数の目標も、もう何年も達成していない。達成できない。
 苦しむのは法華講員だけだ。

「墓を増やせ」

能勢 日顕は、ずいぶん前からC作戦を準備していたとの話が出た。
 実は、日顕はC作戦に備えて、末寺の住職に墓地や納骨堂を作らせようとしていた。
 平成元年にも、全国の末寺に対して「墓はあるか」「納骨堂はあるか」などのアンケートが行われた。
小板橋 ああ、そうだった。「ないなら、つくれ」という通知もあった。
青木 日顕といえば「墓をつくれば信者は3代で固まる」と言い放っていたやつだ。
 墓を作れば、信者は、学会よりも寺につく。墓を作れば儲かる。信者が減ってもやっていける。そう踏んでいたんだ。
西 それで、せっせと宗内に通達して、墓づくりを奨励していたわけだ。
青木 平成2年5月19日、日顕は完成したばかりの中部墓園に行った。翌20日には関西墓園に行った。
竹入 ここで日顕は驚いた。学会の墓園の、あまりの素晴らしさにビックリした。
 ちょうど自分が宗内に「墓をつくれ」と号令していた最中だ。
能勢 ちょうど日顕は、学会を切り捨てるために墓地を充実させようと考えていた。だから学会の立派な墓園を見て「学会は宗門から独立しようとしているのか」と疑ったんだ。そういうふうに考える男なんだ。
小板橋 それは言えてる。実際、学会の墓園に驚いた2ヵ月後にはC作戦の謀議だ。勝手な被害妄想でC作戦の決行を急いだのかもしれない。
渡辺 要は「金は出せ」「後は黙っていろ」という王様気取り。そんなのが法主なんだから、宗門が衰亡、凋落するのも無理もない。これからも、どんどん乱れていくにちがいない。

(2005. 7.25. 聖教新聞)