「僭聖」と戦う闘争こそ師弟不二の証し

2006. 9.15. 聖教新聞


善悪を見分けることは難しい。世の中には、尊敬を集め善行を積み、我こそ正義なり≠ニ声高に叫びながら悪事を為す人間がいる。
悪は必ずしも悪の形で現れず、自らの正義を振りかざすため、それを見極めていくことは容易ではない。
ここでは、善のフリをした悪≠見抜く闘争、つまり三類の強敵の第三「僭聖増上慢(せんしょうぞうじょうまん)」との闘争に焦点を当てたい。そして、日蓮大聖人と日興上人に貫かれる精神を、三類の強敵との闘争を通して考察する。(学生部教学室長 蔦木栄一)

権力を利用したパフォーマンス

 大聖人御在世の僭聖といえば、極楽寺良観である。良観は鎌倉時代にあって、民衆から聖僧≠ニ仰がれていた。
 幕府からさまざまな公共事業をまかされるとともに、「非人(ひにん)」と言われた人々を組織化する「慈善活動」を展開。また、祈祷(きとう)僧として、権力者の病気平癒(へいゆ)、祈雨(きう)などを行っていった。
 権力におもねりながら聖僧≠フ地位を確立していった良観。この上ないパフォーマンスを披露し、人々から尊敬を集めたのである。
 しかし、その内実は、幕府から委ねられた商船・商人から通行税を取る権利を行使し、莫大な利益を貪るものだった。慈善活動の裏で、豪勢な寺を構え、財宝などを蓄えていた。良観は結局、名声を得て、金を集めるための手段として宗教を利用したのである。
 そもそも良観の「真言律宗」は、仏道を全うするために、禁戒(きんかい)を受持する必要性を説いている。禁戒は、悪事・悪行を禁止する戒律だが、「律宗」を標榜する良観自身の行動は、全くそれに背いている。
 「我(われ)羅漢(らかん)を得(え)たりと外(そと)には賢善(けんぜん)を現し内(うち)には貪嫉(とんしつ)を懐(いだ)く」(御書21n)
 聖≠フ裏に潜む邪念――これが僭聖性を持った存在である。僭聖とは、世間から尊敬を集めているが、実際には、おごり、たかぶり、人々を見下していることをいう。
 大聖人は、良観の本質を「嘲哢(ちようろう)の心」「人間を軽賤(きようせん)する者」(同174n)と喝破し、警鐘を鳴らされている。
 本来、人間を幸福へと導くべき仏法が、善人のフリをした悪僧によって曲げられていく。それが末法である。
 正義の言論の上から良観を破折する行動は、人々からは、民衆のカリスマ≠ノ難癖をつける姿とも映ったであろう。そうした構図を利用して、良観は、さらに、権威・権力を操縦することで、真剣に民衆に尽くし、正統な仏法を弘める行者を迫害する。
 その象徴的な事件が、祈雨の修法をめぐる勝負とそれに続く竜の口の法難である。

祈雨対決で敗北 現れた醜面の姿

 文永8年(1271年)は春から雨が降らず、田植えができないなど人々は困窮していた。そこで幕府は、良観に祈雨を依頼したのである。
 大聖人はこのことを聞き、良観との対決を申し込んだ。「七日の内(うち)に雨降(ふ)るならば本(もと)の八斎戒(はつさいかい)・念仏を以(もつ)て往生(おうじよう)すべしと思うべし、又(また)雨(ふ)らずば一向(いつこう)に法華経(ほけきよう)になるべし」(同1158n)。大聖人の強き信念に基づいた言葉であった。
 それとともに、大聖人が対決を申し込んだのは、良観の僭聖性を白日の下にさらすためであられたと拝される。
 一方の良観は「悦(よろこ)びな(泣)いて」(同n)対決を受諾した。その胸中、良観は、自分が売り物とする雨乞いの修法での敗北など予想だにしなかったのであろう。
 しかし、結果は無惨なものであった。良観は、雨を降らすことができず、公の場で大恥をかいた。この後、良観は改心するどころか、大聖人を亡き者にしようと画策。それが「竜の口の法難」につながった。いよいよ僭聖の本性があらわになったのである。
 良観が真の聖者であるならば敗北を素直に認め、大聖人の言葉に耳を傾けただろう。しかし、祈雨対決によってその姿が僭聖であることがより明確になったのである。まさに「謗法(ほうぼう)の醜面(しゆうめん)をうかべ其(そ)の失(とが)をみせしめん」(同217n)である。

師の教えに背く自己本位の解釈

  大聖人の闘争の御精神をそのまま継承したのが、日興上人である。
 日興上人が五老僧の背信を責める中で、重要な一節がある。
 「三類の強敵を受くと雖(いえど)も諸師(しよし)の邪義(じやぎ)を責(せ)む可(べ)き者(もの)か」(同1614n)
 たとえ三類の強敵を受けても、師匠の仰せのままに前進せよ! 悪との戦いを忘れるな! との鋭い口調である。この日興上人の烈々たる仰せから垣間見えるのは、三類の強敵との闘争を忘れてしまった五老僧の背信である。いかなる現実があっても、曲げてはならないものがある。それを自分たちの都合によって曲解したのが五老僧なのである。

三代の魂は厳然 正義は断じて勝利

 師匠――日蓮大聖人に貫かれていたもの、そして真実の弟子――日興上人が受け継いだものは、「依法不依人(えほうふえにん)」「身軽法重(しんきようほうじゆう)」の御精神に他ならない。
 もとより、それは「民衆の幸福の実現」、この一点に貫かれていたことは言うまでもない。
 法華経で「況滅度後(きようめつどご)」と説かれるように、末法において「法」根本に進む限り大難や三類の強敵との闘争は必定である。
 それにもかかわらず、権力におもねり、「仏法の怨(あだ)」と戦わないことは、もはや仏弟子とは言えない。
 日興上人に、「三類の強敵を受くと雖も」との御覚悟がなければ、日蓮仏法の正統を継ぐ者はいなかった。
 「されば此(こ)の経を聴聞(ちようもん)し始めん日(ひ)より思い定(さだ)むべし況滅度後の大難の三類甚(はなはだ)しかるべしと、然(しか)るに我が弟子等の中にも兼(かね)て聴聞せしかども大小の難来(きた)る時は今始(はじ)めて驚き肝(きも)をけして信心を破(やぶ)りぬ」(同501n)
 大聖人御在世にあっても、大聖人の仰せを亡失した門下は多かった。まして、大聖人が後を託した六老僧の中で「三類と戦う」覚悟を宣言したのは日興上人ただお一人である。
 ここに日蓮仏法における師弟の精神の峻厳さを見る。五老僧は、戦わなかったがゆえに「僭聖」を見破れなかったのである。
 私たちが、僭聖の本質を見破り、破折できるのは、日蓮大聖人の不惜身命の戦いとともに、それを寸分も違(たが)うことなく継承した日興上人がおられたからである。
 そして、現代においてその御精神を正しく実践するのが、三代会長によって築かれた創価学会である。
 ゆえに、大聖人の精神に違背するどころか、大聖人を利用し、信徒を隷属させている日顕宗との決着は、断じてつけていかなければならないのである。
 池田名誉会長は綴っている。
 「正しいから勝つとは限らない。正しいからこそ、勝たねばならない。悪に勝ってこそ、初めて、善であることが証明されるのだ」
 今こそ弟子の戦いで、三代会長が築いた創価の正義を満天下に示してまいりたい。

 


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