新しき潮流

 

 <71> 政治家の魂は民衆奉仕=@( 2005. 8.31. )
 <72> 民衆世紀の夜明けを!   ( 2005. 9.10. )
 <78> 国民を欺く愚劣コンビ=@( 2006. 3. 9. )


 

<71> 政治家の魂は民衆奉仕

特権に胡坐をかく輩は追放せよ!

 南米チリの哲人政治家・エイルウィン元大統領は、政治家の存在意義について明快に語っている。
 「政治家たる者は、なにが公共奉仕であるかを理解していなければなりません。奉仕するための存在≠ナ奉仕される立場≠ノはないのです」
 「大臣」を英語で「ミニスター」と呼ぶ。その語源をたどれば「召し使い」「下僕」という意味がある。
 「ミスター・クリーン」と呼ばれる、タンザニアのムカパ大統領も明言している。
 「指導者といっても、どれだけ謙虚に国民に尽くしたか、それだけが尊敬に値するかどうかを決める」
 日蓮大聖人は、政治権力者を「万民の手足」(御書171n)と断じられた。
 民衆の幸福を思えばこその叫びである。そのために、徹して尽くし抜くのが、政治家の役目である、と仰せである。
          ◇
 国政を担う議員は、選挙によって国民から仕事を負託されている。
 国民のために働くことの見返りに、国会議員は年間2400万円もの歳費を得ている。この金額は、従業員5000人以上の大企業首脳クラスの収入に相当する。
 しかも、国会議員の収入≠ヘ、それだけではない。主なものをあげると、「文書通信交通滞在費」として年に1200万円。「議会雑費」(=国会開期中の日当)が年に100万円以上。新幹線のグリーン車まで乗り放題のJR「無料パス」。「海外視察費」として上限170万円。東京―地元選挙区間の航空券を毎月3往復分など。
 すべての手当てを合計すると、国会議員の年収は4400万円を超える。これは、1年生議員でも変わらない。
 言うまでもなく、国会議員の歳費は、すべて国民が支払った税金で賄われている。
 では、日本の国会議員は、その収入に見合った働きをしているだろうか。聞き心地のよい約束≠掲げて当選しておきながら、特権の上に胡坐をかき、改革を邪魔し、仕事をしない政治屋を食わせておくほど、税金の無駄遣いはない。
          ◇
 議員個人の不祥事で、もっとも税金を無駄に使っているのが民主党である。
 この1年で、選挙違反、秘書給与流用などで、5人もの議員辞職者を出しているのだ。そのために行われた補欠選挙で使用された税金は、実に9億6000万円に上る。言うまでもなく「使わなくてもよかった」税金である。
 こんな政党が「政権準備政党」を名乗るなど、ブラック・ジョークというほかあるまい。
          ◇
 保身のみ汲々とし、国民との約束を裏切る政治屋≠ヘ、断固、追放せねばならぬ。
 エイルウィンは、国民の責任について言及している。「民衆自身が強く、賢明にならねばなりません。(中略)個々が、一人一人がかかわっている事柄へ大いなる関心をもち、参加することです」と。
 この言葉通りに、無名の庶民が政治のあり方に関心を持ち、日本に「新たな民衆潮流」を巻き起こしてきたのが、我ら創価の前進である。
 地縁や血縁、利権のしがらみにとらわれることなく、政治を民衆の手に取り戻す! その輿望を担って戦うのが、公明党の原点である。
 いよいよ衆院選が始まった。公明党よ、「改革の旗手」として、国民のため、日本の未来のために、渾身の戦いを展開してもらいたい。

(2005. 8.31. 聖教新聞)

 

<72> 民衆世紀の夜明けを!

保身・堕落の政治家は一掃せよ!

 「ひと握りの特権階級の堕落によって、国の未来が奪われている。断じて私は妥協しない!」
 「この国は人民のものだ。民衆のものだ。炎天下で働く人々のものだ。(中略)民衆の手に、権力を取り戻すのだ!」
 政治腐敗と徹底して戦い、驚異的な経済発展を実現した、ガーナのローリングス元大統領の言葉である。
 これは、政治家たる者が堅持せねばならぬ、永遠の志であろう。
 創価学会の同志が、政治を民衆の手に取り戻さんと、選挙の支援活動を始めたのは、1955年(昭和30年)の統一地方選からであった。
 戸田第2代会長は、政界進出の目的を明言している。
 「(政治家たる者は)民衆のなかに生き、民衆のために闘い、民衆のなかに死んでいってほしいと私は願う。名聞名利を捨て去った真の政治家の出現を、現代の人類社会の民衆は渇望しているのだ。(中略)われわれの期待を断じて裏切るな!」
 当時の政界は腐敗の極みにあった。選挙運動で買収や供応をしなければ、当選できないというのが、政治家の常識となっていた。
 権力の争奪に専念する政治屋、その徒党集団に過ぎない政党の犠牲者が、常に民衆であったことはいうまでもない。
 この風潮に、公明党の候補者は、文字通り「公明選挙」で敢然と挑んできた。党員・支持者の手弁当の活動自体が、政界浄化への「改革」であった。
          ◇
 民衆が主役≠ニなって躍動する、日本の新しい政治潮流は、必然的に、既成権力の反発を招いた。学会は、権力からの厳しい弾圧を受け続けてきたのである。
 古くは、若き日の池田名誉会長が、事実無根の選挙違反容疑で不当逮捕された「大阪事件」。当然のことながら、その後、裁判で無罪が確定している。
 近くは、政治屋・坊主らの野合集団「四月会」が、憲法違反の宗教弾圧≠ノ狂奔した。
 権力の魔性に魅入られた哀れな輩の眼には、宗教すらも単なる票田≠ニしか映らないのか。創価の民衆運動を、自分たちの既得権を脅かすものとしてとらえたのである。
 学会弾圧に血道をあげた政治屋が、それでは一体、国民のために何をしたか。
 選挙の時は調子のいい言葉を吐いておきながら、当選後は手のひらを返すように変節し、例によって民衆を食い物にし、自らの保身に走るばかりではなかったか!
 政治権力は、民衆への強制力を伴う。それゆえ、マックス・ウェーバーは、政治に携わる人間は「悪魔の力と契約を結ぶ」との側面を忘れてはならない、と喝破した(『職業としての政治』脇圭平訳)。
 何より大切なのは、権力の魔性に振り回されない、政治家本人の人間的資質である。民衆に徹して尽くせるか。約束を守れるか。自己保身に流されないか。
 民衆は、その点を厳しく見ている。政治改革も「政治家改革」から始まるのだ。
 公明党の議員は、その先頭に立ち、日本の新しい時代を切り開いてほしい。
          ◇
 あす11日は、衆院選の投票日――。奇しくも今年は「学会創立75周年」「学会の支援活動50周年」の節目に当たる。
 恩師・戸田先生は言われた。「時にあい、時にめぐりあって、その時にかなうということは、生まれてきたかいのあることであります」
 御聖訓にいわく「未来までの・ものがたりなに事か・これにすぎ候べき(=未来までの物語として、これ以上のものはないであろう)」(御書1086n)と。
 創価の堂々たる前進が、必ずや後世の人々に、「未曽有の民衆運動」「偉大な人権闘争」と語り継がれ、称えられることは疑いない。
 我らは圧倒的な創価のパワーで、75周年を完勝で飾り、民衆世紀の夜明けを断じて開いていく!

(2005. 9.10. 聖教新聞)

 

<78> 国民を欺く愚劣コンビ

ガセネタ男・デマ雑誌は社会の敵!

 重要案件が山積する国政の場を大混乱に陥れた「偽メール」騒動――。当初、ヒーローにでもなった気分でふんぞり返っていた民主党の永田議員は、雲隠れをしたあげく、国民の前に平身低頭して謝罪することとなった。
 これまでにも、何の事実確認もしないまま、震災被災者を犯罪者呼ばわりするようなデマを平然と口にしていたフダ付き°c員である。
 学会に対しても昨年夏、「住民票移動」などと誹謗中傷。青年部の厳重抗議で、永田は学会攻撃の意図はなかった≠ニ釈明。自民、公明両党の懲罰動議提出を受け、民主党も「遺憾の意」を表明した。
 ところが、その舌の根も乾かぬうちに永田はまたもや同じデマを蒸し返し、学会は即刻、名誉毀損罪で刑事告訴。告訴は受理され、現在、捜査中である。
 「修羅(しゅら)は帝釈(たいしゃく)をあだみて日天を、いたてまつる其(そ)の矢かへりて我が眼にたつ」(御書317n)、「修羅のおごり帝釈にせめられて無熱地(むねつち)の蓮(はちす)の中に小身と成(なり)て隠れしが如(ごと)し」(同957n)とある通り、その本性を天下にさらす結果となった。
 どうやら永田は、やはりフダ付き≠ニ悪名高い人物から程度の低いガセネタを仕入れ、いつものように事実の検証もしないまま国民の前に発表したとのこと。
 血税によって支えられ、国民のために使われるべき国会の人的・時間的な資源が、どれほどこの騒動に浪費されたことか。名誉を傷つけられた直接の当事者の被害はもちろんのこと、さまざまな意味で国民全体が被害者であったといってよい。
          ◇
 ガセネタを捏造し続けるフダ付き男と、そのガセネタを垂れ流す愚か者といえば、あの山崎正友と一部週刊誌メディアの歴史こそ、国民を欺き続けた愚劣コンビといえるだろう。
 過去数十年、一部週刊誌などが報じてきた創価学会をめぐる悪質なデマ報道のほとんどのネタ元≠ヘ、この山崎であった。悪辣な恐喝事件を起こして懲役3年の実刑を受け、出所後も週刊誌や政治家に取り入ってはデマをまき散らしてきた、まさにフダ付きのペテン男。
 だが、もはや天下に正体が知れわたって、さすがに今ではこの男を相手にするメディアなどない。つい先日も自分が書いたデマ本によって完全敗訴。110万円の賠償命令を下されたばかり。裁判所からの断罪は12回目となった。
 かつては弁護士という立場を悪用して学会破壊を企んだ山崎は、今や数十件の裁判を抱え、文字どおり地獄の日々をのたうち回っている。裁判史上に残るこんなデマ男を師匠と仰ぎ、珍重するのは日顕宗くらいだ。
 そう思っていたら、またぞろ山崎を担ぎ出すような愚かなメディアがあって驚いた。なんのことはない、やっぱりあのフダ付き¥T刊誌だった。
 悪質なデマ報道を次から次へと垂れ流しては司法から断罪され、昨年だけで10件・3500万円以上もの賠償命令を受けた、どうしようもないデマ雑誌だ。こちらも山崎に負けじと、今年もまた裁判所からの断罪を受けている。
 山崎がメディアに相手にされなくなって久しい今なら、山崎の実像を知らない読者を騙せると考え、また恥知らずな記事を載せたのか。どこまでも読者である国民を欺いて恥じないメディアというほかない。
          ◇
 デマ報道が、どれほど被害者の生活を破壊し、苦痛を与えるか。ガセネタを捏造する悪意の人間も社会の敵なら、自分の利益のためにガセネタを平然とまき散らす者も社会の敵である。
 だが、デマ報道は被害当事者の人権を侵害するだけでは済まない。なによりも、彼らに騙されたという意味での被害者は国民なのだということを、私たちは明確に語っていきたい。
 ガセネタをまき散らすような議員には退場願うしかないように、性懲りもなくガセネタを売り、読者を騙して恥じないような愚劣メディアは、国民一人ひとりが賢明になって、社会から退場させていくしかない。

(2006. 3. 9. 聖教新聞)

 


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